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Vol. 16 01 The Initials - Rockin' Pants
02 Whitey White - Hillbilly Surfer
03 Lynn Bryson - Big Mean Drag Machine
04 The Scramblers - Turn Her On
05 Sanford & The Sandies - Let's Go To The Beach
06 Doug Hansen and The Hot Doggers - Surfin On Tears
07 The Pendeltons - Barefoot Adventure
08 The Baylanders - Surfers Rule
09 Larry Reed With The Shado's - Little Miss Surfer
10 Dave Kinzie And The Woodymen -
Beach Party ("All Summer Long")
11 The Silvertones - Seven-Piece Bathing Suit
12 Jan Davis - Guitar Star
13 Duane Eddy - Guitar Star
14 The Chord'R Notes - Livin' The Life
15 The Five-Hundreds - Run Little Rabbit
16 The Kustom Kings - Super Fine 39
17 The Astronauts - Competition Coupe
18 Rogues - Barracuda
19 The Barracudas - Boss Barracuda
20 Johnny Ray Gomez And The U-neeks - Go, Go, Go, Barracuda
21 Gary Lee Fausz And The Savoys ?- Barracuda
22 Dennis Wheeler - Down In Daytona
23 Scoop & The Dragsters - Hollywood Boulevard
24 The Pandas - Girl From New York City
25 Opus 1 - Back Seat '38 Dodge
26 The Romancers - She Took My Oldsmobile
27 The Fender Benders - Scooter
28 The Hands Of Time - Midnight Rider
29 Harley And The Night Riders - The Wild Angels Ride Tonight
30 The Leather Boy - On The Go
31 Paul Revere And The Raiders Featuring Mark Lindsay -
Judge GTO Breakaway
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Vol.16
Surfin' and Hot Rod, Biker
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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The Bel-Airs |
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16-01
The Initials - Rockin' Pants
(7: Kella Records K-100) 1961
本件シングルは初期 Surfin’ Music を語る上でも
重要な一枚になる。南カリフォルニアのユースカルチャー
が成熟していく過程で人脈の交差点を確認できる一枚がこれだ。
この Beach pop garage は演奏を The Bel-Airs が担当しており、
作者の Ken Robinson は The Centurions のサックス奏者であり
The Centurions とは Del-Fi 時期の Bruce Johnston の
初期作品でも有名な1963年アルバム
“Surfers' Pajama Party Recorded Live On The U.C.L.A. Campus”
(Del-Fi Records DFLP 1228 mono / DFST 1228 stereo) で
演奏をしているバンドだ。
恐らく本件シングルで熱いサックスプレイを披露しているのは
Ken Robinson 本人だろうから、そうだとすれば Ken Robinson
の打診で The Bel-Airs が客演したと考えるべきだろう。
因みによく勘違いされているが
下記の The Initials は Ohio 州 Cleveland のグループなので、
本件 The Initials (Kella Records K-100) とは関係ない。
Angelo And The Initials (The Initials on Dee 1001 in 1955)
The Initials -
School Day / The Song Is Number One (Congress 207 in 1964)
Dancing In The Sand / Seventeen Guys On A Blanket
At The Beach (Congress 219 in 1964)
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16-02
Whitey White - Hillbilly Surfer
(7: Big Al 703) 1963 彼の唯一のリリース。レーベル クレジットによると
6230 Sepulvedo Blvd. Van Nuys, California
となっており、位置的にはサンタモニカの北上で
101と405が交差するシャーマンオークスの近郊の町だ。
Written by Whitey White.
Produced by Ben-White.
彼のオリジナルソングだが、明らかに Eddie Cochran "Somethin' Else"
の影響下で書かれたロカビリーサーフスタイルで、サックスブレイクが
挿入されている。
恐らく100枚、200枚程度のプレスだろう。
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Lynn Bryson |
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16-03
Lynn Bryson - Big Mean Drag Machine
(7: Hook Records 12863) 1963 Lynn Bryson と言えば、モルモン教徒のソングライター、プロデューサー、
ラジオ DJで、彼は Hanna-Barbera Records (HBR) のアニメソングを
書いており The Flintstones, Huckleberry Hound, Yogi Bear 等が有名だ。
同様に HBR 在籍時の Danny Hutton, Clinger Sisters, The Creations IV
にも曲を書いている。
そんな彼が26歳の時に自らが歌ったホットロッドロッカーがこれだ。
車のエンジンエフェクトを効かせた隠れた逸品。
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Jerry Cole |
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16-04
The Scramblers - Turn Her On
The Scramblers - 250 Scrambler
(LP: Crown Records CLP 5384 mono / CST 384 stereo) 1963 Tracks from their album "Cycle Psychos"
御存知有名セッションギタリストの Jerry Kolbrak (Jerry Cole)
が請け負ったバイカーの廉価盤アルバムから。
興味ぶかいことにビバリーヒルズの有名なヘア スタイリストの
Gene Shacove がこのアルバム制作のリーダーとしてクレジット
されているが、セッションに投資したのは彼だろう。
Jerry Cole は “Tequila” でも有名な The Champs の
ギタリストで自身の Jerry Cole And His Spacemen や
The Hornets の他にも Gary Usher 関連の The Super Stocks,
The Kickstands, The Knights, Mr. Gasser & The Weirdos
にも参加している。
その中でも特に有名なのがシングルカットもされた
The Super Stocks "Thunder Road" で聴かせる超絶ギターだろう。
当時 Jerry Cole は Crown Records 他のさまざまな低予算アルバム
の架空のユニット名義の作品に参加しており、本件もその一つだ。
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Gene Shacove |
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Gary Paxton |
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16-05
Sanford & The Sandies - Let's Go To The Beach
(7: G.S.P. Records GSP-5) 1963 Gary Paxton のスタジオユニットによる彼の節税レーベルからの1枚。
グループ名 Sanford & The Sandies は彼の本名 Gary Sanford Paxton から
G.S.P. Records というレーベルも Gary Sanford Paxton から。
リードヴォーカルは聴けば解るように Gary Paxton 自身。
バックアップの女性コーラスは Gary Paxton が名づけの親で
彼のセッションで良く利用していた The Surf Bunnies と思われる。
作詞を担当した Paul Nuckles は Bobby Pickett“Monster Motion”
の作者で、彼は Gary Paxton と共作で
Gary Paxton "The Scavenger" (Garpax 45-44177),
The Captivations "Speedshift" (Garpax Records GP-44198),
Dick Dale "Grudge Run" (Capitol Records 5187)
も書いている。彼は70年代からハリウッド映画のスタントマンに
なった事でも有名。サタデーナイトフォーバーや人気テレビ番組
白バイ野郎ジョン&パンチでも得意のスタントアクションを披露した。
作曲を担当した Buddy Mize はアメリカのカントリー歌手、
ソングライター、俳優。
1962年のカントリーの名曲 “Just Enough To Keep Me Hangin’ On"
を Ira Allen と共作したことで最もよく知られている。
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Paul Nuckles
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Buddy Mize |
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Doug Hansen |
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16-06
Doug Hansen and The Hot Doggers - Surfin On Tears
(7: Eva Records 104) 1963
本件 4-16 のB面なり、そちらも参照されたし。
若き Larry Carlton が在籍してた事でも有名な
古参バンド Eddie & The Showmen に Bass Guitar で
参加する Doug Hansen (Doug Hensen) だ。
本件この曲は Dick Dale 顔負けのワイルドロッカーとなって
歌っている自作曲で、Produce が Jimmy Haskell
ってのも凄い組み合わせだ。
1963年にこのような映画をテーマとしてる事自体が
珍しいが、American International Pictures の
Annette らを使った所謂 Beach Movies に対して
「甘っちょろい映画をやってんじゃねえよ」と
揶揄してるかのようなガレージロッカーサウンドだ。
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Gary Usher |
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16-07 The Pendeltons - Barefoot Adventure / Board Party
(7: Dot Records 45-16511) 1963
Gary Usher は1963年7月に Dot Records から The Pendeltons 名義で
Barefoot Adventure / Board Party (Dot 16511) をリリース。
これは Gary Usher と "Hot Pastrami!" で有名な The Dartells
によるユニットだ。A面は以前 The Four Speeds で録音され
お蔵入りとなっていた Mike Borchetta との共作だが、リードヴォーカル
を俳優の Don Brandon に差し替えてコーラスアレンジも
若干変えて発表された。Don Brandon は1965年に公開された
カルト映画 “Monsters Crash the Pajama Party” に出演した
記録が残っているが画像すら見つからないので、恐らくモンスターの
被り物を着込んだスーツアクターとして出演したと思われる。
B面はピアノを効果的に導入したダンスナンバー。
プロデュースは Gary Usher と Tom Ayers がクレジットされている。
Tom Ayers は "Hot Pastrami!" のヒットでも有名な The Dartells の
プロデューサー&マネージャーだ。
1962年にリリースされた "Hot Pastrami!" は1963年に
ポップチャートで全米11位,R&Bチャートで15位の大ヒットとなった。
この単調なロックンロールナンバーは西海岸産ダンスチューンとして
脚光を浴び、その為に Dot Records はダンスブームに便乗して
次なるダンスチューンを求めた。
Beach movies から流行し始めた Swim というダンスの曲に
Dot Records は着手する為 Gary Usher と Tom Ayers に
プロデュースを任せたのがよく分かるリリースだ。
これによってGary Usher の Dot Records での一連のリリースが
Swim というダンスムーヴメントに進出しようとした
Dot Records の戦略上にあった事が分かる。
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The Dartells |
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Art Fisher |
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16-08 The Baylanders - Surfers Rule
(7: Iona 1115) 1963
The Belairs, The Challengers, The Good Guys, The Surfriders 他
多くの活動を誇るギタリスト Art Fisher の初期作品だ。
本件シングルはラベルクレジットが The Journeymen 名義
でもリリースされているが、同じ盤である。
作者の J.Luengen-L.Fredericks. (Jeff Luengen-Lonnie Fredericks)
Jeff Luengen (AKA Ricky Mann) は The Coachmen (Iona 1004)
のメンバーで、Lonnie Fredericks は The Bel-Aires の
ギタリストなので、The Bel-Aires から The Challengers
へと発展的に結成される合間の録音なのだろう。
そう言う意味でも貴重な音源である。
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16-09
Larry Reed With The Shado's - Little Miss Surfer
(7: Arlen Records 515) 1963
さすが流行の最先端を行く御当地 Los Angeles だけあって
早い時期に Surfin’ movement に便乗している。
作者の Buddy Jack はシンガーソングライターとして
Arlen Records に数枚のシングルに関わっており
レーベルの契約作家だったと思われる。
波の効果音やギターブレイク等、無難に仕上がった
軽快な Teen rocker の好盤である。
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Dave York (Dave Kinzie) |
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16-10
Dave Kinzie And The Woodymen -
Beach Party ("All Summer Long") / Annie Had A Party
(7: Sting-Ray SR-1) 1963
19-14 Dave York And The Beachcombers - Beach Party
も参照するあるよろし。
Dave Kinzie And The Woodymen の実体は
Dave York And The Beachcombers と同じで、
これも Gary Paxton の節税レーベルの一つからのリリース。
録音は Gary Paxton Studio だろう。
Dave York, またの名を Dave Kinzie と言う。
本件シングルの前に Gary Usher works でも知られる俳優の
Don Brandon の1962年シングル "Oh, My Love" (Lancelot LA-5)
を Dave Kinzie が書いており本件同様に Gary Paxton の
アレンジでリリースしていた。
恐らく後を受け継いだ P-K-M Records の P が Gary Paxton で
K が Dave Kinzie、そして M が本件プロデュースを担当した
Frederick Mikesell の3名の頭文字で設立した節税レーベル
だと推測される。当然ながら録音は Gary Paxton Studio だろう。
Gary Paxton の Studioは後に Curt Boettcher が好んで使用した。
Friar Tuck, Your Gang, Tommy Roe - It's Now Winter's Day,
そして The Ballroom も Gary Paxton と Curt Boettcher の
共同作業で録音されていったのだから、West Coast music
の歴史とその発展のルーツを探訪すれば、本件シングルに辿り着く。
Dave York は本名を David Harold Kinzie と言い、1937年7月23日
に生まれインディアナ州ハモンドの農場で育った。
彼は8歳のときに母親が亡くなるまで農場で育ち、彼は若い頃から
農場手伝いとして働き、青果スタンドのヘルパー、新聞配達、
ガソリンスタンドヘルパー、レストランのキッチンヘルパーと
様々な仕事をした苦労人だった。
そして母親が亡くなった後は普通の子供時代を過ごしていたにも
かかわらず、彼の父親は再婚した。しかし彼は新しい母親から
良い扱いを感じなかったため12歳で学校を辞めて逃げ出した。
彼は兄と一緒に暮らすためにカリフォルニアまでやって来た。
David Kinzie は18歳になったとき、空軍に入隊した。
彼はレーダーオペレーターとして訓練を受けて、
日本と韓国の空軍基地で勤務した。
彼が日本で過ごした時間が、彼の日本語への愛の舞台となった。
彼は日本食レストランに行くこと以上に日本語を披露する事が
大好きだった。
そして名誉除隊により空軍を退役した後、彼は人生で自分の足跡を
残すためにカリフォルニアに戻った。彼は何か特別なことをしたい
という考えを持っていたがどうやってそれをするのか全く
分からなかったので独学で音楽を始めた。
間もなくして彼は Gary Paxton と出会い、Gary Paxton の
スタジオで働き始めた。1962 年は彼の年になった。それが彼の
人生を決定づけた。彼はビーチミュージックの波に
最初に乗った一人になった。
彼が Dave York And The Beachcombers 名義でリリースした
"Beach Party" は Arrange を Gary Paxton が手掛け先ず
Lancelot Records LA-6 で1962年5月に "(Let's Have A) Beach Party"
としてリリースされ、それをレーベルの閉鎖に伴い
Gary Paxton, Dave Kinzie, Frederick Mikesell の3人で共同運営
する彼らの頭文字から名づけた P-K-M Records 6700
でタイトルをシンプルに "Beach Party" として同年6月に再リリース
したところ8月25日に Billboard Top 100 チャートにランクインし、
最終的にピークで95位というヒットとなった。
Lancelot のラベルではプロデュースが
Kinzie, Mikesell. (Dave Kinzie,Frederick Mikesell) と印刷されたが
P-K-M Records では Paxton, Kinzie, Mikesell
(Gary Paxton, Dave Kinzie, Frederick Mikesell) と印刷され
London Records Inc. の全国配給がクレジットされた。
彼は多くの人が「一発屋」と呼ぶ人物になったが、David Kinzie は
2年めのスランプを乗り越えようと狂ったように努力した。
彼はその後 Gary Paxton のスタジオで
Bobby (Boris) Pickett And The Crypt-Kickers "Monster Mash"
(Garpax Records P-1) のレコーディングに参加した。
このノヴェルティーソングは1962年7月に最初のリリースがされ、
好評を得たので Garpax Records 44167 でピクチャースリーヴを
付けて1962年8月に再リリースしたところ9月8日に Billboard Top 100
チャートにランクインし一気に全米1位の大ヒットとなり
遂にはノヴェルティーソングの金字塔となった。
しかし David Kinzie は音楽業界でそれ以上をやり遂げることが
できなかった。彼は得意の日本語で1970年代から有名な
日本料理店「山城ハリウッド」で働き始めワン・ヒット・ワンダー
の日々を過去のものにすることができた。
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The Vulcanes |
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16-11
The Silvertones - Seven-Piece Bathing Suit
(7: Sweet 16 116 Promo only) 1964
本件 The Silvertones は The Vulcanes が録音参加した
数あるグループの一つである。
The Vulcanes ほどタフで逞しい Surfin’ band はいないだろう。
何故なら The Marketts であり、The Routers であり、
そして The Surfaris なのだから。うふふふ
まあ、The Marketts と The Routers は母体を共有する
スタジオセッショングループなのだが、彼らが録音に忙しく
ツアーに出られないので The Vulcanes が彼らグループを
名乗って全国ライヴを続け、また The Surfaris に関しては
オリジナルメンバー達が当時未成年だったので The Vulcanes が
The Surfaris を名乗って全国ライヴツアーを続けた。
それも実力の裏打ちであり、The Vulcanes が便利屋として
活動したのも理由があった。そもそもが The Vulcanes は、
ノース ハリウッドの高校生のギタリスト John Mason が率いる
地元のジャズバンドだった。1961年からロックンロールを演奏
し始めた John Mason は The Marketts に参加していた
ベーシストの Hal Blechと出会い、1961年末に John Mason は
リード・ギタリストとして The Marketts に加入した。
このような経緯でスタジオ録音に忙殺されていた The Marketts の
代役を務めてライヴ活動やテレビ出演をするようになった。
1962年11月に The Lettermen のメンバーであり、Bob Todd と共に
Goliath Records を設立した Tony Butala と The Vulcanes は
出会って彼らは Goliath Records と契約した。
The Vulcanes は、Tony Butala がプロデュースした 4曲を録音し
Stomp Sign / Public Record #1 (Goliath 1348) を先ずリリースすると
KFWBとKRLAのラジオ局でオンエアが開始された。
次に Cozimotto / Last Prom (Goliath 1350) が4月にリリースされ
KFWB の Roger Christian の今週のピックアップヒットに
取り上げられた。The Vulcanes は Goliath Records の
セッションバンドとしても活動しており The Surf Bunnies,
The Silvertones, The Leggerriors, The Sea Shells らの録音も
彼らが演奏している。1965年の Frederick de Cordova 監督
によるアメリカのコメディ映画 “I'll Take Sweden” に
The Vulcanes は出演している。出演は Bob Hope, Frankie Avalon,
Tuesday Weld ら。その他関連情報は 8-29 もチェケラーッ!!
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The Vulcanes with Frankie Avalon |
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Jan Davis |
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16-12
Jan Davis - Guitar Star
(7: A&M 744) 1964 The Ventures ファンにはお馴染みの名ギタリスト
Jan Davis は長いキャリアーを誇るミュージシャンだ。
本件シングルは1964年に Duane Eddy と競作になった
シングルで、こちらが1964年6月のリリースで
Duane Eddy が1964年10月にリリースしている。
Phil Sloan は当時 Jan & Dean のバッキングミュージシャンで
自身もレコードアーティスト The Fantastic Baggys として
Imperial Records と契約下にいた。
Phil Sloan が Chuck Berry の影響下でつくった下記の歌の
イントロと、本件 Marty Cooper-Lou Josie が書いた "Guitar Star"
の冒頭のギターイントロを聴き比べてほしい。
これらの曲はすべて1964年にリリースされている。
The Rip Chords - One Piece Topless Bathing Suit
(Released in 7 Jul 1964)
(Written by Phil Sloan-Steve Barri-Don Altfeld.
Phil Sloan on Guitar)
Jan & Dean - One-Piece Topless Bathing Suit
(Released in Sep 1964)
(Written by Phil Sloan-Steve Barri-Don Altfeld.
Phil Sloan on Guitar)
Jan & Dean - Ride The Wild Surf
(Released in 26 Aug 1964)
(Written by Jan Berry-Roger Christian-Brian Wilson.
Phil Sloan on Guitar)
Jan Davis は1958年に16歳で Teen pop singer としてデビューシングル
She Told Me / Destination Love (Guild Records 1900)
をリリースした。そして Teen style のバラード曲のセカンドシングル
Blue Guitar / I Had A Girl (1st President 426) を1960年6月4日
にリリース、その後インスト曲のシングルを Rendezvous Records
から3枚リリースしている。
Jan Davis And The Ricco-Shays -
Sleepless / Damascus (Rendezvous Records R-131)
1960年11月4日
Jan Davis -
Sabre Dance / Hop, Skip And Jump (Rendezvous Records R-149)
1961年5月1日
Jan & Lou (Jan Davis & Lou Josie)
Leaving Town Tomorrow / Echos Of Summer
(Rendezvous Records R-162) 1961年10月
そして1962年から同じレーベルの B. Bumble & The Stingers
に客演ギタリスト、アレンジャーとして参加、彼らの有名な
ヒット曲 "Nut Rocker" のB面曲 "Nautilus" は Jan Davis が
書いた曲で本人も演奏している。
当時彼は Studio musician として雇われており、
Dick Dale の "Misirlou" でも Jan Davis は客演している。
1963〜1964年に旧友の Lou Josie のプロジェクトユニット
The Ho-Dads (Imperial) で素晴らしいギタープレイを披露し
その合間に Marty Cooper-Lou Josie が書いたこの曲を
リリースした。プロデュースは Jimmy King (Lou Josie の変名)
がクレジットされている。
Lou Josie はこの曲を Duane Eddy のために書いたらしいが
仲間のギタリスト Jan Davis が先行でリリースした。
歌っているのは Jan Davis and Marty Cooper なので
言わばプロダクション制作によるオリジナルファースト
ヴァージョンが本件という事になる。
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Lou Josie |
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Duane Eddy |
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16-13
Duane Eddy - Guitar Star
(RCA Voctor 47-8442) 1964 で、こちらが Duane Eddy のヴァージョン。
プロデュースが Al Schmitt で
アレンジ & コンダクトが David Gates
そして何故かアルバム未収曲。
Phil Sloan は当時 Jan & Dean のバッキングミュージシャンで
自身もレコードアーティスト The Fantastic Baggys として
Imperial Records と契約下にいた。
Phil Sloan が Chuck Berry の影響下でつくった下記の歌の
イントロと、本件 Marty Cooper-Lou Josie が書いた "Guitar Star"
の冒頭のギターイントロを聴き比べてほしい。
これらの曲はすべて1964年にリリースされている。
The Rip Chords - One Piece Topless Bathing Suit
(Released in 7 Jul 1964)
(Written by Phil Sloan-Steve Barri-Don Altfeld.
Phil Sloan on Guitar)
Jan & Dean - One-Piece Topless Bathing Suit
(Released in Sep 1964)
(Written by Phil Sloan-Steve Barri-Don Altfeld.
Phil Sloan on Guitar)
Jan & Dean - Ride The Wild Surf
(Released in 26 Aug 1964)
(Written by Jan Berry-Roger Christian-Brian Wilson.
Phil Sloan on Guitar)
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Dave Goddard |
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16-14
The Chord'R Notes - Livin' The Life
(7: Fargo Records LF-1061) 1964
本件、作者が1958年に “You” のヒット曲を持つ
New York は Long Island 出身のヴォーカルグループ
The Aquatones の Dave Goddard がクレジット
されているが、恐らくこれは The Aquatones の
サイドプロジェクトなのだろう。
The Aquatones は所謂ワンヒットワンダーで、“You”
(Fargo Records LF-A-1001) の一発ヒット以降、60年代に
入ってもヒット曲をリリースできなかった。
美しい声で歌う女性歌手 Lynne Nixon が彼らの魅力だったが
Surfin’ & Hot Rod movement が到来する前の1962年には
レコードリリースが無くなっていた。
ただグループは1974年まで解散せずに存続していたようで
Lynne Nixon の歌声無しで、Surfin’ & Hot Rod movement に
アプローチをかけてみたのだろう。
派手なタイヤスピンの効果音でスタートし、
The Beach Boys "Surfin' Safari" と The Racers "Skateboard"
を足して2で割ったような内容だが、
The Racers "Skateboard" は1965年なので、
Tico And The Triumphs "Motorcycle" (1961年) のウンパパコーラス
がコーラススタイルのベースにあるのではないか。
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16-15 The Five-Hundreds - Run Little Rabbit
(7: Mercury 72291 Promo only) 1964
1-17 と 3-27 も参照されたし。
Bikers tune の傑作 “Run Little Rabbit” だが実は本件シングルが
時系列で言えばリリースされたファーストヴァージョンとなる。
まず本件が1964年7月18日にリリースされた。
これはスタジオユニットによる録音で、プロデュースを
担当した Joseph Hooven, Hal Winn, Joel Sill の3人だが
Joel Sill は Philles Records の共同経営者でもあった
Lester Sill の息子だ。1964年当時 Lester Sill は
Screen Gems-Columbia Music のヘッドマネージャーに就任した
ので T.M. Music, Inc. (Terry Melcher and Bobby Darin) からこの
楽曲のプロモーションを息子の Joel Sill に知らせたのだろう。
Joseph Hooven, Hal Winn の二人はパブリッシャー、
プロデューサー、ソングライターコンビで、後に Sure Shot ,
Double Shot Records そして Whiz Records を設立する。
おそらくこれは Joel Sill から聴いてこの曲に興味を持った
Joseph Hooven, Hal Winn の二人が Mercury Records の
予算を使って制作したのだろう。Surfin’ music から Hot Rod music
へとテーマミュージックが移行する際に、彼らが録音技術の進化を
見せるべくコンプレッサーを強く効かせて迫力のサウンドを
作ろうとしたのが伺える。
そして次に Bruce Johnston & Terry Melcher らはセッション
ミュージシャン達と The Catalinas 名義のアルバム "Fun Fun Fun"
(RIC 1006) を1964年9月にリリース、そのアルバムに
“Run Little Rabbit” を収録した。アルバムのプロデュースを
この曲の作者 Bobby Darin の T.M. Productions が行っているので
The Catalinas がオリジナルヴァージョンだ。録音に参加したのは
Bruce Johnston, Terry Melcher, Steve Douglas, Hal Blaine,
Billy Strange, Leon Russell, Ray Pohlman, Jerry Cole らだが、
アルバム録音は1964年3月26日と5月20日のたった2日で完了してる。
ただリリースに関しては The Five-Hundreds が早かった。
当時 The Catalinas というグループが乱立していたので
それを避ける意味か Johnny Jones singing With The Catalinas
と言う名義でアルバムから “Run Little Rabbit” をシングルカットして
1964年10月にリリースした (RIC S-133)
で歌の内容だが、“Run Little Rabbit” とは「走れ愛車ラビット」の意味。
Little Deuce Coupe や Little Girl のように “Little” とは「小さい」
ではなく「愛する」という意味だ。
そしてその歌詞に続く “Eater Honda Machine” とは Hot Rod Slang の
Asphalt Eater の事で、それは猪突猛進のごとくアスファルトを
モグモグと食いながら追っかけてくるような凄まじい勢いの
後続車を指す。よくアメリカのアニメで羊の群れが一斉に草を
食べて土地の草木が無くなるシーンが笑いを誘うが、それの
アスファルトヴァージョンが Asphalt Eater だ。
なので、愛車ラビットが走って逃げる、そしてホンダのカブが
猛スピードで追っかけてくるスリリングなシーンを歌っている。
“Run Little Rabbit, Eater Honda Machine” で
“You Know What I’m Mean?” 「僕が言ってること分かるだろ?」
と歌っているのだが、公道レースのシーンと共に当時の
アメリカのバイク市場の状況をも表現しているのだ。
これは日本のバイクや自動車、工業用品の発展の歴史に
関わってくるので、その方面も記述しとく。
我が国、国産スクーターである富士重工業 (現在のスバル) が
作ったラビット。富士重工業の起源は第二次世界大戦前にまで
さかのぼる。1917年、第一次世界大戦中に飛行機が戦闘で最初の
役割を果たしたとき、中島知久平 (ちくへい) は「飛行機研究所」を
設立した。それは「日本飛行機製作所」となり、1931年に研究所
を「中島飛行機株式会社」に改称し航空機の研究から生産へと拡大した。
一時期、中島飛行機は日本を代表する航空機メーカーであり、
25万人以上の人々に雇用を提供していた。第二次世界大戦中、
中島飛行機はさまざまなタイプの軍用機を幅広く製造した。
爆撃機、攻撃爆撃機、戦闘機、空母戦闘機、偵察機、夜間戦闘機、
水上飛行機、さらには旅客機まで。中島飛行機は、戦前にドイツの
フォッカー機やアメリカのダグラス DC2 をライセンス生産していた。
1945年の日本の降伏に伴い、講和条約により日本はいかなる種類の
兵器も製造することが禁止され、中島飛行機は解散し、富士産業株式会社
として再洗礼を受けた。富士産業は、戦後に残った道具や部品を使って
安価な輸送のために切望されていた市民の要求に集中し、
一連のスクーターを生産し続けた。アメリカの空挺部隊が使用していた
パウエル スクーターを注意深く研究して考案された最初の
Fuji Rabbit (モデル S-1) は、1946年6月に製造された。
これは、Fuji Rabbit の誕生が、後に世界で最も人気のあるスクーター
であるベスパの誕生の6か月前になることを示している。
S-1 の前輪はナカジマ爆撃機の尾翼であることがわかる。
Fuji Rabbitは、一般に公開されるとすぐに一夜にして成功した。
同様の運命が、戦争遂行のための戦闘機の製造者でもあった
日本の別の巨人である三菱商事に与えられた。その中で最も有名な
ものは、三菱ゼロ戦闘機だった。三菱もまた、戦後と平和条約による
経済制裁の後、スクーターを生産し続けた。1946年に最初の
三菱シルバーピジョン(モデルC-10)が一般に公開された。
三菱は「みずしま」と呼ばれるオート三輪型ピックアップトラック
の初期の生産者でもあった。1950年、会社の信用再編法により
富士産業は12の会社に分割され、1953年にはこれらの会社の一部
からの投資により、現在も存在する富士重工業が設立され、
後に分割会社も富士重工業と合併された。
富士重工業は、ラビット スクーターと同じくらい幅広い種類の
車両を生産してきた。富士重工業はバスとマイクロカーを製造
したがラビット スクーターは25以上の異なるモデルが製造された。
アメリカでは、最初の Fuji Rabbit motorscooter が1957年に
カリフォルニア州サンフランシスコの Rabbit Motor Sales によって
輸入された。しかし Fuji Rabbit Scooter の最大の正規販売代理店は
サンディエゴの The American Rabbit Corporation だった。
アメリカ市場で Fuji Rabbit Scooter は S-72 から究極の
S-601 モデルまで見つけることができる。
富士重工業は中島飛行機時代からのお家芸とも言える技術があった。
薄い金属板を曲面構成にする事でボディを作り、曲面で強度を
得つつ空力性能も両立する技術。ラビットはエンジンも力強く
進化させた、彼らがその後も長く得意とした2ストロークエンジン
技術などだ。富士重工業のラビットは三菱シルバーピジョン共々
国内スクーター市場で当時大きなシェアを保っていた。
スクーターメーカーとしては後発のヤマハやホンダが発売した
対抗モデルは失敗に終わっている。ホンダはラビットに対抗した
スクーター「ジュノオ」で失敗したが、彼らは更なる高性能
スクーターの開発ではなく「そば屋の出前にも使えるペダル無し
の高性能モペット」を開発した。それがホンダの名前を世界に
広めた名車カブである。7回のビルの屋上から落としてもシャーシ
が曲がったままで走らせることが出来るホンダスーパーカブ
Honda Super Cub は排気量が49 〜 124 ccの4ストローク
単気筒エンジンを搭載した。1958年から継続的に製造され、
2008年には6,000万台、2014年には8,700万台、2017年には
1億台を超え、スーパーカブは史上最も生産されたバイクだ。
スーパーカブの米国での当時の広告キャンペーンは Mike Curb
が書いて The Hondells が歌った “You meet the nicest people
on a Honda”「あなたはホンダで最も素敵な人々に出会う」は
ホンダのイメージとオートバイに対するアメリカ人の態度に
永続的な影響を与え、マーケティングのケーススタディとして
よく使用される。この Honda Super Cub の出現によって
アメリカ市場はホンダに独占された。これによって Fuji Rabbit
Scooter は逃げるようにアメリカ市場から消えていった。
第二次世界大戦でゼロ戦を生産した会社が努力の末にスクーターで
アメリカで受け入れられ、同じ日本の自動車修理工場から
成長した本田技研工業の作ったバイクで追いやられるドラマ。
この状況こそが “Run Little Rabbit, Eater Honda Machine” で
“You Know What I’m Mean?” という歌詞で表現された意味だ。
Fuji Rabbit Scooter は Malcolm Bricklin を含む複数の販売業者を
通じてカナダにも輸出された。Malcolm Bricklin はイタリアの
The Innocenti company のためにランブレッタを販売する
スクーター事業からスタートした。
最終的に Innocenti は廃業し Malcolm Bricklin は Fuji 向けに
Rabbit Scooter の販売を開始した。そのビジネスが活況を呈し始めた
ちょうどその時、フジはラビットの生産をやめた。
1960年代半ば修理工場の所有権を売却した後、Malcolm Bricklin は
スクーターをレンタルするガソリンスタンドのネットワークを
確立することを検討していたとき、彼は日本に行き
Rabbit Scooter のメーカーである富士重工業に会い、彼らの
スクーターの購入と輸入を手配した。
しかし富士重工業はスクーターの製造をやめたばかりで、
自動車事業に専念していた。会議で Malcolm Bricklin は富士の
スバル 360を見た。これは1ガロンのガソリンで60マイルまで
走行でき、重量が1,000 ポンド未満だったため、米国での
連邦政府規制を必要としなかった。彼は富士重工業と独占契約を結び、
スバルの乗用車とトラックを米国に輸入し、Subaru of America を
設立した。この車はアメリカの道路や交通には不向きであるにも
かかわらず、Malcolm Bricklin は「倹約的で安価な日本車が
アメリカで人気になる可能性があることを認識した最初の
自動車業界の異端児の1人」と評された。
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富士重工業の輸出用パンフレット |
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Bruce Johnston |
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16-16 The Kustom Kings - Super Fine 39
Track from their album "Kustom City U.S.A."
(LP: Smash Records MGS-27051 mono / SRS 67051 stereo) 1964
これも John F. Kennedy 大統領の暗殺によるマーケットの鈍化
の被害を被ったアルバムの一つ。
Bruce Johnston and Steve Douglas による企画アルバムだが
当時の Bruce Johnson の特色がよく表れた曲である。
Written by Bruce Johnson-Roger Christian.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.
Bruce Johnston - Lead vocal, Keyboard.
Steve Douglas - Sax.
Jay Migliori - Second sax.
Tommy Tedesco - Guitar.
Glen Campbell - Guitar.
Ray Pohlmann - Bass.
Hal Blaine - Drums.
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The Astronauts |
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16-17
The Astronauts - Competition Coupe
(7: RCA Victor 47-8298) Jan 1964
(LP: RCA Victor LPM2858 mono / LSP2858 stereo) Feb 1964
1963年に Gary Usher が The Timers 名義でリリースした
"Competition Coupe" をコロラドの The Astronauts も
レコーディングしており、1964年2月にリリースされる
彼らのホットロッドアルバム Competition Coupe
(RCA Victor LPM / LSP-2858) に収録されたのだが
1964年1月に先行してシングルカットがされた。
Competition Coupe / Surf Party (RCA Victor 47-8298)
このシングルは彼らの前作で1963年に94位の
ヒットとなった "Baja" のフォローアップリリースで
最終的には全米124位の bubbling under chart に記録された。
こちらも間奏のギターソロも決まっており、聴き応えのある
ヴァージョンに仕上がっている。本件シングルでは両面 Al Schmitt が
プロデューサーとしてクレジットされているが、B面では
Gary Usher がプロデュースを手助けしている。
因みに The Astronauts は本来インストバンドだが Dick Dale
や The Surfaris 等のストラトキャスター派とは異なり
The Trashmen や The Challengers や Phil Sloan も得意と
していたエコーチェンバーが綺麗にかかりやすく中間音域に
ヴァリエーションを持つジャガーやジャズマスターを用い、
その心地よいドライヴ感を売り物にしていた。
エンジニアーは The Rolling Stones のアルバムでも
有名な Dave Hassinger が担当している。彼は後に
The Electric Prunes のマネージャーにもなる。
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日本のこのコンパクト盤はアメリカのアルバムと
同じジャケット写真を用いたが "Competition Coupe"
は収録されず、とんでもないクレジットの曲を収録した。
詳しくはコチラをクリックするあるヨロシ |
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Al Hazan (Ali Hassan) |
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16-18
Rogues - Barracuda
(7: Bing Records 4900) 1964
ここから Barracuda テーマを連発で。
ここにも謎多き人物が、通称 "Mystery Music Man of the Sixties"
60’s ミュージックのリストに18以上の変名でクレジット
されてる Al Hazan (Ali Hassan) である。
"Nut Rocker" で有名な B. Bumble & The Stingers の B. Bumble も
Ali Hassan (Philles Records 103), Crazy Luke (Dobrooks 1),
The Royal Galaxies (Capitol Records 4427),
Dudley Duncan (Smash S-1756) も
Al Anthony (Downbeat Records R-752) も全部同一人物で
Phil Spector のセッションミュージシャン、ソングライター、
プロデューサーの Al Hazan (Ali Hassan) である。
で、その Al Hazan もやっちゃいました Hot Rod チューン。
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Plymouth Barracuda |
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Bobby Darin
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Terry Melcher |
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16-19 The Barracudas - Boss Barracuda / Hot Rod USA
(7: Canjo Record Corp. C-104-A/B) 1964
The Barracudas のクレジットがホワイトラベルでは
The Barracuda's とコンマが入り、ラベル右に Canjo の
レーベルオーナーでプロデュースを担当した Red Gilson が
クレジットされる。それ以外のホワイトラベルは青の Stock Copy
(リリースされた通常盤) の退色 (色褪せ) である。
当時如何に Plymouth Barracuda のフォルムが衝撃的だったのかが
解るように、1964年に発表されるやいなや Hot Rod Song 市場では
Barracuda tune の良作がリリースされていった。
The Barracudas が歌う "Boss Barracuda" である、ひねりもない
剛速球のストレートを投げ込んできたのは Terry Melcher と
T.M. Music を設立し、意気揚々とオフィスを Brill Building に
オープンした Bobby Darin である。本件シングルは1964年6月に
リリースされたので、この曲のファーストヴァージョンになる。
この曲は1964年に Bruce Johnston らのスタジオグループ
The Catalinas も8月30日にリリースしたアルバムに収録し、
翌1965年7月にはシングルカットした。
同様に The Surfaris も1964年6月にシングル Decca 31641で
リリースし、1964年10月24日に公開された映画 "The Lively Set"
でもこの歌が使われた。因みに映画との兼ね合いがあったのか
The Surfaris のアルバムに "Boss Barracuda" は収録されなかった。
名曲 "Hot Rod USA" は The Rip Chords のシングル
Columbia 4-43035 が1964年1月17日に録音して4月14日に
リリースされたのがファーストヴァージョン。
次が本件シングルで 1964年6月にリリース。
そして 1964年10月に The Knights のアルバム Hot Rod High
(Capitol T/DT-2189) に収録されたヴァージョンで鼻血が出て
南アフリカで1966年にリリースされたアルバム
The Fantastic Baggys - Ride The Wild Surf
(South Africa Imperial IRL-374) に本国アメリカではアンリリース
だったトラック "Hot Rod U.S.A."が収録されて、「こらっ!」と怒られた。
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Johnny Ray Gomez And The U-neeks |
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16-20
Johnny Ray Gomez And The U-neeks - Go, Go, Go, Barracuda
(7: Applause Records 5-1006) 1964
Nebraska 州のバンドで、長いキャリアを誇る
ローカルグループだ。
Johnny Ray Gomez は珍しいアコーディオン奏者兼
シンガーで、16歳でこのグループを結成し
高校のダンスパーティー等で活動を続けていた。
彼は21歳のとき地元のテレビショーの司会者に抜擢され
The Rolling Stones にインタヴューしたりした。
その後改めてバンド活動を再開して、ネバダ州に移り
カジノクラブのバンドとして活動をして地元に戻った。
本件シングルはそんな彼らの若き日のリリースだが
上記 The Barracudas 同様に、当時如何に Plymouth Barracuda
のフォルムが衝撃的だったのかが解るように、1964年に
車が発表されるやいなや Hot Rod Song 市場では
Barracuda tune の良作がリリースされていった。
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The New Lime (Gary Lee Fausz And The Savoys) |
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16-21
Gary Lee Fausz And The Savoys - Barracuda / Only You
(Tes 45-8) 1964
彼らは長年、南西オハイオと北ケンタッキーで
最大のバンドの1つであり、いくつかのローカルヒット
とタイトでプロフェッショナルなサウンドで
ダンスシーンのトップを走り続けた。
本件は彼らの自主盤リリースのデビューシングルで
The Savoys というバンド名が全国規模のレコーディングバンド
としてすでに使用されていたため1965年から彼らは The New Lime
とグループ名を変更し、Fraternity、Boss、Counterpart と
地元のローカルレーベルからシングルをリリースしていった。
The Savoys は1962年に北ケンタッキー/グレーターシンシナティ
地域の高校生によって結成された。
キャンベル郡高校出身の Gary Lee Fausz がバンドの創設者で
リードシンガーだった。その他のオリジナル メンバーまたは
初期メンバーには、ドラムの Mickey Foellger、
キーボードの Jim Geyer、ギターの Fred Stanger、
ギターの Mike Boyd、ベースの Dave Cassell がいた。
A面はクールなカーエフェクトが効いた
かっこいいホットロッドインスト。
B面は素晴らしいティーンヴォーカルバラード。
両面とも Gary Lee Fausz が書いたオリジナル曲。
この2曲は、続く The New Limeのサウンドの青写真となり、
力強いヴォーカルと独特のキーボード サウンドを備えた
商業的にも魅力のあるポップ ロックを彼らは模索する。
このレコードは地元でヒットし、バンドはティーンや大学の
ダンスのイベントのサーキットに加わった。
The New Lime はケンタッキーの Bossレーベルのために
シングルを録音した。さらに書かれた2曲のオリジナル曲には
“Your Turn to Cry” が収録されている。
これはガレージサウンドのファンに支持される人気曲だ。
オハイオ州シンシナティの Counterpart レーベルの
パブリッシャーの Shad O'Shea はバンドと連絡を取り、
彼らは Counterpart と契約した。
Counterpart での最初のシングル “That Girl” は地元で
大ヒットし、Columbia が買い上げて全国リリースした。
Counterpart レーベルのシングルがさらに数曲、
比較的短期間で続いた。これらの曲はすべてケンタッキーの
Allen Martin Studios で録音されたもので、ガレージバンドの
ファンに人気の絶叫曲 “Ain't Got No Soul” も含まれている。
The New Lime は “The Gumdrop Trilogy” で再びヒットし、
Counterpart でローカルヒットした後、Columbia が
買い上げて全国リリースした。The New Lime が録音した
ほぼすべての曲は、主にリードシンガー Gary Lee Fausz
とドラムの Mickey Foellger が作曲したもので、
これほど多くの質の高いオリジナル曲を録音した
地元のバンドはほとんどいなかった。
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Dennis Wheele |
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16-22
Dennis Wheeler - Down In Daytona
(7: King 45-5898) 1964
AKA Dennis Damon (United Artists Records UA 984, Campo Records C-953)
1960s rock'n'roll, rockabilly, R&B singer.
Ron Dennis Wheeler is a multi-talented entertainer and recording artist
whose talents have enabled him to sing in any style of music.
Nice surfy beach pop rocker with organ.
Written by Wayne Cochran.
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George Tipton |
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16-23 Scoop & The Dragsters - Hollywood Boulevard
(7: Natural PP-1112) 1965
シンガーソングライターの Harry Nilsson との
コラボレーションで有名な George Tipton だが、
彼の編曲と指揮の功績には、Jan and Dean, The Sunshine Company,
Jose Feliciano の "Light My Fire" 等の多数のヒット曲がある。
1964年頃に、George Tipton が写譜屋として働いていた時に
音楽出版社を通じて Perry Botkin Jr. と出会った。
George Tipton が人生を通じて貯金していた $2,500を使って
アレンジして録音したNilsson の4つの曲を Capitol Records
のサブレーベルである Tower に売却したときにPerry Botkin Jr.
とのコラボレーションは始まった。これらのトラックはその後
Nilsson のアルバム Spotlight に収録されてヒットする。
本件シングルはそんな George Tipton がブレイクする前夜で
マイナーレーベルに残された Hot Rod tune の
隠れた逸品である。
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The Pandas |
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16-24
The Pandas - Girl From New York City
(7: Swingtime SW-1002) 1966
Texas 州 San Antonio のバンドで Alamo Heighs High School で
1963年に結成した The Centurys として彼らは活動してた。
彼らは1964年にシングル Mark C Records MC-101をリリースした。
Swingtime Productions を所有し地元の多くのバンドのマネージャーを
務めていた Mrs. Mel Adcock は彼らと契約を結んだ。
彼らはオーディションの結果 Houston 地区のテレビのダンス番組
“Panda-Monium" のレギュラーグループとなり、1966年の初めに
彼らはグループ名を The Pandas に変更することに同意した。
このテレビ番組に合わせて5月には Swingtime SW-1001/2 の
本件シングルをリリースしプロモ盤は赤盤で配布された。
A面が彼らのオリジナル "Walk" でB面は The Beach Boys のカヴァーだった。
このシングルは地元でヒットし、Houston と Dallasで The Pandas が
新曲を紹介するムービーが上映された。
またこのレコードは Florida 州でローカルヒットし、彼らはすぐに
Jacksonville, Daytona Beach そして Miamiでのゲスト出演の
オファーを受けたが、メンバー達がまだ学生で、彼らの学校の都合で
オファーを受け入れることができなかった。
Members are
Wink Kelso - vocals
Pat Wellberg - bass guitar
Galen Niles - guitar
Jimmy Taylor - drums
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Opus 1 |
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16-25
Opus 1 - Back Seat '38 Dodge
(7: Mustang Records 3017) 1966
Opus 1 はクラブで演奏するプロのサーフグループで、
当時 The Cinnamon Cinder (The Illusions), The Emperors (Wickwire),
The Cindermen (Moonglow), The Pyramids ("Penetration" が有名な
ハゲサーフィンバンド), The Vibrants (Triumph Records) や
Long Beach の The Knights of Day 等と競合するバンドだった。
Opus 1 members :
Brian Decker - Lead Guitar (Mosrite) and vocals.
Doug Decker - Fender P Bass (Big Red) and vocals.
Pete Parker - Farfisa Organ and vocals.
(John) Chris Christensen - Ludwig Drums and vocals
彫刻家 Edward Kienholz が暴力を表現した芸術、
それは "Back Seat '38 Dodge" と呼ばれる。
ぽんこつのダッジ '38 の後部座席で空のビール瓶が散らばり、
シートの上で暴行を受けた女性の脚が放り出されてるアート作品。
その過激な描写によって物議をかもした彫刻は1966年4月に
Mustang (Del-Fi の子会社) からリリースされた Opus 1 による
唯一のシングルのインスピレーションとなった。
メンバーでドラマーだった (John) Chris Christensen は
次のように述べている。「レーベルオーナーの Bob Keane は
物議を醸す何かのアイデアに頭を悩ませていた。
私たちは別の曲 "Why Did I Lie" を取り上げ、歌詞を変更し、
アレンジを少し調整し、詩的な歌詞によって "Back Seat '38 Dodge"
を作成した。 それを、すべて完成した "In My Mind" とカップリング
にした。そしてそれが私たちの唯一のシングルになった。
誰かが『これが最後の本物のサーフレコードであり、
パンクの始まり』とかつて私に "Back Seat '38 Dodge" について
説明した事がある。素晴らしい Del-Fi エコー チェンバーのおかげで
それは私には巨大な地獄行きの列車のように聞こえる。」
ロサンゼルス郡美術館 (LACMA) での1966年のショー
Edward Kienholz の作品集はかなりの論争を巻き起こした。
その中の作品 "Back Seat '38 Dodge" (1964) について
ロサンゼルス郡委員会の監督者はそれを「反抗的でポルノ的で冒涜的」
と呼んだ。そして、この作品が視界から取り除かれなければ、
博物館への資金提供を差し控えると脅した。妥協点として、
彫刻の車のドアは閉じたまま保護され、18歳以上の美術館の常連客の
要請があった場合にのみ開かれ、ギャラリーに子供がいない場合に
のみ開かれるという妥協点に達した。
この騒動により、開場当日には作品を見ようと200人以上が列を作った。
それ以来、Back Seat Dodge '38 は多くの人を魅了してきた。
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Edward Kienholz の作品 |
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The Romancers |
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16-26
The Romancers - She Took My Oldsmobile
(7: Linda 124 Promo only) 1966
East Los Angeles 出身の Garage band で後に
The Smoke Rings 名義でもシングルをリリースした
(Prospect Records 101, Dot 45-16975)
1960年代に活躍した彼らは Cannibal & The Headhunters
や The Premiers と共に道を開いた最初期の East Los Angeles
の Chicano rock bands の1つだった。
The Romancers は Del-Fi Records と Selma Recordsで
2枚のダンスアルバムをリリースし、Faro, Rampart Records の
オーナー Eddie Davis が持つ Linda レーベルからの一連の
シングルをリリースした。
この Snotty vocal (人を見下したようなヴォーカルスタイル)
で歌われるカーソングは Garage punk のクラシックとして
今も多くの人達から支持を受けるが、これはリリースに至っておらず
プロモ盤しか確認されていない。
Members (first line-up)
Max Uballez - Rhythm guitar.
Andy Tesso - Lead guitar.
Richard Provincio - Lead guitar.
Manuel “Magoo” Rodriguez - Bass.
David Brill - Drums.
Joe Whiteman - Sax.
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The Fender Benders |
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16-27
The Fender Benders - Scooter
(7: Chicory CH-403 Promo only) 1966
Hollywood, California. Their only release.
Excellent garage dancer in scooter theme with nice guitar break.
Written by Frank Slay, Bret Baughn.
Produced by Frank Slay.
Members are
John Coffey (Drums)
Rufus Coffey (Bass)
Pat Bannister (Guitar)
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Mike Curb with Davie Allan
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Jerry Naylor |
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16-28 The Hands Of Time - Midnight Rider
(7: Sidewalk 903) 1966
Biker movie の名作アルバム “Wild Angels” からのリレコである。 当時の画像を見て解るように、あのギター番長 Dave Allan も
影の総番長 Mike Curb の前では借りてきた猫のように怯えてる。
Buddy Holly 亡き後に The Crickets のリードシンガー
になっていた Jerry Naylor は、この手の Mike Curb の
一連のセッションで全てリードヴォーカルを担当した。
彼はこのセッションの後に Los Angeles に移りソロシンガー
としてデビューする。
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Harley Hatcher |
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16-29 Harley And The Night Riders - The Wild Angels Ride Tonight
(7: Manhattan 806 Promo only) 1967
こちらも The Wild Angels から。
ワイルドな Fuzz を挿入した Bikers tune の決定盤 (死語)
作者は Harley Hatcher-Mike Curb で、アレンジとプロデュース
も Harley Hatcher が担当した。早い話が Harley Hatcher
による架空のグループ Harley And The Night Riders による
ハーレーバイク物で、プロモ盤のみ配布された本件シングルは
タワマン物件ならぬ、ワンマン物件だ。
Harley Hatcher はジョージア州トーマスビル市の近くで
生まれ育った 彼が音楽ビジネスに出会ったのは1960年、
ドイツのカイザースラウテルンにあるアメリカ陸軍の通信部隊
第102信号大隊に所属していたときだった。そこで彼は仲間の
兵士でレコードプロデューサーの Richard Podolor と出会った。
1958年に Sandy Nelson のヒット "Teen Beat" のプロデューサー
として成功を収めた Richard Podolor (後に Three Dog Night,
Iron Butterfly, Steppenwolf をプロデュースした) は、Harley Hatcher
が陸軍基地で演奏しているのを聴き、レコーディングセッション
用に彼をハリウッドに招待した。21歳のとき、Harley Hatcher は
ロサンゼルスに旅行し、アメリカンレコーディングスタジオで
Richard Podolor と4曲をレコーディングした。
その4曲のうち2曲、The Twirl と Thief in the Night が録音され、
シングルとしてリリースされた。
1964 年までに Harley Hatcher は Sidewalk Productions で
レコードプロデューサー兼ソングライターの Mike Curb の
作業に加わり、Sidewalk のレコーディングアーティストの
専属ソングライターとして契約し、1965年にレコードの制作を
開始した。Sidewalk Productions は、Davie Allan & The Arrows
による曲 Apache '65 (Harley がアコースティックギターを演奏)
と、Peter Fonda と Nancy Sinatra が出演する『The Wild Angels』
の映画音楽とサウンドトラックアルバムで初期の成功を収めた。
1968年8月、エンターテインメント業界のアイコンである
Dick Clark の要請により、Harley Hatcher は、 Dick Clark が
プロデュースした映画『Killers Three』のサウンドトラックに
含まれる7曲を書き、プロデュースした。Harley Hatcher はまた
ABC-TV のスーパーサタデークラブの漫画番組
Cattanooga Cats and Hot Wheels で取り上げられる曲を書いた。
1969年、Harley Hatcher は Pendulum Productions と
Leo The Lion Music Publishing を設立し、彼の曲とサウンド
トラックを録音して出版した。1972 年までに、Harley Hatcher は
8本の映画の楽譜を作曲し、プロデュースした。
その中には Righteous Brother の Bill Medley が録音したタイトル
ソングをフィーチャーした Burt Topper の『The Hard Ride』が
含まれる。Curb Records の最高経営責任者として、50年以上に
わたるキャリアを持つ Harley Hatcher は、幅広いロック、ポップ、
カントリー、クリスチャンミュージックのレコーディング
アーティストのキャリア開発に関与してきた。
ソングライターとして、彼はいくつかのチャートトップの
シングルを獲得し、レコードプロデューサーおよびミュージシャン
として、Harley Hatcher は映画やテレビ番組に出演した
80曲を書き、プロデュースした。
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16-30
The Leather Boy - On The Go
(7: MGM K 13790) 1967 本名を Milan Radenkovich と言い、
1941年12月15日にユーゴスラビアのベオグラード生まれ。
1971年3月14日にニューヨーク市で30歳の若さで亡くなった。
レコードプロデューサー、ソングライター、レコーディング
アーティストとして、1960年代を通じて数多くの曲を手掛けた。
彼は、The World of Milan, Milan (The Leather Boy), The Leather Boy,
Rick Rodell など、さまざまな名前で、LPと多数のシングルを
7つの異なるレコードレーベルとその他の独立系レーベルから
リリースした(合計30曲以上)。
本件はガレージロックのジャンルだが、排気音効果のある
バイクロッカーとして優れている。曲を聴いて解るように
Paul Parrish "Walking In The Forest Of My Mind" (1968)
は本件のAメロをパクっている。
Milan のペルソナに関して言えば、"Leather Boy" というあだ名は
確かに適切だ。なぜなら、彼は革のジャケットを着た写真を
多く残している。
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Paul Revere And The Raiders Featuring Mark Lindsay |
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16-31
Paul Revere And The Raiders Featuring Mark Lindsay -
Judge GTO Breakaway
(7 33rpm : Columbia ZCTV-141713?/?ZCTV-141714 Promo only) 1969
Formed in Boise, Idaho, in 1958.
US Promo only small center hole EP. "The Judge" was a song
by Paul Revere & The Raiders used in a commercial for the Pontiac GTO Judge.
They appeared in the TV commercial, which only lasted one minute.
Side one has the complete song.
Side two has four Radio spots for The Judge. Cuts 1 & 2 are cleared
for Broadcast thru 9/31/69. Cuts 3 & 4 Not For Broadcast.
Written by Mark Lindsey.
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【戻る】【続く】 |