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Vol. 14 01 Royale Monarchs - (Hey) Surf's Up
02 Jimmy & The Illusions - Karen / Undertow
03 Buddy Wymore The Knaves - Surf-Mad
04 The Crockett Brothers - The Fastest Car In Town
05 Phil Cay And The Chantels - The T-Bird 06 The Revelers - 426
07 Everett Gates & The Jokers - Mean Machine
08 Alexander And The Greats - Hot Dang Mustang
09 The Corvelles - Dunebuggy Ride
10 The Gestures - Run, Run, Run
11 The Trashmen - New Generation
12 The Dynamics - Coast To Coast / Summertime U.S.A.
13 The Chevelles - Blue Chevelle
14 "Russ" & The Sting-Rays - Do The Surf
15 Drag Kings - Midnight Drag Of Paul Revere
16 Bob Steffek & The Falcons - Wild Woody
17 U.S. Beatles - Beach Girl
18 The Nodaens - Beach Girl
19 Pit Men - Cruising Along The Highway / Surf Bored
20 The Islanders - King Of The Surf / When I'm With You
21 The Lords Of London - Little Lonely Summer Girl
22 The New Arrivals - You Know You're Gonna Be Mine
23 The Dagenites - Now That Summer's Gone
24 Kenny & The Fiends - Last Night Was The Night 25 The Viscount V - Cherry Red Vette
26 The Jaguars - Chevy Shut Down
27 The Neons - Swingin' Thing Is Summertime
28 The Images - A Swingin' Summer
29 The Eliminators - Move Out Lotus
30 Dave Plummer And The Plungers - Surfin' Monster
31 The Kleen-Kuts - (You're My) Summer Love
32 The Forvus Featuring Brooke Chamberlain
With The Rovin' Flames - Now That Summer Is Here
33 The Travelers - Beach Boy
34 The Craftsmen - Your Summer Dream
35 The High Tensions - Looking For A Summertime Girl
36 Surf Knights - You Lied / Broken Hearts
37 The Runabouts - Surfer's Fright / Walkin' Dream
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Vol.14 Surfin' Hot Rod, Summer Garage
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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Royale Monarchs |
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14-01
Royale Monarchs - (Hey) Surf's Up
(7: Dell Star Record Co. DS-102) 1963
California 州 San Bernardino を拠点としていた Surf band で
1960年代後半、K.R.L.A.ラジオの DJ Bob Eubanks によって
彼らは The Cinnamon Cinder nightclub のハウスバンドとして契約し、
テレビ番組 Hollywood Dancetime と Cinnamon Cinder の
常連になった。因みに Bob Eubanks はクラブサーキットで
知り合いになった Gary Usher のデビューシングル
Driven Insane / You're The Girl (Titan 1716) を K.R.L.A.ラジオの
自身の番組でオンエアーした人物である。
Members are
Dan Anthony - vocals & lead guitar.
Roger Stafford - lead vocal & rhythm guitar.
Ed Loewe - bass.
Wilson Smith - drums (later replaced by George Haraksin).
Jack Schaeffer - tenor sax.
彼らは Sock Hops (レコードプレイやバンド演奏を使った
Teenager のためのローカルダンスイヴェント) で演奏しながら
彼らはしばしばJan and Dean, The Hondells, The Honeys の
バックバンドとして演奏し、The Cinnamon Cinder nightclub の
ハウスバンドとして Jackie DeShannon, Dick And Dee Dee,
The Ronettes, Little Stevie Wonder, The Coasters,
The Rivingtons, Chuck Berry のバックバンドとして演奏していた。
ライヴパーティー仕立てで録音された A面は
The Surfaris "Wipe Out" の影響下である事が伺えるギターが
心地よい Beach Rocker である。
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14-02
Jimmy & The Illusions - Karen / Undertow
(7: Jolynn Records K-36) 1963
California 州は San Diego の Surf garage band が
残したレアシングル。
自作自演のローカル盤だが Lo-fi サウンド特有の
場末のステージ感が心地よいサーフバラードの逸品。
Flip side のサーフインストも中々よい。
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14-03
Buddy Wymore The Knaves - Surf-Mad
(7: Mitchell ML 101) 1963
California 州の Orange County にある古いコミュニティーエリア
Midway City のローカル自主盤。同地はアメリカの国勢調査指定
地域で、オレンジカウンティ郡で唯一、商工会議所と住宅所有者協会
が市議会のように協調して行動するエリアであり、
南西にハンティントンビーチが隣接していて
地元サーファーが住みやすいエリアである。
Buddy Wymore は1936年1月30日生まれで若い頃、
アメリカ陸軍に徴兵され、外科技師として勤務した。
その後ミュージシャンとして活動し、オレンジカウンティ地域
で数年間ソロライブを行っていた。
本件シングルリリース時に彼は30歳だったが、彼が書いた
"The Town Crier" はラジオDJの Lee Ross によって録音され、
一時期南カリフォルニアのチャートにランクインした。
彼のもう一つの情熱は車だった。彼は生涯を通じて多くの
プロジェクトカーを所有し、再構築、改造、塗装、運転、
販売を行っていた。彼は Christian Rods and Customs の会員で
イエス キリストを証しする手段としてホットロッドと
カスタムカーを使用して、米国内および海外の多くの
カーショーに参加していた。
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The Crockett Brothers |
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14-04
The Crockett Brothers - The Fastest Car In Town
(7: Donna 1389) 1963
3-13 The Crockett Brothers - Mother Mother Can I Go Surfin'
でも書いたが、Jeremy, Joel, Chris Crockett の3人兄弟による
ファミリーグループだ。Chris Crockett は13歳のときから曲を
書き始めており、彼ら兄弟はカリフォルニア州にカントリー
ミュージックを根付かせる事に尽力した名門一家
The Crockett Family Kentucky Mountaineers の第3世代にあたる。
彼らは商業的な成功を収める事はできずグループを解散させ、
兄弟は異なる道へと分かれた。1975年 Chris Crockett は音楽
出版社の Garrett Music Enterprises, Inc. (Snuff Garrett) の
スタッフライターになり、Brenda Lee, Larry Mahan, Donnie Brooks,
Susie Allenson などに曲を書いた。Chris Crockett はグラミー賞
に投票する組織である国立録音芸術家科学アカデミー(NARAS)
の生涯会員であり、国際ナッシュビル作曲家協会(NSAI)の
会員としても名を馳せている。
で、本件 The Crockett Brothers のセカンドシングルだが
前作が1963年でサーフィンはモロにムーヴメント下の作品。
で、こちらは1963年でホットロッドチューンとしてはかなり最先端
の作品となる。当然ながら本格的ムーヴメントの一昔前の作風で
Roger Christian-Gary Usher が築いていくヴィジョンとは
異なり、マーロン・ブランド(Marlon Brando) の映画「乱暴者」
The Wild One の有する「反抗的な若者」のイメージと共に
不良の公道レースをテーマに歌っている。
ここに西海岸のテーマミュージックの成長過程が垣間見れる。
因みにB面は前作 "Mother Mother Can I Go Surfin'"と
同じような作風で、恐らく同じセッションで録音されたのだろう。
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Phil Cay And The Chantels |
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14-05
Phil Cay And The Chantels - The T-Bird
(7: Tifco 832) 1963
1950年代後半から Florida 州 Jacksonville で活動していた
ロカビリー系パーティーバンド Phil Cay & The Blue Notes が
発展的に Phil Cay And The Chantels と成った。
Back Vocals を担当した女性グループの Beverly Cay は
恐らく Phil Cay の妻だろう。バックアップコーラスの
素晴らしいレスポンスを配した Car song をロッカースタイル
で歌う。ローカル盤特有の Lo-fi sound が心地よく
B面のバラードチューンも場末のクラブシーンが浮かび上がる。
彼らは後年にオールディーズ系のローカルアルバム
Yesterday Today Tomorrow (CPI 7981) を1枚リリースしたが
本件シングルの曲は収録されてない。
Members are
Vocals, Organ - Phil Cay.
Lead Guitar - Jimmie Davidson.
Bass Guitar - Bob Haynes.
Drums - Doug Bracey.
Saxophone, Organ - Connie Boswell.
Tenor Saxophone - George Idle.
Back Vocals - Beverly Cay, Jerry Allen.
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14-06 The Revelers - 426
(7: LRV Records 640J-8456) 1963
Texas 州の Dallas 近郊の Pleasant Grove にある高校
W. W. Samuell High School の生徒達が結成したバンドで
所謂、卒業記念みたいなものだったのか、それとも地元で
活動してたグループだったのかは定かではない。
オリジナル曲で、なかなかかっこいいので Teen Garage マニアと
Surfin' & Hot Rod コレクター達からラブコールを受けるレア盤。
一応メンバーを記述しておく。
Phil Phelps, Donny Lee, Milton Powell,
Larry Vines, Thomas Vines, David Nelson.
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W. W. Samuell High School |
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Everett Gates & The Jokers |
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14-07
Everett Gates & The Jokers - Mean Machine / Loved And Lost
(7: Tally 6401) 1964
Indiana 州の Garage band が録音した Hot rod tune で
Vocal background を女性グループ The J-Tones が担当した。
両面とも Everett Gates の自作だがB面のバラードの
出来もなかなか良い。
Members are
Everett Gates - Lead Vocals.
Dave Liles - Lead Guitar.
Harold Miracle - Rhythm Guitar.
Tom Kiefaber - Bass Guitar.
Bobby Johns - Drums.
なお、The Allman Brothers Band の名ギタリスト
Dickey Betts は「俺は Everett Gates & The Jokers の
リードギター Dave Liles から若い頃に影響を受けた。
彼らの "Mean Machine" の録音前には参加していたが
未成年だったために飲酒できずに彼らの Gig では
演奏できなかった」と公表しており、レコードの録音では
リードギターを Dave Liles と交代した。
彼らはその後も交友が続き、事実 2002年の
Dickey Betts & Great Southern に Dave Liles は
ゲスト参加してギターを演奏している
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14-08
Alexander And The Greats - Hot Dang Mustang / Do The Mustang
(7: Limelight Y-3040) 1964
Limelight は Mercury の子会社で、Dizzy Gillespie, Oscar Peterson,
Art Blakey, Milt Jackson 等の有名なアーティストによるジャズ作品
の委託を目的として1962年に設立された。
Surfin' & Hot Rod 業界では1964年にリリースされた
The Flagmen - Drag Strip U.S.A. (Limelight Y-3014) 2-5 参照
Al Hartley And The Heartbeats - Ain't You Glad It's Summertime
(Limelight Y-3027) 17-26 参照
そして本件シングルが比較的有名で、共通して言えるのは
コーラスがユニークなところだ。
名車 Mustang とはオスの種馬という意味なので
馬の嘶きを挿入したガレージチューンは安易なアイディアだ。
私はこの Alexander And The Greats - Hot Dang Mustang の
病み付きになりそうなコーラスが大好きで、またよく聴くと
そのフリーキーなギターサウンドがガレージサイケへと
昇華しているので長年このシングルについて調べてきた。
その長年の研究の成果を今日は君だけに教えちゃう、うふふふ
まずグループ名 Alexander And The Greats とは古代ギリシャの
マケドニア王国アレクサンダー3世に由来しており、
一般的にアレキサンダー大王として知られる。
(紀元前356年7月20/21日 - 紀元前323年6月10/11日)
Alexander And The Greats 名義でリリースされたシングル
2枚が存在し、同名異グループと認識されてるのだが
実は二つに共通項があるのだ。
Alexander And The Greats -
Waterlogged / Swanee Stomp (Arvee A 5064 in 1963)
こちらは両面ともダンスインストで Kim Fowley-Al Harris
が書いており作者の Al Harris はこう語っている「私は当時
Ricky Nelson band のメンバーだった。録音に参加したのは
James Burton and Joe Osborne,
Mel Taylor (The Ventures) on drums.」
で本件シングルの Alexander And The Greats -
Hot Dang Mustang / Do The Mustang (Limelight Y-3040 in 1964)
この強烈な曲は Don Alexander が作者として
クレジットされている。彼は The Strikes のメンバーで
このヴォーカルグループには二人のソングライター
Kenneth Scott と Willie Jacobs が在籍し、彼らが1956年に
The Strikes のために書いたのが
Kenneth Scott 作 "Baby I'm Sorry"
Willie Jacobs作 "If You Can't Rock Me"
そして2曲とも Ricky Nelson が翌1957年にカヴァーした。
この事実で紐付けできるのが
たとえ Alexander And The Greats (Arvee A 5064) と
(Limelight Y-3040) がレコーディングメンバーが異なる
スタジオグループだったとしても両グループとも
Ricky Nelson に関係していた。
で、このようなケースからレコードを調べることは
よくあり、よくある話が異なるグループが、そもそも
架空のセッションユニットの類なので、ある種の接点から
プロダクションが変ってもグループ名だけ受け継ぐといった
ケースだ。アレキサンダー大王というグループ名に
所有権を持たせておらず、ネーミングのインパクトから
別ユニットが継承しただけなのだろう。
敢えてもう一つの興味深いリリースを掲載しとく
マルチプレイヤー兼ソングライターでもある
Ken Jenkins 率いる Kenny & The Fiends
(14-24 Kenny & The Fiends - Last Night Was The Night と
15-3 Rick And The Ravens を参照) が1964年に変名で
Eddie Alexander And The Greats - I'm In Love / Like-What's Happenin
(Sea Seven Records X164) をリリースしているが、
これはジャングルビートを使った R&B garage style で
ヴォーカルも異なるので本件との関与は考え難い。
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The Strikes |
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The Corvelles |
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14-09
The Corvelles - Dunebuggy Ride
(7: Century Custom Recording Service 19805) 1964
Oregon 州では2〜3位争いを続ける大都市 Eugene (ユージン) 出身
の Surf garage band で、1962年に結成された。
Dune Buggy (Beach Buggy) をテーマに歌ったシングルで
これは極少数のカスタムプレスでリリースされた。
バンド名がプリントされた白いスリーヴを
付けて配布され、この1964年にバンドは解散した。
バンドのメンバーだった Greg Nance と Skip Biggs は
The Moguls に参加してシングル3枚をリリースした。
The Corvelles members are
Terry Burrell (Lead vocal)
Vic Hastings
Dave Carlson
Greg Nance (Guitar)
Skip Biggs (Drums)
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Dune Buggy (Beach Buggy) |
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The Gestures |
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14-10
The Gestures - Run, Run, Run
(7: Soma 1417) 1964
Minnesota 州南部の Mankato マンケイトー出身のティーンガレージバンドで
メンバーは当時15〜17才の少年達だった。
サーフビートとブリティッシュ・インヴェイジョン・サウンドを
融合させたような秀逸なビート・チューンでメンバーの Dale Menten が
書いたオリジナル。
Members are
Dale Menten (vocals, guitar),
Gus Dewey (guitar),
Tom Klugherz (bass),
Bruce Waterston (drums)
このグループ本件デビューシングルのリリースと同時に名前を
変更するまでは The Jesters として知られていた。
この曲は 1963 年に Dale Menten が曲を書こうと決めたときに生まれた。
グループのリーダーである Dale Menten によると、彼はグループが
The Jesters として活動していた1963年に "Run, Run, Run" を書いたという。
彼らはミネアポリスとセントポール全域 (Twin Cities ツインシティーズと
呼ばれるミネソタ州で最大の都市圏)で継続的にライヴ演奏し続けた。
翌1964年8月16日、グループのマネージャーである Jim Madisonが
この曲と他の3つのトラックの録音日をKay Bank Recording Company
に設定し、そこで彼らはは初期のデモヴァージョンを録音した。
それをマネージャーは KTOEラジオのDJに送るとその録音をDJは支持した。
好評を博し、Twin Cities のDJランキング1位の Lou Riegert(KDWB AM)
がグループと密接に関わるようになった。
Lou Riegert は、作曲のアレンジメントにいくつかの変更を提案し、
彼らはより速いドラムのバックビートで再録音する事に同意した。
1964年8月24日、彼らは改めて同じスタジオにて
以前より速いビートで "Run, Run, Run" を再録音した。
このヴァージョンはグループのデビューシングルに使用され
1964年10月に Soma レーベルから The Gestures としてリリースされた。
先ず中西部で大ヒットとなり、全国的に各地でヒットとなった。
地元 Twin Cities のチャートではナンバー1を獲得し、
ロサンゼルスとオクラホマシティーでは最高3位となった。
この曲はビルボードのホット100チャートで1964年12月20日を
ピークに44位を記録し、キャッシュボックスチャートでも60位に達した。
1965年、彼らは人気番組 American Bandstand に出演し
その後中西部とカナダをツアーした。
彼らのシングルはカナダのラジオ局でも聴かれたにもかかわらず、
配給網が弱く、カナダの店舗では入手できなかった。
彼らは続いて1965年にシングルをもう1枚だけリリースした。
Don't Mess Around / Candlelight (Soma 1426)
この曲は地域的には "Run, Run, Run" とほぼ同じくらいの
出荷規模だったが、どちらがA面なのか混乱があったため
全国的にはチャートインしなかった(Don't Mess Around が最初の
A面だったが、すぐに裏返された)小規模レーベル Soma による
限定した流通、Soma が効果的に対処できなかったという事実により、
全国的な配布責任と不適切な経営陣に彼らはうんざりした。
バンドメンバーの決定により The Gestures はすぐに解散した。
リーダーでソングライターの Dale Menten はその後ミネソタの
ガレージバンド The Mad Hatters (AKA The Best Things) や
The Shambles で活動した後もミュージシャンを続け
The Blackwood Apology を結成しFontana からアルバムを
リリースしたりしながら地元ミネソタのミュージックシーンに
関わり息の長い活動を続けた。
Now run run baby
Run run run to set you free
Run run run run baby
Run run run run baby run
I'll just set you free
Now did you know
That I didn't love you
And did you know
I'd make a fool of you
Run run run run baby
Run run run run baby run
There I was all alone
Waiting for you to phone
But you were out with another guy
Why oh why oh why
Run run baby
Run run run to set you free
Run run run run baby
Run run run run baby run
I'll just set you free
There I was all alone
Waiting for you to phone
But you were out with another guy
Why oh why oh why
Come on and run run baby
Run run run to set you free
Run run run run baby
Run run run run baby
Run run run run baby run
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The Trashmen |
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14-11
The Trashmen - New Generation
(7: Garrett Records GA-4010) 1964
ラベル数種あり、カタログ番号左プリントとそのプロモ盤、
そして右プリントとそのプロモ盤。
最後にプロモのプリント無しのホワイトラベル盤。
Minnesota 州Minneapolis が生んだ Surf Garage Punk の雄。
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されて全米の
あらゆる産業が停滞する中で狂ったようなダンスチューン
“Surfin’ Bird” で1963年12月7日をピークに全米4位の
大ヒットを作った足跡は驚嘆に値する。
そんな彼らのグループ名は本件作者の Tony Kai-Ray の
"The Trashmen’s Blues" から付けられた。
Tony Kai-Ray は後当地のミュージシャンだが多くの変名があり
Richard A. Caire, Tony Caire, Kai Ray,
Kai-Ray and Krew, Shane Kai Ray も全部同一人物である。
グループのリードヴォーカルでドラマーの Steve Wahrer が
名づけたのだが、グループ名の元となった曲の作者が
書いた曲が本件である。若者のエネルギーが大爆発する
強烈な Garage punk tune だが、ケネディ大統領の暗殺で
メジャーレーベルがラブソングやハッピーソングの類を
軒並みリリースをキャンセルしたのが1964年のアメリカの
世相であった。「そんなの関係ねー」(死語) とばかりに
五大湖周辺のクラブシーンでは、このような縦ノリの
Punk tune で盛り上がっていたという現実に呆れる。
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Norman Welch |
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14-12
The Dynamics - Coast To Coast / Summertime U.S.A.
(7: USA Records 769) 1964
Chicago 出身のバンドで彼ら唯一のリリース。
メンバーでソングライターの Norman Welch はその後も
音楽を続けており、Norman A. Norman の名で南カリフォルニアで
ギグをやっていた事が確認されている。
元気なビーチポップダンサーだが、なんとプロデュースは
The Diamonds "Little Darlin'" でも有名な David Carroll が
担当しており、Illinois 州の地元つながりとは言え、
素晴らしいキャスティングである。
グループメンバーを列記しておく
Members are
Roger Maltz, Dan Michel, Peter Logan,
Norman Welch, Kim Balstad.
Backup vocals: Nora Marsh & Debby Sabusawa (Debbie Sabusawa).
Debby Sabusawa (Debbie Sabusawa).は1975年に
Chicago の Cavda Records から Wolfman Jack との
カップリングシングルをリリースした女性である。
Wolfman Jack - Free Shots
Debbie Sabusawa - Something For Nothing
(Cavda Records 333)
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David Carroll |
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14-13
The Chevelles - Blue Chevelle / Mala-Boo
(7: Bangar 00603) 1964
1966年5月7日に全米45位のスマッシュヒット "Peter Rabbit"
を持つワンヒットワンダー Dee Jay And The Runaways の
前身バンドが The Chevelles である。
Members are
John Senn - Guitar, Vocals.
(Later Dee Jay And The Runaways)
Denny Storey - Guitar, Drums, Vocals.
(Later Dee Jay And The Runaways)
Duane Rehborg - Bass, Trumpet, Sax, Vocals.
Harvey Nerness - Guitar, Sax, Vocals.
Denny Kintzi - Drums, Sound Effects, Vocals.
Paul Hanson - Drums, Sax, Vocals.
Minnesota 州 Windom 出身のThe Roulettes から
Harvey Nerness, Denny Kintzi, Paul Hanson の3人、
Iowa州 Spirit Lake出身のThe Rhythm Aces から
John Senn, Denny Storey, Duane Rehborg の3人が
合体して結成されたのが本件シングルの The Chevelles である。
そして Denny Storey が Dee,
John Senn が Jay で、後に Dee Jay And The Runaways が
結成されるのだが、Minneapolis に本拠を置く
Bangar レーベルにしては珍しくピクチャースリーヴを
付けてリリースされている。
カートゥーン (Cartoon は「風刺漫画」や「欧米の
比較的短めの子供向けアニメ」を意味する) に出てくるような
ユーモラスな太っちょがメンバーにいるようだが
そこは御愛嬌。
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14-14
"Russ" & The Sting-Rays - Do The Surf / I'm Cryin'
(7: Carol Records 102) 1964
ルイジアナ州はニューオーリンズのローカルガレージバンドで
リーダーでソングライターの Cuyler Winslow Russell
(AKA Russ Russell) が結成した。
曲を聴くかぎり彼はピアニストと思われ、フラットガレージチューン
だがピアノとギターブレイクを入れている。
B面はガレージファンの好きな Lo-fi Teener garage ballad で
Houston’s Recording Studio で録音されている。
因みに彼らは Rat Pack / Don't Know What To Do (RVI Records #501)
というシングルもリリースしている。
Russ Russell は1970年に別ヴァージョンで "I'm Cryin" を録音し
R.A.G.E. RG 300 からリリースしている。
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14-15
Drag Kings - Midnight Drag Of Paul Revere
(7: Wayne Way Records 45-105) 1964
Virginia 州の田舎町 Waynesboro のガレージバンドで
当初は1963年リリースと言われていたのだが
グループメンバーで作者の Jack Chandler 本人が
連絡をくれて1964年だと教えてくれた。
Lo-Fi garage sound の多くのファンが支持しているように
この手の高音質なものではない録音環境を志向する価値観は
アンダーグラウンドシーンやインディー・ロック市場の以前から
Doo-wop, Surfin' & Hot Rod ら若者主体のロックンロールシーン
の生々しい活動記録として多くのファンが存在していた。
それがデジタル録音時代になって録音技術が格段の進歩を
遂げるにつれ現実感のないサウンドによる豪華主義・商業主義に
反発し、その流れの中で Lo-Fi サウンドは見直されていくことと
なった。やはりロックンロールの本質は音の悪さを超えて
伝わってくるパフォーマーの熱量である。
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14-16
Bob Steffek & The Falcons - Wild Woody
(7: Shazam Records MR-111) 1965
Texas 州のローカルガレージバンドの残した好サンプル。
1965年までのローカルガレージバンドのシングルのパターン
としてA面 Surfin' & Hot Rod, B面でヴォーカルバラードの
両A面のようなダブルサイダーをリリースするが、これもそれ。
冒頭のイントロギターで The Beach Boys - Surfin USA
を想起させ、ワイルドなロッカースタイルで歌い
間奏部分で充分にギタープレイをアピールする。
北部や五大湖周辺のガレージバンドの縦ノリと異なり
演奏を聴かせる比重が大きいのもクラブのサイズが
大きい南部ならでは。
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14-17
U.S. Beatles - Beach Girl
(7: D R 18 Inc. Records No Number) 1965
David Rosen の Philadelphia レーベルからの1枚。
A面で Surf tune、B面は "You Better Move On" の
カヴァーで Rolling Stones 寄りになってるにも関わらず
U.S. Beatles と名乗る面白いカウンターリアクション。
U.S. Beatles は U.K. Beatles とは相反するという便乗商法。
ここまでくればそれは哲学の世界。
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David Nowlen |
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14-18
The Nodaens - Beach Girl
(7: Gold Records G-1001 Promo only) 1965
The Survivors の David Nowlen の自作プロジェクトである。
3-22 The Survivors - Pamela Jean でも記述したが
The Survivors とは実態のないグループとして扱われていたが、
実際は実態があるユニットだった。Brian Wilson, Bob Norberg,
Dave Nowlan, Rich Peterson (Rich Alarian) の4人がメンバー。
1963年の初めに South Bay area にあるアパートに引っ越して
きた Brian Wilson が隣人の彼らと直ぐに意気投合したのが
そのきっかけだった。当時、Brian Wilson は Dion Style に
夢中になっていて、Dion のヒット曲 "Come Go With Me"
と "Donna The Prima Donna" のサウンドを念頭に置いて、
Brian Wilson は The Survivors のために The Beach Boys の
“Car Crazy Cutie" のメロディーを用いて ”Pamela Jean" を
書いた。(注:Brian Wilson は Rich Peterson のガールフレンド
の名を使って、Rich Peterson が歌詞を書いた ”Pamela Jean"
を作曲する。1963年夏には完成し Capitol Records もこの曲を
気に入りリリースが決定したがリリーススケジュールは大幅に
遅れていく) Capitol から次の The Beach Boys のアルバムを
リリースしなければいけない Brian Wilson はほぼ同時期に
“Pamela Jean" の歌詞を変えて ”Car Crazy Cutie” のタイトルで
録音しその曲は 1963年10月21日にリリースされた The Beach Boys
のアルバム Little Deuce Coupe (Capitol T/ST-1998)
A4 に収録された。The Survivors のメンバー達は Brian Wilson に
抗議したが「曲は僕のものだ」と言われて返す言葉がなかった。
そのシングルはたいしたプロモーションもなく1964年1月に
リリースされた。現存する Capitol Records マスター・テープ
ではイントロのコーラスの頭が切れてしまっているのでリリース
されたシングルは全て冒頭のコーラスが1音欠けている。
(注:テスト・プレスのアセテート盤のみ完全版なのでその後
出回ったブート等で聴けるフルヴァージョン音源は音が悪い。
デジタル時代になって随分音質良くされてるようだが)
それはアメリカが British Invasion に襲われる前夜の事だった。
その曲は南カリフォルニアのラジオとテレビでは少しだけ注目された
らしい。運が悪いことに The Beatles - I Want To Hold Your Hand
が大ヒットを記録している最中で Capitol Records は The Beatles
のプロモーションに没頭している最中だったので The Survivors
のレコーディングもこれで最後となった。
それでも夢を追い続けた David Nowlen は The Nodaens 名義で
本件シングルを1965年に製作した。
プロモ盤しか存在しないのだが、この "Beach Girl" は
裏話がある。Brian Wilson は The Survivors のために他の2つの曲を
セッション中に書いた。"Wich Stand" と "A Joy Ride Cruise"
がそれだ。Hal Blaine がドラムを担当し、Gold Star Studio で
"Wich Stand" をレコーディングしたが、"A Joy Ride Cruise"
はレコーディングには至らなかった。(注:Brian Wilson は
"Wich Stand" という曲を書き、Brian Wilson がベースとピアノ、
Hal Blaine がドラム、2人のサックス・プレイヤーが入って
録音は完了したが、それを聴いた Capitol Records の
プロデューサーは「曲はいいがこれでは The Beach Boys と
同じだ」と言ったため、Brian Wilson は The Beach Boys と
大きく違うスタイルの曲を作ると言ってそのマスターを
持ち帰った) 結局録音にも至らなかった "Joy Ride Cruise"
を Dave Nowlen が口惜しく思ってたのだろう。
本件 The Nodaens "Beach Girl" は "Joy Ride Cruise" のメロディー
を使っており、そこに Dave Nowlen 書いたであろう歌詞を
加えて録音したがソングライタークレジットは David E. Nowlen
にしている。
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Pit Men |
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14-19
Pit Men - Cruising Along The Highway / Surf Bored
(7: Pit Records 45-402) 1965
Texas 州 Oak Cliff にある The Bronco Bowl という会場の
The Pit Club のハウスバンドでカルト人気が高いレアシングルだ。
当時から Texas は無いものねだり的に The Beach Boys の
サウンドが大好きな地域だが、ここにもレベルの高い
The Beach Boys follower がいた。しかもローカルクラブバンド
による自主盤。リーダーの Floyd Dakil は興味深い足跡を残している。
彼をリーダーとした The Floyd Dakil Combo がこのバンドの
母体で、彼らは今では Garage コンピの名作 Pebbles Vol.1 に
収録されたローカルヒット "Dance Franny Dance" を1964年に
リリースした。当初はローカルリリースだった Jetstar Records J-103
を全国配給権を持つ Guyden Records が再リリース
(Guyden Records 2111) してマイナーヒットにこぎつけた。
そのバンドが The Pit Club のハウスバンドとして
契約し発展的に名称変更したのが Pit Men だった。
The Floyd Dakil Four, Floyd Dakil & The Pitmen とも名乗っていたが
バンドは1967年に解散した。その後 Floyd Dakil は1969年から
Louis Prima のバックバンドにギタリストとして参加した。
1975年にはソロで Live album をリリースしたのだが、
2010年4月24日に自殺してこの世を去った。
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The Islanders |
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14-20
The Islanders - King Of The Surf / When I'm With You
(7: Islander Records 6601) 1965
Texas 州 San Benito 出身のバンドで
同地はメキシコとの国境付近で
メキシコ湾に面した地域だ。
緯度でいえば Miami なんかと同じような場所で、
Los Angeles なんかよりは南に位置する。
そんな南部だから Texas 州には West Coast の
ユースカルチャーに触発された Surfin' band が
多数存在していた。
本件シングルは RCA Custom で500枚プレス
された自主盤で、リズムに不安定なところもあるが
メロディアスな作風でなかなか出来もよい。
残念ながらメンバーの Creep Gosser と Kenneth Greer
がベトナム戦争に徴兵されたために1967年に
バンドは解散した。
Members:
Creep Gosser (lead vocal, rhythm guitar)
Jack Morgan (lead guitar)
Ray Lynch (bass)
Terry Kaufmann (percussion)
Kenneth Greer (drums)
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The Lords Of London |
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14-21
The Lords Of London - Little Lonely Summer Girl
(7: Domain 1423) 1965
Colorado 州出身のバンドで
The Bundys (Domain 1410), The Lords (Valiant V-725)
の変名リリースも持つ。メンバーでギタリストの
Gerry Jimerfield は後に Dragonfly (Megaphone MS-1202) で
素晴らしいサイケデリックハードロックを聴かせる。
本件は Buddy Holly の死後しばらくの間、
The Crickets のリードシンガーとしての地位を確立した
David Box の名作カヴァー。 (5-27 を参照)
彼らのヴァージョンは間奏部をなくして簡素化することで
よりカジュアルな仕上げにしている。
Members are
Tommy Beuten (vocal)
Gerry Jimerfield (guitar. Later The Obvious, The Legend, Dragonfly)
Sid Leavell (drums)
Rodger Jones (bass)
Poor little lonely summer girl
vacation’s made you blue
Poor little lonely summer girl
wish I was there with you
Poor little lonely summer girl
your friends are havin’ fun
They’re too busy laughing
to see you’re only one
They’re so happy school is out
but they don’t understand
hearts that are a summer apart
won’t be happy until school starts again
Poor little lonely summer girl
go on and join your friends
and make yourself smile until
we are together again
They’re so happy school is out
but they don’t understand
hearts that are a summer apart
won’t be happy until school starts again
Poor little lonely summer girl
vacation’s made you blue
Poor little lonely summer girl
wish I was there with you
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The New Arrivals |
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14-22
The New Arrivals - You Know You're Gonna Be Mine
(7: South Bay Records SBM 45 102) 1965
米国 California 州 San Jose のバンドで、1962年に The Preps
としてスタートし1965年に The New Arrivals に改名した。
まず1962 年に Tom Muller, Andre Meschi, Bill Smith が
バンドを結成して、さまざまなイベントで演奏していた。
1963年、地元 San Jose のラジオ局 KLIV での Larry Mitchell と
Jack Hayes の出会いをきっかけに、San Francisco の
Coast Recorders でバンドはレコーディングを行った。
彼らの最初のシングルは The Preps - Pam Pam / Elizabeth
(Another Loser Records 176) だった。これにより、彼らは
一定の人気を得て Rod Gibino がバンドに参加した。
1964年、San Jose のイベント会場 Santa Clara Fairgrounds
Exhibition Hall で行われた The Beach Boys live のオープニング
アクトを彼らが務めた。彼らは The Beach Boys のプロモーター
だった Irving Granz に雇われ、いくつかの主要なスターの
オープニングアクトとバックアップグループとして
彼らのツアーに参加した。San Jose のバンドが主要なスター達
と一緒にツアーを行ったのはこれが初めてだった。
彼らは1964年に Preps #1 名義にて Night Theme / What?
(Warped Records 5000) をオレンジ系クリアーレッド盤で
リリース。"Night Theme" ではクレジットされていないが
若き Sly Stone が Bass で客演していると言われている。
当時病気だった Rod Gibino の代役を Sly Stone が
務めたらしい。このダンスインストのシングルは
Dot Records に買い上げられ同年に The Preps と
クレジットされ Dot Records 45-16663 として再リリースされた。
そして彼らは The Preps 名義では最後となるサーフインスト
The Moonracers / It Ain't Green Cheese On The Moon,
Baby! (It's Mozarella) (Southbay Records 101) を1965年に
リリースした。A面の "The Moonracers" は Herb Alpert と
Scott Turner の共作で初期の Space Rock としての評価も高い。
これ1枚だけをリリースした San Jose の Southbay Records
が South Bay Records とクレジットにスペースを入れて
変更させたが、このレーベル所有者は彼ら自身であり、
所謂自主盤である。The New Arrivals と改名した彼らの
シングル2枚だけをリリースして South Bay Records も
閉鎖しているが、本件はその彼らが The New Arrivals として
リリースしたファーストシングルだ。
レーベル的に Southbay Records 101 を最初としてるので
本件は South Bay Records SBM 45 102 とクレジットされてる。
The New Arrivals として再デビューしたのは病弱だった
Rod Gibino に取って代わり Shorty Syres がメンバー加入した
からだ。このシングルのA面 "Take Me For What I Am" は
素晴らしい Folk Rock で、西海岸のユースカルチャーが
Surf music から脱却しようと歩みだしたのが解る。
しか〜〜しB面の "You Know You're Gonna Be Mine" が
問題なのだ、"Surf City" のフレーズを利用した Surf Style の
ビートチューンなのだから、聴いて大笑いしてほしい。
その後1966年にはペプシドリンクの 7Up のコマーシャルソング
Let's Get With It / Just Outside Of My Window を販売チェーン店
Macy's の協賛で Macy's / 7Up SBM-45-104 としてリリース。
カタログ番号 SBM-45-104 なので South Bay Records
の最終リリースと考えるべきだろう。
で、彼らは順調に行っていたのだがメンバー達が
軍隊に入隊する事になりバンドは解散となった。残念!
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The Dagenites |
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14-23
The Dagenites - Now That Summer's Gone
(7: Pixie MCR-204) Mar 1965
(7: Heigh-Ho 620-45) Sep 1965
Washington D.C. に近い Maryland 州の Oxon Hill で結成された
ガレージバンドで1965年から1966年にシングル4枚をリリースした。
当時 Maryland 州に住んでいた著名なギタリストで1958年の
ヒット曲 "Rumble" を持つ Link Wray のマネージャーと
彼らは契約した。彼らは地元のクラブでは毎週 Link Wray と一緒に
ブッキングされ共演し、大音量のパフォーマンスで有名になった。
リズムギタリストの Bruce Kennett の父親は Ohio 州 Dayton の
Pixie Records のオーナー Ivan Freemanを知っており、
彼らはそこに行ってレコーディングすることが手配された。
本件はメンバーの Bruce Kennett が書き、J.F. Bardi (John Bardi)
がアレンジをした曲で彼らのデビューシングルとして、
まず1965年3月にPixie からリリースされた。
I Don't Want To Try It Again / Now That Summer's Gone
(Pixie MCR-204)
レコードのプロモーション用コピーの初回プレス盤には、誤って
グループ名が The Joy Boys、レーベル名が "Fencoe" と印刷されていた。
慌てた製造業者は、古いラベルの上に新しいラベルを貼り付けることで
これらのエラーを補ったが、正しく訂正して生産される前に
これらの誤ったプロモ盤が数百枚プレスされて出回った。
バンドのベーシスト兼リードヴォーカルの Geoff Robinson と
リズムギタリストの Bruce Kennett が1965年の春に高校を卒業した後、
彼らはグループを脱退し、新しいメンバーに置き換えられた。
John Bardi の弟 Julian Bardi がベースで、Jon Rowzie が
リズムギターで参加した。グループにはリードヴォーカリストが
必要だったので、バンドの名簿に Jimmy Musgrove を加えた。
1965年の夏、バンドは Ron Barnett が経営するレーベル Heigh Ho Records
の人材発掘オーディションを受けた。John Bardi と弟 Julian Bardi は
バンドを代表して応募し、オーディションに合格し Heigh Ho Records と
契約を結んだ。Ron Barnett は当初、グループの名前を The Dagenites から
The Howling Wolves に変更し、訓練されたオオカミをグループの
パフォーマンス中に登場させることを望んでいた。
John Bardi によれば「もちろん我々はそのアイデアを嘲笑したが、
Ron Barnett は自分自身について非常に確信を持っていて、
実際にレコーディング契約を結んでいたので、我々はそれに同行した。
Ron Barnett がプロデューサーとして成功したと聞いたことがあるが
(それは信じられる)、短い間 Ron Barnett と一緒に過ごしたが、
私は彼のことについて他に何も聞いたことがないので、やはり
Ron Barnett を最終的に信じることができなかった。」
その斬新なアイデアは最終的に破棄され、バンドは The Dagenites として
演奏とレコーディングを続けた。
彼らはフォローアップシングル "I'm Gone Slide" をレコーディング
するためにニューヨークへ旅行し、Wilson Pickett の "Mustang Sally"
のレコーディングに参加したセッションマンが "I'm Gone Slide" の
オルガン・パートを演奏するために雇われた。B面のために
バンドは “Now That Summer's Gone” の新しいヴァージョン
を録音し、このシングルは1965年9月にリリースされた。
I'm Gone Slide / Now That Summer's Gone (Heigh-Ho 620-45)
Members are
John Bardi (lead guitar)
Bruce Kennett (rhythm guitar)
Geoff Robinson (bass and vocals)
Roger Fallin (drums)
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Kenny & The Fiends |
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14-24
Kenny & The Fiends - Last Night Was The Night
(7: Princess Records 54) 1965
ロサンゼルス空港を南下したサウスベイ地域に位置する
マンハッタンビーチ、ハモサビーチ、そしてレドンドビーチの
3都市からなる「ビーチ・シティーズ」のひとつである
Redondo Beach 出身のサーフ系ガレージバンド。
彼らは Eddie Alexander And The Greats (Sea Seven Records X164)
名義のリリースもあり、Eddie Alexander (Lead), Ken Jenkins が
中心となっている。(Ken Jekins としてクレジットされることもある)
Ken Jenkins (Kenneth F. Jenkins) は
マルチプルなミュージシャンでソングライター、シンガーとして
様々な足跡を残している。
The Doors を結成する前に Ray Manzarek が所属していた
Rick And The Ravens - Big Bucket "T" / Rampage
(7: Posae 101-1/2) 1965 で Ken Jenkins はプロデュースをした。
1968年にはカントリーロックバンド Bamboo (Elektra) に参加し
1970年からはカナダのハードロックバンド Blakewood Castle
(Canada Franklin Records) に在籍し、The Guess Who の設立者
でもある Chad Allan のマネージ、プロデュースで活動した。
その後彼は Essra Mohawk (AKA Sandy Hurvitz) の
アルバムにも参加した。
Kenny And The Beach Fiends -
House On Haunted Hill / The Green Door
(Posea Records 871) 1963
Credit as Ken Jekins (Not Ken Jenkins credit)
Kenny And The Fiends -
House On Haunted Hill / Part 2
(Princess Records 51 / Dot Records 45-16568) 1963
Credit as Ken Jekins (Not Ken Jenkins credit)
Kenny & The Fiends -
She Kept Doing Him Wrong / Last Night Was The Night
(Princess Records 54) 1964
Credit as Ken Jekins (Not Ken Jenkins credit)
Kenny & The Fiends -
Moon Shot / One-Two-Three-Four
(Princess Records 54 / Dot Records 45-16596) 1964
Kenny And The Fiends - The Raven Part 1/2
(Posea Records 80) 1964
Eddie Alexander And The Greats -
I'm In Love / Like-What's Happenin
(Sea Seven Records X164) 1964
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The Viscount V |
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14-25
The Viscount V - Cherry Red Vette
(7: Lavette Records LA-5003) 1965
ニューメキシコ州アルバカーキ出身のガレージバンドで
Teen pop コレクターには "My Angel" (Lavette Records LA-5009) が有名。
彼らは The Berrys (Challenge Records 59358) の前身バンドである。
本件は軽快なホットロッドチューンで、メンバーの Joe Corazzi が
書いたオリジナル。
プロデュースを担当した Lindy Blaskey はアルバカーキの
プロモーター、プロデューサー、ミュージシャンで
Lavette Records のオーナーである。
Members are
Joe Corazzi, Sonny Johnson, Mike Abraham,
Jimmy Franchini, Frank Coons.
1960年代半ば Joe Corazzi は音楽の才能に恵まれた10代の若者で、
高校生活とバンド The Viscount V のライブ活動に時間を割いていた。
彼はジュニア クラスの会長を務め、野球チームとバスケットボール
チームでプレイしていた。放課後は、クラシックカーへの
キャッチーなオマージュである "Cherry Red Vette" などの曲を書き、
結成からわずか6ヶ月後にバンド初のレコードとなった。
1966年に地元の Lavette Records からリリースされた後、
"Cherry Red Vette" は市内でナンバーワンのレコードとして
地元でヒットして、その成熟度とプロフェッショナルな品質で
地元の評論家を感銘させた。The Viscount V はすぐに The Berrys
に改名され、このバンドは “My Angel” や Wilson Pickett の
ヒット曲カヴァーである “In the Midnight Hour” などの曲で
有望な新進気鋭のバンドとしての地位を確立した。
“In the Midnight Hour” は地元ラジオ局 KQEO のトップ 40 の
ローテーションでトップの座を獲得し、いくつかの大手レコード会社
からオファーを受けた。慎重に検討した後、The Berrys は
Challenge Records と契約を結んだ。
その後、Joe Corazzi はニューメキシコ大学で経済学の学位を
取得し独自の通信会社を設立することに専念したが、
最初の情熱を捨てることはなかった。最終的に彼はカリフォルニアに
戻り、エンターテイメント業界を直感的に理解するビバリーヒルズを
拠点とする革新的なビジネスマンとしてのキャリアをスタートさせた。
その後彼は投資会社キャピタル・グループ社の会長を長年務めた。
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14-26 The Jaguars - Chevy Shut Down
(7: Cherry Records C-0369) 1965
Garage band from Chapman, Alabama.
Hot rod garage in Chuck Berry "Johnny B. Goode" style.
Written by Righteous, Black, Sellers.
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The Neons |
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14-27
The Neons - Swingin' Thing Is Summertime
(7: Unicorn International Productions UIP 2) 196?
Surf & Teen 系コレクター達を唸らせた Teener Garage Band
の残したレア盤シングル。
Washington D.C.で活動してた Unicorn International Productions
が製作した自主盤で、The Majestic Neons 名義でプロモーション
用の写真が残されており Brendan Pelan, Chick Hall, Rick Stubblefield
のトリオであった事が判明している。
明らかに The Beach Boys 以降に影響を受けたサウンドで
しかも出来の良いオリジナルのビートチューンである。
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The Images |
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14-28
The Images - A Swingin' Summer
(7: Music Mill A-404) 196?
Texas 州 Fort Worth のレーベルで、恐らく同地の
ガレージバンドと思われる。
彼らは1965年7月25日に Panther-a-Go-Go で開催された
Battle of the Rock N Roll Bands に参加し、11組中で
3位になった記録が残っている。
このレーベルでリリースされた他のシングルから考えると
恐らく本件は1966年のリリースだろう、
そのタイトルどおりに小気味良くスウィングする
サマーポップで人気の高いシングルである。
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The Eliminators |
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14-29
The Eliminators - Move Out Lotus
(7: TE-10) 1966
Indiana 州 Indianapolis のガレージバンドが
自主レーベルからリリースした1枚。
Indy 500 のレースで1959年と1962年の2回優勝した
ドライバー Rodger Ward がスポンサーになり Jan Eden Studios
で録音された。Decca 傘下の Hickory で製作されたが
バンド自身の TE レーベルから1000枚がリリースされた。
本件シングルはローカルプレスの割には曲の最初と曲中、
そして最後にレース状況の効果音を上手に挿入しており
Indy 500 のレースのプロモーションとしての意味合いが
強いリリースであった事が伺える。
バンドのテクニックはアマチュアガレージ然としたレベルだが
ローカルガレージシーンに楔を打ち込む事には成功してる。
その後メンバーの Mike Wiggin が脱退し、Dale Young が
参加した際にグループ名を The Students に変更して
2枚のシングルをリリースしている。
The Eliminators members
Jim Moore
Joey Hutchison
Larry Hobson
Mike Wiggin
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14-30
Dave Plummer And The Plungers - Surfin' Monster
(7: Maybrook MM 320) 1966
Florida 州 Palm Valley のローカルバンドが
残したレア盤。1度しか入荷させた事がない。
興味深いのが Country 系の Twang guitar が
見事にブレンドされてるとこ。
これを Texas じゃなく、Florida のローカルバンドが
やったというのがアメリカンミュージックの
奥深さだと再認識させられる。
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14-31
The Kleen-Kuts - (You're My) Summer Love
(7: Vitality Records 701) 1966
Alabama 州 Pollard 出身のガレージバンドで
Johnny White & The Kleen-Kuts としても知られる。
Florida 州の Seven Ways Productions がプロデュースを担当し、
Nashville の RCA studios で録音され、Sound Of Nashville が
プレスをした完全な南部産シングル。
50's スタイルのサウンドで聴かせる素晴らしい Teener summer pop だが
ベトナム戦争激化の裏で、南部の時代錯誤か、はたまた意図的な
マインドトリップの勧めか。
すでにのどかで平和な時代じゃなくなっていた1966年に
このサウンドでリリースしたのは、ある意味で凄い。
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Brooke Chamberlain
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The Rovin' Flames |
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14-32
The Forvus Featuring Brooke Chamberlain
With The Rovin' Flames - Now That Summer Is Here
(7: Tampa Bay Records BC-1110) 1966
Florida 州 Tampa のラジオ局 WALT で人気を博していた
若手 DJ Brooke Chamberlain (本名: Frank Edmondson) は
自らが運営する Tampa Bay Records のオーナーでもあった。
彼はその時期、自作の The Beach Boys style の曲を書いて
地元の有名バンド The Rovin' Flames にリズムトラックを
録音してもらった。彼は The Beach Boys を意識して叙情的な
発音で歌い、それを彼はグループ名義 Forvus (4 of us 私たち4人)
とクレジットし、自身のレーベルからリリースした。
The Rovin' Flames は Florida 州 Tampa では人気の
Garage Band で既にレコードデビューしており、彼らは
The Shadows of Knight よりも先に Them の "Gloria" を
カヴァーした事でも知られており、彼らは最終的にはラストシングルを
Decca でリリースもした。この録音当時 The Rovin' Flames は
若干のメンバーを変更していた時期だった。
Original lineup, 1965 - spring or summer of 1966:
Paul Battle - rhythm guitar, vocals
Jimmy “Mouse” Morris - lead guitar
J. R. Maietta - bass
Jerry Goff - drums
Spring or summer, 1966:
Hardy Dial - lead vocals
Paul Battle - rhythm guitar, vocals
Jim Morris - lead guitar
J. R. Maietta - bass
Jerry Goff - drums
Hardy Dial は以前 Tampa の The Outsiders のメンバーだった。
興味深い事に、バッキングトラックには Phasing (フェイジング)
が施されており、それがマスターテープのトラブルによる偶然か
意図的か不明だが印象的なサウンドになっている。
Brooke Chamberlain はその後、御当地グループ Mercy の
1969年全米2位の大ヒット曲 “Love can Make You Happy” の
出版社を持つビジネスマンになった。しかし共同出版をしてた Gil Cabot
との権利主張は長期にわたる訴訟になった。当時ドイツの米軍にいて、
大変な時期を過ごしていた彼はレコードの売り上げから1ペニーも
得ていないと噂されている。
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The Travelers |
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14-33
The Travelers - Beach Boy
(LP Prism PR-1966 Mono) 1966
From V.A. - WONE The Dayton Scene.
Ohio 州西部に位置する都市 Dayton 出身のガレージバンド。
同地は Miami Valley マイアミバレーと呼ばれる地域の中心都市で、
同州 Montgomery County モンゴメリー郡の郡庁所在地である。
彼らは The Travelers IV 名義とあわせて2枚のシングルを
リリースしたバンドだが、Dayton のラジオ局 WONE が開催した
バンドバトルに参加し、その際地元のレーベル Prism からリリース
されたサンプラーアルバム "WONE The Dayton Scene" に
収録されたのが本件である。
メンバーの Robbie Buell (Robin Buell) が書いたオリジナルソングで
彼らの得意としていた The Beach Boys スタイルのハーモニーを屈指して
Mega-Sound Recording Studio Inc Dayton, Ohio で録音された。
五大湖周辺で当時のローカルガレージバンドの多くが The Beach Boys
に影響を受けたことを物語る逸品である。
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The Craftsmen
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14-34
The Craftsmen - Your Summer Dream
The Craftsmen - Then I Kissed Her
The Craftsmen - You're So Good To Me
The Craftsmen - Surfin U.S.A.
The Craftsmen - Fun Fun Fun
(LP: Zap Records ZLP-C-3009) 1966
Tracks from their album "What Can We Say?"
Ohio 州の Harrison 郡の田舎村である Hopedale 出身の
Teen band が夢見た Surfin' music は色褪せることのない
夏の想い出として自主盤アルバム "What Can We Say?"
に閉じ込められている。
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Tommy Dae |
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14-35
The High Tensions - Looking For A Summertime Girl
(7: Hitt Recording Company 6601) 1966
Tommy Dae And The High Tensions - Summertime Girl
(7: Diamond Records Inc D-226) 1967
Some promo copies are Brown translucent vinyl.
先ず地元のローカルレーベル Hitt Recording Company
から1966年にリリースされた際は The High Tensions 名義で
タイトルは “Looking For A Summertime Girl” だった。
翌1967年に Diamond Records Inc からリリースされた際は
Tommy Dae And The High Tensions 名義になりタイトルも
シンプルに “Summertime Girl” となった。
上記レーベル画像にあるように下から2番目の
Diamond Records Inc の幾つかのプロモ盤には
茶色の盤がある。
Tommy Dae こと Frank Draus Jr. はコネチカット州
ロックビル出身で人口7000人程度の田舎の村だ。
同地は、アメリカ合衆国コネチカット州トランド郡
中央部に位置する国勢調査指定地域である。
トランド郡では人口最大の町であるバーノン町の
中にあるビレッジでもある。
そんな田舎の村出身の Tommy Dae が書いた本件シングルの
サマーポップを聴いて誰もがThe Beach Boys のカヴァー
ヴァージョン "Then I Kissed Her" (オリジナルは
The Crystals "Then He Kissed Me") のあの有名なギターフレーズを
思い出すだろう。オリジナルの The Crystals より若干
ピッチを落とした The Beach Boys のヴァージョンは
より感傷的で、”Then He Kissed Me” (それから彼は私にキスをした)
から “Then I Kissed Her” (それからボクは彼女にキスをした)
に変更されたタイトルによって若い男性の自発的な行動が
カジュアルに描かれた事によりティーンポップへと
昇華している。本件ではその印象的なフレーズの引用で
ティーンのカジュアルなライフスタイルを閉じ込めた
サマーソングへと仕上げている。
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Surf Knights |
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14-36
Surf Knights - You Lied / Broken Hearts
(7: Surf Records 100) 1966
Texas 州は Houston のローカルバンドで1967年にメジャーデビュー
した際は The Dream Machine (Decca ?32205) と改名した。
彼らは地元でアイドル的な立ち居地のバンドで、ガレージバンドに
よくあるネーミング Knights 貴婦人に付き添った中世の騎士団といった
勇ましくもかっこいいキャラクターイメージのために、アイドル系
のルックス重視のバンドとなる。
本件、Surf Records からリリースしたデビューシングル
波の効果音でスタートするが Rolling Stones style の
ストンパーチューンである。
むしろB面のティーンバラードのほうが Surfin’ music ファンの
ストライクゾーンだろう。
Members are
Richard Wyatt (vocals)
Tommy George (guitar)
Gaston Robau (guitar)
Dean Cook (bass)
Paul Torres (drums)
Steve Hibbler (drums)
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The Runabouts |
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14-37
The Runabouts - Surfer's Fright / Walkin' Dream
(7: Gama 45-699) 1966
Washington, DC. 出身のガレージバンドで彼らは
Edgewood Recording Studio, Inc. のアセテート盤シングルも残している。
A面はサーフガレージインストの隠れた逸品。
B面はサーフ系ティーンビートで、両面ともメンバー作品。
Fabian, Dankowitz (John Fabian, Ron Dankowitz)
The Runabouts members are
John Fabian, Ron Dankowitz.
John Fabian は彼の下記バンドのメンバーだった。
The Emeralds - The Emerald Surf / Surfin' Around The World
(DC Records 45-21)
本件プロデュースを担当した Gabriel Mantilla (Label owner)
の "Ga" and "Ma" からレーベル名にしており、
このレーベルは地元の女性投資家で Washington, DC. 出身の
幾つかの Doo-wop group のマネージメントを行っていた
Lillian Claiborne が出資しており、彼女は上記 The Emeralds が
所属していた DC Records のオーナーだった。
彼女は他のレーベル Loop Records も所有していたので
本件 Gama Records と Loop Records は DC Records 下の
姉妹レーベルとなる。
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【戻る】【続く】 |