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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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COOL HAND の真面目な主張
(RECORD MARKET & DEALER 考察。今回も話が硬いぞ)
BGM Sound On / Off
走ればゴールは見えてきて運動そのものは終焉に向かう。
それが解っていても我々は走る、走らせるだけの苛立ちと焦りがあった。
これが当店が開店した当初の状況だった。何か目的を捜し出しては
それに向かって走ってきた。疾走するにつれて回りの景色がはっきり
と見えてきた。既にバブルは弾け、混沌とした市場の中から新たな
価値観と展望が必要とされていた。
しかし確固たる自信が後ろを振り返る事を拒否させた。
音楽の流行なんて言うものは我々には関係無い。何を差し置いて
でも管理出来る記録の保存と記録の所有枚数が絶対的な力となる
のだ。私の友人は言った「何も無ければ売る事も出来ない。在庫にあるから
消費者はそれを買う事が出来る」その言葉の大きな意味は間もなくして解った。
「いや〜、こっちが思ってもなかった物が売れて良かったよ」「違う、それを
持ってる君が正しいんだよ。誰もそんな物在庫に持ってないよ。
何で持ってんだよ?」これが RECORD DEALER の事実である。
だから我々はどこにでもある物は仕入れない。そんなのどっかの店で
買えば良い。この店に来ないと買えない物だけを揃える事に執着した。
何故なら前にも言った様に中古レコード屋は地域に根付いた文化事業だと
思っている。「継続は力なり」これは我々の世界では探究心こそが継続の
源である。現に流行に左右される人達は我々が計算している需要の数には
入っていない。

元 A.W.A. チャンピオン の DIRTY NICK こと NICK BOCKWINCLE
(プロレスラー)が偉大な父(元 プロレスラー)の WARREN BOCKWINCLE に
教わった言葉「相手が WALTZ で来たら WALTZ、TANGO で来たら TANGO
で応えるのが WRESTRING の極意だ」これは名言である。
だから WALTZ もTANGO も踊れる様に対応出来るだけの在庫が理想となる。
当店には BEATLES や STONES 等の COLLECTABLE もあれば宗教音楽や
SEX MUSIC もあった。そして恐ろしい事にそれらが入り乱れて一同に並ぶ
事もあった。これは店舗のサイズがそうさせる。
そろそろ大きな所に移転したいが家賃が高いからな〜。
面白い事にこの事情が解っていない一元の客は店内の DISPLAY を見ながら
落ち着き無く、ぐるぐるぐるぐる店内を歩き回り RECORD を触る事無く
目を回して出ていく。
我々から見たら「挙動不審の人がいきなり飛び込んで来て何も買わず
帰って行く」のように見える。大笑いだ。「何や今の奴?」みたいな感じだ。
皆さんは米国の RECORD SHOP に行った事があるだろうか?
そこには膨大な数の記録がずらりと並んでいる。
その土地で HIP ともてはやされている RECORD を誇らしげに DISPLAY
しているのは WEST COAST の一部の都市か東海岸の有名大学所在地に
隣接した RECORD SHOP ぐらいのものだ。勿論土地がらくる特色はある。
CHICAGO BLUES であったり NEW YORK DOO-WOP である。
しかし本当は記録の所有数こそが事実であり真実である。
音楽の趣向性はその中の一部でしかない。比較すれば解る様に日本の
それとは異なり、如何に日本の消費者がメディアによってマニュアル化
されているか解る。
先日も著名な CLUB D.J. が来店された時にこの件も交えて話をした
「何故僕の真似をするのか、何故自分の ORIGINALITY を求めないのか、
そして僕が使った RECORD が人気の RARE 盤扱いされるのか解らない」
と語ってくれた。これはもっともである。
我々からすれば現在の CLUB SCENE を考えた上で
「打ってるか打ってないか」の RHYTHM の共通性や、高揚性や非抑圧的な
FEELING から判断する素晴らしい財宝は幾らでもある。
そしてそれらのSOUND PRODUCTION や時代背景を考えれば彼らの求める
物を摘出させる事は難易な事ではない。
しかしそれを括ってはいけないのだ。一つの記録として保管しないといけない。
KRAUTROCK ですら音響派の人達を無視して TECHNO と融合させ
RHYTHM を交配する事は可能である。またそれを喜ぶのも自由だ。
しかしあくまでも記録の系譜上にある物として共通性を知ってる人のみが
選択して買えば良いだけの事だ。それに気付いている人のみが
BORDERLESS MUSIC や CROSSOVER MUSIC を PLAY して楽しむ事が
出来る。それは家の中であり CLUB EVENT であったりする訳だ。
どんな楽しみ方をしても良い分我々 DEALER は適切な集約陳列方法を
知ってないといけない。当店のそれは実に米国的でありながらも英国風の
ひねりが入ってる。そして実際それを目標として日夜勉強や研究を行って
仕入れている。そしてそれは私が体験した事実でもある。
理想の中古 RECORD 屋とは何か?理想の RECORD DEALER とは何かを
いつも考えていたし、今も模索している。大瀧詠一 STYLE の探究者で
ありながらも米国の太っちょの親父風でいて英国風の気難しさが漂う。
そこには記録に対する正しい理解が必要とされる。
実に素晴らしくとも下らん光景が目に浮かぶ。
それは静の佇まいを保ちながら、期を見るに敏といった動の部分も
兼ね備える達観者かも知れない。それは理想論であって私達もまだまだ
若いから精悍な黒豹のような攻撃性を持っている。
昔みたいにやたらめったら攻撃する事は無いにしても円熟味を求められ
客人を遊ばせてあげるぐらいの懐の深さが求められる様になった。
去年の暮れのことだ、私の英国の友人は BBC をサポートしているのだが、
彼のもとに一通の手紙が届いた。
「いつも素晴らしい音楽を聴かせてくれてありがとう。今度音楽会を開き
ますので是非お誘いしたくて手紙を送りました」差出人は盲目の女性だった。
私の友人はそこに集まった人達の為に CHARITY PARTY を企画して
彼の知る限りの財政人を招待した。そこで集まった善意のお金はすぐに
全英盲協会に振り込まれた。その次の週、彼は自分の番組で目の見えない
人達の為に特別プログラムを組んで様々な音楽を流す事になった。
私は依頼を受けて番組制作の為に様々な協力をした。
個人的にもすごく興味のある作業だった。
時期は押し迫っていた。プログラムはクリスマスにあわせたものになった。
英国のクリスマスというより盲目の人達の為のクリスマスプレゼントを我々は
真面目に考えた。番組は大成功に終り、我々も多くの事を学んだ。
一番反響の良かった ARTIST は誰だと思う?
答え PAUL MAURIAT と CARPENTERS (NICE !!!)
これが公共性の持つ力だ。RADIO DAYS の力なのだ。

ここで改めて考えて欲しいのだが、現在の不況を例えた場合の
CASE STUDY だ。景気の動向を昭和46〜7年のオイルショック期に
重ねて判断してみよう。この時期は日米安保の学生運動の後に引き続き
ベトナム反戦運動が活発した時代だ。この後に運動参加者は体制側に
何ら変革させる事無く又、労働組合紛争も結果として体制側に上手く
利用され多くの若者は挫折感を覚えた。そこに原油価格引き上げによる
不況が始まった。その間も市場の機械化は進みコスト計算された
高級素材が生産出来る様になった。その後、消費者は生活水準を少し
高めようとし、今迄高値の花だった高級品が購入出来る様になって
景気は回復していった。トヨタがクラウンやソアラに革張りのシートを付けて
高級車の差別化をしたり、日産が SKYLINE (JAPAN) の TURBO MODEL
を限定で生産して商品の差別化をした頃の状況が物語っている。
消費者は車の中で FM MUSIC を聴く事を覚え、音楽業界もそれに
合わせて所謂 NEW MUSIC のマニュアルを模索していた。
車で聴く音楽とは個室音楽を指す。風景を感じさせながら内省的で
デリケートな表現も加味される。FREQUENCY MODULATION (略してFM)
と言うのは「頻繁に与える周波」である。まさに多くの LISTENER はこれに
よって中毒患者の様に様々な VIBRATION の依存度が高まった。
問題はここにある。現在の日本の景気は FM MUSIC 以前の AM MUSIC
終焉に近い頃の経済状況なのだ。しかし現在の音楽 LISTNER は
FM MUSIC 全盛期に青春を桜花した人々が主流であって、そうで無い人も
またそれを体験したいと熱望する。
しかし道端に出れば解る様に STREET PERFORMER はGUITAR を片手
に昭和40年代の新宿 FOLK さながら歌っている。
そこから和みを感じるのも自由だし現在の市場の動向をかいま見る事も
出来る。この現実と FM MUSIC に依存しようとする人々の意識には
大きなギャップがある。景気の後退により価値観も含めて多くのものを
失った後にはGUITAR 片手に歌っている奴らが生産者となり、
現実逃避から FM MUSIC に依存する人々は否生産者となる。
しかし企業側は後者に消費させる事で生産の核にしようと考える。
これはまだバブル経済の症候群を持った企業だとも言い換えられる。
ここで中古 RECORD業界に置き換えよう。$1=¥360固定時代の
昭和30年代 JAZZ & POPULAR 系の輸入以降で実際に日本の輸入
中古 ROCK RECORD 市場の本格的な繁栄はこの FM MUSIC の成長期だ。
その手の老舗ですら1980年代初頭に産声を上げている。
これが米英と異なる魔可不思議な消費者を生んだ日本の輸入中古
RECORD 市場の正体でもある。多くは FREQUENCY MODULATION の
恩恵を受けた中毒患者で市場は形成されているのだ。
そして多くの人が事もあろうか FM 以前の AM MUSIC を OLDIES としか
定義出来ていなかったのだ。これが誤った認知となった。

中古市場で未体験ゾーンに踏み込む為には過去を遡る事を意味する。
反面、依存症から踏み出せない人は自分の愛した時代に閉じこもる。
まず中古商品と言う物は基本的に減少する運命にある。
もはや米国ですら原油産出量は年々減っている。英国などは日本と
同じで最初から自国の生産物に限りがあるから、それ以外を求めるなら
輸入に依存するしかない。だから輸入 RECORD SHOP の正体は専門店
なのだ。店主や仕入れ担当によって判断された材料を輸入して仕入れる
限り SENSE が必要とされる。それを日本の業者は流行に依存している。
私の知る限りそれに該当しない業者も多くいるが、消費者は依然として流行
に敏感でありそれを所有する事で安堵感を得ている様だ。
当店の仕入れに関する SENSE は流行性とは関係無く記録としての
探究心だけが頼りとなる。それは羨ましいかな米国の日常的な中古市場
の特異性に近づきたいからだ。そして英国人の RECORD DEALER も
それを手本としている節がある。まさにこれが輸入中古 RECORD DEALER
の理想的な姿だと思う。
先日英国の本で昔の米国の RECORD DEALER の写真が紹介された。
そこでは山の様に重なった SINGLE RECORD の上を歩いている男の
写真が掲載された。羨ましいと同時に気を失いそうになった。
それらの SINGLE は全て ORIGINAL COMPANY SLEEVE に入った
RARE 盤ばかりだった。私もこの様に SINGLE の山の上を歩いた事は
一回ある。それも相棒の新田と一緒に。枚数では私達の方が上だと思う。
しかしこの人の場合 RARE 盤だけなら1万枚以上はある。
これが古き良き時代の米国の中古 RECORD DEALER の BACK STOCK
なのだ。 そのまま此処に持ってきて全部磨きたい欲望に駆られる。
RECORD DEALER の一番格好良い姿は SINGLE を磨いている時だと
我々は思ってる。そこには先ず愛情があり、情熱があり、知的であり、
そして COOL である。汗なんかかいてやっちゃ駄目だ。
RECORD LABEL を見つめる姿、そして PLAY 中に耳を傾ける姿すら
様になっている。先に述べた大瀧詠一 STYLE とはこれだ。
この佇まいが絵になるには相当のキャリアが必要とされる。机の上が
綺麗に整理されているか、汚く散らかっているかは関係無い。
集中した時のオーラが第三者に熱として伝わるかCOOL な FEELING と
して伝わるかの違いだ。私は若いからまだ熱にしか変えられない。
しかも落ち着き無く業務に追われる形でやってる。
これがキャリアの差だ。山の様な RECORD を捌くときにキャリアの
差が出る。専門店の場合のキャリアの差は RARE 盤の扱いに出るが
我々の様な STYLE だと一枚の RARE 盤よりも記録の山の紐解き方に
キャリアの差が出る。(勿論 RARE 盤に反応する感覚は必要だが)
はっきり言って輸入中古RECORD の本当の醍醐味は SINGLE にあると思う。
音の素晴らしさはLPの比では無いし FORMAT として歴史がある。
米英などの多くの SINGLE には PICTURE SLEEVE は付いていなかったが
両国共SINGLE に比重をおいた GUIDE BOOK なり査定本を作っている
事が物語っている。ある意味で米英のTOP DEALER とは SINGLE の
所有枚数でマーケットの立ち居地と力関係が解る。何故なら SINGLE を
集める事はLPのそれと比べて根気強い作業が必要となり、データ収集力
に左右される。ARTIST のCONCEPT によって ALBUM SALE が主流と
なった60年代後半からの物でも製作者の SINGLE に対する意気込みは
強い。何故ならば SINGLE HIT が無ければ ALBUM 製作に至る事は
無いし人に支持して貰う事は出来ないから ARTIST も製作者も SINGLE の
録音に全てをかける。ましてや曲の良し悪しに左右されるから誤魔化しが
無い。昔から RADIO が一般 LISTENER との FIRST CONTACT である為に
PROMOTION による力関係が浮彫りになる。その為にいくら曲が良くても
HIT に結びつかないものが出てくる。MAJOR 会社はそんな LOCAL でも
出来が良い曲をリサーチして HIT 出来ると思ったら直ぐに版権を買い取って
全国配給へと結びつける。ここで ARTIST は改めて勝負を挑む事になる。
それは3分間の真剣勝負であり美学が存在する。
勿論 ORIGINAL 1st PRESS からは PURE で PRIMITIVE な輝きが閉じ込め
られている。その全てを知った時に DEALER は全ての音楽には駄作が
存在しない事に気付く。何らかの力不足があったとしても、それは駄作とは
言わない。それは UNLUCKY と言うのが正しいのだ。
我々中古業者が幾らRECORD を売ろうが、その RECORD を作った
CREATOR 達の利益にはならない。だからその分我々はCREATOR の
意図を確認出来る様に努力しないといけない。
何故「狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ」が HIT して JERRY SAMUELS と
WARNER BROTHERS に多大な利益をもたらしたのか?
それは時代の要求だったからだ。中古 RECORD LISTENER は時代を理解
した上で曲の良し悪しを判断する楽しみを許されている。
即ち自分だけの永遠な価値観をもとにそれらを収集出来る。
しかし DEALER は違う。全てを理解出来る様に記録を紐解いていかないと
いけない。それは恐ろしく膨大なデータや資料を片手に、判断材料の中から
公約出来る INTELLGENCE が必要とされる。
そしてそれを助けてくれるのがキャリアであり、長年培ってきた感性と
SENSE だ。その上に業界内での力関係が商品収集において重要となり、
円滑に商品が流通出来る事だけを考える。需要に伴う値段や業者間の
POWER BALANCE である。中古 SINGLE を血眼になって捜すDEALER は
何故か大物 DEALER が多い。ひっくり返して言えば彼らは既に SINGLE
にしか RECORD の魅力を感じていないのかも知れない。
そして何故か猫を飼っている RECORD DEALER が米英には多い。
これはいまだに不思議だ。私は犬派なので猫を飼ってる DEALER より
店先に鎖でつないだニッパー君(HMV のマスコット犬)の人形を置いてある
店の方が好きだ。ATLANTA では日本の又吉(なめんなよ〜)のステッカーを
べたべた貼って猫を可愛がってる RECORD SHOP もある。
しかしそれを日常に調和させる事が RECORD DEALER にとって好ましい。

  (ちょっと休憩しませんか?)


一般的に消費者にとって本当に良い店と言うものは絶対口コミでは
広がらない。これは消費者自身が中古 RECORD の存在が一期一会だと
言う事を熟知しているからだ。
決して良い店を自分以外の人間に教える訳が無いのだ。
そこには「横取りされてなるものか!」との自分本意な強い競争心が在る。
何処の店にも毎日顔を覗かせる常連客はいるが、実はこの人達は我々から
すれば素晴らしい在庫管理部長なのだ。電話等で在庫確認を頼まれた
時ですら、それら常連組に「あれ何処かに在りましたよね?」と尋ねれば
「ここにあるよ」とごちゃごちゃとした店頭在庫から見ず知らずの人の為に
捜し出してくれる。我々ですらうる覚えの在庫管理までやってくれる。
実に素晴らしい人間関係である。電話の向こうで捜しあぐねて困ってる
人の要求を第三者が快く見つけ出してくれるのだ。そして我々は店頭在庫
の何倍もの在庫を管理する事に追われているから何時も頭の中は混乱
している。ましてや業者間で在庫の回し合いをする場合は枚数も半端
じゃないのだ。「今度催事の時に 〜が何箱ぐらい必要になるから協力
お願いします」なんて頼まれた日には発送する物の数から ARTIST & TITLE
& PRICEまで管理しないといけないから大変だ。
全部どんぶり勘定で問題が起こらないのならその方が楽だ。
一般的に日本の催事では総売り上げの20〜30%を会場側に取られる。
通販専門店の催事持ち込みはどうしても TOP PRICE の顧客を管理する
事から高い値段で仕入れている為に商品の値段は高い設定となっている。
逆に店舗販売を中心とした業者の商品は不良在庫中心に催事場へ
持ち込まれる。何故なら態々店頭で売れる物を20〜30%取られる
催事場に送料やコストをかけて持ち込む必要が無いからだ。
そこにおひねり的な人気盤の重複在庫を入れて催事客を喜ばす程度の
物で、流行に敏感な人ならそれらが使い古しである事は解るだろう。
消費者はその選択肢の中から飼い逃した値落ち物、WORKS 探究者なら
値段に反映されてない意外な物を懸命に捜さないといけない。
売り上げ比率として催事に全てをかけている業者も幾つかいるが一般的
にはこんな状況である。特に地方の催事は地域性を業者は嗅ぎ分け様と
するが持ち込む物の多くが不良在庫だけに消費者の HIP な感覚に
応えられるだけの物は乏しい。そして催事には通称「朝一」という業者達
がいる。前持ってお金 (ADVANCE) を払って催事前日に他店の商品を
物色するのだ。自分の商品に出来る物があれば先に抜くのだ。
持ち込んだ業者は金払って貰えれば文句は無いから事前に取り引きが
される事もある。所謂抜き屋さん大歓迎の店がやっている。
これは何処の国でもやっている。バブルの頃などは催事を2〜3回やれば
「次もう一軒どこかに店出す?」的な売り上げを伸ばしていたらしい。
そして催事場関係者も中古 RECORD がこんなに売れるとは全然
知らなかった様で調子にのって売り上げの一部をポケットマネーに
変えていた。「今日は忙しかったので会場にバイトの子を5人ぐらい追加して
いたから」とか嘘をついて人件費分を自分のポケットにしまいこむ関係者も
いたそうだ。あの時代はみんな狂ってたから凄くどんぶり勘定的になって
いた様だ。そんな状況の中で使途不明金や横領を繰り返しながら
催事関係者は催事を連発した。参加した業者は気付いていた人と、
苦汁を飲まされた人とに別れ GROUP は結成と解散を繰り返した。
これは実に馬鹿らしくも日本的な問題であると思う。
何故なら外国の催事では出品者が各自、自分のテーブルで商品を売って
消費者からその場で現金を貰う。催事参加料はあらかじめ払った上で
各業者は選別した商品をそこで売る。合間を見てはテーブルを友人に
任せて自分も他の業者のテーブルを物色している。TRADE も頻繁に
行われ買取も行われる。COLLECTOR が持って来た一枚の RARE 盤に
何百$も払って買い取っている光景ですら珍しく無い。
何故日本の催事では TABLE SALE が出来ないのか解らないが、もしこの
問題が解消されれば今より短い期間での催事になり内容も高くなる筈
である。消費者は個人であり大局的な物の見方は必要無い、
しかし DEALER は全体を知る必要がある。しかし全体の利益を優先させる
為に無意味なコストはかけるべきでは無い。催事は長くても3日が良い
だろう。催事場でのバイトや警備にコストをかける国は日本ぐらいの発想だ。
たしかに催事場での争い事や喧嘩は多々ある。
しかしこれも TABLE DEALER とのMAN TO MAN で回避出来る筈だ。
出入口でお金を払う構造そのものにも問題がある。これを知れば誰もが
日本と言う国の SYSTEM や構造が何から何まで歪んでいる事に
気付くだろう。

昔こんな事があった。友人の業者に頼まれて彼が参加する催事に
合わせて RECORD を送った。そこには幾つかの RARE 盤も入っていた。
催事が終わって全体の集計が行われ各業者は主催者からの振込で金を
手にする。(この時点で20〜30%は差し引かれてる。
しかしこの集計 SYSTEM にも問題があると思うが)売り上げ分と
売れ残った商品が返って来た時に初めて万引きされた商品の確認が出来る。
その時はこともあろうに RARE 盤ばかり万引きされていた。
ま〜それは良いとしても戻って来た RARE 盤の DISC が違う VG++ に
なっていた時には驚いた。これは明らかに業者の仕業だ。
貴重な RARE 盤のMINT DISC を見て自分の所有していた VG++ DISC
と差し替えたのだろう。これは催事場に出品した時にそれを見た
当店の客が「竹内さん凄いですね。全くの MINT じゃないですか、あれ」と
電話をくれたからDISC を差し替えられたのはその後となる。
この程度の話はまだ可愛い方だ。ある業者が催事場にRECORD を送った。
催事場に RECORD が搬入された時にその業者が催事に顔を出さない事
を知った幾つかの他の業者が、催事日前日にみんなで何枚か盗んだ事が
あると言うのだ。これじゃあ人気商品をコストまでかけて送る気は無くなる。
盗まれた業者は泣き寝入りとなる、しかも同業者に盗まれた事も
知らずにだ。この手のスキャンダル、ゴシップ、裏話的な現場サイドの話は
本当は消費者は知る必要は無い。しかし様々な理由や根拠が DEALER の
行為となり市場に何らかの影響を与える事は知っていて欲しい。
特に中古業界では不透明に思われている部分が多く、それが大きな誤解
として消費者の眉間にしわを作らせる原因になっている様に思われる。
「何故なんだ」「何でこうなんだ」的な消費者の疑問はそこに商品として
並べられる迄の様々な経緯が充分に公開されていないからだと思える。
そして業者は自ら価値観を壊した価格で販売する事の恐怖を知っている
為に妄想に取りつかれているのだ。今更言う迄も無いが中古業者と新譜、
再発業者は異なる。中古は安定供給そのものが難しいのだ。
もう一つ言えば消費者からの要求は業者の重圧として蓄積される事だ。
そして消費者も欲しい物が購入出来ない為にストレスが溜る事を充分理解
している。これは自然な欲望だ。これを業者側で解消出来る様にするには
コストを度外視した入荷でしか応えられない。これは自然な欲望だ。
これを業者側で解消出来る様にするにはコストを度外視した入荷でしか
応えられない。買い逃した人から「次いつ入荷しますかね?」と尋ねられても
答え様が無い。「何枚でもありますよ!」と答えてみたいものだ。
我々からすれば消費者が求める物を購入出来るチャンスを創り出す
以外には何も出来ない。そしてそれが安定価格に置き換えられる様にだ。
基本的に中古 RECORD は自分で売らないといけない。
そして売れる RECORD と売るRECORD は違う。
日本の場合売れる RECORD は情報誌の掲載物や CLUB ネタと
限られている。言っちゃあ悪いがいまだ中古市場の成長段階においては
まだ初歩的な状況だ。自転車操業を繰り返す業者は流行を追い続けて、
それを人気商品と思い込んでいる。中古なんて物は商品を作る為には誰か
から買い取らないと成立しないのだ。
だから人気だと判断したら各人の判断で金を払わないと商品は並べ
られない。これは実に不毛な行為だと思う。消費者の見解から言えば
急激な値段の高騰を見せる物と、じわじわと値段が高くなっている物の
差はある。前者は生物で新鮮度が下がれば値段が下がる可能性はある。
しかし後者の場合は充分に市場で行き届く迄値段は下がる可能性は低い。
そして最初から何らかの理由で高い物もある。
それは歴史で勉強して欲しい。人間の所有欲と愛情が長きに渡って成長
させた値段だから。勿論の事、それらに愛情を注ぐ人達から買い戻す時
には改めて価格は動きを見せる。これが私の言う中古市場に巣付いた
魔物の正体だ。これら中古 RECORD は全てが元々誰かの所有物だった
のだ。そしてこの中古RECORD 市場に参加する当店もこれを読む貴方も
魔物の正体だ。関わる人全ての努力と愛情が運動体として魔物を活動
させている。
   
続く
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