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Vol. 17 01 Richie Allen & The Pacific Surfers - Skeg-Along-Pete
02 Johnny Galahad - '29 Model-A
03 The Competitors - Little Stick Nomad / Power Shift
04 The Sunsets - My Little Surfin' Woodie /
My Little Beach Bunny
05 The Scramblers - Chop 74
06 Bob Vaught And The Wheels - Doin' The Surf /
Surfin' In Paradise
07 Jan Davis - The Surfing Matador
08 City Surfers - Beach Ball
09 Gary Paxton - The Scavenger
10 Dick Dale And His Del-Tones -
Surfin' And A-Swingin' / Secret Surfin' Spot
11 Zeke Sheppard - Snow Surfin'
12 Tommy Roe - A Wild Water Skiing Weekend
13 Danny And The Juniors - Let's Go Ski-ing
14 Wayne And Dwain - Ski Surfin' Man
15 The Misfits - Skiing Time
16 The Snowplows Featuring Steve "Shutdown" Douglas -
Schussing (Part I) / Schussing (Part II)
17 The Rangers - Snow Skiing / Mogul Monster
18 The Rockaways - Top Down Time
19 The Cannon Brothers - Surfin' In Bermuda
20 Al Hartley And The Heartbeats -
Ain't You Glad It's Summertime
21 The Kustom Kings - Notty 32
22 The Woofers / The Scramblers - Dragster On The Prowl
23 The Go-Go's - Saturday's Hero / The Wild One
24 Hider and O'Neill - Let's Do The Ski / Thunder Rock
25 The Buddies - Ski Jump
26 Bob Sled & The Toboggans -
Here We Go (The Surfer Boys Are Going Skiing)
27 Ski-Doo Singers - Snowmobile Safari
28 Billy And The Kid - Shut Down Again
29 The Sea Shells - Hit The Surf / Barefoot In The Sand
30 Pete Fountain - I'm Just A Surfing Boy
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Vol.17
Surfin' and Hot Rod and Ski
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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ichie Allen / Richard Podolor |
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17-01
Richie Allen & The Pacific Surfers - Skeg-Along-Pete
(7: Imperial 5929) 1963 珍しく Richie Allen (Richard Podolor) の歌モノ。
1963年リリースなので、The Hondells, The Super Stocks
よりも前の録音で、The Hondells, The Sunsets の
メンバーとなる Les Weiser が書いた曲だ。
録音はRichard Podolor が1959年にハリウッドに
設立した American Recording Co. (通称 Studio City)
で、1963年にリリースされたアルバム
Richie Allen & The Pacific Surfers “Surfers' Slide” には
収録されていないシングルオンリーの曲だ。
因みにそのアルバムからシングルカットされた曲は
日本でもシングルがリリースされている。
Richard Podolor の従兄弟 Art Guy が当時のスタジオ状況を
語っているので、詳細は 13-33 をチェケラー(死語)
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American Recording Co.
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17-02 Johnny Galahad - '29 Model-A
(7: Decca 31564) 1963
シンガー Johnny Galahad と作者の Jerry Glick-Fred Rice
については詳細がないが、本件シングルは
Bobby Darin と Terry Melcher が設立した音楽出版社
T.M. Music, Inc. Production の初期作品だ。
B面曲に Warner Brothers の契約ソングライターで
The Association の "Under Branches" と "Barefoot Gentleman"
の歌詞を書いた Skip Carmel がクレジットされてる。
広く知られた1929年製 Ford Model A は Model T の
後継モデルで、通称 Baby Lincoln ベイビー リンカーンと呼ばれ
標準装備に4輪機械式ブレーキ、速度計、油圧式ショックアブソーバー、
スターター、フロントガラスワイパー、ダッシュライト、ミラー、
ガソリン ゲージ、工具が付いていた。初期のヴァージョンでは
バンパーは$15.00のオプションだった。
今じゃあ標準装備されて当然のそれらですら、1929年当時は
超贅沢で画期的な装備だったのだ。
Model T と同様に、Model A は、最上位のクラスとして扱われ
全米すべてのフォード組立工場がフル稼働して生産した。
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1929 Ford Model-A Roadster |
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Gary Usher |
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17-03
The Competitors - Little Stick Nomad / Power Shift
(7: Dot Records 16560) 1963
The Competitors - Hits Of The Street And Strip
(LP: Dot Records DLP 3542 mono / DLP 25542 stereo) 1963
The Competitors 名義のシングルが1963年10月にリリースされた。
これは11月リリースのアルバムからの先行シングルで
両面とも Gary Usher 作曲&プロデュース。
Little Stick Nomad / Power Shift (Dot 16560) A面ではその後すぐに
Gary Usher のプロデュースでシングルをリリースする俳優の
Don Brandon がヴォーカルをとっている。
B面は Car Effects と Twangy なギターを効果的に使った
軽快なインストナンバーに掛け声とコーラスを導入させている。
11月には Gary Usher にとって重要なアルバム
The Competitors 名義の Hits Of The Street And Strip
(Dot DLP-3542/25542) がリリースされた。このアルバムで
Gary Usher はプロデューサーとしてクレジットされているが
レコーディングには Gary Usher の他に Richard Burns,
Dennis McCarty, Randy Thomas の4人で行われ、
俳優の Don Brandon がリードヴォーカルを務めた
"Little Stick Nomad" 等が収録されている。
Gary Usher も含めたったの5人でレコーディングされたためか、
音はやや控えめだがアレンジはアルバムを通じて良い。
このアルバムは Gary Usher が過去に色々なグループ名義で
リリースしてきた楽曲を用いている。
例えば "Cheater Slicks" や "426 Super Stock" 等で占められており
Gary Usher 作品の初期の集大成といえるものだ。
因みに The Competitors のシングルは当時日本でも
リリースされている。
ホットロッド第1号 / ホットロッド409 (ビクター JET-1464)
なぜかB面は The Beach Boys のカヴァー"409" に
差し替えて発売された。
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Gary Usher
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The Sunsets
LR-Dennis McCarthy, Dick Burns, Gary Usher, Les Weiser |
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17-04
The Sunsets - My Little Surfin' Woodie / My Little Beach Bunny
(7: Challenge 9208 Promo only) 1963
The Sunsets と The Four Speeds はリリースナンバーが連番なので
ほとんど同じメンバーによってレコーディングされたものと推測
されていたが、Gary Usher は根本的なリズムセクションを代えて
レコーディングに臨んでいる。
Gary Usher はカーソングを The Four Speeds で、サーフィン他の
ユースカルチャーは The Sunsets でとプロジェクト化していた。
そうする事によってヒットの可能性を2局面から見出そうとしていたという。
先ず The Four Speeds のセッションには Wayne Edwards に代え、
当時 Gary Usher の家に同居させていた Dennis Wilson をドラムスで
参加させ、"My Sting Ray" では Brian Wilson と Mike Borchetta も
バックコーラスで参加させている。(因みに My Sting Ray は
Gary Usher が Dennis Wilson の為に書いた曲)
Bass には Frank Fayad (後に Arthur Lee 率いる Love に参加する)を
Dick Burns のバンド The Indigos から参加させた。
Brian Wilson は当時から自分の声が大きくフューチャーされ、それが元で
父親 Murry Wilson とトラブルが起こる事に神経質になっていた。
それを理解している Gary Usher もまた Murry Wilsonとトラブルになるのを
避けるために Brian Wilson の声が目立たないように神経質になっていた。
このセッションではリリースされた2曲の他に Mike Borchetta と
書いた "Barefoot Adventure" もレコーディングされたが、
これはお蔵入りとなった。
R.P.M. / My Sting Ray の2曲は共にヴォーカル入りのアップテンポの
ホットロッドナンバーで、63年初頭のリリースを考えれば驚くほどの
出来の良さである。
JANUARY 1963 WESTERN RECORDERS
R.P.M. / My Sting Ray / Barefoot Adventure
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar, Lead Vocal
Dick Burns - Bass, Back Vocal
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Dennis Wilson - Drums
Frank Fayad - Bass
Mike Borchetta - Back Vocal
Brian Wilson - Back Vocal
この The Four Speeds は Gary Usher も含めた4人で写っているプロモ
写真が残されておりカリフォルニアではローカルヒットとなり実際にショーで
出演して演奏していた。この"R.P.M." は San Fernando から火がつき、
一気に Los Angeles や Orange County のラジオ局までオンエアー
プレイを始めた。もちろん友人の Roger Christian は毎晩この曲を
プレイしていた。またこのローカルヒットという意味においては
Mike Borchetta のプロモーションの功績も大きい。
そして Gary Usher はここで「愛車賛歌」というホットロッドミュージック
シーンの一つのスタイルを確立させたのだ。
過去カントリーブルーズや R&R やロカビリーシーンにおいて改造車を
題材にした曲は確かに存在した。それらの多くは富の象徴として
キャデラック等を題材にしたり、またそれを皮肉った歌だった。または
ローカルカーレースの風景描写をした曲や反抗のイメージとして警察との
対立を描いたものだった。ティーンのライフスタイルとしてホットロッドを歌い
若いリスナーの共有意識を持ちかけたイディオムとしてのロックンロール
はまだ開拓されていなかった。Gary Usher が書いた"409" や "R.P.M."は
これに続くホットロッドテーマミュージックの新たな扉を開いたのだ。
彼らは The Sunsets として、または The Four Speeds としてステージに
上る時は基本的にこの4人で編成していた。彼らは要求される
スタイルに応じて二つのステージバンドをこなしていたのだ。
Los Angeles 近郊の東部 Alhambra に The Savoy というクラブがあった。
彼らはそこにブッキングされステージライブを行った。そこのハウスバンドで
あった The Savoys と共演した時だ、Les Weiser が Sax Solo を派手に
プレイしている最中にバランスを失って倒れこみ、隣にいた Gary Usher も
デッキに足をひっかけ Dennis McCarthy ともどもステージに倒れた。
みんなは爆笑だった。しかし Les Weiser は演奏を中断させず
熱いプレイを続行したという。
Capitol Records のA&R 部門の幹部の Karl Engemann は Len Barker
から「テレビのゲーム番組のホストを探している」と依頼を受けた。
主催者側は「The Lettermen がいい」と要求してきたがスケジュールの
都合で、他のグループを探す事になったらしい。Karl Engemann は
The Lettermen のメンバー Bob Engemann の兄で The Lettermen
のスケジュールも管理していた。そこに居合わせた Gary Usher に
Karl Engemann が「やってみるか?」と打診した。
Gary Usher は「The Four Speeds としては出演できないけど The Sunsets
としてなら出演できる」と答えた。その契約は1人につき$100 のギャラだった。
Gary Usher が主催者に電話をしたところ「君達は Capitol Records の
契約下にいるのか?」と訊ねられ、Gary Usher は躊躇しながらも
「はい、そうです」と答えた。聴けば主催者側はホスト役に古いタイプの
ヴォーカルナンバーを歌ってほしいと依頼してきた。
すぐさま Gary Usher は Richard Burns に電話でテレビ出演を伝え、
古いヴォーカルナンバーの練習に入った。
因みに Karl Engemann は後1966年に Brian Wilson からアルバム
Smile の製作準備や詳細を聴かされた。彼はそのプロジェクトを許可して
Capitol Records にこの計画を議題上で通達した人物としても知られる。
4月には The Sunsets のセカンドシングル Playmate Of The Year /
Lonely Surfer Boy (Challenge 9198) がリリースされている。
このA面は Gary Usher 作の軽快なアップテンポナンバーで
リードは Richard Burns がとっている。B面はリパブリック賛歌を
アレンジしたもので Usher-Christian-Borchetta の共作クレジットと
なっている。録音は Western Recorders で行われており録音は3月に
完成させられた。
MARCH 1963 WESTERN RECORDERS
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar,
Back Vocal, Lead Vocal on "Lonely Surfer Boy"
Dick Burns - Drums,
Back Vocal, Lead Vocal on "Playmate Of The Year"
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Les Weiser - Sax, Back Vocal
しかしそのシングルA面の "Playmate of the Year" のレコーディングに
Brian Wilson は非公式に参加した。
Brian Wilson は1963年の夏、Gary Usher とルームメイトだった。
Brian は父親 Murry Wilson の支配から逃れる必要があり、
ちょうど Brian は6月に21歳になる時期だった。
Brian は父親のプレッシャーから離れて一人で過ごせるよう、
Gary Usher と部屋を用意した。Brian Wilson が5月に Jan & Dean に提供
した "Surf City" が6月16日をピークに全米1位の大ヒットとなり
この出来事のせいで、Capitol Records の幹部連中は激怒した。
Capitol Records は Brianがその曲を提供しただけでなく、
その曲でも歌ったことに腹を立てた。
そのため Brian Wilson と Gary Usher は "Playmate of the Year"
の彼の関与を秘密にしていた。
更に8月には The Sunsets の3rd シングル My Little Surfin' Woodie /
My Little Beach Bunny (Challenge 9208) を発表。録音は7月に完成した。
JULY 1963 RADIO RECORDERS STUDIO
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar, Lead Vocal
Dick Burns - Bass, Back Vocal
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Wayne Edwards- Drums, Back Vocal
両面 Gary Usher-Roger Christian の共作、プロデュースは
Gary Usher が担当。
A面は当初 "Surfin' Woodie" として Gary Usher と Roger Christian,
Brian Wilson の3人によって書かれ、その後映画
Muscle Beach Party で収録されている。このシングルでは両面とも
Gary Usher がリードヴォーカルをとっている。A面は曲調といい、アレンジと
いいこの時期の典型的な Gary Usher Sound だ。
B面の方は、やや引きずるようなミドルテンポの曲でこれは当時未発表ながら
The Astronauts もレコーディングしている。
The Astronauts の録音は The Sunsets がリリースした8月の一ヵ月後の9月で
どのような経緯でこの曲が録音されたのか興味深い。
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Brian Wilson
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Roger Christian |
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Jerry Cole |
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17-05
The Scramblers - Chop 74
The Scramblers - Big Race
The Scramblers - 650 CC
(LP: Crown Records CLP 5384 mono / CST 384 stereo) 1963
Tracks from their album "Cycle Psychos"
御存知有名セッションギタリストの Jerry Kolbrak (Jerry Cole)
が請け負ったバイカーの廉価盤アルバムから。
興味ぶかいことにビバリーヒルズの有名なヘア スタイリストの
Gene Shacove がこのアルバム制作のリーダーとしてクレジット
されているが、セッションに投資したのは彼だろう。
Jerry Cole は “Tequila” でも有名な The Champs の
ギタリストで自身の Jerry Cole And His Spacemen や
The Hornets の他にも Gary Usher 関連の The Super Stocks,
The Kickstands, The Knights, Mr. Gasser & The Weirdos
にも参加している。
その中でも特に有名なのがシングルカットもされた
The Super Stocks "Thunder Road" で聴かせる超絶ギターだろう。
当時 Jerry Cole は Crown Records 他のさまざまな低予算アルバム
の架空のユニット名義の作品に参加しており、本件もその一つだ。
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Gene Shacove |
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17-06
Bob Vaught And The Wheels - Doin' The Surf / Surfin' In Paradise
(7: Felsted 45-8682 Promo only) 1963
AKA Bob Vaught & The Renegaids (GNP Crescendo GNP 83/GNP 83S)
Bob Vaught & The Renegades (GNP Crescendo GNP 193x)
Beach Boys ファンならずとも Surfin' Hot Rod コレクターなら注視する
Bruce Morgan 作曲、Hite Morgan のプロデュース作品。
A side
Written by B. Morgan, R. Vaught
(Bruce Bowman Morgan, Bob Vaught)
Flip side
Written by R. W. Vaught
(Robert Wismar Vaught = Bob Vaught)
Both sides Produced by Hite B. Morgan.
ソングライターの Bruce Bowman Morgan は1932年生まれで
カリフォルニア州ロサンゼルス出身のソングライター兼エンジニア。
Morgan studio のオーナー Hite Morgan と Dorinda Morgan の息子。
彼は実際には母の Dorinda Morgan が書いた "Chapel Of Love" など、
母親の作詞作曲の功績を継承している。
Bruce Morgan は1961年、The Beach Boys のデビューシングル
Candix 331 のB面となる"Luau" を作曲。
また、1962年に The Beach Boys の初期のスピンオフである
Kenny & The Cadets "Barbie" (Randy Records 422) も作曲。
彼は Stereo Masters でキャリアをスタート。
1970年にElektra Sound Recorders に入社し、最終的に
チーフエンジニアに就任。Lady Luck records のオーナーになる。
プロデューサーの Hite Bowman Morganは、妻の Dorinda Morgan
とともに、1961年と1962年に The Beach Boys の初期の
レコーディングとプロデュースを手掛けた。
それは The Beach Boys が Capitol Records と契約する前のことで、
数年にわたる訴訟を経て、これらのレコーディングは
2016年に「Becoming The Beach Boys: The Complete
Hite & Dorinda Morgan Sessions」としてようやくリリースされた。
彼は1974年に亡くなり彼の死後、息子の Bruce Morgan が
彼らのビジネス上の懸念とリリースを指揮した。
Members are
Bob Vaught - Guitar,
J. Gordon Smith - Rhythm Guitar,
Dave Vaught (David Vaught) - Bass,
Jerry Feliciello - Saxophone,
Neal Nissenson - Drums.
ベース奏者の Dave Vaught はレコーディングエンジニア、プロデューサー
でもある。彼は11歳の時にベースとエレキギターを弾き始め、
13歳の時に Crescendo Records で Bob Vaught & The Renegaids の
アルバムレコーディングに参加した。1948年11月27日生れの
Dave Vaught は本件シングルのレコーディングの際14〜15歳で
参加となるから驚きだ。このバンドのリーダーの Bob Vaught は
彼の兄だろう。Dave Vaught はその後、Modern Folk Quartet の
Jerry Yester の妻で「ビートニクの女王」こと Judy Henske の
ヴォーカルをフィーチャーしたバンド Rosebud とレコーディングし
Reprise records からアルバムをリリースした。
70年代には、Tom Waits や Roger McGuinn などの著名なアーティストと
レコーディングを行い、プロデューサー、コラボレーター、
長年の友人である Jerry Yester とともにベースギタリストとして
多くのレコードに携わった。彼は70 年代に音楽監督を務めた
The Association のレコードを録音および共同プロデュースし、
カリフォルニア州サウザンドオークスのスタジオで、
Toad The Wet Sprocket や Primitive Radio Gods の
プラチナアルバムを含む多くのレコードのプロデュースと
エンジニアリングを行った。
彼はまたカリフォルニアの代表的なバンド The Flaming Pitts の
創設メンバーでもあった。
2013年3月20日に彼は膵臓癌で亡くなった。
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Dave Vaught
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Hite Morgan
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Jan Davis |
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17-07
Jan Davis - The Surfing Matador
(7: Aljo A-104) 1963
Jan Davis - Snow Surfin’ Matador
(7: Smash Records S-1863) 1964
The Ventures ファンにはお馴染みの名ギタリスト
Jan Davis は長いキャリアーを誇るミュージシャンだ。
本件シングルは1963年に Hollywood のローカルレーベル
でリリースした “The Surfing Matador” (Aljo A-104)
のリメイク盤で、翌年 Smash から “Snow Surfin’ Matador”
としてリリースされた。
彼は1958年に16歳で Teen pop singer としてデビューシングル
She Told Me / Destination Love (Guild Records 1900)
をリリースした。そして Teen style のバラード曲のセカンドシングル
Blue Guitar / I Had A Girl (1st President 426) を1960年6月4日
にリリース、その後インスト曲のシングルを Rendezvous Records
から3枚リリースしている。
Jan Davis And The Ricco-Shays -
Sleepless / Damascus (Rendezvous Records R-131)
1960年11月4日
Jan Davis -
Sabre Dance / Hop, Skip And Jump (Rendezvous Records R-149)
1961年5月1日
Jan & Lou (Jan Davis & Lou Josie)
Leaving Town Tomorrow / Echos Of Summer
(Rendezvous Records R-162) 1961年10月
そして1962年から同じレーベルの B. Bumble & The Stingers
に客演ギタリスト、アレンジャーとして参加、彼らの有名な
ヒット曲 "Nut Rocker" のB面曲 "Nautilus" は Jan Davis が
書いた曲で本人も演奏している。
当時彼は Studio musician として雇われており、
Dick Dale の "Misirlou" でも Jan Davis は客演している。
1963〜1964年に旧友の Lou Josie のプロジェクトユニット
The Ho-Dads (Imperial) で素晴らしいギタープレイを披露し、その合間に
Jan Davis - The Surfing Matador / Scramble (Aljo A-104) 1963
をリリースし、それを Smash が買い上げて1964年1月に
Snow Surfin’ Matador / Scramble (Smash Records S-1863)
としてリリースした。Jan Davis 得意のフラメンコギター
故に “The Surfing Matador” だったのが、
何故 “Snow Surfin’ Matador” と “Snow” を入れたのだろうか?
それは既に1964年1月になれば Surfin から脱却して
Ski テーマが Hot Rod テーマと同時進行的にスタート
したからだ。事実1964年に Lou Josie & Jan Davis は
The Ho-Dads 名義の “Space Race” で宇宙に飛んで行った。
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Jan Davis |
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Frank Gari
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Jim McGuinn (後の Roger McGuinn)
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Bobby Darin
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Terry Melcher |
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17-08
City Surfers - Beach Ball
(7: Capitol Records 5002) 1963
このスタジオユニット City Surfers について語るとなると
参加したメンバー各人の人生を語らなければいけないので
それは回避して、ざっくりと記述する。
Bobby Darin と Terry Melcher が設立した音楽出版社で
プロダクション T.M. Music のユニットが City Surfers である。
歌手としても成功していた Bobby Darin は T.M. Music 設立後
Wayne Newton と契約し "Danke Schoen" を T.M. Music で
プロデュースをした。これは Wayne Newton をブレイク
させるヒットとなった。Bobby Darin は当時 Jim McGuinn
(後の Roger McGuinn) をバックアップ・ギタリストと
ハーモニーシンガーとして雇った。それは急成長している
音楽分野であった Folk music の要素を自身のレパートリー
に追加させたかったためだった。そして Bobby Darin が
所有するナイトクラブのバンドで Jim McGuinn に12弦ギターを
演奏させていた。それはまだ The Byrds 結成前の事だった。
Jim McGuinn がオリジナルソングを書き始めたので
New York City の Brill Building 内に T.M. Music のオフィスを
開いた際に Bobby Darin は週35ドルで Jim McGuinn と
ソングライター契約をした。約1年半後、Bobby Darin は
病気になり、歌手を引退した。
City Surfers のメンバーは下記4人だ。
Bobby Darin (drums), Jim McGuinn (Roger McGuinn. guitar, vocals),
Terry Melcher (vocals, piano), Frank Gari (vocals).
Frank Gari は1950年代後半から1960年代初頭まで
人気の歌手でソングライターだった。
Frank Gari は Jim McGuinn と共作で "Beach Ball" を書いて
City Surfers のデビューシングルとして録音した。
以前、私が Frank Gari の甥っ子である Alzo (Alzo Fronte) に
インタビューした時に教えてくれたが、当時 Frank Gari は
The Beach Boys style の Surf song に夢中になっていて City Surfers
の続編がしたくて The Beachcombers (Diamond Records Inc D-168)
を製作したらしい。
で、本件 City Surfers では病気の Bobby Darin の声に問題があったので
Bobby Darin はヴォーカルを入れずにドラムを担当した。
A面は Frank Gari と Arthur Resnick の共作だが
Arthur Resnick は Kenny Young の初期コラボレイターとして
The Drifters "Under the Boardwalk" を書いた。
Arthur Resnick はその後 Joey Levine とのコンビでスタジオユニット
The Third Rail を結成したり Ohio Express "Yummy Yummy Yummy"
他、バブルガムポップでも多数ヒット曲を書いた。
B面は当時22歳の Kenny Young の単独作で、彼は T.M. Music
に入社したばかりだった。彼もまたその後多くのヒット曲を書く。
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Gary Paxton |
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17-09
Gary Paxton - The Scavenger
(7: Garpax 45-44177) 1963
Skip & Flip や Hollywood Argyles でも有名な Gary Paxton が、
自らの節税レーベル Garpax で本件ホットロッドソング "The Scavenger"
を1963年6月にシングルリリースした。
迫力のある車の効果音を冒頭に入れた Dion スタイルのかっこいい
ロッカーチューンで女性コーラスをバックに従えている。
この女性コーラスは The Surf Bunnies だろう。
何故なら彼女達の歌は全て Gary Paxton のスタジオで録音されてる。
作詩を担当したのは後にハリウッド映画で有名スタントマンになる
Paul Nuckles で、彼は Bobby Pickett “Monster Motion” も書いており
Gary Paxton とは The Captivations "Speedshift"
(Garpax Records GP-44198) も共作する。60年代後半からスタントマン
として多くの作品に出演し映画 Saturday Night Fever,
テレビシリーズ CHiPs (白バイ野郎ジョン&パンチ)、
Miami Vice 等の有名作品でも危険なシーンを担当した。
この “The Scavenge” は Gary Paxton にとって意味の
深い曲となる。
話し変わって、ロスアンジェルス東部の El Monte 出身の
Douglas Salamanca は高校時代の友人 Freddy Ruiz とチカノ系デュオを
組んで Doug and Freddy としてデビューし、2枚目のシングルで
Gary Paxton-Kim Fowley が共同プロデュースした曲をリリースした。
その後 Kim Fowley の下で The Memories (Old Sound 809)
の変名で彼らは1枚シングルをリリースした。1961年になって
彼らは元のデュオ名義で Gary Paxton のプロデュースによる
Teen Doo-wop シングル Take A Chance On Love / And I Know
You're Lyin' (Finer Arts 101)をリリース。
1963年8月になって1枚のシングルがリリースされた。
Doug Salma and Highlanders - Highland Fling / The Scavenger
(Philips 40131) これはB面に Gary Paxtonの自信作が
収録されており、この歌は11月にリリースされる Dick Dale の
アルバム Checkered Flag (Capitol T/ST-2002) にも収録され
そこが Gary Usher と Gary Paxton の最初の接点となる。
その後も Doug Salma は Lord Douglas Byron の変名で Big Bad Ho Dad,
Surfin’ Santa 等の Surfin' Novelty song をリリースした。
1963年11月に Dick Dale が Checkered Flag (Capitol T/ST-2002)
のアルバムをリリースしたが、この中で "Mag Rims" を "Mag Wheels"
と改題して取り上げている。Dick Dale はこのアルバムの中で他にも
"Big Black Cad" や "426 Super Stock" といった Gary Usher の曲を収録。
これらは Gary Usher 達がバッキングに参加したものだ。
更に Gary Usher はこのアルバムでノンクレジットながら
"The Scavenger" と "Grudge Run" の Gary Paxton が書いた2曲を
除いた10曲でアレンジを担当したという。
Gary Paxton は共通の友人でもある Kim Fowley に Gary Usher
を紹介され、この Dick Dale のアルバムで共に名を連ねる事となった。
その後この二人は The Captivations や The Road Runners 等を
手掛けてる。
因みに Dick Dale And His Del-Tones "The Scavenger" (Capitol 5048)
は9月30日にシングルカットされておりファーストプレスで
“The Scavanger” と “ve” とすべき部分を “va”とミスプリントして出荷、
その後回収して正しく "The Scavenger" と印刷された。
結局このシングルは10月26日をピークに全米98位のヒットとなった。
I got a real boss car
Makes all the others look sick
It’s a brand new Dodge dual quad 426
It got a positraction rear
And a four speed on the floor
And if you ever choose me
You never ask for more
‘Cause it’s the scavenger (Scavenger)
Yeah the scavenger (Scavenger)
I said it goes, it goes, it goes…
Well I shut down the beach for in their 409
I was halfway through the quarter
And they were still on the line
Then they tried their Stingray
We were racing just for kicks
But all they saw was the tail lights on my 426
‘Cause it’s the scavenger (scavenger)
Yeah the scavenger (scavenger)
I said it’s mean, it’s mean…
(Instrumental)
So if you ever go out of draggin’
And you got a real hot car
Try me if you want to
But you won’t get very far
You’ll think you’re in reverse
And it might even make your sick
When the slicks start smoking on my 426
‘Cause it’s the scavenger (scavenger)
I said the scavenger (scavenger)
Don't you know it’s bad, It’s bad…
Oh the scavenger
I said it’s the scavenger
I said it’s the scavenger
(Fade out)
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Paul Nuckles |
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Dick Dale |
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17-10
Dick Dale And His Del-Tones -
Surfin' And A-Swingin' / Secret Surfin' Spot
(7: Capitol 5010) 1963
1963年5月にFrankie Avalon が Gary Usher の曲 Beach Party
(Chancellor 1139) をリリース。これは Gary Usher と Roger Christian
の共作で1963年8月に劇場公開される映画 Beach Party の主題歌の
先行発売シングル。この曲は後にリリースされる名曲 "Competition Coupe"
のプロトタイプとなる曲で、"Beach Party" は劇中では Annette と
Frankie Avalon の二人によって歌われた。二人はそれぞれにこの曲を
レコーディングして発売している。Frankie Avalon 盤 "Beach Party"
のB面には Gary Usher 作ではないがやはり映画で使われた曲
"Don't Stop Now" が収録された。B面は Russell Faith と
Frankie Avalon のマネージャー Bob Marcucci の書いた曲。
Gary Usher によれば両面とも彼と Dick Burns 率いる The Troops
がバックコーラスでレコーディングに参加しているとのこと。
出来は良かったが Frankie Avalon のレコード面での人気に陰りを見せていた
時期のレコードであったためにチャート上のリアクションは
小さいものだった。因みに Frankie Avalon はこのレコードを
リリースした後間もなくしてレーベル を United Artists へと移籍している。
Frankie Avalon のB面となった "Don't Stop Now " はファズギターが
効果的なアップテンポなダンスナンバーだが、映画 Beach Party で使用
された曲のセッションと同じく Sunset Studio と Gold Star Recordings
Studio で録音された。実は Frankie Avalon のリードヴォーカル
(劇中では Annette とのデュエット) を後からトラックダウンしたのだ。
Gary Usher らはクレジットされていない事に不服を感じながらも
チャージを受け取りこれら業界の風習を知った。Gary Usher はこの契約社会
においてバックミュージシャンの The Troops を契約下に登録して
いなかった事を後悔した。事実 Gary Usher は Frankie Avalon の
為のマスターテープを作成するまでに Dick Burns らと何度もセッション
を行っている。映画での曲の使用権、またそのセッションで録音された
演奏は異なるレコード会社に所属する Frankie Avalon のシングルで
使用されたのだ。複雑な事にこの映画にも出演した Dick Dale も劇中で
使われた2曲 Surfin' And A Swingin / Secret Surfin' Spot
を録音する事になる。注意しなければいけないのはこれらの曲が
最終的に誰の功績になるのかだ。
American International Pictures の Al Simms は「第一に、君の曲が
Les Baxter のスコアに加えてサウンドトラックに組み入れられるので、
君にとって多くの利益を出すだろう。さらに、フィルムの中で注目される歌、
および追加ボーナストラックを収録するだろう、よって君のスクリーン上の
功績がさらに認められるだろう。Annette と Frankie Avalon による
これらの歌がレコード化され、君にとってよいチャンスを得ることが
できるだろう」と Gary Usher に言った。Gary Usher と Roger Christian は
この映画のサーファーが水に潜るシーン等の撮影に参加してみたが、
アシスタントディレクターの Clark Paylow にメガフォンで怒鳴られ
「お前ら邪魔だから退け!」と言われた。
冬場の撮影ながら主演の Annette と Frankie Avalon がNG を出す度に
水に濡れた体を震わせながら浜辺で待機していたと言う。
また「今度はそこを歩け」と指示され通行人役ながら二人は散々な目にあっている。
しかし Gary Usher は映画に出演できた喜びとともにこれら映画制作の
舞台裏を知る。Gary Usher はスタジオを見学しながらもアイディアが浮かべば、
どこでもノートに書きこんで曲を作っていた。
それは彼ならではのユーモアと特有の観点から構成したサマーヴィジョンだった。
この映画はカリフォルニアサウンドの先駆けで視覚的にビーチライフスタイルを
全米に公開したと言う意味でも重要なポイントとなる。
映画の中で収録された6曲の歌のうち、サーフィン&ビーチに関連する3つの曲は
Gary Usher と Roger Christian が書いたものだ。タイトルソングの
"Beach Party" "Secret Surfin' Spot" "Surfin' And A Swingin"
その3曲はすべて新鮮で、活発的で、当時のアメリカの平均的
ティーンエイジャーが捜していたヴィジョンを集約していた。
このアルバムでは当時 A.I.P. のビーチムーヴィーの為の
専属ソングライターコンビだった Guy Hemric & Jerry Styner の書いた曲も
収録されており、彼らもまた Gary Usher らと同様に Gold Star Recordings
のスタジオで録音していた。因みに Guy Hemric & Jerry Styner はその後
Jack Keller と共作で The Westwoods "I Miss My Surfer Boy Too" と言う
The Trade Winds へのアンサーソングを書き、Gold Star Studio で録音した。
オリジナルサウンドトラックアルバム Beach Party は映画公開に
合わせてリリースされる。(Buena Vista BV-3316 Mono / ST-3316 Stereo)
因みに日本ではシングルカットがされている
Beach Party / Swingin' And Surfin' (コロムビア Disneyland LL-558-BS)
映画は日活映画配給で Beach Party は公開されたのだが
邦題「やめないでもっと」と言う凄まじいタイトルが付けられていた。
因みにB面の Swingin' And Surfin' は Gary Usher-Roger Christian の
書いた曲で、その後7月にアメリカでは Dick Dale - Swingin' And Surfin'
としてシングルカットリリースされた。
7月には Capitol から Gary Usher 関連の本件シングルが
リリースされた。Dick Dale & The Del-Tones -
Surfin' And A-Swingin' / Secret Surfin' Spot
(Capitol 5010) 両面ともに Gary Usher と Roger Christian 作で、
映画 Beach Party に出演した Dick Dale 自身によって劇中で歌われている。
レコーディングには Gary Usher や彼のミュージシャン仲間達が
ノンクレジットながら参加しているとのこと。
A面のタイトルは当初 "Swingin' And Surfin'" として完成されていた。
Dick Dale は友人の Leo Fender (Fender 楽器のオーナー) に注文し
携帯用リヴァーヴユニットを開発させた経歴を持つ。左利きギターリストの
Dick Dale はフェンダーストラトキャスターを小刻みに奏でる
スタッカート奏法で強烈なリヴァーヴをかけた。このへヴィーなサウンド
で彼は人気を博していた。その凄まじいサウンドは大きなうねりと
迫力を持ったもので、彼の素晴らしいピックさばきはサーフギター
のみならずギタープレイスタイルにおいて革命的な存在だった。
Gary Usher はこう語っている「私と Dick Dale の最初の出会いは、
彼が映画 Beach Party の中で私と Roger Christian が書いた曲を
歌うことになった時でした。私は彼と映画のセットの上で会いました。
彼は当時西海岸ではビッグな存在だったので、彼のボディーガードもしました。
当時彼は黒いキャディラックに乗ってました。その後、私と彼は一緒に
スタジオに入り彼が映画で歌う2曲をレコーディングしました。
私は彼と出会うちょっと前にプロデューサーになったばかりだったので、
彼のようなビッグなアーティストと仕事ができるなんて信じられませんでした。
しかも私がプロデュースをし、バッキングに加わったそのレコードは
L.A. のチャートのトップ10に入ったのです」
そして King Of The Surf Guitar と呼ばれていた Dick Dale も
Gary Usher との出会いによってヴォーカルナンバーを多く
取り上げるようになった。
因みにフランス盤の EP ではバックコーラス無しの "Secret Surfin' Spot"
が収録されている (France Capitol EAP-1 20554)
Dick Dale And His Del-Tones - Surfin' And A-Swingin'
Well, I looked at the heavies, they were rollin' in fast
I knew I'd better make it, 'cos I just don't blast
I'm surfin',
Surfin', swingin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - the only life for me
I'm surfin'
Yeah, I'm surfin'
I'm hot-doggin' on my board, gonna have me a fall
Gotta good ride and that was all
I'm surfin',
Surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
Just surfin'
Yeah, just surfin'
Well, I looked at the beach, there was nothin' but chicks
Rolled breakin' in, gonna get my kicks
I'm surfin',
Surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - the only life for me
I'm surfin'
Yeah, I'm surfin'
Just surfin'
Great guitar break
I met a little blond and asked her for a date-er
She said "c'mon, honey, you can watch the board later"
I'm surfin',
Surfin', surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
I'm surfin'
Yeah, just surfin'
A-ha
Drum break
Yeah, surfin', baby, just a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
I'm surfin'
Just surfin'
Just surfin'
Surfin'
C'mon surfin'
Well, I'm surfin'
Oh, sufin'
Let's surf...
Dick Dale And His Del-Tones - Secret Surfin' Spot
Well, along the coast past Malibu
I make it everyday after school is through
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
Well, I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woodie and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
My secret surfin' spot is the talk of the school
When they ask me I play it real cool
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
Yeah, I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woodie and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
Great guitar break
I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woody and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam
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Gary Usher
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Roger Christian
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Zeke Sheppard |
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17-11
Zeke Sheppard - Snow Surfin'
(7: Canada President Records P. 831) 1963
(7: President Records 45-831) 1963
カナダ出身のシンガーで、後に Nashville でカントリーシンガー
として成功し、最終的には Florida に移住した
キャリアーを持つ Zeke Sheppard の初期シングルで
スキーテーマのストンパーチューンに
サックスブレイクを導入している。
これは同年にアメリカでもリリースされており
3種類のプロモ盤も確認されている。
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Tommy Roe |
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17-12
Tommy Roe - A Wild Water Skiing Weekend
(7: ABC-Paramount 45-10555) 1964 南部 Georgia 州 Atlanta 出身の Tommy Roe が
歌ったのは湖上のスキー、Water Ski だ。
作者は同じく Atlanta の人気作家 Ray Whitley と
ノヴェルティーシンガー Ray Stevens のパートナーとして
有名な Buddy Kalb の二人だ。プロデュースは Felton Jarvis で
彼は1966年 - 1977年に RCA Victor producer として
殆どの Elvis Presley の録音を担当した、
Water Ski とは海や湖でスピードボートにチューブで
引っ張られ振り回され、波を飛び越えとボード運転手との
共同作業で楽しむレジャーである。
Surfin’ & Hot rod コレクター、それは60年代の
若者のライフスタイルの探求者であり、レジャーや
リゾート系ソングの調査団であり、快活なサマーソング
または懐古趣味的な過ぎ去りし夏を歌った
サマーバラードへの憧憬を持つ。早い話が大人になっても
子供 (ガキ) 心を持った特殊 (バカ) な人である。
私は実践派として様々なアメリカのレジャースポーツに
挑戦してきた。その昔、私が若かった頃にアメリカで
Water Ski を体験して、湖で振り回されて落とされた。
「シェーン、お前またワザと振り回しやがって!」
「ワハハハ、ごめんごめん、クシャミした弾みで
急加速ターンをしてしまった」
「救命胴衣か浮き輪を投げてくれ」
「そんなのねえよ」
ブクブクブク。。。。。。
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Water Skiing |
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Danny And The Juniors |
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17-13
Danny And The Juniors - Let's Go Ski-ing
(7: Mercury 72240) 1964
1957年12月9日をピークに全米1位となった
ロックンロール史上に燦然と輝く金字塔作品
"At The Hop" を歌った Danny And The Juniors と
その作者 John Madara and David White が書いた
Surf style によるスキーテーマ曲。
そこに1961年7月3日をピークに全米7位の大ヒット
"Pretty Little Angel Eyes" を持つ Curtis Lee までもが
アレンジで参加。どうしても当時の全米の人気作家達は
Surf style でウーウーコーラスを入れたロックンロールが
やりたかった。しかし1964年3月7日にリリースされた
本件シングルはアンラッキーだった。
1963年11月22日にケネディ大統領暗殺事件が起こって
1964年にマーケットはラブソングやハッピーソングの
類の明るいポップミュージックの殆どをメジャー各社は
自粛しリリースキャンセルをしたり、プロモーション活動も
出来ずに回収した。本件シングルもそんな時代の中で埋没して
しまい、この名グループも1964年に解散に至った。
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John Madara and David White |
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17-14 Wayne And Dwain - Ski Surfin' Man / Sand Castles And You
(7: Crusader Records C-102) 1964
Wayne Mincy と Dwain Mincy の双子兄弟。
The Mincy Twins, The Mincys とも呼ばれる。
吹雪の効果音にヨロレイヒ〜のヨーデルコーラス、
アルプス山脈でスキーを試みた時の悲劇である。
Flip side で女性シンガーのコーラスをバックに
歌う美しいヴォーカルチューンを聴けば
彼らの実力の高さが伺える。
プロデューサーの J.R. Shanklin は Wayne Shanklin, Jr. で
父の Wayne Shanklin は Frankie Laine "Jezebel" (1951)
Jerry Wallace "Primrose Lane" (1959) を書いたソングライター
兼プロデューサーだった。彼が書いた曲の中でも
最も有名なのは1958年に Art and Dotty Todd に歌わせた
"Chanson D'Amour (Song of Love)” だろう。
1977年にThe Manhattan Transfer が歌ったこの歌のカヴァーは
インターナショナルヒットとなり、当時イギリスの
シングルチャートで1位となった。
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17-15 The Misfits - Skiing Time
(7: Sound Stage 7 45-2538 Promo only) 1964
Bob Mosley (後の Moby Grape) や Ron Armstrong (後の Jamul)
が在籍していた San Diego の The Misfits とは同名異グループだ。
こちらは Chess の歌姫で Northern soul star の Jan Bradley と
彼女の Producer の Don Talty が書いたストンパースタイルの
スキーソングで、プロモ盤のみ配布された。
1964年という時流からか Surfin' music scene へのカウンター
リアクションであるのが解る。
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Steve Douglas |
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17-16 The Snowplows Featuring Steve "Shutdown" Douglas -
Schussing (Part I) / Schussing (Part II)
(7: MGM Records K-13218) 1964
本件シングルは Nick Venet の請負で Steve Douglas を
中心にセッションミュージシャン達で制作したアルバム
The Vettes - Rev-Up (MGM Records E 4193 mono / SE 4193 stereo)
からの Spin-off である。本件作曲は Steve Douglas 自身で
テーマがスキーとなってる。
Surfin’ でも Hot Rod でも良かったが、1964年から新たな
テーマミュージックとしてスキーの流行の兆しが見えてきたので
MGM Records としてもリサーチしておきたかったのだろう。
The Vettes のセッションと同じなので記述しておく
Directed by Nick Venet.
Produced by Ben-Ven Productions.
Recording members on The Vetts are
Glen Campbell, Tommy Tedesco - Guitar.
Ray Pohlman - Bass.
Jay Migliori, Steve Douglas - Sax.
Bruce Johnston, Leon Russell - Keyboards.
Hal Blaine - Drums.
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The Sunrays |
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17-17
The Rangers - Snow Skiing / Mogul Monster
(7: Challenge 59229) 1964 俳優 Douglas Fowley, 女優 Shelby Payne を両親に持つ
Kim Fowley は高校生の頃から Jan Berry, Dean Torrence,
Bruce Johnston, Phil Spector, Nancy Sinatra 等と交流を持ち
音楽活動をしていた。そんな彼の初期の仕事が本件シングルで
The Rangers とは結成間近の The Sunrays であり、
彼らの演奏能力の高さを知る絶好のプレビューだった。
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Jay & The Americans
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17-18 The Rockaways - Top Down Time
(7: Red Bird RB 10-005) 1964
The Tokens と Jay & The Americans のメンバーが録音に
参加したらしいこのシングルは1964年6月にリリースされ、
Pennsylvania 州の The Dantes が1965年7月に Rotate 45-5008
でこの曲をカヴァーした。詳細は 1-18 を確認されたし。
“Top Down Time” とは Roof Top (車の屋根)を下ろす時間、
即ちコンバーチブルの屋根を下ろして
オープンカー状態にして走る、天気の良い時間帯を
意味しており、”It’s Top Down Time again, I hope it
So long never end” 「コンバーチブルの屋根を下ろす
時間がまた来た。僕はそれがずっと続くことを願ってる」
と歌った爽快なカーソングである。
作者は Jay & The Americans, Chapter Four のメンバーの
Howie Kane-Marty Sanders.
Howie Kane = Howie Kirschenbaum.
Marty Sanders = Martin Kuppersmith.
アレンジは Artie Butler, プロデュースはレーベル設立前の
Kama Sutra Productions が行ってる。
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Artie Butler |
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Larry Finnegan |
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17-19
The Cannon Brothers - Surfin' In Bermuda
(7: RIC S-107-64) 1964
1962年2月24日をピークに全米11位の大ヒットとなった
"Dear One" (Old Town 1113) で有名なワンヒットワンダーの
Larry Finnegan である。
彼は本名を John Lawrence Finneran と言い、New York City
出身の Rockabilly シンガーソングライターだった。
彼は1966年から Sweden に移住するのだが
その前に Surfin’ movement に参加したのが本件だ。
手拍子を加えた軽快な Surfin’ pop に Farfisa organ
が良いアクセントを与えている。
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Al Hartley And The Heartbeats |
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17-20
Al Hartley And The Heartbeats -
Ain't You Glad It's Summertime
(7: Limelight Y-3027) 1964 南部 Georgia 州 Atlanta 周辺では人気を博した
バンドだった彼らがリリースした Surf style の
Beach pop で、当然ながら昔っから Surfin’ & Hot rod
コレクター達からの人気も高い名盤。
Al Hartley は本名を Allen Hartley Turpin と言う。
Al Hartley は当時 Atlanta エリアのラジオ局 WFOM の DJ
Hugh“Baby”Jarrett が始めた番組 Big Hugh Baby Hops での
演奏で有名になった。Hugh Jarrett は Elvis Presley が軍隊に
加わる頃まで、Elvis Presley のバックグループである
The Jordanaires のメンバーだった。
Don Whitehead 名義で The Funky Preacher Part I / Part II
(Ref.O.Ree 717) を1969年にリリースした Donny Whitehead は
しばらくの間 The Heartbeats でサックスを演奏していた。
彼は The Jesters のメンバーで Athens エリアの
Judge And Jury and the Embers とも共演していた。
The Heartbeats のメンバーは
Richard Turpin (drums)
Ronnie Hurley (guitar)
Mike Castellon (bass)
Butch Bohannon (keyboards)
Al Hartley はソロでシングルを2枚リリースしており
グループ名義で3枚リリースしている。
時系列に並べるとこうなる。
Al Hartley -
Debbie / Our First Date
(Scarlet SC-4000-45-V) 1958
Al Hartley And The Heartbeats -
Ev'ry Little Teardrop / I Never Knew What Love Was Like
(Hermitage 773) 1962
Al Hartley And The Heartbeats -
Ain't You Glad It's Summertime / Counterfeit Love
(Limelight Y-3027) 1964
Al Hartley And The Heartbeats -
Mr. Brown / Hold On
(Lowery 008) 1965
Al Hartley -
Sugarcane / I'm Only A Man
(Capitol 5744) 1966
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Al Hartley And The Heartbeats |
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Bruce Johnston
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Steve Douglas |
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17-21
The Kustom Kings - Notty 32
(LP: Smash Records MGS-27051 mono / SRS 67051 stereo) 1964
Written by Bruce Johnston.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.
The Kustom Kings - Hey Little Cobra
Written by Carol Connors-Marshall Howard Connors.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.
The Kustom Kings - Stick Six
Written by Bruce Johnston-Roger Christian.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.
これも John F. Kennedy 大統領の暗殺によるマーケットの鈍化
の被害を被ったアルバムの一つ。
Bruce Johnston and Steve Douglas による企画アルバムで
このユニットは1963年の The Vettes - Little Ford Ragtop (MGM)
と同じで Bruce Johnston と Steve Douglasのセッションユニット
なのだが当時の Bruce Johnson の特色がよく表れたアルバムである。
Bruce Johnston - Lead vocal, Keyboard.
Steve Douglas - Sax.
Jay Migliori - Second sax.
Tommy Tedesco - Guitar.
Glen Campbell - Guitar.
Ray Pohlmann - Bass.
Hal Blaine - Drums.
因みに日本ではアルバムからの2曲がシングルカットされた。
Tuck And Roll / Fireball (Mercury M-1089)
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The Dovells (The Woofers / The Scramblers) |
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17-22
The Woofers / The Scramblers - Dragster On The Prowl
The Woofers / The Scramblers - Hot Rod Races
The Woofers - Dragsville
(LP: Wyncote W-9011 mono / SW-9011 stereo) 1964 Surfin' & Hot Rod コレクターには The Dovells - Dragster On The Prowl
が有名なフィラデルフィアの Vocal Quartet の The Dovells だが
彼らを一躍有名にしたのは1961年に全米2位となった彼ら細大の
ヒット曲 "Bristol Stomp" である。
因みに1位は Dion の "Runaround Sue" だった。
The Dovells のグループメンバーは以下
Leonard Borisoff (Aka Len Barry: Lead and Tenor)
Jerry Gross (Aka Jerry Summers: Lead and First Tenor)
Mike Freda (Aka Mike Dennis: Second Tenor)
Arnie Silver (Aka Arnie Satin: Baritone)
The Dovells はその後数年間にわたって一連のシングルをリリースした。
その中には1963年にビルボード・ホット100のトップ・ヒットとなった
"You Can't Sit Down" も含まれていた。グループメンバーの Len Borisoff は
1963年末に脱退し、Len Barry という名前でソロ活動を始めた。
彼のソロキャリアの最高点は、1965年のヒット曲 "1-2-3" と
それに続くヒット "Like a Baby" だった。
そんなビッグネームの The Dovells だが彼らは Cameo/Parkway 系の
ハウスバンドとして同レーベルの人気アーティストのバックコーラスを
担当するという役もこなしていた。そんな彼らが時流に乗って
Cameo/Parkway 系の廉価盤レーベルである Wyncote より
変名ユニット名義でリリースした中には
The Liverpools - Beatle Mania! In The U.S.A. (Wyncote W 9001)
1964年の、あのひでえビートルズパチモンアルバムも含まれる。
そして Surfin' & Hot Rod ブームに便乗し二つのグループ名義の
アルバムをリリースしたのが本件で、名前を使い分けてるが同じ音源である。
The Woofers - Dragsville (Wyncote W/SW-9011)
The Scramblers - Little Honda (Wyncote W/SW-9048)
互いの異なる収録曲は両面の1曲目
The Woofers A-1 "Drag City", B-1 "Little Deuce Coupe"
The Scramblers A-1 "Little Honda", B-1 "G.T.O."
で、B-1 "G.T.O." に関してはエレクトリック・ステレオ・リチャネリング
による初期録音の収録となる。True Stereo ではなく初期の擬似ステレオ。
さらに細かい事を言えば、"Dragster On The Prowl" の Mono version は
The Dovells のシングルと同じだが、Stereo version はそれより20秒長い。
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Chuck Girard |
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17-23 The Go-Go's - Saturday's Hero / The Wild One
(7 : RCA Victor 47-8435) 1964
The Go-Go's は日本でも前作 "Chicken Of The Sea"がヒット
となった Perry Botkin, Jr. を中心にしたスタジオグループ
だったがこの The Go-Go's名義のセカンドシングルでは
Gary Usher 中心のセッションに変え Chuck Girard をリード
ヴォーカルに据えて製作された。
1964年9月にリリースされたこの The Go-Go's の “Saturday's Hero”
ではSaturday's Hero という歌詞は抜けている。
Saturday's Hero というソングタイトルだが歌詞では一切 "Saturday's Hero"
とは言っていない。しかし The Super Stocks のアルバム
School Is A Drag (Capitol Records T-2190 mono / ST-2190 stereo) は
1964年10月にリリースされたので The Go-Go's のヴァージョンが
この歌では first release になる。
マーチスタイルのイントロでスタートしコーラスに The Honeys が
参加した The Super Stocks version は
Saturday's Hero / School Is A Drag (Capitol 5307) として1964年10月
にシングルカットされる予定だったのだが The Beatles fever をさらに
加熱させたい Capitol Records の意向によってキャンセルされた。
内容は The Beach Boys の "Be True To Your School" と
良く似た曲で Chuck Girard の溌剌としたヴォーカルが
素晴らしい。The Super Stocks のヴァージョンも同じ Chuck Girard の
リードヴォーカルだが意図的にアップビートにして
"Be True To Your School" と差別化したようなアレンジにされた。
しかし本件 The Go-Go's のヴァージョンの方がバッキングも厚く
コーラスアレンジも冴えており出来が良い。
B面は The Hondells や The Super Stocks
でも使用した Gary Usher の自信作で、この The Go-Go's
ヴァージョンも出来が良い。
プロモ盤ではB面の作者クレジットが Garry Usher と
ミスプリントされている。因みにこの The Wild One は
The Hondells のセッションを引き継いだ Mike Curb も
録音しており The Grads - The Wild One / The Cool One
(Mercury 72364)として同じ1964年にリリースされた。
この The Go-Go's のヴァージョンは後半で1小説歌詞を
削っており、The Grads とは印象が異なる。
因みに The Grads は後に The Sandpipers と名を変え
A&M でヴォーカルイージーリスニング部門で成功する。
詳細は弊社サイトの Gary Usher Story を参照あるよ。
http://www.coolhand-records.com/surfin-gary-usher.html
Saturday's Hero (The Go-Go's version)
He doesn't wear fancy clothes like other guys do
And he doesn't have blond hair and eyes of blue
oh when it comes to football well, you better watch out
'Cause when Saturday comes You're gonna hear 'em shout
Everybody knows we're gonna win today
He the envy of the guys he can really throw a pass
When it comes to touchdowns He shows really class
all the girls go crazy just hear 'em scream
He's the undisputed captain of their football team
Everybody knows we're gonna win today
(Instrumental)
He could get any girl if he wanted to
But he goes to practice eveyday after school
Now when he gets on that field He'd different kind of guy
for he hits 'em real hard He never lets 'em get by
Everybody knows we're gonna win today
Everybody knows we're gonna win today
(Repiet and Fade out)
The Wild One (The Go-Go's version)
Wild one, Wild one, Wild one, Wild one
They said he'd do anything just for a thrill
But reckless as he was he always drove with skill
Yeah he always drove alone 'Cause he never had a friend
And every one said he'd meet a tragic end
He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Yes He had beaten the best from all over town
He'd given them a length and always shut 'em down
Those who raced with him always finished last
'Cause he drove real hard and he drove real fast
He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
(Instrumental)
Then one night it happened on a steep windin' hill
He was passin' cars like they were standin' still
He crossed the double line Yes, he took his last ride
He didn't see the semi comin' up the other side
He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
(Repiet and Fade out)
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Gary Usher
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Roger Christian |
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Robert Hider & Norris O'Neill |
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17-24
Hider and O'Neill - Let's Do The Ski / Thunder Rock
(7: Mercury 72397 Promo only) 1965
Robert Hider & Norris O'Neill の二人だが、彼らは
The Bitter End Singers, The Ivy League Trio のメンバーであり
The Bitter End Singers は New York City の Greenwich Village
の名門クラブ The Bitter End の常駐 Folk group である。
ソフトロックファンなら The Congregation - Sitting In A Rockin' Chair
(Jubilee JB 5652) のプロデューサーだった Bobby Applegate の
奥さんとなる女優でソングライター Nancy Priddy が在籍してた
Folk group が The Bitter End Singers だったと言えばピンとくるか。
本件シングルも The Bitter End のオーナーの Fred Weintraub が
行っており、言わば The Bitter End Singers からの Spin-Off
と言ってもいい。当時 The Bitter End のライバルクラブだった
Cafe Au Go Go のオーナー Howard Solomon は危機感を抱いて
The Au Go Go Singers を自身のクラブの常駐 Folk group として
結成させ、そのメンバーには後に Buffalo Springfield を結成する
若き Stephen Stills と Richie Furay が在籍していた。
Greenwich Village のナイトクラブ、コーヒーハウスとして
アメリカの Folk music scene を牽引していた The Bitter End の
The Bitter End Singers のメンバーが何故世俗的なレジャー
であるスキーソングを歌う必要があったのか。
しかもヨーデルのコーラス「ヨロレイヒ〜〜」を挿入してアルプスでの
スキーをイメージさせるバカっぷりマックスである。
恐らく Surf music scene へアプローチをかける実験的な
意味があったのだろう。本件シングルはリリースに至っておらず
プロモ盤の配布のみである。
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Mike Curb with Davie Allan |
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17-25
The Buddies - Ski Jump
(LP: Mercury Wing MGW 12306 mono / SRW 16306 stereo) 1965
蛇ににらまれたカエル
Mike Curb の前で恐縮する Davie Allan
着ているデザイナー服も値段の差がありありで、
Mike Cirb 一派の力関係を物語る恐ろしい写真である。
Davie Allan の演奏も何か怯えながらと言わないまでも
得意の豪快なギターとは程遠い優等生ギターだ。
3-12 The Buddies - I’ll Surf Around The World も参照。
Lead Vocals - Jerry Naylor (Uncredit)
Guitar - Davie Allan
Producer - Mike Curb
Buddy Holly 亡き後に The Crickets のリードシンガー
になっていた Jerry Naylor は、この Mike Curb の
Mercury Wing での一連のアルバムで全てリードヴォーカル
を担当した。彼はこのセッションの後に Los Angeles
に移りソロシンガーとしてデビューする。
因みに当時日本盤シングルがリリースされており
Ski Jump (恋のスピード・ダッシュ)
Ski City U.S.A. (あこがれのスキー・バカンス)
(Philips FL-1202) がアルバムからシングルカットされた。
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Bruce Johnston |
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17-26
Bob Sled & The Toboggans -
Here We Go (The Surfer Boys Are Going Skiing) / Sea And Ski
(7: Cameo C-400) 1966
Bobsled (ボブスレー) Toboggan (トボガンはカナダの
エスキモー民族であるイヌイットや、インディアン部族
のクリー族が使う簡単な作りのソリ) から名づけたのが
Bob Sled & The Toboggans だ。聴けば誰でも解る
Bruce Johnston の声で、彼の当時のプロジェクトユニット
の一つが本件シングルだ。Bert Berns のコラボレイター
の Garry Sherman と、黒人サックス奏者の Eddie Silvers
による Sherman-Silvers Production が制作してるが
恐らくリゾート映画にオファーするつもりだったのだろう。
B面はヴォーカルのないA面のリズムトラックにオルガンを
オーヴァーダブしたインストヴァージョン。
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Tommy Ambrose
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Rhonda Silver |
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17-27 Ski-Doo Singers - Snowmobile Safari
(7: Canada RCA Victor Recording Services M-7064) 1966
Groovy coed singers in Snowmobile theme.
Written by Dolores Claman.
Arranged by Rudy Toth.
Quartet Productions Ltd.
Engineered by Peter Huston.
Recorded by Eastern Sound Recording Studios.
Members are
Tommy Ambrose, Rhonda Silver, Pat Van Evera, William Van Evera.
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17-28
Billy And The Kid - Shut Down Again
(7: Decca 31951) 1966
Billy And The Kids (Not "Billy And The Kid").
と名乗るグループがいくつか存在する。
Julian レーベルで2枚のシングルをリリースした
Washington 州 East Wenatchee 出身のティーンバンド
Billy & The Kids と本件グループは何の関係もない。
本件シングルは Hot Rod をテーマにしオルガンを備えた
ガレージサウンドで Bill Richmond (Sapphire Thinkers のメンバー)
によって書かた。
そして Millemka Productions (指揮者の Mitch Miller が米国で
Decca Records の新しいグループを宣伝するための
オペレーション) によって制作されている。
Bill Richmond は Sapphire Thinkers のリーダーで
ヴォーカル、ピアノ、オルガン、ハープシコード、
リズムギター、ソングライター、アレンジャーを
Sapphire Thinkers の1969年アルバム”From Within”
(Hobbit Records H. B. 5003) で担当している。
California.州 Woodland Hills 出身の Sapphire Thinkers は
その優れた Psychedelic album を1枚リリースした。
サウンドからの推測だが Mitch Miller は本件シングルの
レコーディングには関与していないと思われるが、
Bill Richmond はオルガンか何かに関わったのだろう。
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17-29
The Sea Shells - Hit The Surf / Barefoot In The Sand
(7: Jubilee 45-5587) 1967
本件シングルのスタジオユニット The Sea Shells は
New York City 出身のソングライター Robert Kalina が
中心になって作られた。彼は Bobby Kalina 名義で1962年に
When Saturday Night Becomes Sunday Morning / Two Loves
(Capitol Records 4747) をリリースしている。
これは The Tokens のプロダクションとしても有名な
Bright Tunes Productions によって制作されたシングルだ。
この Capitol シングルは Bright Tunes Productions の
スタッフライターだった Neval Nader との共作だった。
The Heatwaves の1965年のカヴァーヴァージョン (5-13 を参照)
でも有名な The Tokens "I'll Do My Crying Tomorrow" だが
The Heatwaves の方の作者クレジットは
Margo-Margo-Medress-Siegel だったが、オリジナルの1962年の
The Tokens ヴァージョンの作者クレジットは
Margo-Medress-Siegel-Kalina であり、
この Kalina が Robert Kalina だ。
即ち The Sea Shells は Bright Tunes Productions の
スタッフライター Robert Kalina によるプロジェクトユニット
だったと言える。プロデュースは当時 Jubilee/Josie で
働いていた Mickey Eichner で、彼は The Chaperones, Vinnie Monte,
Bobby Freeman 等を担当していた。
また興味深いことに、本件シングルには Orpheus (MGM) 他の
Boston 周辺のサイケデリックバンドのリリースで確立された
Boston Sound の成功者である Alan Lorber が作曲とアレンジで
参加している。Alan Lorber は Arranger, Producer, Composer で、
彼は2,000以上の録音を行い、6,000万ドル以上の売上を作った。
彼はクラシック/ロック フュージョン、東洋/西洋、ジャズ/フュージョン
で革新を生み出し、ほとんどのジャンルの作曲能力を備えていた。
Alan Lorber は1963 年に New York City 出身の最初のアレンジャー
として Nashville でレコーディングを行い、彼の New York-style の
アレンジに Nashville "Picking" をもたらした事でも有名だ。
その後彼は Nashville のさまざまなリズムセクションを
New York 録音に持ち込んだ。それを革新的に発展させたのが
彼が生み出した Boston Sound だった。
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Alan Lorber |
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Pete Fountain |
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17-30
Pete Fountain - I'm Just A Surfing Boy
(7: Coral 762561) 1969
私はその昔、このシングルを入荷させた時に笑った。
脱力系 Surfin’ music と言えばよかろうか。
Pete Fountain は言わずと知れたクラリネット奏者で
1969年にもなって Surfin’ song か?と思いきや
The Lombardo Family Tree というチルドレンコーラスに
キッズポップとして歌わせている。
しかもプロデュースを担当したのは Pete Fountain を
The Lawrence Welk Show で発掘した Charles Bud Dant だ。
彼は1964年に Decca のプロデューサーをしていた時に
「The Surfaris のアルバム Hit City '64 の製作を
手伝って欲しい」と Gary Usher を呼び寄せた人物だ。
即ち The Surfaris とGary Usher を結びつけた人物が
Surfin’ テーマをキッズポップで歌わせた訳だ。
勇ましい Surfin’ music を求める人は「史上最悪の
Surf music だ」と言い、キッズポップ愛好家達は
「素晴らしい Surfin’ pop だ」と言う。
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Charles Bud Dant |
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【戻る】【続く】 |