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Vol. 18
01 The Avantis - Surfin' Granny
02 Mike Harris and The Hi-Tides - I'm A Grimmie Baby
03 The Bentleys - She's My Hot Rod Queen
04 Ronnie Shaw - Surfin Sam
05 Charlie & Chan - My Boyfriend's Learning Karate
06 Ben Colder - Goin' Surfin'
07 Joey & Danny - The Underwater Surfers
08 The Go-Go's - (They Call Him) Chicken Of The Sea
09 Jody McCrea - Chicken Surfer
10 The Zanies - Chicken Surfer
11 Kay Bell And The Spacemen - Surfer's Blues
12 Bobby Pickett - Simon The Sensible Surfer
13 Johnn (Boris) Jones - Surfer Smash
14 The Aquamen - Grannie Wilson
15 Sandra Gould - Hello Melvin (This Is Mama)
16 The Vettes - Happy Ho-Daddy (With Ragtop Caddy)
17 The Astronauts - Happy Ho-Daddy
18 Squiddly Diddly - Ho-Dad
19 The Silly Surfers - Hodad Makin' The Scene With A Six Pack
20 Roger Christian - Big Bad Hodad
21 Shean & Jenkyns - Goofy-Footer Ho-Dad
22 Lord Douglas Byron and The Continentals - Big Bad Ho-Dad
23 Lord Douglas Byron - Surfin Santa
24 The Ramblers - Surfin' Santa
25 Ty Whitney - Surfin' Santa Claus
26 Soupy Sales - Santa Claus Is Surfin' To Town
27 The Surf Boys - I Told Santa Claus I Want You
28 The Conventionals - No, No, No, They Gotta Go
29 The Ris-Kays - Topless (Bathing Suits)
30 Jon Savage - New Fangled, Jingle Jangle
Swimmin' Suit From Paris
31 Arlen Sanders Music By The Pacifics - Hopped-Up-Mustang
32 Incredible Broadside Brass Bed Band - Little Dead Surfer Girl
33 Joey Paige - Surfer From Tennessee
34 The Tokens - My First Set Of Wheels
35 The Travelers - Tie Me Surfer Board Down Sport
36 Squiddly Diddly - Squiddly
37 Squiddly Diddly - Hot-Doggin' Man
38 The Chipmunks - California Girls
39 Jay And Freddy - I'm A Hot Rodder (And All That Jazz)
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Vol. 18
Novelty song section
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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The Avantis |
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18-01
The Avantis - Surfin' Granny / Do The Surfin' Granny
(7: Regency Records RP 107/108) 1964 実は後の有名ミュージシャン達によるスーパーグループだ。
西海岸の Surf music scene の人脈交差点がここにある。
California 州 Fresno のメキシコ系アメリカ人達が結成した
サーフバンドで、Pat Vegas と Lolly Vegas の兄弟が
中心となっていた。The Avantis は1963年の
Wax 'Em Down / Gypsy Surfer (Chancellor C-1144)
でも知られる Surf group で本件シングルは
よくある「サーフィン婆さん」のノヴェルティーソングだ。
Pat Vegas と Lolly Vegas のギタリスト兄弟は
1962年に The Individuals - 7 Potato Mash / Crazy Horse
(Rendezvous Records R-176) のダンスインストシングル
でデビューしており、この兄弟は1963年に Los Angeles の
Haunted House Nightclub のクラブバンドとして活動を始め
その後 The Avantis を Danny Whitten, Judd Hamilton らと
結成する。Danny Whitten は Billy Talbot, Ralph Molina と
1963年には Teen vocal group の Danny & The Memories を
結成しており、彼らはその名義でシングルを (Valiant 6049)
1964年にリリースし、これが後の The Rockets (White Whale) で
それが発展し Crazy Horse (Neil Young のバックバンド) になる。
Washington 州 Wenatchee 出身の Judd Hamilton は1961年に
ダンスシングルでデビューしており
Judd Hamilton With The Furys -
I'm Not Around Anymore / Little Lost Angel
(Julian Records J-101) をリリースした。彼は The Avantis と
同じレーベルでソロシングル Flight 103 / Initials On A Tree
(Regency Records 111) をリリースしている。
彼は弟の Danny Hamilton と Liberty Records のレコーディング
グループの The T-Bones のメンバーとしての活動を1963年から
スタートしていたが、Danny Hamilton も The Avantis の録音に
参加している。The Ventures “Diamond Head” の作者としても有名な
Danny Hamilton だが、当時この Hamilton 兄弟も同時に複数の
グループ名義でレコードをリリースしていた。
Hamilton 兄弟は1963年に The Deuce Coupes のメンバーとして
アルバム Hotrodders' Choice (Del-Fi Records DFLP 1243 mono
/ DFST 1243 stereo) に参加していた。
The Avantis は1964年後半に次のシングル
"Phantom Surfer" (Regency 110) をリリースしたが、その録音には
David Gates が Guitar、Leon Russell が Hammond organ で
参加しており、この二人もまた The Deuce Coupes のメンバーだった。
The Avantis に帯同していた Drummer は Mike Kowalski で
彼は後に The Beach Boys の Tour member, Session member
としても有名になる。
Pat Vegas と Lolly Vegas の兄弟は1970年から Redbone (Epic)
を結成しアルバムを多数リリースした。
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Pat and Lolly Vegas |
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18-02
Mike Harris and The Hi-Tides - I'm A Grimmie Baby
(7: Krimmie Records 0024) 1963 Mike Harris は Bob Summers (Les Paul の奥さん Mary Ford
こと Iris Colleen Summers の弟でギタリスト) の共作者で
この二人の共作は
The Lively Ones - Crying Guitar
(Del-Fi Records 4184) 1962
The Lively Ones - Surfer's Lament
(Del-Fi Records 4196) 1963
Bob Summers - Young And Lonely
(Challenge 9201) 1963
Terry Stafford - Follow The Rainbow
(Crusader Records Inc. CRU-109) 1964
The Parfays - In The Beginning
(Fontana F-1526) 1965
Mike Harris - Sugar Toots / Good Guys
(Sidewalk 2) 1965
Mike Harris - Everybody Has Their Day / Dry Bones
(Sidewalk 905) 1966
The Sloopy's - Gonna Give You Back Your Diamond Ring
(Sidewalk 918) 1967
Grimmie とは、下手、初心者を指すサーファースラングで
本件シングル “I'm A Grimmie Baby” とは「俺は下手で嫌われ者だ」
みたいなタイトルだ。全編にわたってホーンが演奏されており
ほのぼの感を持続させている。B面のロッカーチューンが
Mike Harris の本領発揮で、彼はアメリカではロカビリーシンガー
として認知されている。興味深いことに Kenny & The Fiends の
Ken Jenkins が両面とも書いており、私的には Ken Jenkins の
研究課題として本件作品も追加する。
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18-03 The Bentleys - She's My Hot Rod Queen
(7: Smash Records S-1967) 1965 車の効果音で幕を開けるこのノヴェルティーチューンは
Jerry Kennedy-Margie Singleton による作品なので
後に Sun Records を買収する南部の帝王 Shelby Singleton の
プロダクションであることが解る。 Jerry Kennedy-Margie Singleton による作品については
20-07 The Tides - Beach Town Surfers
21-05 Tom & Jerry - Surfin' Hootenanny
21-06 The Tides - Surfin' Boy
も参照のこと。
Jerry Kennedy は11歳のときに RCA Records とレコーディング
契約を結びいくつかのシングルを録音し、そこで彼は
Chet Atkins から多くを学んだ。Jerry Kennedy は高校生になって
ティーンアイドルのような存在になったがスターになれなかった。
彼は10代の頃に Mercury Records の複数のアーティストの
バックグラウンドヴォーカルを歌っていた。
その頃彼は Mercury Records の社長である Irving Green によって
Nashville に引っ越すよう説得された。そこでこれからは南部の
録音が Nashville を中心になる事を聞かされた。
Jerry Kennedy は Mercury の姉妹レーベル Smash Records で
タレントスカウトとして働き、プロデュースとレコーディング
セッションでの演奏を開始するよう依頼された。
Jerry Kennedy は当時ミュージシャンとして Elvis Presley 他
多くの南部録音にも参加した。
本件シングルの作詩を担当した Margie Singleton は Shelby Singleton
の妻で、彼女は元々カントリーシンガーとして実績があり
プロデューサーだった夫の Shelby Singleton の行動に合せて
レーベルを移動していた。まあ本件クレジットに妻の名前を
使ってるが、節税のためで実際は Shelby Singleton が書いたのだろう。
Shelby Singleton は朝鮮戦争に参加し、除隊後に彼は Louisiana 州
Shreveport に本拠を置く軍需品会社で5年間働き、その後
Starday Records のカントリーミュージックカタログの
プロモーションマンとして雇われた。
Starday Records と Mercury Records の間のマーケティング契約
が終了したとき Shelby Singleton は Mercury に雇われて
プロモーション活動を行った。彼は会社で昇進し Mercury Records
の Nashville オフィスのレコードプロデューサー兼エグゼクティブに
なった。彼は、Mercury Records とその姉妹レーベルである
Smash Records に 9 年間勤務し、その間に Leroy Van Dyke の
"Walk On By"を含む多くのヒットレコードの制作に携わった。
1962年、Shelby Singleton は Jill and Ray
(Jill Jackson & Ray Hildebrand) による "Hey Paula" の
マスター録音を購入し、当初は地元の LeCam Records から
リリースされた。Shelby Singleton は彼らの名前を
Paul & Paula に変更し、Mercury Records の姉妹レーベルである
Philips Records から曲をリリースした. この曲は Billboard Hot 100
で3週間1 位を維持した。本件シングルはそんな中で
Jerry Kennedy-Margie Singleton が書いた曲を Tennessee 州 Memphis
のヴォーカルグループに歌わせたものだ。
このグループは The Vampires 名義で1962年にシングル (Carroll 104)
デビューをしていた彼らが変名で残したシングルである。
Members are
Earl Brevard - Lead vocal.
Odell Coleman - Bariton vocal.
Eddie Lanehart Sr. - Tennor vocal.
Eugine Harris - Bass vocal.
Charlie Evans
このシングルがリリースされた1965年は Surfin’ Music から
内陸部向けに Hot Rod Movement が普及していたので
テーマミュージックとして取り組んだのだろう。
Shelby Singleton は1966 年までに Mercury の副社長だったが、
SSS International や Plantation Records を含むいくつかの
音楽レーベルを設立するために彼は Mercury Records を辞めた。
彼は、1968年に Jeannie C. Riley "Harper Valley PTA" で最初の1位の
ヒットを記録し翌年、Shelby Singleton は Sun Records と
そのロックンロール・カタログを Sam Phillips から購入した。
この時点から、彼のキャリアのほとんどは Sun Records カタログ
のリリースと再パッケージ化に専念した。
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Shelby Singleton
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Jerry Kennedy
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Margie Singleton
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The Mascots (Early The O'Jays) |
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18-04 Ronnie Shaw - Surfin Sam
(H-III Records 118) 1963
The O'Jays イコール Gamble & Huff だの、Philly soul だのと
言う人達を座禅させるためのノヴェルティーソング。
ラベルクレジットにあるように、これは The O'Jays と H.B. Barnum
が制作した The Hollywood Argyles - Alley Oop への
アンサーソングでサーフノヴェルティーソングの傑作シングルだ。
彼らは1958年に Ohio 州 Canton で結成した The Triumphs という
R&Bヴォーカルグループでオリジナルラインアップは
Walter Williams, Bill Isles, Bobby Massey,
William Powell and Eddie Levert だった。
その後 Bill Isles and Bobby Massey が脱退しトリオになった。
当時メンバーは Canton McKinley High School に通う高校生だったが
1960年に彼らはオリジナルメンバーが戻り The Mascots と改名して
King からシングルを2枚リリースした。
Lonely Rain / That's The Way I Feel
(King Records 45-5435) 1960.
(Do The) Wiggle / The Story Of My Heart
(King Records 45-5377) 1960.
その後彼らは地元 Ohio 州の Cleveland のラジオDJ
Eddie O'Jay への敬意で The O'Jays と改名し
Miracles / Can't Take It (Apollo Records 759-45) を
1961年に New York の Apollo Records からリリースした。
彼らは Imperial Records と契約する直前に H.B. Barnum の
プロデュースで1963年2月に
The O'Jays - How Does It Feel / Crack Up Laughing
(Little Star 124)
1963年3月に Jimmy Norman Vocal Background The O'Jays -
Love Is Wonderful / What's The Word? Do The Bird
(Little Star 126) をリリースした。
Little Star 124 の音源は Imperial Records が買い上げて
Imperial Records 5942 として1963年4月にリリースされた。
そして1963年6月に録音し、7月にリリースされた Imperial Records
移籍後2枚目のシングルとなるグループ自作曲 "Lonely Drifter"
(Imperial Records 5976) が1963年9月14日をピークに
全米93位の初メジャーヒットとなった。
しかし、このヒットを記録する前に、流行に敏感な H.B. Barnum
は Surfin' music をリリースしたがっていた。
何故なら B. Bumble & The Stingers と "Nut Rocker"
(Written by Kim Fowley) を競作した Jack B. Nimble
And The Quicks とは H.B. Barnum のよるスタジオユニットだった。
それで H.B. Barnum は子飼いの The O'Jays をヴォーカルに使って
Jimmy Hayes and The Soul Surfers 名義のシングル
Summer Surfin' / Down To The Beach (Imperial Records 5986)
を1963年10月にプロモ盤のみ配布させた。
このレコーディングは H.B. Barnum がアレンジャーと
セッションリーダーを担当した。
Plas Johnson on sax,
Ray Pohlman on bass,
Carol Kaye and David Gates on guitars
Rene Hall on piano が参加した。
で前置き長かったが本件ノヴェルティーシングルの傑作について
記述しよう。1960年に Hollywood Argyles (Gary Paxton) が
"Alley Oop" を歌って全米1位、そして Dante & Evergreens
(Los Angeles group) が歌ったヴァージョンも全米15位の
ヒットとなり、"Alley Oop" は空前の大ヒット曲となった。
慌てた H.B. Barnum は後の 1963年3月に Jimmy Norman
Vocal Background The O'Jays (Little Star 126) を
彼のプロデュースでリリースさせることになる Jimmy Norman と
H.B. Barnum が関わっていた Los Angeles R&B vocal group
The Robins のメンバーだった Ty Terrell Leonard の3人で
Dyna-Sores と言うセッションユニット名義で "Alley Oop" を
リリースしたら彼らのヴァージョンですら1960年6月6日をピークに
全米59位のスマッシュヒットになった。
当然ながら H.B. Barnum はこのノヴェルティーソングの大ヒットに
対してパロディーソングでリアクションしたくなった。本件シングル
Ronnie Shaw - Surfin Sam / Slow Surfin (H-III Records 118)
は1963年にリリースしたので、恐らく The O'Jays -
How Does It Feel / Crack Up Laughing (Little Star 124) の
音源を Imperial Records が買い上げて Imperial Records 5942
として1963年4月にリリースした頃に Ronnie Shaw のシングルは
制作されたのだろう。
最後に Jimmy Norman について詳細を、
アメリカの Jazz / R&B のソングライター兼ミュージシャン
であり、クラブで歌手としてのキャリアをスタートさせ、
Irma Thomas のために "Time Is On My Side" の歌詞を書き、
Jimi Hendrix, Johnny Nash and Bob Marley らと40曲以上の
レコーディングをした。彼は1969年にプロデューサー兼
ヴォーカリストとして The Coasters に参加し、1998年まで
一緒にツアーを行った。また他のステージやスタジオでの
仕事と同様に、彼は Eddie Palmieri とチームを組んで
Rare Groove でも有名な Harlem River Drive の
リード・ヴォーカリストを務めた 。
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H.B. Barnum |
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Kenny Young
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Arthur Resnick and Bobby Darin |
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18-05
Charlie & Chan -
My Boyfriend's Learning Karate / Rickshaw Drag Race
(7: Kapp Records K-582 Promo only) 1964
1992年にイギリスの女性パンクバンド Thee Headcoatees が
カヴァーしたので一躍有名になった名曲だが、オリジナルは
T.M. Productions の Kenny Young-Arthur Resnick による
コンビが書いた本件シングルである。しかし、こんなカルトな
曲を取り上げた Thee Headcoatees も偉いっちゃあ偉い。
曲中 "You Sakamoto !" と師範代の声が大笑いさせるが
私はこれを聴くたびに坂本教授 (坂本龍一 RIP) を思い出すのだが
まさにこれを聴いて笑っていたら教授の訃報が。。。。
T.M. Productions は Bobby Darin と Terry Melcher が設立した
音楽出版社でプロダクションだ。その T.M. Productions の
ユニットがあの City Surfers だった。Bobby Darin (drums),
Roger McGuinn (songwriter, guitar, vocals),
Terry Melcher (vocals, piano), Frank Gari (vocals).
そして、1963年に T.M. Productions に入社したばかり当時22歳の
Kenny Young の初の単独作が City Surfers “50 Miles To Go”
だった。同じ T.M. Productions に所属していた Artie Resnick
(後の The Third Rail) と1964年に共作した“Under the Boardwalk”
は The Drifters が歌って全米4位の大ヒットとなった。
Bobby Darin は New York City の Brill Building 内に
T.M. Productions のオフィスを開いてスタッフライター達に
素晴らしい曲を書かせ続けていた。自身もパフォーマーとして活動を
模索し始めた Kenny Young は架空のグループ名義で
幾つかのシングルをリリースしていた。
本件シングルもその一つである。
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Ben Colder (Sheb Wooley) |
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18-06
Ben Colder - Goin' Surfin'
(7: MGM Records K13147) 1963 1958年6月2日をピークに全米1位の大ヒットとなった
ノヴェルティーソングの金字塔 "The Purple People Eater"
(邦題 : ロックを踊る宇宙人) を持つ Sheb Wooley の
変名作品が本件シングルだ。
"Games People Play" や "Rose Garden" のヒット曲を作った
Joe South の弟でドラマーだった Tommy South が作曲をし
Sheb Wooley 自身が作詩をしている。
Sheb Wooley は1952年の映画 "High Noon" (邦題 : 真昼の決闘)
で Frank Miller の兄弟 Ben Miller を演じてから Ben Colder の変名
でのリリースも続けており、本件作品は1963年7月20日をピークに
全米98位になった "Still Np.2" のB面としてリリースされた。
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Joey Reynolds & Danny Neaverth
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Joey Reynolds
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Danny Neaverth |
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18-07 Joey & Danny - The Underwater Surfers / I Got Rid Of The Rats
(7: SWAN S-4157) 1963 日本でも真似た手法だが、人気ラジオDJにノヴェルティーソング
を歌わせた企画盤が本件シングルだ。
Jockeys Joey Reynolds & Danny Neaverth は共に New York の
Buffalo のラジオ局 WKBW で人気のラジオDJだった。
1963年に西海岸で Surfin' が流行すれば、それを東海岸側は
揶揄する、所謂カウンターリアクションが本件シングルで
同じ Buffalo 出身で "Wild Weekend" のヒット曲を持つ
The Rockin' Rebels のメンバー Tony Di Maria が作曲と
アレンジを担当してる。
プロデューサーの Carl Cisco も同じく Buffalo 出身の人物で
彼は The Rockin' Rebels のために数曲書いており、
彼自身は Kathy Lynn & The Playboys, The Buena Vistas,
The Antiques, The LaSalles のメンバーであるが、これら全てが
1つのグループの変名である。
早い話が本件シングルは人気ラジオDJのコンビによる
「西海岸流行の Surfin' に対する New York 州 Buffalo の答え」
ということだ。
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The Go-Go's
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Perry Botkin, Jr. |
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18-08
The Go-Go's - (They Call Him) Chicken Of The Sea / Lonely Girl
(7: RCA Victor 47-8370) 1964
The Go-Go's - Swim With The Go-Go's
(LP: RCA Victor LPM-2930 mono / LSP-2930 stereo) 1964 これは Gary Usher のプロダクションになる前に
Perry Botkin, Jr. が手掛けたスタジオユニットで
Swim dance の流行に応じて制作された。
ラベルヴァリエーションのホワイトラベルプロモ盤を
見てもらえば解るように本件はシングルのB面としてリリース
されたアルバム収録曲だ。
ニワトリの鳴き声を彷彿させるあのギターのフレーズを
聴いて日本のプロデューサーが「これは面白い!」と
A面扱いにして日本でシングルとEPをリリースしたのだろう。
しかもビキニの姉ちゃん二人を同時に飛び跳ねさせ
シングルには「新リズム "スイム" の決定盤 !!」と
EP には「真夏のリズム / スイム !!」とクレジットをしてる。 なおチキンとはスラングで「臆病者」の意味で
日清チキンラーメンとは何の関係もない (笑)
と言う事でちょっくらチキンラーメンを食ってきます。。。。
いや、失敬、失敬。話し戻して、曲を書いたのは Double Shot の
Jeff Hooven-Hal Winn の名コンビ。 この曲は 19-28 The Munsters - Herman's Place でも
流用されるので、そちらもチェケラー。
本件レコーディングは RCA's music center of the world,
Hollywood, California で行われ、参加したレコーディングメンバーは
Jim Infield - Vocals.
Roger Yorke - Vocals.
Bill Wild - Vocals.
Billy Strange - Guitars.
Carol Kaye - Guitars.
Howard Roberts - Guitars.
Ray Pohlman - Guitars.
Leon Russell - Organ.
Steve Douglas - Sax.
Hal Blaine - Drums.
となってるので、あの奇妙なニワトリの鳴き声ギターは
Billy Strange か Carol Kaye だったと私は推測している。
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日本盤シングル 7inch 45rpm
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日本盤 EP 7inch 33rpm Stereo
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日本盤 LP 12inch |
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Jody McCrea |
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18-09
Jody McCrea - Chicken Surfer
(7: Canjo Record Corp. C-106) 1964 Jody McCrea は俳優の Joel McCrea と女優 Frances Dee
の息子、そして自らは筋骨隆々のサーファーで、俳優として
Beach Party (1963), Muscle Beach Party (1964) や
Bikini Beach (1964) で "Dead Head" と呼ばれる愚かなサーファー
としてコミカルな役柄を演じた。
最初に "Dead Head" の役割を提供されたとき、彼は当時
「キャラクターがどうなるかわからなかった」と語ったが
聴衆は彼の演じたキャラクターを楽しんでいたので
"Beach Party" に出演したときに彼はコメディーの可能性に気づいた。
Jody McCrea は熱心なボディービルダーでもあり、
American International Pictures のビーチムービーに出演した
俳優の中で唯一サーフィンができる人物だった。
本件シングル、Bird style で歌う見事なノヴェルティーチューンで
作者は The Westwoods - I Miss My Surfer Boy Too
でもお馴染み Guy Hemric-Jerry Styner のコンビ。
そして Canjo レーベルのオーナーで後に Candy Johnson の
夫になる Red Gilson がプロデュースを務めている。
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Jody McCrea |
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Dick Wesson
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B. J. Hunter (Lew Bedell) |
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18-10 The Zanies - Chicken Surfer
(7: Dore 683) 1963 The Zanies とはお笑い芸人で俳優の Dick Wesson と B. J. Hunter
によるコンビで、この B. J. Hunter とは Dore レーベルのオーナー
Lew Bedell の数ある変名の一つである。
1950年代後半にインストゥルメンタル・コンボとして始まった
このグループのレパートリーには、多くのセミインストゥルメンタル
曲が含まれていた。"The Blob" (Dore 509) や "Frustration" (Dore 632) 等
によるコメディー作品の傾向から始まり、その後より斬新なスタイルに
移行していった。
Dick Wesson (Richard Lewis Wesson) は多作のキャラクター俳優で
お笑い芸人、コメディ作家、プロデューサーとしてマルチな
才能を発揮した人物だ。
Lew Bedell は ERA Recordsの共同創設者で Dore Records の
創設者でもある。
Texas 州 El Paso 出身の Lew Bedell (Lou Bedell) は本名を
Lewis Joseph Bedinsky と言い ウクライナのオデッサ
(オデーサ) からのユダヤ人移民の父を持つ。彼の両親は
彼が子供の頃離婚し1941年に彼と彼の母親は法令に
よって彼らの名前を Bedell に変更した。
彼は Louis Bideu や Billy Joe Hunter の変名で作曲、
Dore Jay の変名で作詩もしている。
本件作品は Dick Wesson に歌わせた語り調のノヴェルティー
チューンで女性のバックアップグループを使ってる。
間奏の Sax break を聴くまでも無く The Coasters - Yakety Yak
の影響下で書かれた作品である。
作者はまたも The Westwoods - I Miss My Surfer Boy Too
でもお馴染み Guy Hemric-Jerry Styner のコンビに
Dore Jay こと Lew Bedell 本人が作詩で参加してる。
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Kay Bell And The Spacemen |
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18-11
Kay Bell And The Spacemen -
Surfer's Blues / Scream Along (With The Monster)
(7: Buena Vista Records F-428) 1964
1961年のシングル Kay Bell & The Tuffs -
(The Original) Surfers' Stomp Pt. I/II (Dot 45-16304) の
Kay Bell & The Tuffs が本件シングルの正体だ。
Kay Bell とは The Bell Sisters (Cynthia Strother, Kay Bell) の
姉妹の片割れで本名は Cynthia Sue Strother, Edith Kay Strother なのだが
妹の Kay Strother が母親の旧姓 Bell を採用したので
The Bell Sisters として活動してた。
彼女達が1951年にスカウトされたときは姉の Cynthia が16歳で
妹の Kay が11歳だった。
彼女達が Los Angeles のテレビ番組 "Peter Potter’s Search for a Song”
のために歌った "Bermuda" は1952年にビルボードチャートで
7位に達し、数百万枚売れた。
1950年代後半に Kay Bell はソロプロジェクトに挑戦し始め
1959年頃、ボールルームで歌ったり、ラジオで演奏したりした。
60年代前半 The Disneyland Space Bar (現在は Tomorrowland Terrace
として知られる) と契約し、Johnny Schmidt and Sonny Anderson を
核としたバックバンド The Space Men と Kay Bell は歌い始めた。
Kay Bell は文学士号を取得するためにロングビーチ州立大学に
通いながらも彼らと週に6夜も演奏した。
そして Kay Bell & The Tuffs 名義でシングル
(The Original) Surfers' Stomp Pt. I/II (Dot 45-16304) を1961年に
リリースした。1962年からは Disneyland の契約バンドとして
Disneyland 内で毎週土曜日の夜の定期ライヴを行い、
1963年9月に本件シングルをライヴ録音した。
この時 Kay Bell は23歳だ、11歳でデビューしただけあって
歌声に堂々とした張りと迫力がある。
A面 "Surfer's Blues" で聴かせる自在なスキャットとステージマナー
はとてもそんな若い小娘とは思えない迫力だ。
またB面 "Scream Along (With The Monster)" は
"Comin' Home Baby" のグルーヴで始まり、高速のジェットコースター
に乗っているような絶叫を導入した素晴らしいチューンに
仕上げている。
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The Bell Sisters (Kay Bell, Cynthia Strother)
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Kay Bell And The Spacemen |
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Bobby Pickett |
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18-12
Bobby Pickett -
Simon The Sensible Surfer / Simon Says "So What"
(7: Capitol Records 5063) 1963 Bobby Pickett は Massachusetts 州 Somerville で生まれ
高校卒業後、彼は朝鮮戦争で米陸軍信号隊として韓国で3年間過ごした。
動員解除後、彼は Hollywood に向かい、そこで映画や
スタンダップコメディーに参入したいと考えた。
彼の最初のナイトクラブでの出演には、ホラー映画の物まねも
含まれていた。そして彼は1961年に The Cordials と呼ばれる
ヴォーカルグループに参加した、メンバーは
Bobby Pickett
Leonard "Lenny" Capizzi
Bill Capizzi
Ron Deltorto
Lou Toscano
このグループは Doo-wop のクローズハーモニースタイルに
特化し、Bobby Pickett は時折、The Diamonds のヒット曲
である "Little Darlin'" の話し言葉のセクションを
フランケンシュタイン俳優で有名な Boris Karloff の声を真似て
ショーを盛り上げた。それを由来に彼は Bobby "Boris" Pickett
と名乗るようになった。彼らはすぐに、レコードプロデューサー
兼ソングライターの Gary Paxton にスカウトされた。
The Cordials はメンバーの Capizzi 兄弟が書いたオリジナル
Eternal Love / The International Twist (Reveille 106) で1962年
にデビューした。これは Gary Paxton が持つ数あるレーベルの
一つで、プロデュースも Gary Paxton が行った。
Gary Paxton が彼らのために用意した次のシングルは
The Stompers 名義で1962年にリリースされた。
Quarter To Four Stomp / Foolish One (Landa 684)
A面は Bob Todd-Gary Paxton 作品だが、A面を "Surf Stompin'" と
プリントしたプロモ盤も存在する。 この曲は U.S. Bonds (Gary U.S. Bonds) が歌って1961年に全米1位の
ビッグヒットをなった “Quarter To Three” のパロディーで
1時間遅れで "Quarter To Four" としたダンスチューンだ。
ここでも Gary Paxton のノヴェルティーソング好きが確認できる。
このリリースの直後 Bobby "Boris" Pickett はソロとしてのキャリア
に向けて出発し、The Cordials / The Stompers のメンバーである
Leonard "Lenny" Capizzi と共同で "Monster Mash" を書き、
Mash Potato の Dance movement を利用した。
Bobby "Boris" Pickett の半分話し言葉、半分歌ったナレーションには、
フランケンシュタイン俳優 Boris Karloff の声真似だけでなく、
ドラキュラ俳優で非常にアクセントの強い Bela Lugosi の声真似
が含まれている。リフレインでは「彼はマッシュをやった/
彼はモンスターマッシュをやった/モンスターマッシュ
それは墓地のスマッシュだった」と続けた。
Bobby "Boris" Pickett And The Crypt-Kickers 名義でリリースした
"Monster Mash" は1962年9月8日をピークに全米1位となった。
それは The Beach Boys もライヴレパートリーに入れた
Bobby "Boris" Pickett にとって代名詞的な大ヒット曲になった。
そんな事もあり彼が Monster キャラから離れる事を許されない
重荷を背負ったのも事実である。
西海岸に本格的な Surfin' movement で市場が盛り上がりを
見せれば Monster 役で介入しなければいけない。
それが本件シングルで、"Monster Mash" 同様に
Leonard Capizzi-Bobby Pickett による作品だ。
しかも流行の最先端 Sidewalk surfin' (Skateboard) を題材に
してるが、チャートヒットには至っていない。
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18-13
Johnn (Boris) Jones - Surfer Smash
(7: Dore 682) 1963 Bobby "Boris" Pickett の "Monster Mash" が大ヒットすれば
すぐパクる。Johnn (Boris) Jones の "Surfer Smash" ときた。
これは Grunion Hunters - The 4 Eyed Tongue Tied Swimmin'
Surfer Biter (Highland Records 1035) の John Burton である。
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The Aquamen |
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18-14
The Aquamen - Grannie Wilson
(7: Spring Records 333) 1966
The Aquamen はカリフォルニア州のクラブで
活動していたフォークロックバンドで、The Holiday in Reno,
Beachboy in San Diego, Carriage House in Burbank,
Bahama Inn in Pasadena, Sunset Lanes in Kalamazoo,
Maison Jaussaud in Bakersfield 等で3年間活動している。
映像で確認出来るのは ABC-TV の “Territory Underwater” で
Paramount 映画 “Beach Ball” と “The Girl in Daddy’s Bikini”
に出演した。しかし両映画でクレジットはおろか彼らの
映像は確認できず、恐らく最終的にカットされたシーンに
出演してたものと思われる。
本件シングルA面 "Ride A Pale Horse" は Rod McKuen 作の
感傷的な Folk Rock song にバロック風ハーモニーを配して
おり、Ohio 州 Columbus では1966年8月13日に top 10 ヒット
となった。で、このB面 "Grannie Wilson" (Wilson お婆ちゃん)
だが、その名のとおり The Beach Boys の三兄弟の Family name
Wilson を使った The Little Old Lady From Pasadena スタイルの
ノヴェルティーソングで、アメリカ版「走れコウタロー」と
いったユーモラスな作品である。
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Sandra Gould |
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18-15
Sandra Gould - My Son The Surfer
(7: Philips 40138) 1963 折角だから、お婆ちゃん系をもう一曲。
その前に私の熟女好き講釈を記述させてもらう。
私はこの女優 Sandra Gould が好きだ、私はコメディスパイ映画
"Spy" の Melissa McCarthy が大好きだ。メルケル元ドイツ連邦首相
ですらOKだ。。。。。。。うふふふ
Sandra Gould は New York 州 Brooklyn 出身のコメディー系女優で
彼女は1950年代と1960年代に I Love Lucy, I Married Joan,
December Bride, Maverick, The Flintstones, The Twilight Zone,
The Lucy Show, Burke's Law, I Dream of Jeannie;
Love, American Style; Gilligan's Island, The Brady Bunch 等に
出演している。
日本ではテレビコメディー番組「奥さまは魔女」の Gladys Kravitz
グラディス・クラビッツが有名だ。サマンサとダーリンが住む
家のお隣さんグラディスだが本来のおせっかい付きが災いして、
何度もサマンサの魔法を目にしているが夫には信じてもらえない。
当初グラディス・クラビッツを演じた Alice Pearce アリス・ピアースは
第2シーズン中に癌が発覚したため第2シーズン終了をもって降板。
それを受け継いで1966年の第3シーズンから演じたのが
Alice Pearce の友人 Sandra Gould だった。
サマンサの魔法を見るたびに目を丸くして口をあけて驚く
あの定番シーンの女性である。
本件シングルは1963年の Allan Sherman のノヴェルティーヒット曲
"Hello Mudduh, Hello Fadduh! (A Letter From Camp)" に対する
アンサーソング "Hello Melvin (This Is Mama)" の続編として
B面に収録された曲だ。
曲を書いたのは Double Shot Records のオーナーになる
Joseph Hooven-Hal Winn のコンビ。
この二人に Lester Sill の息子 Joel Sill を加えた三人で
プロデュースをしている。
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Sandra Gould |
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Steve Douglas
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Bruce Johbston |
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18-16
The Vettes - Happy Ho-Daddy (With Ragtop Caddy)
(7: MGM Records K13186) 1963
(LP: MGM Records E 4193 mono / SE 4193 stereo) 1964
Track from their album The Vettes - Rev-Up 婆ちゃんの次は Ho-Dad モノ。Ho-Dad とは Ho-daddy, 複数形で
Ho-Dads / Ho-daddies を指す。"Ho" とは他人を揶揄するときに
古い人が "Ho, Ho, Ho" と馬鹿にして言う野次言葉だ。
California のサーファーのスラングで Ho-Dad とは Surfin' が流行
し始めた60年代初頭の西海岸で、若者が見慣れぬ遊び Surfin' を
しているのが気に食わないと親父世代が "Ho, Ho, Ho" と野次を
飛ばしていた事を起源とし、意味合いは若者文化を受け入れない
頭の固い親父、または複数形で親父連中だった。
昨今では、その意味が拡大し、能書ばかりたれる陸サーファー、
能書ばかりたれるやつ、へぼサーファー、くそまじめな人間
と変化している。
本件はMGMからアルバム制作予算を貰った Nick Venet と
Steve Douglas が Bruce Johnston に声をかけて制作した
セッションユニットの作品だ。
Written by Douglas-Shane (Steve Douglas-Ronald Shane)
Directed by Nick Venet & Steve Douglas.
Produced by Ben-Ven Productions.
(Production company set up by Nick Venet)
Arranged by Steve Douglas.
Recording members are
Bruce Johnston - Vocals.
Glen Campbell, Tommy Tedesco - Guitar.
Ray Pohlman - Bass.
Jay Migliori, Steve Douglas - Sax.
Bruce Johnston, Leon Russell - Keyboards.
Hal Blaine - Drums.
先ず1963年にシングルB面に収録して先行リリース、
そして1964年にアルバム収録されリリースされた、
なおこの曲は The Astronauts も彼らの1964年アルバム
"Competition Coupe"にカヴァーヴァージョンを収録した。
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The Astronauts |
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18-17
The Astronauts - Happy Ho-Daddy
(LP: RCA Victor LPM 2858 mono / LSP 2858 stereo) 1964
Track from their album The Astronauts - Competition Coupe で、先述したように The Astronauts のカヴァーヴァージョン
がこれで、このアルバムは1964年2月にリリースされた。
オリジナルの The Vettes は1963年にシングルカットしてるが
曲を収録した The Vettes のアルバム Rev-Up よりは
The Astronauts のアルバムリリースのほうが先になった。
クレジットを記述しておこう。
Written by Douglas (Steve Douglas)
Produced by Al Schmitt.
Supervised by Dave Hassinger.
Recorded In RCA Victor's Music Center Of The World,
Hollywood, California.
コーラスワークも上手に決まっており、聴き応えのある
ヴァージョンに仕上がっている。
因みに The Astronauts は本来インストバンドだが Dick Dale や
The Surfaris 等の Stratocaster 派とは異なり
The Trashmen や The Challengers や Phil Sloan も得意としていた
エコーチェンバーが綺麗にかかりやすく中間音域にヴァリエーション
を持つ Jaguar Jazzmaster を用い、その心地よいドライヴ感を
売り物にしていた。
本件は Al Schmitt がプロデューサーを務めており
エンジニアーは The Rolling Stones のアルバムでも
有名な Dave Hassinger が担当している。
彼は後に The Electric Prunes のマネージャーにもなる。
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18-18 Squiddly Diddly - Ho-Dad
Track from children album
Squiddly Diddly - Squiddly Diddly's Surfin' Safari
(LP : Hanna-Barbera Records HLP 2043) 1966
このチルドレンレコードにも Ho-Dad が。。。
これで Ho-Dad がサーファー以外の人達には無害で
むしろ客観視すれば滑稽なおっさんである事が解る。
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Chuck Girard |
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18-19 The Silly Surfers - Hodad Makin' The Scene With A Six Pack
(LP: Mercury MG-20977 mono / SR-60977 stereo) 1964
ホットロッドイラストレイターの William Campbell が
描いたモンスター系のコミカルなキャラクターを
モチーフとしたプラモデルやフィギュアが発売された。
結局この奇妙なモンスターキャラクターはディズニーに
対するアンチテーゼだ。甘いキャラなんかに満足できない
年齢層はアヴァンギャルドなキャラに魅せられるのだ。
日本で言うところの「キモカワ」ってとこか。
現在でも根強いマニアがいるそのモンスターキャラクター
を題材にし、Gary Usher のノヴェルティー路線が
開花した2枚のモンスター系ノヴェルティーアルバムが
Mercury Records からリリースされた。
The Weird-Ohs - New! The Sounds Of The Weird-Ohs
(Mercury MG-20976/SR-60976)
The Silly Surfers - New! The Sounds Of The Silly Surfers
(Mercury MG-20977/SR-60977)
この2枚はどちらもサウンド的には同じで、時期的に同じ
Mercury の The Hondells のセッションを流用して録音されている。
この The Silly Surfers との姉妹プロジェクトである
The Weird-Ohs のアルバムから6曲ずつピックアップ
したカップリングで、このモンスターキャラクターの
プラモデル会社の Hawk が自社レーベル Hailyで編集した
宣伝用アルバム (Hairy HR-101)をリリースしている。
これらのアルバムでも Chuck Girard がリードヴォーカルを
担当し楽しい Surf Style Vocal を聴かせる。
プロデュースはこのプラモデルの発案者でおもちゃや
ゲームの有名な製作者の Reuben Klamer
そして Direction は Nick Venet が担当した。
楽曲は Gary Usher-Roger Christian
の他にも Jimmie Haskell, Dave Weiss らが提供している。
Directed By Nick Venet
Produced By Reuben Klamer
Gary Usher
Ritchie Burns
Richie Podolor
Jerry Cole
Randy Thomas
Chuck Girard
Shary Richards
All Selections written by Roger Christian, Jimmy Haskell,
Gary Usher And Dave Weiss
本件は Chuck Girard のリードヴォーカルで歌われる
Hodad song の決定盤 (死語)
Six Pack とは腹回りに脂肪がついておらず、腹筋が発達して
六つの隆起があるボディー、
所謂ばっきばきに割れた腹筋のことも指すのだが
Hot Rod slang では Mopar 等の Holley 440 キャブレター6基
や、それを付けたエンジン本体を指す。
本来、缶ビールなどの6本入りパックのことで
本件ノヴェルティーソングでは缶コーラの6缶セット
の事を指してる。
There's a real cool stud who's makin' the scene
with a six pack in hand
He's a cola fiend with dirty hair and greasy fingernails
You can follow him by his messy trails
コーラの6缶セットを手にシーンを作っている
本当にクールな男がいるんだ
彼は汚れた髪と脂っこい爪を持つコーラ魔だ
君は彼の散らかった道をたどることができる
See the Hodad makin' the scene with a six pack
A Hodad with teeth of green like a sad sack
Everywhere he goes surfer laugh at him
and that's the way it has alway been
There's a Hodad makin' the scene with a six pack
ホーダッドがコーラの6缶セットを手にシーンを
作っているのを見てみろよ
緑色の汚い歯を持つホーダッド
彼が行くところどこでもサーファーは彼を笑ってる
そしてそれはいつもそうだった
コーラの6缶セットを手にシーンを作っているホーダッドがいる
He doesn't show class in the clothes he wears
For you'll find them full of big holes and tears
With cigar in hand and hair down his face
You'll find him hangin' round most any place!
彼は着ている服に上品さを感じさせない
なぜなら、それらは大きな穴と裂け目でいっぱい
であることがわかるからだ
葉巻を手に顔に髪を下ろしたまま
どこにいても彼がぶらぶらしているのを見つけることができる!
See the Hodad makin' the scene with a six pack
A Hodad with teeth of green like a sad sack
Everywhere he goes surfer laugh at him
and that's the way it has alway been
There's a Hodad makin' the scene with a six pack
ホーダッドがコーラの6缶セットを手にシーンを
作っているのを見てみろよ
緑色の汚い歯を持つホーダッド
彼が行くところどこでもサーファーは彼を笑ってる
そしてそれはいつもそうだった
コーラの6缶セットを手にシーンを作っているホーダッドがいる
See the Hodad makin' the scene with a six pack
A Hodad with teeth of green like a sad sack
Everywhere he goes surfer laugh at him
and that's the way it has alway been
There's a Hodad makin' the scene with a six pack
ホーダッドがコーラの6缶セットを手にシーンを
作っているのを見てみろよ
緑色の汚い歯を持つホーダッド
彼が行くところどこでもサーファーは彼を笑ってる
そしてそれはいつもそうだった
コーラの6缶セットを手にシーンを作っているホーダッドがいる
Go Hodad go
Have a silly cola a makes myself
行け行けホーダッド
自分で作った馬鹿げたコーラを飲みながら
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Roger Christian |
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18-20
Roger Christian - The Last Drag / Big Bad Hodad
(7: N B I Records 100) 1962 Roger Christian は New York 州の Buffaloで生まれた。
彼は New York の Rochester の WSAY でラジオDJのキャリアを始め、
後に Buffalo で Mike Melody という芸名で働いた。
ライフガードもしていた彼はラジオ局の幹部だった彼の奥さんが
1950年代半ばに湖で溺れかけたのを助けた後に New York
での仕事を辞めて、1959年に California に移住し、San Bernadido
のラジオ局で働き始めた。彼自身が1955年まではカーレースをしていたために
彼はホットロッドレースに強い関心を持ち "Poet of the Strip" (レース場の詩人)
として知られるようになった。
本件シングルは Roger Christian が The Beach Boys と出会う前の作品だが
A面のポエム "Last Drag" の詩は後の The Beach Boys "Shut Down". の
歌詞の元となった。曲を書いたのは The Lettermen の Tony Butala で
彼はプロデューサーの Bob Todd と出資して Goliath レーベルを
運営していく。B面は Lord Douglas Byron and The Continentals でも
録音させた曲だがどちらも Gary Paxton がアレンジをした。
両面とも The Vulcanes (The Mar-Kets with John Mason) が演奏しており
プロデュースは Tony Butala-Charles Underwood-Bob Todd の3人が
クレジットされている。
Charles Underwood は Bobby (Boris) Pickett And The Crypt-Kickers
の "Monster Holiday" の作者でプロデューサーである。
そもそもが Bobby (Boris) Pickett は Gary Paxton が発掘したので
あの “Monster Mash” も本件シングルも Gary Paxton の
スタジオで録音された。さらに言えば Curt Boettcher の The Ballroom
ですら Gary Paxton のスタジオで素材の録音を繰り返した産物
だったのだから、いかに西海岸のサブカルチャー、ユースカルチャー
に Gary Paxton が関わってきたのかが良く解る。
話を戻して The Beach Boys の父親でありプロデューサー
である Murry Wilson は Roger Christian がグループのヒット曲 "409" を
放送中のリスナーに説明しているのを聞いて驚いた。
Roger Christian はレースカーについて多くのことを知っていたため、
Murry Wilson は Roger Christian に会いたがった。
Capitol Records はその頃 The Beach Boys の人気は短命だと考えており
彼らにシングルヒットを量産するようにプレッシャーをかけていた。
その為に人気地域を海岸部と限定してしまうサーフィンテーマよりも
内陸部で売り上げが望めるホットロッドソングのリリースを望みだした。
Roger Christian はホットロッドソングの歌詞を書くにあたって
自動車整備士が持つ修理マニュアルの本からも
フックとなる部分を引用した。また彼は Lyrons Drag Strip 等の
カーレース場のスタッフとしても活動し、場内アナウンスをしながら
作詞のアイディアを集めていた。
その後も Roger Christian は作詞家として Surfin' / Hot Rod Music
シーンに多くの作品を提供している。
The Beach Boys - Don't Worry Baby,
Jan & Dean - Dead Man's Curve,
The Castells - I Do,
The Super Stocks - Surf Route 101,
The Super Stocks - Muscle Beach Party,
Annette - Custom City,
Donna Loren - Muscle Bustle,
Rally-Packs - Move Out Little Mustang,
Paul Petersen - She Rides with Me,
Dick Dale - Secret Surfin' Spot etc etc
変わったとこでは Roy Orbison - So Young もある。
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Chris Jenkyns |
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18-21
Shean & Jenkyns - Goofy-Footer Ho-Dad
(7: GNP Crescendo GNP 198x) 1963
アメリカのテレビアニメであり、1959年11月19日から
1964年6月27日までABCネットワークとNBCで放送された
The Rocky and Bullwinkle Show の製作者の Al Shean と
Chris Jenkyns によるスタジオユニット。
Al Shean の父親は同じ名前で戦前から戦後にかけて活躍した
有名なコメディアン、ボードヴィル芸人 (流行歌入り軽喜劇) である。
The Rocky and Bullwinkle Show は日本では1961年10月8日から
1962年3月25日までNHK総合にて『ロッキー君とゆかいな仲間』
のタイトルで放送された。
その後、日本テレビとフジテレビにて『空とぶロッキーくん』の
タイトルで放送された。日本テレビ版は1964年1月7日から
1965年9月まで放送、放送時間は1964年3月31日までは
火曜19:00 - 19:30(JST)、同年4月7日以降は火曜18:15 - 18:45。
また、2004年2月にはカートゥーン ネットワークで
『ロッキー&ブルウィンクルの大冒険』のタイトルで、
新しく吹き替えたヴァージョンが全40話まで放送された。
そんな Al Shean and Chris Jenkyns が発案した
架空の Ho-Dad によるノヴェルティーソングに
The Wrecking Crew が参加したのが本件シングルだ。
ゴーゴーインストに語りを入れる作品だが
耳の肥えたファンなら演奏を聴いて馴染みの
セッションミュージシャン達による演奏に
特色が伺えるだろう。参加メンバーを記述しとく。
Conducted by Billy Strange.
Leon Russell on keyboard.
Lyle Ritz on bass.
Howard Roberts on guitar.
Plas Johnson on sax.
Earl Palmer on drums.
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Leon Russell
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Brian Wilson and Lyle Ritz
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Howard Roberts
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Plas Johnson
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Earl Palmer
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Lord Douglas Byron (Doug Salma) |
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18-22
Lord Douglas Byron and The Continentals - Big Bad Ho-Dad
(7: Union Records 505) 1962 ロスアンジェルス東部の El Monte 出身の
Douglas Salamanca は高校時代の友人 Freddy Ruiz と
チカノ系デュオを組んで Doug and Freddy として
デビューし、2枚目のシングルで Gary Paxton-Kim Fowley
が共同プロデュースした曲をリリースした。その後
Kim Fowley の下で The Memories (Old Sound 809)
の変名で彼らは1枚シングルをリリースした。
1961年になって彼らは元のデュオ名義で Gary Paxton
のプロデュースによる Teen Doo-wop シングル
Take A Chance On Love / And I Know You're Lyin'
(Finer Arts 101) をリリース。そんな縁もあって
その後も Doug Salma は Gary Paxton の制作する
作品のセッションシンガーとして活動していた。 Doug and Freddy, Doug Salma and Highlanders (Philips 40131),
The Memories (Old Sound 809), The Tri-Tones (Miss Julie 6501).
彼は Lord Douglas Byron の変名で Big Bad Ho Dad, Surfin’ Santa
等の Surfin' Novelty song をリリースした。
本件作品は Roger Christian との競作でもあり
こちらは Gary Paxton-Joe Saraceno が共同プロデュースをしてる。
2-27 も参照されたし。
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Gary Paxton |
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Lord Douglas Byron (Doug Salma) |
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18-23 Lord Douglas Byron - Surfin Santa
(7: Dot Records 45-16685) 1964 基本的な詳細は上記 16-23 を参照されたし。
本件作者は Jim Denos-Gary Paxton とクレジットされてるが
彼らは Bobby Pickett And The Rolling Bones "The Monster Swim"
も書いたコンビである。
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Jean Thomas |
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18-24 The Ramblers - Surfin' Santa
(7: Almont Records 315) 1964 ここから上記に続いてサーフィンサンタ系を紹介。
ある意味、究極のサーフィンお爺ちゃんだ。
New York の Almont Records でノヴェルティーソングを
The Ramblers 名義でリリースをしていたソングライターコンビの
John Herbert & Sal Nastasi だが、名セッションシンガーの
Jean Thomas を参加させて作ったのが本件シングルだ。
アレンジと指揮を担当した Joe Guercio は Patti Page の
バックで伴奏していた人で、彼を最も有名にしたのは
1970年から1977年まで Elvis Presley のバックバンドの
音楽監督兼指揮者を務めて Las Vegas' International Hotel
での一連のショーを成功させた事だろう。
Joe Guercio は所謂ショービズ系のアレンジャー、指揮者だった。
また60年代のガールポップを聴いていたら、Jean Thomas の声は
必ずどこかで入ってるといったほど彼女は超人気セッションシンガーだ。
Angie And The Chicklettes, Jean & Don Thomas,
The Calendar Girls, The Powder Puffs, The Rag Dolls.
そして Ellie Greenwich, Mikie Harris, Valerie Simpson,
Anne Phillips, Fran Carroll, Marilyn Jackson ら女性シンガーの
バックコーラスも行ってる。
Jeanne Fox (Rainy Day Records 45-8007) は Jean Thomas
の変名である事も記しておこう。
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18-25 Ty Whitney - Surfin' Santa Claus
(7: 20th Century Fox Records 448) 1963 Ty Whitney は本名を Tyler John Whitney と言い、
1961年から1963年に Ty Whitney 名義でシングル6枚をリリースし
1973年に MGM Records で突然復帰し、Ty Whitney 名義で
シングル1枚、そして Tyler Whitney 名義でラストシングル
Single In My Mind / Begin Again (MGM Records K-14555) を
リリースした正統派ヴォーカリストだ。
最終的には Bob Summers や Dallas Frazier らのサポートで
カントリー風 MOR シンガーとなった。
本件は彼が最も活発だった1963年のノヴェルティー作品で、
プロダクションから紐解くと興味深い事実が伺える。
本件、作曲とプロデュースを担当した Joe Lubin は
Doris Day のために映画主題歌を書いていたソングライター
としても有名で、Doris Day が主演した 20th Century Fox
映画 "Move Over Darling" も彼が書いた。
Doris Day が歌ったシングル Columbia 4-42912 は
1963年11月7日にリリースされ、そちらは息子の Terry Melcher
がプロデュース、そして Jack Nitzsche がアレンジャーを務めた。
この曲は同じく1963年11月に Ty Whitney もシングルリリース
しており品番は 20th Century Fox Records 447 だった。
本件シングル Ty Whitney - Surfin' Santa Claus が
20th Century Fox Records 448 だから連番リリースである。
という事は Columbia 側から圧力をかけられたか
もしくは「相手が悪いや」とすぐさま回収、そして
本件シングルを改めてリリースという事になる。
業界のそんな軋轢に嫌気がさしたのか、本件シングルの後
Ty Whitney はセミリタイアしてしまい、1973年に心優しい
カントリー風 MOR シンガーとして突如復帰となったのが
彼の Discography から伺える。
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Joe Lubin - Doris Day |
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Soupy Sales |
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18-26
Soupy Sales - Santa Claus Is Surfin' To Town
(7: Reprise Records 244) 1963 結局サーフィンサンタはこれで止めを刺す!といった1枚だ。
これは Gary Usher, Brian Wilson が行った
The Timers - No-Go Showboat / Competition Coupe (Reprise 0231)
と同じセッションで録音された。
スタジオに The Wrecking Crew の面々を残して
アレンジャーの Jack Nitzsche が登場。
軽くコンプレッサーをかけたバックトラックを録音させ
その後コメディアンの Soupy Sales が気持ちよく歌う
ヴォーカルトラックをミックスダウンして完了。
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Jack Nitzsche |
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18-27 The Surf Boys - I Told Santa Claus I Want You
(7: Scepter Records SCE 12180) 1966 Maryland 州 Bethesda 出身のガレージバンド Nobody's Children
(United Artists / Bullet Records) の変名リリースである。
私の持論方程式「ノヴェルティーソングの裏にラジオDJあり」を
使って本件シングルを紐解けば簡単にバックグラウンドが見えてくる。
本件作者 Moore とは Harv Moore (Harvey Moore) の事で
彼は Washington DC のラジオ局 WPGC の Disc Jockey だ。
Harv Moore は有名なノヴェルティーシングル
Harv Moore - Interview Of The Fab Four (American Arts AA-20)
を1965年にリリースした人物だ。The Fab Four とは The Beatles
の事で、このシングルは Dickie Goodman でも有名な Break-In で
Break-In (割り込み) とはサンプリングの初期の手法であり
人気のあるレコードや曲の短いクリップを使用して、声優が
ノベルティーレコードで提起したコメディーの質問にサンプリング
音源で答える方法だ。Break-In によるノヴェルティーソングは
研究家や専門コレクターも多く存在する人気のスタイルである。
そこで The Beatles を題材に使ったからこそ、本件クリスマス
ノヴェルティーソング "I Told Santa Claus I Want You " でも
The Beatles "She Loves You" のフレーズが出てくるのだ。
この The Beatles のフレーズは印象に残りやすい。
で、この Harv Moore の偉業を記述しておこう。
New Jersey のバーバンド(クラブバンドの一種)だった
Looking Glass は1972年に Epic Records からアルバムを
リリースする契約を得て、その録音を行った。アルバムから
リリースされた最初のシングル“Brandy (You're A Fine Girl)”は
市場から全く無視されており、グループメンバーで作者の
Elliot Lurie ですらもはやこの曲にチャンスがあるとは思っていなかった。
1963年から1975年まで Washington DC のラジオ局 WPGC で
朝番組を担当していた Harv Moore は "Brandy" シングルの
テストプレスを聴いて「うわー、これはスマッシュだ。ホームランだ」
と興奮した。Harv Moore は彼の番組で1時間に1回この曲を
オンエアーし始め、それから Washington DC ではこの歌が
朝の定番ソングとして気に入られ、それは徐々に全米に広まり
結果的に "Brandy (You're A Fine Girl)" は1972年6月17日をピークに
ビルボードチャートで1位を獲得した。
その時代に必要とされる印象や感覚が内包された曲というものは
時代の空気や息吹を吸い込んで成長する生き物であり
それを伝えるメディアがラジオの朝番組であったと言う事だ。
そしてそれは、その時代を代表する曲として永遠となった。
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Harv Moore (Harvey Moore) |
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18-28
The Conventionals - No, No, No, They Gotta Go
(7: Swan S-4189 Promo only) 1964
本件は The Monokini モノキニというトップレス水着が
初めて公開され、それに対して男達が興奮してウハウハ (死語)
状態になった当時のシーンを歌にしてる。
気の利いたことにプロモ盤のみ配布され、当時の Swan の
プロモ盤によくプリントされてる “DON’T DROP OUT”
(落とさないで) との注意書きが「トップレス水着を落とさないで」
のダブルミーニングになっている。
The Monokini モノキニとは、前から見るとワンピース、
後ろから見るとビキニに見える水着である。
Trikini、Triquini トリキニとも呼ばれる場合もある。
元々はアメリカのファッションデザイナーの Rudi Gernreich が
1964年に発表した、トップレスでボトムのみの水着を
指していたが全く定着しなかった。
1964年6月3日にトップレスのモノキニを着た Peggy Moffitt
の写真がアメリカの雑誌 Woman's Wear Daily に掲載されると、
アメリカや他の国々で大きな論争が起こった。
首からストラップで吊り下げたこのデザインは最初の女性用
トップレス水着だった。同性愛者である Rudi Gernreich は、
抑圧的な社会に対する抗議として、性別を超越して衣服から
解放するという意味を込めて The Monokini をデザインした。
彼は当初これを商業的な製品にするつもりはなかったが、
デザインを見たファッション雑誌 Vogue ヴォーグの Diana Vreeland
に勧められて販売することに至る。結果的に3000枚の注文が入って
販売され、そのうちの少なくとも2枚は人前で着用されたことが
確認されている。サンフランシスコのトップレスのダンサー
Carol Doda はナイトクラブで着用した。当時19歳のモデル
Toni Lee Shelley はシカゴのビーチで着ているところを
わいせつ罪で逮捕され、後に釈放された。
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Peggy Moffitt with The Monokini
in Women's Wear Daily, 3 June 1964 |
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The Syndicate (Ex The Ris-Kays) |
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18-29
The Ris-Kays - Topless (Bathing Suits) / Salt Crackers
(7: Hi-G Lo-C Records 3108) 1964
California 州南部内陸の Riverside 出身の Surf band で
主だったメンバーの経歴を記述する
Bill Rash (Pre The Syndicate on Dot / Dore)
Chip Bradley (Pre The Mustangs
on Nero Recording Associates VOC 45-1002)
Roy Harris (Pre The Truths on Circle Records 45-953)
本件シングルはトップレス水着を題材にした
ノヴェルティーチューンだが、この手のテーマにしては珍しく
オルガンを入れたポップロッカースタイルで歌われる。
Aメロは1958年のヒット曲 Jody Reynolds - Endless Sleep
の影響が伺える。
The Conventionals - No, No, No, They Gotta Go でも記述
したが1964年に The Monokini モノキニというトップレス水着が
初めて公開され、それに対して男達が興奮してウハウハ (死語)
状態になった当時のシーンを歌にしてる。
The Monokini モノキニとは、前から見るとワンピース、
後ろから見るとビキニに見える水着である。
Trikini、Triquini トリキニとも呼ばれる場合もある。
元々はアメリカのファッションデザイナーの Rudi Gernreich が
1964年に発表した、トップレスでボトムのみの水着を
指していたが全く定着しなかった。
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18-30
Jon Savage - New Fangled, Jingle Jangle Swimmin' Suit From Paris
(7: Vee Jay Records VJ-606) 1964
ついでに水着モノのノヴェルティーソングをもう一丁紹介。
「パリから届いた流行のジャラジャラした水着」というタイトル
だが、Frankie Avalon と競作で、Frankie Avalon も1964年に
United Artists Records UA 748 でリリースしてる。
Frankie Avalon のヴァージョンは1963年のサウンドトラックアルバム
Muscle Beach Party And Other Motion Picture Songs の時に
録音されており、アルバムリリース後の1964年にアルバム画像
を使ったピクチャースリーヴを付けてシングルリリースしたのだが
United Artists Records では上記のサントラアルバム1枚だけの
リリースとなってしまったのでアルバム未収となった。
で、本件シングルを歌ってる Jon Savage は全くもって情報がない。
Frankie Avalon に引けを取らない能天気なチューンなのだが
アンラッキーな事に1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺で
メジャーレーベルがラブソングやハッピーソングの類を
軒並みリリースをキャンセルしたのが1964年のアメリカの
世相であった。当然ながらこの能天気なノヴェルティーソングは
市場から黙殺された。
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Arlen Sanders |
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18-31
Arlen Sanders Music By The Pacifics - Hopped-Up-Mustang
(7: Faro 616) 1964
Arlen Sanders は Oregon 州 Roxburg 出身のラジオDJで
本件当時はラジオ局 KRLA-Los Angeles で若者向けの音楽番組
を担当していた。
Roger Christian style で語りを入れているが使われている
音楽は The Astronauts "Movin" である。
という事は作者が Lee Hazlewood とクレジットされなければ
いけないのだが、クレジットされたのは
Sanders-Romberger (Arlen Sanders-Bill Romberger) である。
こりゃあ搾取だ!で、作者の Bill Romberger 本人による弁明が
当時の状況を説明しておりとても興味深い。
私たちは1964年2月21 日の週末金曜日の夜に Crandall Gym の
Sock Hop (Teenagers 向けの生演奏ダンスイヴェント) で
演奏するために雇われた。カリフォルニア工科大学サンルイス
オビスポキャンパスを訪れるカリフォルニア工科大学の全学生を
歓迎するダンスイヴェントだった。
ダンスの間、私たちは部屋の向こう側に立っている二人の男たちに
気付いた。彼らは踊っているのではなく、私たちを熱心に見ていた..
ダンスが終わったとき、彼らが私たちのところに来て、その歌が
何であるかを知りたがって尋ねてきた。私たちは気にせず
繰り返しのインスト曲3、4回演奏したら彼らは「ああ!それは
Movin' だ」と言った。彼らは、私たちがその曲を演奏するのを
録音したいと言ってきた。我々は 誰も彼らを信じなかった。
しかし「A.C.オーディトリアムはまさにその録音のために
予約されているんだ」と彼らは私たちに言ってきた。
私たちはまだ彼らを信じず、バンドの機材を解体し続け、
彼らを無視して帰ろうとした。メンバーの Butch は出かけて
酒を飲んだ。そして残りの私たちは家に帰って寝た。
我々は明日がどうなるかはまったく気にしなかった。
翌朝、私はドアを激しく叩く音で目が覚めた。 彼らが本当に
そこにいたかどうかを確認するために起きて、A.C.オーディトリアム
に連れていかれた。そこでは Starlite Records の Jack Williams と
Ed Hardenburgh が中央の座席に座っており、その前に
Crown 15 ips 4トラックマシンが置かれていた。 彼らは録音の
準備ができていた。A.C.オーディトリアムは約400人の学生を
収容する講堂だった。シートは木製で、背もたれやシートに
柔らかいクッションはなかった。床は傾斜しているため、後列は
前列よりも高く、プラットフォームは約30フィートx25フィート
の2つまたは3つのステップアップ式プラットフォームだった。
それは大きく、そこで我々は何度もリハーサルをした。
メンバーの Sandy のドラムは前席に面したプラットフォームの
中央に設置された。私はSandy の右側にいて、アンプはドラム
とは反対側を向いていた。Butch は Sandy の少し左前にいて、
彼のアンプはドラムとは反対側を向いていた。
ドラムを前に置き Stan Young は Sandy の右側にいて、
アンプをドラムとは反対側に向けていた。
私たちはそれぞれアンプの前にマイクを持ち、Sandy は
コンデンサーマイクを彼の上に置いた。
A面曲 "A Letter To Paul" の録音は26テイクで完了した。
すると彼らはB面の曲を求めてきた。「何? B面? それは
何ですか?」我々は準備ができていなかった。 では、どうすれば
よいのだろうか。彼らはオリジナルが欲しかった。「何? オリジナル?
まさか、俺たちはカヴァーバンドだぞ!」
さて、私は頭をかきむしった後、ギターの練習中につくった
ふざけたものがあると彼らに伝えた。それは "Movin" のフレーズを
繰り返すだけの曲で、私たちはそれを試して "Night Road" と
名付けた。ワンテイクで録音は完了した。
つまり、"Hopped Up Mustang" で聞こえるのは The Pacifics と
改名された The Squires です。それ以来、私たちは The Pacifics です。
それで、レコードはどうなったのか? Starlite Records はいくつかの
トラックを作った後、トラックを Faro Productions に売却した。
Faro Productions は Arlen Sanders のナレーションを入れて、
車の効果音を追加し "Movin'" の長さを2倍にし、わずかに
リミックスして chugging bass を持ち上げ、lead guitar を
少し落とした。Arlen Sanders は Los Angles の KRLA で
大物ディスクジョッキーを務め、このレコードは彼のおかげで
人気を博した。私たちは全国一のグループになるつもりだった。
または、すべてが計画どおりに進んだ場合、そうなるだろうと
言われたりもした。"Hopped Up Mustang" がリリースされた日、
Arlen Sanders は KRLA にいなかった。タイミングが全てだ。
Arlen Sanders は本件シングルがリリースされた頃には
Orenge County のラジオ局 KEZY へ移っていた。
80年代に Arlen Sanders は舞台俳優になり、West Virginia 州の
WWVA-Wheeling、および Oklahoma と Cincinnati の
ラジオステーションで活躍した。
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Incredible Broadside Brass Bed Band |
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18-32
Incredible Broadside Brass Bed Band - Little Dead Surfer Girl
(7: Poison Ring Records PRR-717) 1971
The Incredible Broadside Brass Bed Band -
The Great Grizzly Bear Hunt
(LP: Poison Ring Records PRR 2240) 1971
本件、ふざけた歌のノヴェルティーソングだが
New York のクリスチャンフォークレーベル Avant Garde Records
から秀逸なアルバムをリリースしていた Bill Comeau のバンドだ。
このヒッピー然とした バンドは Connecticut 州の Hartford 郡の
美しい田舎町 New Britain 出身で、1970年に結成され数年間
活動した。彼らはクラブやコンサート会場で、ラインナップの
変更を続けながら活動していたので、クリスチャン系のヒッピー
だったのだろうと容易に察しがつく。
本件は彼らの本来のバンドのスタイルであるラグタイムミュージックを
進化させたもので、風刺的なユーモアのある歌詞を与えて歌っている。
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Bill Comeau - Gentle Revolution |
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Joey Paige |
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18-33
Joey Paige - Surfer From Tennessee
(7: Warner Bros. Records 5377) 1963
Joey Paige は Philadelphia 出身のシンガーソングライターで
以前は Dickie Doo & The Don’ts のベース奏者として活動しており
1962年に Everly Brothers とツアーに出たときは Everly Brothers
のベース奏者としても名を馳せた。
そんな彼はイギリスに出向いて Rolling Stones のライヴで
オープニングアクトを務めるまでにソロシンガーとして
成長していた。
Surfin' movement が訪れると彼は Billy Strange に声をかけて
自作の本件ノヴェルティーソングの録音をした。
Joey Paige - Lead vocal, Bass.
Billy Strange - Guitar. Banjo.
Donald Peake - Guitar.
Leon Russell - Piano.
Billy Lewis - Drums.
Banjo を入れて南部風味を強調しているが、着眼点は
David Gates の1964年作品 The Country Boys - The Okie Surfer
と同じで、田舎もんバカにするんじゃないっぺよ的な(笑)
作品である。なんじゃそりゃ、うふふふ
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Keith Richards and Joey Paige |
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The Tokens |
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18-34
The Tokens - My First Set Of Wheels
(LP: RCA Victor LPM-2886 mono / LSP-2886 stereo) 1964
彼らがいかに素晴らしいヴォーカルグループであったかは
万人が知るところ。
で、本件は彼らがいかにユーモアのセンスがあったのかを
物語るユニークなノヴェルティーチューンだ。
所謂、初体験モノ、初めてのホイール交換を
語りスタイルで聴かせている。
Artie Butler が真面目にアレンジしてるのが素晴らしい。
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18-35
The Travelers - Tie Me Surfer Board Down Sport
(7: Gass Records GS-1000) 1963
若い頃、私は真面目に Surfin' & Hot Rod music 上の
ノヴェルティーチューンを集めまくってた。
まあ Surfin' & Hot Rod 自体がノヴェルティーに属する
テーマミュージックの一つなのだから、美しいサーフバラードも
ふざけたノヴェルティーソングも同じ皿に盛って食すのが
私の流儀だった。で、本件シングルはそんな頃に出合った一枚の
ローカルシングルなのだが、これが世界中の Surfin' & Hot Rod
マニアが「数ある The Travelers というグループのどれが
このグループなんだろう」と今でも頭を悩ませてる。
Rolf Harris の "Tie Me Kangaroo Down Sport" をサーフヴァージョン
にした替え歌だが、レーベル所在地が Hollywood, California で
Leo Kulka がプロデュースを担当してるので西海岸のグループと
推測される。Leo Kulka は San Francisco の Autumn Records の
設立者である。その後彼は San Francisco にスタジオ
Golden State Recorders を設立しプロデューサー、エンジニアー
と活躍した。そしてオーディオファンのためのレーベル Sonic Arts
設立し、現代のレコーディング業界のパイオニアと見なされている。
それ故にマニアックな Audiophile (オーディオファン) は
Leo Kulka を崇拝しているので、本件ローカルシングルが
彼らの収集対象となっている。ノヴェルティーサーフソングの
シングルをマニアックなオーディオファン達が探してるのだから
ある意味ノヴェルティーソング以上の付加価値が魅力の一枚と言える。
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Leo Kulka
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Rolf Harris |
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18-36 Squiddly Diddly - Squiddly
Track from children album
Squiddly Diddly - Squiddly Diddly's Surfin' Safari
(LP : Hanna-Barbera Records HLP 2043) 1966
Hanna-Barbera は、かつて Metro-Goldwyn-Mayer (MGM)で
トムとジェリーを制作した William Hanna and Joseph Barbera
が1957年7月7日に設立した、アメリカのアニメーション制作会社。
そのアニメ会社資本のレコード会社なので
良質な子供向けレコードが製作されていて、本件アルバムも
そんなチルドレンレコードの一つ。
歌は The Hanna-Barbera Singers が変名で担当したのだが
このシンガーズ、Stan Farber, Al Capps, Ron Hicklin からなり、
彼らは元々 The Eligibles (Capitol, Imperial etc) として活動
していたヴォーカルグループであり、その歌声を買われて
多くのバックシンガーズとしてもレコードに参加してる。
その中には取り分け日本でも有名な The Love Generation や
The Going Thing でも有名な John Bahler and Tom Bahler らとの
The California Dreamers, The Zip-Codes (Liberty) なんかも含まれる。
興味深い事に、アメリカのアニメ&チルドレンレコードの
マニアコレクター達に言わせると、当時このアルバムは
ストーリーレコード(物語中心に収録された)じゃないので
子供たちはパスして購入しなかったらしい。日本でも60年代の
アニメレコードとなると音楽面でも巨匠が手掛けるケースは
少なくはなかった。しかし流石に Surfin’ という西海岸限定の
特殊なスポーツ&レジャー文化ですら子供相手のレコードに
反映させるのがアメリカの凄さだろう。
その後の日本のアニメの進化があればこその、日本の
アニメソングの発展ではあるが、日本では子供相手に
Surfin’ music を製作するといった発想は今も昔も無い。
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18-37
Squiddly Diddly - Hot-Doggin' Man
Track from children album
Squiddly Diddly - Squiddly Diddly's Surfin' Safari
(LP : Hanna-Barbera Records HLP 2043) 1966
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David Seville (Ross Bagdasarian) |
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18-38
The Chipmunks - California Girls
(LP: Liberty LRP-3424 mono / LST-7424 stereo) 1965
Alvin, Simon & Theodore With David Seville,
The Chipmunks - Chipmunks A Go-Go 以前ドライヴ中にこれを聴きながら一緒に歌ってた。
赤信号で隣にならんだオバサンが虫声で歌う
私を見て硬直してた。調子にのって歌うと超ヤバイ曲だ!
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Fred Imus and Don Imus
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Don Imus (Jay Jay Imus)
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Fred Imus (Freddy Ford)
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18-39
Jay And Freddy - I'm A Hot Rodder (And All That Jazz)
(Challenge ?59248) 1964
後にラジオDJとして人気者になる
Jay Jay (Don) Imus & Freddy Ford (Don Imus and Fred Imus)
による兄弟ユニットが残したノヴェルティーチューンの
隠れた逸品。当時列車のブレーキを担当する鉄道職員だった
彼ら二人が書いたオリジナル。恐らく鉄道業務の
最中に鼻歌ばかり歌いながら書いたのだろう (笑)
かっこよくも間抜けなカーエフェクトを使った曲で
プロデュースはジャズミュージシャンでも知られる
George Russell なのだが、興味ぶかいことにB面の
ダンスインストが Jay Jay Imus-Ben Benay で
書かれてる。そう、Ben Benay は後のサイケデリックコンボ
Goldenrod のメンバーで、Curt Boettcher のプロジェクト
The Ballroom, The Millennium, Sagittarius 等はすべて
スタジオミュージシャンとして演奏している
有名セッションギタリストである。
Don Imus (本名 John Donald Imus Jr.) は、アメリカの
ラジオパーソナリティ、テレビ番組の司会者、レコーディング
アーティスト、作家。彼のラジオ番組「Imus in the Morning」は
2018年まで全国のさまざまな放送局やデジタルプラット
フォームで放送されていた。
Don Imus は、カリフォルニア州リバーサイドの裕福な
家庭に生まれた。両親はアリゾナ州キングマン近郊の
The Willows という35,000エーカー(140 km2)の牧場を
経営していた。彼は学校が嫌いで、「ひどい私立学校から
別の学校」に転校し、自分自身を「ひどい思春期の子供」
と表現していた。彼が15歳のとき、両親は離婚し
20歳のとき、父親が亡くなった。
1957年、アリゾナ州プレスコットに住んでいた Don Imus は
高校を中退し、ペンドルトン基地のアメリカ海兵隊に入隊。
砲兵部隊に配属された後、Drum and Bugle 隊に転属。
名誉除隊で海兵隊を退役し、サンバーナーディーノで
ショーウインドー係として働いたが、通行人のために
マネキンでストリップティーズを披露したことで解雇された。
その後、Don Imus はミュージシャンやソングライターとして
成功しようと弟の Fred Imus ともにハリウッドに移ったが、
ラジオDJに曲を流してもらうのに苦労した。
このため Don Imus はホームレスとなり、洗濯屋で寝泊まり
したり、ヒッチハイクでアリゾナに戻ったりする羽目になった。
パシフィック大学を中退した後、Don Imus は
サザン・パシフィック鉄道のブレーキマンとして働き、
アリゾナのウラン鉱山でも働いた。鉱山事故で両足を骨折した。
このシングルはその頃に作られた。
Frederic Moore Imus(Fred Imus)は、アメリカの
ラジオトークショー司会者で、ラジオトークショー司会者の
Don Imus の弟。彼は、2006年5月6日に開始された
毎週土曜日の午前6時から午前10時(東部標準時)に
シリウスXMラジオのアウトローカントリーチャンネルで
放送されたカントリーミュージック番組 Trailer Park Bash
の司会を務め、2011年に亡くなるまで5年間続いた。
彼の相棒は元西部劇俳優の Don Collier だった。
Fred Imus は、アリゾナ州ツーソンのトレーラーから
番組を放送した。彼は、兄のラジオ番組「Imus in the Morning」
にレギュラーゲストとして頻繁に出演した。
彼はケント州立大学に通い、アメリカ陸軍第101空挺師団に所属した。
彼はまた、1957年型シボレーを中心に自動車の修復を行い、
兄と一緒にサザン・パシフィック鉄道のブレーキマンとして働いた。
1963年、兄の Don Imus がラジオに進出する前に、
Don と Fred は本件 Jay Jay Imus & Freddy Ford の名で
Challengeレーベルのために “I'm A Hot Rodder (And All That Jazz)”
という曲を書き、録音した。
サザン・パシフィックク鉄道に在籍中、彼は同僚の
ブレーキマンである Phil Sweet と出会い、1976年に
2人は Jim Ed Brown and Helen Cornelius のカントリー
ナンバー1ヒット曲 “I Don't Want to Have to Marry You”
を書いた。この曲は1977年にミュージックシティニュースで
年間最優秀曲にも選ばれた。Fred Imus は、オハイオ州
クリーブランド、ワイオミング州シャイアン、
テキサス州エルパソなどのカントリーミュージック
ステーションでオンエア ホストを務めた。
Fred Imus はクラシック・カーへの愛着から、テキサス州
エルパソに自分の自動車修理工場を開き、兄の Don Imus の
アイデアで、ラジオ番組で兄から簡単に紹介されたシャツや
帽子も修理工場で販売した。この店は The Autobody Express
と呼ばれ、Don と Fred が共同所有していた。
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【戻る】【続く】 |