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Vol. 15 01 The Rockin' Continentals - The "309"
02 The Rockin' Continentals - Cobra 289
03 Ougie And The Ougots - The Big X-L
04 The Esquires - Flashin’ Red / What A Burn!
05 Randy Proffitt And The Beachcombers -
Check That Baby Out, One Time / Young Love In Spring
06 Triumphs - Surfside Date / Susie In My Hist'ry Class
07 The Fast Backs - Fast Back Coupe
08 Ricky Astor & The Switchers - Hot Rod Fjord
09 The Slough Boys - Surfin On Cedar Lake
10 The Tru-Tones - Surfin' Here We Go
11 The Crestones - The Chopper
12 D-Y And The Motivaters - Hot Rod Ford
13 The Outsiders - Go Go Ferrari
14 The Readymen - Shortin' Bread / Surfer Blues
15 The Royal Rebels - Drive-In
16 The Pastels - Circuit Breaker
17 Galaxies - On The Beach
18 Satisfactions - Girl Don't Tell Me
19 The GTO's - Girl From New York City
20 Group Therapy - Silhouetted Summer Dream
21 Tormentors - Sounds Of Summer
22 Floyd And Jerry With The Counterpoints - Summer Kisses
23 The Ascots - Summer Days
24 The Pawns - Summer
25 The Illusions - Wait Till The Summer
26 The Rising Storm - Mr. Wind
27 Mike McKenzie And The Embers - My Summer Star
28 Randy And The Holidays - Paul Revere 250
29 The Pentagons - Summer's Over
30 The Wild Things - Summer's Gone
31 The Heard - Where Has My Summer Gone
32 The Shambrels - Summer Girl
33 The Loved Ones - Winter, Summer
34 Lemon Fog - Summer
35 West - Summer Flower
36 The Higher Elevation - Summer Skies
37 The Kit Kats - You're So Good To Me
38 The Myst - Coney Island Wild Child
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Vol.15
Surfin' & Hot Rod and Summer Garage
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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The Rockin' Continentals |
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15-01
The Rockin' Continentals - The "309"
(7: Casino 1008) 1962 彼らの出身地 Kansas 州 Topeka は Missouri 州の境界に近い田舎町で
アメリカ全体の中央に位置する。Topeka トピカという市名は、
ネイティブ・アメリカンのカンサ族やアイオワ族の言葉で「ジャガイモ」
もしくは「ジャガイモ栽培に適した土地」という意味である、と伝えられている。
そんな退屈な田舎町だからこそ若者のエネルギーは満タン状態故に
時としてワイルドな傑作が生れる。メンバーは当時17〜18歳のガキ共だ。
本件は素晴しいブレイクを持ち合わせたカーテーマの
ワイルドロックンロールで、この手のピュアガレージは人気が高い。
Original members were
Johnny Thompson - lead guitar and vocals
Melvin Ralston - rhythm guitar
Chuck Dumerous - bass
Bill Doyle - drums
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The Rockin' Continentals |
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15-02
The Rockin' Continentals - Cobra 289
(7: Casino 1010) 1962 前作に続いて今度は 1962年に製造された Ford/Shelby AC Cobra の
"Cobra 289" が題材で、リードシンガーの Johnny Thompson の
友人 Ralph Sandmeyer が書いたトリビュートソング。
どう聴いても1959年の Barrett Strong "Money (That's What I Want)"
の影響下で作られた作品だ。
オリジナルのドラマー Bill Doyle は当時17才だったが、1963年末に
結婚してグループを脱退、その後釜に Bob Stanley がドラマーとなる。
The second version of group were:
Johnny Thompson - lead guitar and vocals
Melvin Ralston - rhythm guitar
Chuck Smith - bass
Bill Doyle - drums / Bob Stanley - drums
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Ougie And The Ougots |
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15-03
Ougie And The Ougots - The Big X-L
(7: Rhythm International SOA 2001) 1963 南部ジョージア州 Decatur(デーカトゥアと発音される) 出身のバンド。
同地はアメリカ合衆国ジョージア州アトランタの郊外の都市。
南北戦争のとき、現在では毎年ゴルフのメジャー選手権の一つ
マスターズ・トーナメントが開催される Augusta オーガスタから
北軍ウィリアム・シャーマン将軍によるアトランタ方面作戦では、
デーカトゥアが戦略的な場所になった。
彼らのグループ名 Ougie And The Ougots はその Augusta オーガスタ
からちなんで Oogy and the Oogots オージー・アンド・ザ・オーゴッツ
と発音する。1962年に結成されジョージア州全域でパフォーマンスを行った。
このカーソングは当時1000枚しかプレスされなかったので、今では
レアなガレージ・クラシックとして認知されている。
メンバーは全員 Decatur の Southwest Dekalb High School に
通っていた高校生である。
Gene Barfield (Vocals)
Otis Tillirson (Lead Guitar)
Eddie Zahler (Bass)
Danny Miller (Rhythm Guitar)
Creig Harber (Drums)
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The Esquires
L-R Debbie Wheeler (lead), Richard Clingman (guitar),
Marvin Gillum (guitar), Durby Wheeler (bass)
and Jim Thompson (drums) |
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15-04
The Esquires - Flashin’ Red / What A Burn!
(7: Durco Records DR-1001) 1963
California 州 Los Angeles の郊外 Pomona 出身の
バンドで、おそらくこれは双子の兄妹 Debbie and Durby Wheelerを
フィーチャーした唯一のサーフバンドだった。
本件シングルはグループ名のロゴをプリントしたスリーヴに入れた
500枚のみ彼らの自主レーベル Durco Records からリリースされた。
彼らは Beach Boys mania や Surfin' / Hot Rod コレクター達には
知られたグループで Jan & Dean の Dean Torrance のプロジェクトユニット
で Beach Boys の " Vegetables" をカヴァーした The Laughing Gravy
のシングルリリース (White Whale WW 261) を宣伝するために、
The Laughing Gravy として1967年短期間ツアーを行った。
で、本件シングルだが当時 Frank Zappa の師匠だった Paul Buff
と Brian Lord and The Midnighters で Frank Zappa と架空の
ユニットを結成したギタリストの Dave Aerni がプロデュースを
担当してる。当然録音は Frank Zappa がエンジニアーを勤めていた
Pal Recording Studio だ。
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15-05
Randy Proffitt And The Beachcombers -
Check That Baby Out, One Time / Young Love In Spring
(7: Bett-Coe Music A-103) 1963
Illinois 州の Rock Island 郡最大の都市 Moline 出身の
ガレージバンドが残した彼ら唯一の2サイダーシングル。
どこでどう接点があったのか、Elvis Presley のバックバンド兼
コーラスグループである The Jordanaires がバックで参加してる。
男性の調子に乗ったような話し言葉とリードヴォーカルを
聴かせる。そこに The Jordanaires のコーラスを入れた
サーフチューンの隠れた逸品。
全体を通して素晴らしいリッピングギターのブレイクと
かっこいいドラムフィルが印象的な作品である。
B面もエッジの効いたリードヴォーカルを備えた素晴らしい
アップテンポのサーフガレージロッカーだ。
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The Jordanaires with Elvis Presley |
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Triumphs |
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15-06
Triumphs - Surfside Date / Susie In My Hist'ry Class
(7: IFF Records 151) 1964 ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のティーン・ガレージ・バンド。
ミルウォーキーはドイツ系の移民者が中心になって行われてきた
ビールの産地として、世界的にも三本の指に入るほどの規模を誇っている。
「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」というビールのコマーシャルで、
日本でも有名になったミルウォーキーは、アメリカ最大のビールの産地である。
Triumphs は高校や大学のダンスパーティーなどで演奏する
単なるロックンロールバンドだった。
本件は彼ら唯一のリリースしたシングルだが、このストレイトに
猛爆するパンクチューンは当時ほとんど売れなかった。
実はグループのマネージャーは本業でピザを販売しており、
誰かがピザを2枚買った場合はこのシングルを無料で1枚配布したという。
そんなぞんざいな扱いだった彼らは成功の蜜さえ吸わずにこの1枚で解散した。
しかし、時間が経つにつれて、このシングルは一種のパンクサウンドの
先駆者と考えられ、多くのパンクバンドに影響を与え、
カルト的な作品となり、数多くのコンピレーションで再発された。
Tony Gazzana - Lead Vocal.
Jim Peterson - Lead Guitar.
Jim Wigdahl - Bass.
Jerry George - Sax.
Bruce Cole - Drums.
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Royce McAfee |
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15-07
The Fast Backs - Fast Back Coupe
(7: ARA 201) 1964 ARA はテキサス州ダラスのラベル (テネシー州メンフィスの ARA ではない)
Ford Mustang Fastback Coupe について歌った軽快なホットロッド
チューンである。Royce McAfee がプロデューサーを担当しており、
本件は同じレーベルの "Rolls" Royce And The Wheels (Royce McAfee) が
関連していると推測される。ただ "Rolls" Royce And The Wheels は
幾つかリリースしているが基本アフロ系のファンキーダンスインストを
リリースしているので、恐らくこの The Fast Backs は Royce McAfee の
Brainchild(ブレインチャイルド : 創造的思考や仕事の産物)と思われる。
作者の Bobby Batson, Jody Daniel はどちらも南部の作家で、
特に Bobby Batson は50年代中後期の Rock & Roll era に
Western swing を書いており、彼が書いた Pee Wee King and his Band の
Hoot Scoot (RCA Victor 6584) はなんと若き日の Dick Glasser
(後の The Ventures のプロデューサー) がリードヴォーカルだった。
話を戻して、本件 The Fast Backs だが 作者の Bobby Batson が
Ford Mustang Fastback Coupe について歌う曲を完成させたので、
プロデューサーの Royce McAfee が Ford と契約してタイアップソング
として小銭稼ぎが出来ると思って、さっそく The Fast Backs という
安易なネーミングで架空のグループをでっちあげ、
自身の "Rolls" Royce And The Wheels が演奏したのだろう。
彼は本名を Royce Lynn McAfee と言い、オクラホマ州の
マーシャル郡にある非法人コミュニティであるエイルズワース Aylesworth
で生まれた。彼は50年代と60年代には Warner Bros. と Capitol Records
に所属した Johnny Carroll and the Spinners のドラマーとして
ツアーを行った。
彼は Royce McAfee Music を所有しており、出版者でもあった。
また彼のレーベル ARA Records のプロデューサーでもある。
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15-08
Ricky Astor & The Switchers - Hot Rod Fjord
(LP: Cortleigh 1073) 1964 Dave Clark Five がメジャーグループになる前の UK Ember 1962年リリース
の2曲 "Chaquita" と "In Your Heart" は我が国では
Victor / Globe JET-1452 として1964年にシングルリリースされた。
アメリカでも1964年に Jubilee 45-5476 としてシングルがリリースされたが、
Jubilee が権利を買う前にこの2曲を収録したアルバムが奇妙な
レーベルから販売された。
The Original Recording From London England
The Dave Clark Five Chaquita / In Your Heart
と意味深なプリントがアルバムカヴァーにされたこの廉価盤アルバムは
New York の Mount Vernon Music, Inc. (Vernon Records)
から発売された。
Dave Clark Five の初期音源2曲が目玉だが、他の曲は全てでっちあげの
スタジオグループ Ricky Astor & The Switchers によるもので、
本件はその中の1曲である。Mount Vernon Music, Inc. のオーナー
George Alpert はこのアルバムをイギリス産と印象づけるために
レーベル名を "Cortleigh" とブリティッシュっぽい綴りにして
グループ名も "Ricky Astor & The Switchers" として
いかにもブリティッシュという"Astor"と名乗っている。
挙句に本件ホットロッドチューンのタイトルですらイギリス人発音を
意識した "Hot Rod Fjord" と "J" を入れてる徹底ぶりだ。
しかしサウンドはいかにもアメリカのガレージバンドが Lo-Fi 録音した
ロックンロールチューンという、面白すぎるオチ (笑)
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The Slough Boys |
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15-09
The Slough Boys - Surfin On Cedar Lake
(7: Hitran Recording Co. S-02) 1964 アメリカのハートランド (中心地) と呼ばれる Iowa 州、その東部
Cedar Rapids シーダーラピッズ出身のガレージバンドで
同地は州内第2の都市である。
シーダーラピッズはアイオワ州東部の芸術と文化の繁栄する中心であり、
アメリカ合衆国でも有名な人物の居所となってきた。
例えば、アメリカン・ゴシックの画家 Grant Wood,
ジャーナリストで歴史家の William L.Shirer,
著作家で写真家の Carl Van Vechten および
航空力学のパイオニア Alexander Lippisch 博士。
1990年代と2000年代のハリウッドでは、
俳優で Demi Moore の夫だった Ashton Kutcher,
The Lord of the Rings の Elijah Jordan Wood,
俳優で Rosemarie DeWitt の夫の Ron Livingston など
シーダーラピッズ出身の者が幾人かいる。
またミュージカル『パジャマゲーム』の舞台でもある。
「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われている
超保守的なアイオワ州が誇る芸術と文化の繁栄する中心地の
Cedar Rapids シーダーラピッズから The Trashmen "Surfin' Bird"
もどきのパンキッシュなロックンロールが生れた。
画像で解るように黒、緑、赤の三種の色の盤で
リリースされた。
一応メンバー3人によるオリジナルソングだが、
Minnesota 州 Minneapolis 出身の The Trashmen "Surfin' Bird"
が1963年で、その真下の Iowa 州 Cedar Rapids の本件作品が
1964年なのでパクリっちゃあパクリ。
超保守的なアイオワ州の人々が許すわけもなく
長い間黙殺され埋もれてしまったマイナーシングルではあるが
ガレージバンドのシンプルなロックンロールとはアグレッシヴな
勢いのみで成立する。
Members are
John Lipsky, Steve Miller, Karl Haglund
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The Tru-Tones |
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15-10
The Tru-Tones - Surfin' Here We Go
(7: TRU 11896) 1964 Michigan 州 Grand Rapids 出身のガレージバンド。
同地は Detroit デトロイトに次ぐミシガン州第2の都市である。
所謂、五大湖地域だが「海がなくてもサーフィン!」と
無いものねだり的に五大湖周辺エリアはガレージバンド
によるサーフチューンの宝庫である。
個人的な見解を言わせてもらえば、下記の The Crestones にも
言えるのだが、このエリアでは見た目におっさん風味満開の
ローカルバンドが若者の流行に必死にくらいついて
人知れずリリースしていたサーフチューンが多く存在し
私はそれを聴いて興奮する奇特な人物なので
蝶ネクタイの彼らの写真を見て涙が出るほど笑った。
笑かせてくれたのでここで得意の回文を一つ彼らに贈る
「ネクタイ痛くね?」(ねくたい いたくね)
Members are
Rod Bowman, Mickey Holiday, Bill Ridley and Chester Lee.
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The Crestones |
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15-11
The Crestones - The Chopper
(7: Markie M-127) 1964
(7: USA 835) 1966
Chicago を代表するガレージバンドで
The Beach Boys ですら The Crestones のファンだった。
Jerry Zukowski (Aka Jerry Zee. Lead Vocal, Drums)
Paul Smario (Aka Paul Mario. Guitar)
Richard Mack (Aka Dick James. Guitar/Bass/Vocals)
Richard Mack はベースとギターのダブルネックを使っていた。
初版の Markie M-127 が1964年にリリースされ
レーベル閉鎖に伴い1966年に USA 835 で再リリースされた。
その時はカップリング曲を変えられ、"The Chopper" は
B面扱いとなっている。
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15-12
D-Y And The Motivaters - Hot Rod Ford
(7: Lin Jo Records 105) 1964
Texas 州 El Paso 出身のガレージバンドで
リードヴォーカルの Doyle Young が書いたオリジナル曲。
この Doyle Young 率いる D-Y And The Motivaters という
解りやすいバンドだ。
ローカル盤特有の Lo-Fi サウンドに場末のクラブシーンを
彷彿させる風呂場のエコーがガレージマニア達から
高く評価されている。
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15-13
The Outsiders - Go Go Ferrari
(7: Cha Cha Records C-724) 1964
The Outsiders と言うのは直訳すれば「部外者」、社会的な
立場で言えば「おちこぼれ」という意味。
それ故にこのグループ名を名乗るガレージバンドやビートバンド、
パンクバンドは世界中に存在する、言わばガレージミュージック
シーンの王道的なグループ名である。
Cha Cha Records と言えば Chicago のガレージバンド御用達
レーベルだが。恐らく本件 The Outsiders も同地のバンドだろう
と思ってたらこのグループのメンバーから直接連絡あり
Indiana 州の Michigan City (州境をまたいでChicago に近い町)
の出身とのこと。インディアナのプライドなんじゃろね (笑)
クソガキが夢みたいな事言ってんじゃねえっ的な内容の歌
なので、歌詞を対訳付きで掲載しとく。
Well, now I saw that girl again the other night
(hey pretty baby, hey pretty baby)
Well, now she's my one and only, she's my heart's delight
(hey pretty baby, hey pretty baby)
Well, now I pulled in the drive-in and there she sat
With that guy in a solid gold cadillac
He's not gonna make it, he's not to cool
But he's got the finest machine in school
さて、先日あの女の子にまた会ったんだ
(やあ、かわいいベイビー、やあ、かわいいベイビー)
そう、今では彼女は俺にとって唯一無二の存在、
彼女は俺の心の喜びさ
(やあ、かわいいベイビー、やあ、かわいいベイビー)
さて、ドライブインに車を停めたところ、
純金のキャデラックに乗ったあの男と彼女はそこに座っていたんだ
彼はうまくいかないだろう、彼はあまりクールじゃない
でも奴は学校で最高のマシーンを持ってる
But I'm gonna put that other guy down
(hey pretty baby, hey pretty baby)
Gonna buy me the finest little car in town
(hey pretty baby, hey pretty baby)
Gonna save my money for many a days
So I can get that chick to look my way
Throw in all my pennies in a piggy bank
So I could shut down that big gold tank
でも、俺は他の男を引きずり降ろすつもりだ
(やあ、かわいいベイビー、やあ、かわいいベイビー)
街で一番高級な車を俺は買うぞ
(やあ、かわいいベイビー、やあ、かわいいベイビー)
何日もお金を節約するつもりなんだ
そうすればあの娘を俺にふり向いてもらうことができる
小銭を全部子豚の貯金箱に入れて
そうすれば俺はあの大きな金のキャデラックを止めることができた
Oh when she sees my ferrari, well she's gonna flip
(go go ferrari, go go ferrari)
Now she'll tell that other guy that he's a drip
(go go ferrari, go go ferrari)
Now, she'll hop in and we'll take a ride
And I'll be the king of the country side
My new ferrari is really gonna score
With the V12 engine and a five on the floor
ああ、彼女が俺のフェラーリを見たら、ひっくり返るだろう
(ゴーゴーフェラーリ、ゴーゴーフェラーリ)
今、彼女は他の男に奴が点滴患者であることを伝えるだろう
(ゴーゴーフェラーリ、ゴーゴーフェラーリ)
さあ、彼女が飛び乗って、一緒に走り出そう
そして俺は田舎の王様になるぞ
俺の新しいフェラーリは本当に人気になるだろう
V12エンジンと5速ミッションを搭載
(go go ferrari, go go ferrari)
(go go ferrari, go go ferrari)
(go go ferrari, go go ferrari)
(go go ferrari, go go ferrari)
Well, I've got the finest little racing machine
That this old town has ever seen
My little ferrari, well she looks so fine
And that little woman is mine all mine
In my ferrari
(go go ferrari, go go ferrari)
My ferrari
(go go ferrari, go go ferrari)
My ferrari
そうだよ、俺は最高級のレーシングマシーンを持ってるんだ
この古い町がこれまでに見たこともない
俺の愛車のフェラーリ、とても元気そうだね
そして俺のフェラーリで彼女はすべて俺のものさ
(ゴーゴーフェラーリ、ゴーゴーフェラーリ)
俺のフェラーリ
(ゴーゴーフェラーリ、ゴーゴーフェラーリ)
俺のフェラーリ
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The Readymen |
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15-14
The Readymen - Shortin' Bread / Surfer Blues
(7: Bangar BA 00655) 1964
Minnesota 州 Minnetonka 出身のサーフガレージバンドで
彼らは Minnetonka high school 時代に同高校の生徒だった
The Trashmen や The Yetti Men のメンバー達と仲良かったので
当然ながら同系のサウンドとなっており、サーフガレージ市場
では現在も人気が高い。
なおピクチャースリーヴには Readymen 表記であるが
レーベルには The Readymen とクレジットされており
一般的には Readymen とクレジットされる事が多い。
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15-15
The Royal Rebels - Drive-In
(7: Kiski 2067) 1964
彼らは後に Rhythm Rebels と名乗るオハイオ州のガレージバンドで
この Beach Boys のカヴァーソングでデビューした。
Doo-wop 風のコーラスを配したパンクヴァージョンで
アメリカの Garage コレクター達に人気がある。
Every time I have a date there's only one place to go
That's to the drive in
It's such a groovy place to talk and maybe watch a show
Down at the drive in
Forget about the plot, it'll do very well
But make sure you see enough so you're prepared to tell
About the drive in
We love the drive in
(we love the drive in, we love the drive in)
If the windows get fogged you'll have to take a breath
Down at the drive in
Or the cat dressed in white will scare you both to death
Down at the drive in
A big buttered popcorn and an extra large coke
A few chili dogs and man I'm goin' broke
Down at the drive in
We love the drive in
(we love the drive in, we love the drive in)
Don't put your buddies in the trunk 'cause they might get caught
By the drive in
And they'd look kinda stupid gettin' chased through the lot
Around the drive in
If you say you watch the movie you're a couple o' liars
And "remember only you can prevent forest fires"
Down at the drive in
We love the drive in
(we love the drive in, we love the drive in)
Down at the drive in
We love the drive in
(we love the drive in, we love the drive in)
Down at the drive in
We love the drive in
(we love the drive in, we love the drive in)
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The Pastels |
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15-16
The Pastels - Circuit Breaker
(7: Century Records 22698) 1965
Washington 州の中規模な都市圏のひとつである Franklin 郡
にある町 Pasco 出身のガレージバンド。
以前私が長く Washington 州 Seattle に滞在していた時はまだ
イチローがシアトル・マリナーズに入団する前だった。
私は同地のシンボルタワーでもある Space Needle (1962年の
万国博覧会の時に建てられた塔で、上部にUFOのような円盤状の
展望台がある) 付近の安いモーテルに滞在していて、
そこのベッドメイクの若い女性に口説かれて車で彼女と
Pasco まで遊びに行ったことがある。
そんなローカルエリアの残したシングルだが
レーベルにソングライターがプリントされていない。
Drum fill in でスタートし、徐々にテンポアップさせ
絶叫ヴォーカルと共に走り出す Garage rocker で
その殆どが激しい演奏でエンディングまて行く珍しいタイプ。
彼らはその周辺ではけっこう人気を博したらしく
隣町の Richland Roller Rink (ローラースケート会場) とかで
ライヴをやったり、地元のテレビにも時々出演していた。
1965 年の秋と 1966 年の春の間に 3 つのシングル を
彼らはリリースしたが、すべては Century Records のエージェント
によってグループメンバーの Ron “Arjai” Jones の実家で
録音された。
Members are
Dale Anderson on guitar
Mark Gage on keyboards
Ron “Arjai” Jones on guitar and bass
Red Elder on drums
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The Pastels |
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Galaxies |
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15-17
Galaxies - On The Beach
(7: Etiquette Records ET-20) 1965
NThe Sonics でも有名な North West のガレージバンド御用達
Etiquette Records (エチケット・レコーズ) から、
恐らく Galaxies はレーベル同様に Washington 州 Tacoma 出身と
思われる。その昔、私は Tacoma や隣の Seattle で長く過ごしたが
Washington 州は夏には白夜かと思うほど日照時間が長く
夜の9時過ぎに日没する。Seattle は世界をリードする航空機
メーカー Boeing (ボーイング) 創業の地であり、いまも一大拠点
のひとつである。故に同地の夏は工場で働く労働者のアフターファイヴ
が長く、Tacoma や Seattle ではクラブシーンが熱い。
当然、飛行機工場で働く労働者達には激しく大きなサウンドが
求められていたので The Sonics のようなバンドが人気を博す。
本件シングルは御存知 Cliff Richard & The Shadows の名曲カヴァーだが
弾けたビーチロッカーヴァージョンに仕上げているのは同地の
クラブシーンならではの需要である。
リードヴォーカルの Rob Lowery は後に The Surprise Package の
結成メンバーとなり、それは American Eagle (Decca) へと昇華する。
Members are
Rob Lowery - Vocals (went The Surprise Package, American Eagle)
Bob Koch - Guitar
Stuart Turner - Guitar
Chuck Naubert - Bass Guitar
Mark Eubanks - Sax, Keyboards
Phil Hanson - Drums
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15-18 Satisfactions - Girl Don't Tell Me
(7: Twin Town TT 714) 1965 Marauders (Coulee C45-110) 名義のシングルでも知られる
Wisconsin 州 La Crosse (ラ・クロス) の4人組ガレージバンド。
ラクロスがある比較的平たいプレーリー・バレーの周りには、
高さ150 m)の崖があり、その中でもグランダド・ブラフが著名で、
その上から3つの州を眺めることができる。
この地形は漂礫岩のない地域の地形に特徴的なものである。
これら高い尾根はフランス語の Coulee (クーリー) と呼ばれる
狭い谷に分断されている。その結果として、ラ・クロスがある
地域は「クーリー地域」と呼ばれることも多い。
1844年、ラ・クロスでモルモン教徒の小さな社会ができ、
ミリックの基地の南数マイルに数十の小屋を建設した。
これらの開拓者はちょうど1年後に中西部から出て行ったが、
その住んでいた土地はモルモン・クーリーという名前が残った。
19世紀後半、ラ・クロスはウィスコンシン州でも
人口の多い都市になっていた。
この歴史的な背景から紐解けるように、フランス系移民が
多い同地はモルモン教の聖地ユタ州の州都ソルトレイクシティ同様に
クリーンイメージを持つ Beach Boys の歌が歓迎される。
彼らは後にラ・クロスのクラブ The Varsity Club の
専属バンド The V-Toops として知られるようになった。
本件のリードヴォーカルはベース奏者の Jim Young だ。
Members are
Rick Pryjowski (Pervisky) - rhythm guitarist and vocalist
Rick Miller - lead guitarist
Jim Young - bass guitarist and vocalist
Terry Gardner - and drummer and vocalist
Hi little girl, it's me
Don't you know who I am?
I met you last summer
When I came up to stay with my friend
Said I'm the guy-uy-uy who
Left you with tears in his eyes
You didn't answer my letters
So I figured it was just a lie
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write me again this time
Your hair's getting longer and your shorts
Mmm they sure fit you fine
I'll bet you went out
Every night during ol' school time
But this ti-I-ime I'm not gonna count on you
I'll see you this summer
And forget you when I go back to school
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write me again this time
Hi little girl, it's me
Don't you know who I am?
I met you last summer
When I came up to stay with my friend
Said I'm the guy-uy-uy who
Left you with tears in his eyes
You didn't answer my letters
So I figured it was just a lie
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write-ite-ite
Girl don't tell me you'll write me again this time
Girl don't tell me you'll write me again this time
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The GTO's (Joey & The Continentals) |
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15-19 The GTO's - Girl From New York City
(7: Parkway P-108) 1966
Ohio 州 Cleveland 出身の名グループ Joey & The Continentals
の改名である。
この Beach Boys カヴァーのアレンジを担当した Tommy Baker は
同地のアレンジャー、指揮者、プロデューサー、ミュージシャンで
彼は Terry Knight (Terry Knight & The Pack) のディテクターを務めて
いたことでも有名。また同地作によるローカルカルト映画
"The Sign Of Aquarius" (aka "Ghetto Freaks") の悪名高いショットの
音楽の多くを提供し、Lou Ragland 他の Way out studio の
作品にも関与した人物だ。
Joey & The Continentals は伝説的なクリーブランドのバンドで、
60年代のクリーブランドのポップ ロックンロール サウンドを
決定づけた素晴らしい地元ヒット曲をいくつも持っていた。
彼らは Don Evans (bass) によって発案され Ray Miller (guitar)
と一緒に結成し、Joey Porello (lead vocals, trumpet) と
Gene Marotta (drums) が加わった。
彼らは地元のレストラン Green Darby で演奏する居場所を得て、
一躍人気バンドになりサックスとヴォーカルに Denny Slivko を加えた。
この中心メンバーは、ギタリストを除いて、バンドの10年間の
活動期間中ずっと一緒にいた。
メンバーは全員クリーブランドの東側と郊外出身で、その地域で
主流だった Greaser (リーゼント・スタイル) の標準となった。
バンドは 1964年にリリースした5枚のシングルのうち
最初の "Linda" が地元ヒットを記録した。
その後、Ray Miller は脱退し、代わりに The Starfires 在籍中だった
Walt Nims が短期間加入した。Walt Nims の後任は Jack Godzich が加入した。
1966年、バンドは Brian Wilson の曲 "She Rides With Me" を録音し、
当然ながら地元でまた大ヒットを記録した。
クリーブランドのテレビプロデューサー Walt Masky の
General Talent Organization がマネージメントしていたこのバンドは
The GTO's に名前を変更した。この新しいグループ名は
Oldsmobile 社の当時の新車がインスピレーションだったと思われるが
GTO はマネージメントの General Talent Organization 頭文字でもあった。
The GTO's は1967年初頭、クリーブランドから全国放送となった
Upbeat ショーの専属バンドとして仕事を任された。
数か月後、名前が時代遅れに感じられたため、彼らは Montage に改名し
1年ほど Upbeat ショーに出演した。
その頃 Jack Godzich に代わって Russ Wichert が参加し、1969年には
元 The Cellmates の女性シンガー Tampa Lann がキーボードとヴォーカル
で参加した。(The Cellmates は若き日の Eric Carmen が在籍した
The Sounds of Silence のライヴァルバンドでもあり、メンバーの
Tom Consolo は後に Journey, REO Speedwagon, Jewel, Seal,
Sammy Hagar, Michael Bolton らと仕事をする)
このラインナップは United Artists recordsでシングルを録音し、
より洗練されたポップサウンドを特徴としていた。
Montage は、ある時期47週連続でさまざまな高校で演奏したが
1971年の夏に解散した。
Joey Porello はフロリダに移り、1970年代半ばにシングルを録音し
その後、マネージメント会社を経営して成功を収めた。
Montage 時代に参加した女性シンガー Tampa Lann は
スタジオセッションシンガーおよびライブパフォーマーとして
シカゴとロサンゼルス地域に長年住み、数多くのテレビやラジオの
CMや映画で歌い、Michael Jackson とレコーディングし、
Patti LaBelle や Billy Joel と共演し、The Bee Gees とツアーを行った後
クリーブランド地域に戻り、ハドソン・コミュニティ・チャペルの
礼拝および音楽ディレクターを務めた。
She don't run with her best friend for the goodtime in L.A.
The girl took a spot and plopped down on the beach
You find them there near every day
And I said
California guys all can't peel their eyes
From that girl from New York City
And L.A. boys all heard the noise
About that girl from New York City
We'll turn 'em on with all the things
that will be happening night and day
We'll show them such a groovy time
that they'll both be decidin' to stay
And that I say
California guys all can't peel their eyes
From that girl from New York City
And L.A. boys all heard the noise
About that girl from New York City
(Instrumental)
California guys all can't peel their eyes
From that girl from New York City
And L.A. boys all heard the noise
About that girl from New York City
California guys all can't peel their eyes
From that girl from New York City
And L.A. boys all heard the noise
About that girl from New York City
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The G Brothers |
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15-20
Group Therapy - Silhouetted Summer Dream
(7 : Parasonic PM-048-1) 1966 この秀逸なサマーバラードは複数の名義でアメリカとドイツで
リリースされている。
このグループの母体となる The G Brothers は The Gulikers Brothers
と言い Oklahoma City 在住のオランダ人兄弟で構成されている。
Jules Gulikers (1937), Peter Gulikers (1940), Martin Gulikers (1941)
で、ここから複雑な経緯を辿るので時系列に記述する。
The G Brothers はアメリカでデビューシングルを1枚リリースし
その後母国のオランダで2枚リリースしている。
The G Brothers - I Will Remember You / Pub With No Beer
(Dee Jay DJ 1018) 1964
実際、"I Will Remember You"は地元の WKY (オクラホマシティの
ラジオ局) でチャートインし、1964 年 1 月 30 日に最高 11 位を記録した
The G Brothers - Baby It's All Right / I Will Remember You
(Netherlands Telstar TS 1135 TF) 1965
The G Brothers - Victim Of Love / Baby, I'm Coming Home
(Netherlands Sunshine SS 9001 SF) 1966
オランダでのラストリリース後に突然アメリカに戻って
本件シングルを Group Therapy 名義でリリースした。
ラベルクレジットに記述されているのは
Written by Peter Gulikers.
Produced by Henry Strzelecki.
Pressed by Sound Of Nashville.
Published by Camerillo Music / Parasonic Music.
著作権で調べると
Copyrights
SILHOUETTE SUMMER DREAM; w & m Peter
Gulikers. 1 p. c Camarillo Music
Co.; 10Oct66; EU960827
Camarillo Music と言えば Los Angeles の Sunset Blvd. に
所在する音楽出版社で、White Whale レーベルの The Clique なんかの
曲でも有名だ。
レベルクレジットのもう一つの音楽出版社 Parasonic Music は
Alabama 州の Huntsville に所在するのでこの Parasonic レーベルも
同地のローカルレーベルである事が解るが、プレスは Tennessee 州
Nashville のレコードプラント Sound Of Nashville で行われ、
このプレス会社は主に小さなインディーレーベルのカスタムプレスを
請け負っており、本サイトでは The Impacts - Lindae / Summer
(The Best Time Of The Year) (Anderson Records A-104) も
そこでプレスされた。
本件シングルのプロデュースを担当した Henry Strzelecki は
1939年8月8日に Alabama 州 Birmingham で生まれたベーシスト、
ソングライターで、兄弟の Larry Strzelecki と Tennessee 州 Nashville
で Doo-wop ヴォーカルグループ The Four Flickers を結成し、
1958年から1960年まで Lee ラベルでシングル3枚、
Four Counts 名義で Heavenly / Blue Eyes (Ace Records 597)
を1960年に1枚リリースした人物。
彼はまた Tennessee 州 Nashville に出版および制作会社
October Records Inc.を設立運営していた。
そのため、本件 Group Therapy も彼の下 Nashville で
録音されたのが解る。
で、この感傷的なサマーバラード "Silhouetted Summer Dream"
は新たなアレンジを施し "Summer Dream" とタイトルを変えて
Mournin' Do という名義で1968年10月に White Whale WW-283
両面同じトラックのプロモオンリーとして人知れず配布された。
その際にライタークレジットが Peter Gulikers の “S” が抜けて
Peter Guliker とプリントされている。
されに元の "Silhouetted Summer Dream" (Parasonic PM-048-1)
両面の音源は The Love Rebelion という間違ったままのグループ名の
スペルで (本来ならば The Love Rebellion = 愛の反逆者)
1968年にドイツの Spectrum HS 7005 としてシングルがリリースされた。
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The G Brothers |
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Tormentors |
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15-21
Tormentors - Sounds Of Summer
(7: Royal Records R-003-6) 1966
(LP : Royal Records RLP 111) 1967
Odds & Ends - (Cause) You Don't Love Me / Be Happy, Baby
(South Bay SB 102) 1965年にシングル1枚をリリースした
Garage band のメンバーの Davis 兄弟 Dan Davis & Mark Davis
が母体となり友人で曲が書ける Daley 兄弟 Dennis Daley & Tim Daley
と合体して結成された Los Angeles のバンドが Tormentors だ。
Dan Davis - Bass, Organ
Mark Davis - Electric Guitar
Dennis Daley - Drums
Tim Daley (Timothy E. Daley) - Vocals
Lee M. Harper - Guitar, Vocals, Produce
この Royal Records は Tromentors 中心にレコードをリリースして
閉鎖されてるが、恐らく彼らの所有するレーベルだったのだろう。
同レーベルから Roarshock 名義で Tromentors のアルバム
"Hanging Round" に収録された曲 Lovin' Lolita / Childhood Memories
をシングルでリリースしてる。
彼らの自主盤アルバムが近年になって評価が高まり
リイシューも普及していったのだが、彼らに関わっていた
エンジニアーの Bruce Ellison は、Kim Fowley "Outrageous"
や Bobby And I "Self Title", Hour Glass "Power Of Love"
等を担当しており、当時のサイケデリックシーンの多様性に
気づいていたのだろう。Tormentors が残した曲はまず自主レーベルで
次々とシングルリリースしており、初期サイケとブリティッシュ ポップの影響、
ウェストコーストハーモニー、フォークロックと盛り合わされたアルバムは、
その多様性が表れている。そんな中でも、当店で昔から BGM で使ってたのが
本件シングルでこれがコーラスハーモニーを聴かせるだけのサマーサウンド
なのだが、まったく邪魔にならない快適なミュージックで、
例えばスーパーマーケットで、はたまたプールサイドやビーチで
後ろで流れていて邪魔にならずに、軽く気持ちよくさせてくれる
サウンドなのだ。私はこの曲が好きで、いまでもBGM で使ってる。
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Floyd And Jerry |
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15-22
Floyd And Jerry With The Counterpoints - Summer Kisses
(7: Presta Records 45-1006) 1966
Arizona 州 Phoenix の兄弟デュオ Floyd Westfall & Jerry Westfall.
彼らは 60s ガレージシーンの Everly Brothers と表現される事が
多く、メロディアスなポップを得意としてた。
ギタリストの Floyd Westfall とベーシストの Jerry Westfall は
地元のガレージバンド The Door Nobs のメンバーとして1965年
にシングル1枚をリリースした Hi-Fi Baby / I Need Your Lovin, Babe
(Viv Records Inc. V-D5-10) グループメンバーの Don Green と一緒に
書いたこのハーモニーポップ "Hi-Fi Baby" は地元で大ヒットしたものの、
バンドは解散。翌年から兄弟二人で地元の Presta Records と契約し
The Counterpoints (guitarist Grier Cook, keyboardist Ken Mulholland,
and drummer Johnny Guthrie) が録音参加をし兄弟のハーモニーを
前面に出した好サンプル Believe In Things / Girl (Presta Records 45-1003)
でデビューした。これは地元 Phoenix station KRIZ の "Boss 50" に
チャートインしたが、全国的な流通を獲得するには至っていない。
本件シングルはそんな彼らの意欲的なセカンドシングルで、
アップビートの弾けたサンシャインポップに仕上げている。
これは California のミュージックシーンを充分に意識した作風と
なっており、地元 Phoenix では8月に5位のヒットとなった。
次のサードシングル Dusty / If You Want Me (Presta Records 1013)
では作風を変えて The Counterpoints を録音から外して、
ホーンセクションと女性コーラスを入れてアンサンブルに厚みを
持たせた録音になってる。そして1967年初めに彼らは Los Angeles に
進出し、Count Five や Brenton Wood のヒットでも有名な
Double Shot Records と契約した。しかし彼らの Double Shot での
再デビューシングルとなる予定だった "Airplane Song (My Airplane)" は
The Royal Guardsmen が先にリリースさせたので棚上げされた。
その代わりに彼らのオリジナルで Beatles 風の "Love Me Girl" が
リリースされたがラジオで注目されることはなかった。
その後1枚シングルをリリースしたが Jerry Westfall が徴兵され
陸軍に加入した時にこのデュオのキャリアーは終わった。
80年代初頭、彼らは地元のクラブサーキットをツアーし、
1981年にカムバックシングル "It's So Easy" を自身の
Westfall レーベルからリリースしている。
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15-23
The Ascots - Summer Days
(7: Blue-Fin Records BL-F1-101) 1966
ディズニーランド・パークやリゾートでも有名な California 州
郊外の Anaheim 出身のガレージバンド。
The Seeds, The Buffalo Springfield, The Daily Flash, The Cake 等
でも有名な Doc Siegel がエンジニアーを担当してるので
録音は彼が勤める Gold Star Studios である。
時代的に Folk Rock Garage 全盛期なので、そのスタイルで
聴かせるサマーチューンの隠れた逸品で、間奏部で
Strawberry Alarm Clock 風のオルガンが入るのも時代ならでは。
Members are
Len Wildem, Robert Borden, Micky Borden, Al Politano.
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15-24 The Pawns - Summer
(7: Bay-State 1267) 1966 Massachusetts 州 Essex 郡 Salem 出身のガレージバンドで
同地は大航海時代の波止場が歴史地区として保存されており
ヨーロッパ風の古い町並みが美しい港町である。
そんな景色の町に住む少年達のサマーヴィジョンが確認できる
ティーンポップガレージの好盤。
爆発したがる西海岸の少年達と違い、トラディショナルな
アイビーサマー然とした彼らのセンスが伺える。
Members are
Ron Nowlan (guitar, vocal)
George Girard (guitar)
Louie Belanger (guitar)
Dave Les Thibault (bass)
Ray LeBlanc (organ)
Peter Goutzas (drums)
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The Illusions |
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15-25
The Illusions - Wait Till The Summer
(7: Michelle Records M-001) 1966
人気も高けりゃ値段も高いのがガレージバンドのシングルだが
本件シングルもそれに該当するレア物件。
Michigan 州 St. Clair Shores 出身のガレージバンドで、
同地はロウアー半島のセントクレア湖岸にある田舎町だ。
昔は Jefferson Beach と名づけられた遊園地があったが
運営が厳しくなり遊園地は無くなりマリーナとなっている町だ。
本件シングル、興味深いことにラテンミュージックの巨匠
Bobby Marin が作曲とプロデュースでクレジットされてる。
Bobby Marin の話によると当時彼はミシガン州フリントに駐在
する空軍にいて、ビートルズやストーンズの影響を受けたバンド
が登場しているその時期に彼は音楽とビジネスの知識を
ティーンバンドのために活用することに決め、このバンドの
マネージメントを始め本件シングルを録音しリリースに至る。
そしてちょうど Bobby Marin がそれをリリースしようとしていたとき、
彼の軍隊生活での在職期間が終わった。
終わりを迎え、彼はニューヨークに戻ることになった。
Michelle Records M-001, レーベルの名前は Bobby Marin の
娘の名前からつけられ、本件シングル1枚のみのリリースだ。
しかし Bobby Marin にはこのグループ The Illusions を宣伝する
方法がなかった。彼らは地元のダンスパーティー以外の場所では
このシングルをプロモーションする場所がなかった。
その結果、このティーンガレージバンドの残した素晴らしい
サマーポップシングルはダンスパーティーで配布されたものしか
流通していないので、とても価値のあるシングルになった。
このガレージバンドは1969年年になって Attack 名義でシングル
(Fuzzwart Records 513) を1枚リリースしているが、そちらは
かっこいいサイケハードロックに進化してる。
I just walk the streets alone,
waiting for the day you'll be home,
My longing for you grows each day,
Girl, I can't go on this way
So, Wait till the summer,
then I'll have you by my side,
Just wait till the summer,
We'll forget the tears we cried
All the minutes grow to hours,
and the hours that have been today,
Since the day you've been gone,
I've missed you more in everyway
So, Wait till the summer,
then I'll have you by my side,
Just wait till the summer,
We'll forget the tears we cried
(guitar break)
So, Wait till the summer,
then I'll have you by my side,
Just wait till the summer,
We'll forget the tears we cried!
We'll forget the tears we cried!
We'll forget the tears we cried!
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Bobby Marin |
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The Rising Storm |
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15-26 The Rising Storm - Mr. Wind
(LP: Remnant BBA-3571 Mono) 1967
A track from their album "Calm Before..."
Massachusetts 州 Andover (アンドーバー) というエセックス郡にある
人口3万程度の田舎町の私立共学の名門全寮制高校 Phillips Academy
の生徒で結成されたガレージバンドが当時500枚プレスした
アルバムからの一曲。
この学校は超一流の名門校として知られ、アイビー・リーグを
始めとする有名大学への入学者が多い。
著名な出身者
1867年 新島襄(ジョセフ・ハーディ・ニーシマ) 同志社創設者
1890年頃、中退 成瀬仁蔵 日本女子大学創設者
1894年 エドガー・バローズ 作家、『ターザン』の著者
1912年 アダム・ギンベル 実業家、サックス・フィフス・アベニュー社長
1920年 ハンフリー・ボガート 俳優
1942年 ジョージ・ブッシュ 第41代アメリカ合衆国大統領
1943年 ジャック・レモン 俳優
1963年 山田忠孝(ターチ・ヤマダ) ゲイツ財団世界衛生部門長
1964年 ジョージ・W・ブッシュ 第43代アメリカ合衆国大統領
1969年 トーマス・メゼロウ 弁護士、マイケル・ジャクソンを弁護
と挙げれば興味ぶかい面子多数を排出している。
この The Rising Storm は主に1965年から1967年まで地元で活動しており
このアルバムはロックンロールの歴史家 Richie Unterberger によって
「最も希少で尊敬されているガレージバンドアルバムの1つ」と評されている。
私は運よく過去2回入手したが、はっきり言ってメガレアの部類なので
もはやオリジナルの綺麗なコンディションは金額的に一般人には購入できない。
で、このレア盤の一曲、同じ Massachusetts 州は Boston の名バンド
The Ramrods (The Rockin' Ramrods) 後の Puff (MGM) が1966年に
リリースした "Mister Wind" のカヴァーなのだが、The Ramrods は地元では
Rolling Stones のライヴの前座を務めたバンドなのでオリジナルは
サイケデリックなエコーの中で歌われるビートチューン。
それはそれで悪くはないのだが、本件 The Rising Storm のカヴァー
ヴァージョンはビートを強調せずに、むしろトワイライトな黄昏感が
ピュアなティーンポップゾーンに到達しており、オリジナルでも聴ける
The Beach Boys "Then I Kissed Her" の影響を伺わせるオルガンの
フレーズだが、 The Ramrods ヴァージョンより甘く切なく聴こえる。
アレンジは彼ら自身で行っており、これは素晴しい才能だと驚く。
このトラックを Surfin’ & Hot Rod / Beach Boys and Summer Sound
のマニア連中に聴かせたら「いいんじゃないでしょうか!」と
興奮するので、ここで取り上げた次第。
The original members of the group were
Bob Cohan (guitar),
Todd Cohen (bass),
Charlie Rockwell (keyboards),
Tom Scheft (drums),
Tony Thompson (guitar, lead vocal),
Rich Weinberg (guitar, vocals).
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Mike McKenzie And The Embers |
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15-27
Mike McKenzie And The Embers - My Summer Star
(7: Crash 101) 1966
Minnesota 州の Stearns 郡 Fairhaven 出身のガレージバンドで
1962年に結成された時は5人組だったが、その後4人になる。
同地は法人化されていない300人程度のコミュニティであり
言わば田舎の集落である。
そんな長閑な田舎のバンドが自主盤リリースしたメロディアスな
サマーポップバラードの隠れた逸品。
Original members are
Mike McKenzie
Mick Shaw
Doug Spartz,
Jack Penniston
Eugene Jurek
Recording members are
Mike McKenzie
Mike Shaw
Doug Herman
Doug Spartz
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Randy And The Holidays |
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15-28
Randy And The Holidays - Paul Revere 250
(7: Hickory Records 45-P-1465) 1967
彼らは南部 Georgia 州の北西部に位置する Decatur
出身のローカルバンドで、60年代から70年代に Atlanta の
ホテルのラウンジアクトとして活動した。
本件シングルは名レーサーだった Loyd Ruby が Cougar に
乗って連勝してた Paul Revere 250 という Daytona car race を題材
にしており、Fuzz を効果的に使ったワイルドロッカーの逸品である。
彼らは1968年のローカル映画 "Speed Lovers" に出演しており
地元ファンには長く愛されたバンドだった。
Written by Little & Acree (Ralph Little & Frank Acree)
Produced by Billy Watson.
Members
Ralph Lipham (AKA Randy Little) - vocals and bass.
Johnny Duncan - drums.
Billy Golden - keyboards.
Frank Acree - keyboards.
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The Pentagons |
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15-29
The Pentagons - Summer's Over
(7 ; Audio Dynamics AM-153) 1967 Connecticut 州 New London 郡の田舎町 Montville 出身の
ガレージバンドで、同地はニュー イングランド地方特有の
清楚なヨーロピアンマナーが漂う。
そんな田舎の少年達のバンドだが、Young Rascals 同様に
ベースプレイヤーを持っていないバンドで、Doric 製の
ポータブルオルガンが低音キーが多いという理由で
それを使用している。
バンドのリーダーで作曲、プロデュース、アレンジを担当した
John Coggeshal がそのオルガンを演奏してる。
興味深いことに、このバンドはサックス奏者を持っており
その Gary Lamperelli が吹くメローなサックスが印象的な
サマーバラードに仕上がっている。
Members are
John Coggeshal - organ
Steve Morse - guitar
Gary Lamperelli - sax
Dave Lemieux - drums
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The Pentagons |
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The Wild Things |
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15-30
The Wild Things - Summer's Gone
(7: Blue Onion BO-101) 1967 Ohio 州 Willoughby, (ウィロビー) 出身のガレージバンドで
同地はレイク郡のチャグリン川沿いの都市だ。
The Wild Things は女性ドラマーを含む Mentor High School の
高校生4人組のティーンバンドで、2枚のシングルをリリースした。
本件シングルは彼らのデビューシングルで、Audio Recording.
スタジオで録音された。
The Wild Things は Mentor High School の高校生
Ron Ilkanich (rhythm guitar) と女生徒 Kathy Shadle (drums).
の二人によって始められた。
オリジナルのラインナップには Ray Suhar (bass) と
Gary Petit (guitar), が含まれていて、バンドは地元の
The Painesville Armony で行われたティーンエイジャーの
ダンスパーティー等で演奏していた。
Members are
Ron Ilkanich (rhythm guitar)
Gary Petit (guitar)
Ray Suhar (bass)
Kathy Shadle (drums)
1967年に Gary Petit (guitar) と変って Willoughby South High School
出身の Gerry Spaller がバンドに参加した。
彼らは Willoughby 在住の男 Dominic Apolito をマネージャーに
迎え、彼は新しいレコード会社 Blue Onion が Cleveland 出身の
Dale Davis によって発足されたことを知り、バンドはレコーディング
契約を結ぶ。Blue Onion のオーナー Dale Davis は The Wild Things に
Willowick 出身で、すでにある程度の成功を収めていたソングライター
Sam Carcioppolo を紹介し、彼の新曲 "Summer's Gone" を彼らが
デビューシングルで録音するに至った。マネージャー Dominic Apolito
がプロデューサーとしてクレジットされている。
本件シングルは発足された新興レーベル Blue Onion の最初の
シングルであり、レーベルはレコードをプロモートするために
シングルに歌詞カードを付けて配布した。 曲は波の効果音を配したロマンティックなサマーバラードで
Cleveland のラジオ局によってオンエアーされた。
その後彼らはセカンドシングルにして最後の曲となった
"ACID (Another Colored Ink Drawing)" と言うサイケデリックソング
をリリース、彼らはアルバムを作り、よりオリジナルな曲に
取り組みたいという野望を持っていた。しかし、1968年末までに
全員が高校を卒業し、Ron Ilkanich (rhythm guitar) が軍に入隊し
バンドは解散する。
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The Wild Things |
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15-31
The Heard - Where Has My Summer Gone
(7: Orlyn 652) 1967
Illinois 州 Joliet 出身のガレージバンドで、同地は Chicago の
都市圏に属すが南の郡部の田舎町である。
Chicago という街は東西にまっすぐ伸びる290号線を境界として
南北で全く文化圏が異なる。北が近代的な白人の住居区で
ビジネスマン達が住んでおり、南が労働階級の白人と黒人の
住居区といった感じでカジュアルな古い町並みで構成されてる。
本件シングルはそんな田舎町のガレージバンドによる
不気味でムーディーなサマーソングである。
その不鮮明な Lo-Fi 録音と単調なメロディーによる効果なのか
陶酔的なサイケデリックバラードへと昇華している。
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The Shambrels |
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15-32
The Shambrels - Summer Girl
(7: Vaughn-Ltd 755) 1967
Alabama 州の山の中の田舎町 Oneonta 出身のガレージバンド。
人口5〜6000人程度だから村というよりは町といった感じ。
で、そんな田舎の少年達が当時のいけてるサウンドを模倣した結果
Strawberry Alarm Clock 風のオルガンを入れたサマーソングが完成。
ただ残念だったのは Alabama 州 Birmingham を本拠にしたこの
Vaughn-Ltd レーベルの最期のリリースであり、当然ながら売れてないし
リリースされた数も少ない。
Members are
Bob Gordon - rhythm guitar and vocals
Ronnie Bailey - lead vocals
Danny Sterling - lead guitar
Don Skipper - bass
Bruce Corvin - sax
Danny Bradley - drums
Bob Gordon added these other members
Larry Coker - keyboard
Dee Decker - drums
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15-33 The Loved Ones - Winter, Summer
(7: Ace Record Co. No Number/Decca Custom matrix 201,309) 1967 Decca Custom でプレスされた自主盤シングルで
このガレージバンドは Massachusetts 州の Amesbury 出身。
マサチューセッツ州の北東部、エセックス郡の最北部に位置する
人口1500人程度の閑静な町だ。
本件、夏を題材にしたムーディーなガレージサイケの逸品なのだが
作者クレジット J. Perry が最大の焦点となる。
Massachusetts 州で J. Perry となれば Aerosmith のギタリスト
Joe Perry を誰もが想像する。もしそうであれば当時17歳だから
ありえない事もない。現在も Massachusetts 州の Boston の
友人達と一緒にこの件について調べているのだが、まだ明確な
結論は出ていない。なので Joe Perry の当時の足跡を記述しとく。
Joe Perry (本名 Joseph Anthony Pereira) は1950年9月10日に
マサチューセッツ州の北東部、エセックス郡の Lawrence ローレンス
で生まれマサチューセッツ州の東部 Hopedale ホープデールで
育った。彼は幼い頃、自分が海に惹かれていることに気づき
彼の夢は、彼の英雄、Jacques Cousteau ジャック クストーの
足跡を辿りいつか海洋生物学者になることだった。
しかし残念なことに、ホープデール中学校での彼の成績は良くなく、
最終的に大学に進学する可能性は薄れてきた。
彼の学業上の苦労は続き、3年生のときに彼の両親は彼を
ホープデールから退学させる決定を下し、彼を男子校の進学校
であるバーモント・アカデミーに入学させる。
約200人の若者が入学したこの寄宿学校は、バーモント州南部の
小さな町、Saxtons River サクストンズ・リバーにあった。
10代の Joe Perry はこの計画にあまり満足していなかった。
両親の希望は、息子が実際に寄宿学校に住んでいることで
そのような教育環境に組み込まれているので、息子がもっと学習
に集中して大学入学レベルまで成績を上げることができることだった。
しかし Joe Perry がバーモント・アカデミーで過ごした時間は
両親が彼に思い描いていたものとは違って、大きく異なっていた。
そしてそれは彼の人生の軌跡を永遠に変わる経験となった。
ホープデールのような小さな町と違ってこの寄宿学校に通っていた
生徒たちは世界中から来ていた。彼らの多くはロサンゼルスや
ニューヨークのような大都市に住んでいた。そして彼らは
セックス、ドラッグ、ロックンロール文化の真っ只中に生きていた。
Joe Perry は後年のインタビューで答えている「両親が私をそこに
送り込んだような学習ではなくそれは私にとって本当の教育だった。
休暇の後、友人たちは何かを持って戻ってくるものだった、
そしてそれは異なる文化の断片だった。」何もかもが違いすぎた。
クラスメイト達は Joe Perry にまったく新しい世界を紹介した。
そして彼はすぐにアメリカ文化を広範囲にカヴァーした最初の
アンダーグラウンド新聞 The Village Voice を発見し、彼が新しい
音楽に触れたことで、彼に最も大きな影響を与えた。
Joe Perry は実際に10歳のときにギターを手に取り、彼は左利き
であるにもかかわらず、右手でプレーすることを学んだ。
彼は自分の音楽に初期に大きな影響を与えたのは The Beatles
だったと後年のインタビューで語った。
クラスメイトが聴いていた音楽を聞いて、彼は自分の演奏に
ますます夢中になっていることに気づいた。彼は何時間も部屋に
座ってレコードをプレイし、彼は自分のギターを演奏して
リフとレコードのサウンドを完全に同期させていた。
ここまでの Joe Perry の10代の軌跡を辿ると、17歳の時に
寄宿学校で書いていたオリジナルソングを地元の友人達が
結成した本件バンド The Loved Ones に Joe Perry が
何らかのかたちで関わり、その歌をレコーディングして
この自主盤シングルの制作に至ったと考えることも出来る。
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Lemon Fog |
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15-34
Lemon Fog - Summer
(7: Orbit 1123) 1968 アメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターが設置され、
先端医療の研究や航空宇宙産業の発展が進んだアメリカ合衆国の
テキサス州のヒューストンは同州最大かつ北アメリカ有数の世界都市だ。
そんなヒューストン出身のガレージサイケバンドが残した
素晴しいサマーバラード。バンドリーダーの Ted Eubanks が書いた
オリジナルで、なんとプロデュースは Jimmy Duncan (The In Crowd on
Musicor / Hickory) である。
彼らのルーツは1963 年の春に結成されたテキサス州ヒューストンの
サーフ ロック コンボ The Rip Chords から始まる。
フィルモア高校のクラスメートである Danny Ogg (lead guitar),
Terry Horde (rhythm guitar), Timmy Thorpe (bass),
Bill Simons (lead vocals), Dale VanDeloo (saxophone and vocals)
で The Rip Chords は構成されていた。
彼らの初期のレパートリーは主にサーフインストナンバーであったが、
時々ポップソウル系のヴォーカルソングを上手に演奏した。
グループはコーヒーバーや小さな会場でのソックスホップなどの
高校ダンスイヴェントで演奏していた。
しかし、サックス奏者の Dale VanDeloo が口論中にマイクスタンドで
Danny Ogg を襲撃したことでバンドは解散した。
Chris Lyons はヒューストンの Clem's Music で彼が結成した
新しいバンドのミュージシャンのオーディションをしていた。
そこに Danny Ogg が現れた、そして Chris Lyons は彼に新しいグループ
The Pla-Boys に参加するよう頼んだ。
Danny Ogg は、仕事を解雇されたばかりで The Rip Chords の
元ベーシスト Timmy Thorpe も一緒ならという条件で同意した。
The Pla-Boys は St. Regis 芸術大学で最初のライヴを行った。
ヒューストンのモッズシーンの前衛作曲家 Ted Eubanks がそこにいた。
主に Sam the Sham and the Pharaohs のようなガレージアクトの
カヴァー曲で構成されたパフォーマンスをしていた彼らに
Ted Eubanks はライヴショーの後に近づいてきた。
Ted Eubanks は彼らの才能を認めていたが、次のように述べた。
「君たちはより現代的なイメージを採用し、レパートリーを変える
必要がある」 バンドは Ted Eubanks の提案を受け入れ、
そしてセットリストにオリジナルナンバーを追加し始めた。
Ted Eubanks は、グループをクリーンカットのイメージから、
ボヘミアンな装いでスーツに合わせたモッズなイメージに変化させた。
1965 年のほんの数週間のうちに、彼らは The Pla-Boys から
ヒューストンの最も手ごわいバンドの一つ Lemon Fog へと
すぐに認知されるようになった。
Danny Ogg が当初ベーシスト Timmy Thorpe を参加させるよう
主張していたにもかかわらず、彼は最終的にベースから脱落し
Danny Ogg がギターからベースに持ち替える事になった。
彼らは地元のバンドバトルに勝ち、ヒューストンを拠点とする
プロデューサー兼ソングライターの Jimmy Duncan (彼のサーフィン
ホットロッドの取り組み Musicor Records と Hickory Records
の The In Crowd が有名) の協力を得た。彼らは新しく設立された
Orbit レーベルと契約した最初のバンドとなった。
グループが Orbit でリリースしたシングルは 3 枚だけだったが、
彼らはバンドリーダーでソングライターの Ted Eubanks の
指示の下で何時間ものデモを録音した。
Ted Eubanks は Jimmy Duncan とともに作曲のほとんどを担当した。
1960年代後半、Jimmy Duncan はヒューストンで「The Living Eye」
という名前のロッククラブを所有していた。The Electric Prunes や
? and the Mysterians など全国的に有名なグループのほかにも
Lemon Fog などの地元グループもそこで演奏した。
彼らがリリースした "The Living Eye Theme" (The Lemon Fog としても
知られる) はヒューストン地域のローカルチャートで8位に達した。
グループは大きな注目を集めるようになりヒューストン近郊で活動し、
シングルを宣伝するためにテレビに何度か出演した。
Red Crayola や The Mighty Nomads などのアーティストとともに、
彼らはヒューストンのサイケデリック シーンから登場した
最も初期のバンドの1つだった。
彼らのアプローチが基本的なガレージバンドサウンドを超えて
進歩し始めたとき、要素の一部を保持しながら、The Byrds 他の
フォーク・ロックの影響も取り入れた結果、新しく "Lysergic folk" が誕生した。
これは Lysergic acid folk とも呼ばれる幻覚的なサイケデリックフォークや
フォークロックを指す。彼らの歌詞は遠回しに時事的な側面を持ち、
若者の疎外感を表現していた。アメリカンドリームへの挫折感と、
論理と時間のパラメータの認識を常識を超えた未知の領域への到達をさせる
サウンドであり、挫折的な歌詞と白昼夢的なサウンドが特徴である。
1967年に彼らはシングル Echoes of Time / Lemon Fog をリリースした。
彼らは1967年にテキサスの人気テレビ番組 Larry Kane Showに出演し、
Echoes of Time と The Living Eye Theme (Lemon Fog) を披露した。
そして1968年に本件幻覚的なサマーバラードをリリースした。
Ted Eubanks - Writer / Leader / Keyboards
Bill Simmons - Lead Vocalist
Terry Horde - Lead Guitar
Danny Ogg - Bass Buitar
Chris Lyons - Drums
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Jimmy Duncan |
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West (The Crystal Set) |
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15-35
West - Summer Flower
(7: Epic 5-10378) 16 Aug 1968
(LP: Epic BN 26380) July 1968 (Mono copies are promo only) カリフォルニア州の Contra Costa County コントラコスタ郡にある
Richmond リッチモンド出身のバンド。
同地はサンフランシスコ北東部の入り組んだ湾岸ベイエリアの
イーストベイに位置するが、たびたびサンフランシスコ近郊の
リッチモンド地区と混同される。
サンフランシスコから北東に20キロメートルの位置にある
そんな辺鄙な田舎町のローカルガレージバンド The Justice League が
1967年に The Crystal Set と名を変えた頃に本件音源は録音された。
Summer of Love ムーヴメントに録音された素晴しいサマーバラードで
ソングタイトル "Summer Flower" から解るように共に
ヒッピーカルチャーである Summer of Love と Flower ムーヴメントに
直接関与した歌だ。
Flower ムーヴメント (Flower Power) は1960 年代後半から
1970 年代前半にかけて、ベトナム戦争への反対運動に根ざして、
受動的な抵抗と非暴力の象徴として使用されたスローガンだった。
この表現は1965 年にアメリカのビート詩人 Allen Ginsberg によって
戦争抗議活動を平和的な肯定的な見世物に変える手段として造られた。
ヒッピーは花や鮮やかな色の刺繍が施された服を着たり、
髪に花を挿したり、公衆に花を配ったりすることで象徴性を受け入れ、
Flower Children フラワーチルドレンとして知られるようになった。
この用語 Flower Children は後に、ヒッピー運動や、麻薬、
サイケデリック音楽、サイケデリック アート、社会的寛容さなどの
いわゆるカウンターカルチャーを指す現代的なものとして一般化された。
Summer of Love とは、1967年夏にアメリカ合衆国を中心に巻き起こった
文化的、政治的な主張を伴う社会現象。
最大で10万人がサンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺に
集まったといわれる。サンフランシスコ以外にも膨大な数の
ヒッピーがニューヨーク、ロサンゼルス、フィラデルフィア、
シアトル、ポートランド、ワシントンD.C.、シカゴ、
カナダのモントリオール、トロント、バンクーバーや
ヨーロッパの各都市に集った。
当時のサンフランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、
表現、政治的意思表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地と見做された。
Summer of Love は1960年代の文化的エポックとなった。
ヒッピーが主導したカウンターカルチャーは世代を超えて広く認知された。
この空前の集会はしばしば大がかりな社会的実験であったとも
考えられている。それまではマイナーな存在であった新しい
ライフスタイルが(まだまだ主流とはなりえないまでも)
オープンなものとなり、この夏のみならず、次年度以降も変化を続けた。
ロックで Summer of Love の中心となったのは Grateful Dead,
Jefferson Airplane などのバンドだった。
そこにはまったく知らない他人との共同生活や、自由恋愛などを含んでいた。
その後 The Crystal Set は発展的にに West というグループ名になり
1968 年 7 月にリリースされた West のデビューアルバムにその音源
"Summer Flower" が収録された。(Mono はプロモ盤しか見つかっていない)
で、1968 年 8 月 16 日にアルバムからシングルカットがされた。
West は 4 人以上 6 人以下のメンバーで構成される。
Ron Cornelius, Mike Stewart (Ex We Five), Joe Davis,
Lloyd Perata, Bob Claire, Jon Sagen.
Ron Cornelius はカントリーロック系のセッション・ミュージシャン
兼プロデューサーとなり、Leonard Cohen, Bob Dylan,
Al Kooper, Loudon Wainwright III のアルバムに参加した。
彼は1986年に設立された Gateway Entertainment の社長になった。
プロデューサーとして、2007 年に Miko Marks の
アルバム『Freeway Bound』をプロデュースした。
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The Higher Elevation |
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15-36
The Higher Elevation - Summer Skies
(7: Liberty 56035) 1968
Garage folk rock 系で私はこの曲ほど間奏部の
Guitar break で感動した事はない。いまだ年がら年中
聴いている私的な名曲である。
彼らはコロラド州の自治市で北部に所在する Greeley
のバンドで、The Monocles と名乗っていた1966年と1967年
に2枚のシングルをリリースしていた。
本件シングルの作者 John Carter はイギリスの有名作家とは
同名異人であり、Strawberry Alarm Clock "Incense and Peppermints"
で全米1位となったイリノイ出身のほうだ。
当時 Tim Gilbert と共作を続けていた彼だが、本件シングルの
Stock copy (発売された通常盤) では John Carter が John Carver
のプリントミスでリリースされている。
彼は最初 Atlantic Records で働き、その後 Capitol Records の
A&R 部門に採用された。そこで彼は、Bob Seger や Steve Miller Band
の商業的躍進の時期に共に働いた。
彼はまた Capitolと契約した Sammy Hagar, Bob Welch や
The Motels らの初期の作品のいくつかを共同執筆および
プロデュースした。
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John Carter |
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The Kit Kats |
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15-37
The Kit Kats - You're So Good To Me
(7: Jamie 1354) 1968
ペンシルベニア州フィラデルフィアのバンドで
個人的には彼らの代表曲 "Won't Find Better Than Me"
は年がら年中ドライヴ中に歌うほど大好きな曲である。
で、フィラデルフィアのローカルクラブバンドの彼らが
Beach Boys のカヴァー曲を1968年にリリースしたのがこれ。
オリジナルよりも、ややファンキーにアレンジしたこの曲は、
彼らのクラブイヴェントでは人気のカヴァーで、クラブの床に
足を踏み鳴らすようなストンパーヴァージョンとしてよく
演奏していた。
Membersare
Kit Stewart (drums),
Karl Hausman (piano. AKA Carl Hausman),
John Bradley (guitar, vocals),
Ron Cichonski (bass guitar. AKA Ronnie Shane)
グループメンバーでピアニスト兼アレンジャーの Carl Hausman
はメンバーの Kit Stewart が単独でプロデュースとしてクレジット
された事に腹を立てた。
Carl Hausman は「なあ Kit、どこでプロデュースをやってるんだ?
君も俺たちと同じようにスタジオミュージシャンとして
参加したじゃないか」と言った。
Kit は「そうだね、あの曲をやろうと思ったのは
俺のアイデアだったんだ」と言った。
Carl はこう言った。「じゃあ "Kit Stewart のアイデアに基づく"って
書いてないのはなぜ?これは君がプロデュースしたんじゃない、
バンドがプロデュースしたんだ!」
Carl Hausman はミキシングプロセスについて懐かしい思い出を持っている。
「ミキシング中に、エンジニアの Joel Fein にこう言ったのを覚えている。
『頼むよ。今まで録音したものはどれもベースがないみたいに聞こえるんだ。
あのノブをもう少し上げてくれないか?』
すると彼はこう言った。『不吉な予感がする、そうすれば赤字になっちゃうよ』
それで私はこう言った。『赤字にしてくれ!あのノブを回してくれ!』
すると彼は『オーケー』と言った。そして、それは 私たちが録音した
曲の中で、実際に度胸がある唯一の曲だと分かるだろう!」
それはそうかもしれないが、"You're So Good To Me" の商業的成功は
ニュージャージーの海岸に限られ、他地域では特に売れるほどではなかった。
You're kinda small
And you're such a doll
I'm glad you're mine
You're so good to me
How come you are
You touch my heart
And you understand
When I get in a bad mood
You're so good to me
And I love you, love you
You're my baby, oh, yeah
Don't mean maybe, oh, yeah
I know your eyes
Are not on the guys
When we're apart
You're so true to me
How come you are
And every night
You hold me so tight
When I kiss you goodbye
You're so good to me
And I love you, love you
You're my baby, oh yeah
Don't mean maybe, oh yeah
You're my baby, oh yeah
Don't mean maybe, oh yeah
You're my baby, oh yeah
Don't mean maybe, oh yeah
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The Myst |
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15-38
The Myst - Coney Island Wild Child
(7: Open 1252) 1968
1963年に Gary Usher がアセテート盤に残した
デモヴァージョンの歌がある。この曲は "Coney Island Wild Child"
という歌で Gary Usher-Roger Christian が作者として
クレジットされている。この曲は Gary Lee Usher-Roger Val Christian
名義で BMI に登録された。ゲイリーの歌うこのヴァージョンは
かっこいいアップテンポロッカーでニューヨークのロングアイランド
にある名物遊園地コニーアイランドをテーマにしている。
間奏部分でも Freddy Cannon の1962年大ヒット
Palisades Park を意識したオルガンフレーズが入り、また以前
Brian Wilson と共作した "County Fair" と同様にアミューズメント
パーク路線を踏襲したものだった。ハンドクラッピングの
ビートが入ったこの傑作はエンディングでも3部コーラスを
導入させるなど完成度の高さを誇る。
この "Coney Island Wild Child" はテーマからして東海岸側から
オファーの入りやすい曲で、もしくはオファーが入りその後に曲が
書かれたのだろうか。曲そのものは "Nifty Fifty" や
"Little Stick Nomad" をプロトタイプにした様なワイルドなフレーズ
をつなぎ合わせた曲で、ゲイリー自身もこの曲によって次なる
テーマミュージックを模索していたように思える。Brian Wilson
より年上の Gary Usher は元々自身のアイドルが50年代後期
のロッカーだった為に、かっこいいロッカーチューンも書ける
ソングライターであった事を改めて知る作品だ。
しかし何故かお蔵入りになっていたこのアセテートオンリーの
曲が東海岸の Philadelphia と Boston の二つのグループに
よって録音されシングルカットされた。
先ずは1964年に Billy Harner and The Expressions により
Coney Island Wild Child / Feel Good (Lawn 244) がリリースされた。
これはいまだプロモ盤しか確認されておらず、恐らく販売には
至っていないと思われる。13-21 Billy Harner and The Expressions を参照。
そして本件、1968年に Boston の garage band の The Myst が
Coney Island Wild Child / I'm Crying (Open 1252) をリリース。
この Open Records は 126 N. Broad St., Philadelphia, Pennsylvania
に所在し、当時 Billy Harner のシングル5枚とアルバム1枚を
リリースしてたので、その時期の Billy Harner のライヴサポート
を The Myst が担当していた可能性が高い。それが縁で
Billy Harner and The Expressions が以前録音してたプロモ盤
シングルのこの曲をレーベル仲間として取り上げたのだろう。
両面とも Call-Bill Production のプロデュースで
B面のソングライター Joe Siderio はグループメンバーと思われる。
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【戻る】【続く】 |