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Vol. 12
01 Annette - California Sun
02 Cindy Kennedy - Skate Board
03 The Pleasures - Let's Have A Beach Party
04 Diane Leigh - It Won't Be A Lonely Summer
05 The Moments - Surfin Train
06 Diana Trask - Long Ago Last Summer
07 Dee Dee Sharp - Riding The Waves
08 The Orlons - Mister Surfer
09 Paper Dolls - Darlin'
10 Peanut - I’m Waiting For The Day
11 Annette - Surfin' - Surfin' U.S.A.
12 Humpty And The Ivanhoes - In The Evenin'
13 Jan Bradley - Just A Summer Memory
14 Him And Her - Summer Days Are All Gone
15 Judy Eggers - Summer Boys
16 The Kittens - Lonely Summer
17 The Honeys - Shoot The Curl
18 Annette - Surfer Boy
19 Ellie Gee & The Jets - Red Corvette
20 Kay Bell & The Tuffs - Surfers' Stomp
21 The Quinto Sisters - Summer Nights 22 Jo Ann Campbell - Motorcycle Michael
23 The Petites - Baby Blue Mustang
24 Lynn Gibson - The Chrome Plated Hog
25 Shirley Paige - I Met The Nicest Man On A Honda
26 Marianne Faithfull - Summer Nights
27 Susan Wayne - Think Summer
28 Supremes - Surfer Boy
29 The Supremes - Dr. Goldfoot And The Bikini Machine
30 The Beas - Doctor Goldfoot And The Bikini Machine
31 Annette - Ride The Wild Surf
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Vol.12
Girl / Female Edition 5
Other stuff with beach pop, summer pop etc
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Annette |
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12-01 Annette - California Sun
(LP: Buena Vista Records BV 3316 mono / STER-3316 stereo) 1963
“California Sun” のオリジナルファーストヴァージョンは
R&B シンガー Joe Jones が Roulette R-4344 でシングルリリースし
1961年の3月に全米89位のスマッシュヒットを記録した。
それは 23-7 Joe Jones - California Sun を参照あるよろし。
この曲は1964年に The Rivieras がカヴァーして全米5位の大ヒットと
なったので有名なのだが、実は本件 Annette のカヴァーのほうが
The Rivieras より早くリリースされている。
以下時系列に記述する。
Joe Jones “California Sun”(Roulette R-4344) 1961年2月
これがオリジナル曲。
そしてこの歌の最初のカヴァーヴァージョンをフランスの
ロックンロールバンドがいち早く行った。
Rocky Volcano Et Ses Rock 'n' Rollers
"J'Irais N'importe Ou (California Sun)"
(7: France Philips B 372.843 F) 1961年3月
(EP: France Philips 432.554 BE) 1961年3月20日
そして2番目のカヴァーヴァージョンをアメリカ海軍のバンド
Doug Fowlkes And The Airdales が1961年11月にベルギーでリリースした。
彼らは当時フロリダ州キーウェストのボカチカ海軍航空基地で
アメリカ海軍に従事していた。その後彼らはヨーロッパの基地へ
移管された際にフランスでのロックンロール コンテストに出場し、
1位を獲得した。国際銀行家 Eddie Barclay は彼らを気に入り
彼のレーベル Barclay で EP デビューさせ、そこに収録された。
Doug Fowlkes And The Airdales “California Sun”
(EP: Belgium Barclay 70410) 1961年11月
これは彼らの1962年リリースの10インチアルバム
(Belgium Barclay 80.162) にも収録された。
そして次のカヴァーヴァージョンをオーストラリアの
Johnny Chester With The Thunderbirds が twist movement に
合せてリリースした。
Johnny Chester With The Thunderbirds "California Sun (Twist)"
(7: Australia W & G WG-S-1336) 1962年
(EP: Australia W & G WG-E-1360) 1962年
そして本件 Annette “California Sun”
収録アルバム Annette's Beach Party
(LP: Buena Vista Records BV 3316 mono / STER-3316 stereo)
1963年7月
(American International Pictures 映画 "Beach Party" 公開日1963年8月7日
Annette のヴァージョンは初のガールズポップのカヴァーとなった、
そしてこれはアメリカでリリースされた最初のカヴァーヴァージョンだった。
The Rivieras “California Sun”(Riviera R#1401) 1963年12月
(1964年1月25日にビルボードチャートインしピークで全米5位)
このカヴァーの大ヒットによって1964年以降は世界的にカヴァーされた。
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Joe Jones
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12-02 Cindy Kennedy - Skate Board
(7: Belfair Records WG 1001) 1965
Washington 州出身の Cindy Kennedy は地元
Belfair, Washington で開催されたタレントコンテストで
優勝し、副賞として Belfair Records での録音を
勝ち取った。そんな本件は彼女の自作であるから
満を持しての録音となったのだろう。
Garage punk の雄 The Sonics でも有名な Washington 州
Tacoma にある Wiley-Griffith Studios で録音されており、
このスタジオは録音エンジニアーの Bill Wiley と
ミュージシャンの Bill Griffith による共同経営だった。
Bill Griffith は Bill Griffith and The Jack Pine Ramblers
というバンドのリーダーで、KBRO (Bremerton WA) の
ラジオDJ, そして The Belfair Barn というダンスホールと
本件 Belfair Records のオーナーである。所謂、地元名士が
持つダンスホールの専属タレントの中から見出された
Cindy Kennedy がタレントコンテストで優勝し、ご褒美として
同じオーナーが所有するスタジオで録音し、オーナーの持つ
レーベルからシングルをリリースし、オーナーがラジオDJを
務める番組でプロモーションされたという完全自家製の
シングルだった。しかし曲に罪はなく、むしろ出来の良い
ロッカースタイルのガールポップシングルである。
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Joan Bates |
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12-03 The Pleasures - Let's Have A Beach Party
(7: RSVP 1113) 1965
R&B girl pop group style で歌われるビーチポップの逸品。
Four Fellows のリーダーで当時の妻 Bessie Banks "Go Now"
(後に The Moody Blues が "Go Now !" としてカバー)
の作者としても有名な Larry Banks の2番目の妻 Joan Bates
がリードシンガーを務めたプロジェクトグループ。
Joan Bates は Jaibi の変名でも活躍した名シンガーだ。
1965年、Larry Banks は The Pleasures の Joan Bates と
再婚した。Larry Banks と Joan Bates は1967年に
Jaibi 名義で You Got Me / What Good Am I (Kapp Records K-866)
をリリースした。1969年には夫婦デュエットでもリリースしてる。
Lawrence & Jaibi (Larry Banks & Joan Bates) -
Walk Away, Walk Away, Walk! / You're Not Mine (RCA Victor 47-9679)
因みに彼らの息子の Corey Banks はヒップホップの黄金時代に
CeStyle という名前で活躍した。
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Diane Leigh |
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12-04
Diane Leigh - It Won't Be A Lonely Summer
(7: Canada Capitol 72262) 1965
(7: Tower 151) 1965
Canada を代表するカントリーシンガー Diane Leigh の
初期作品で1965年8月にカナダの RPM チャートで16位になった。
彼女は60年代初頭に Toronto のポップグループ The Sapphires
でキャリアーをスタートさせ、その後 The Sons Of The Saddle
というカントリーバンドに在籍した。
彼女は当時 Patsy Cline のツアーでドラマーを担当し、1963年に
ソロデビューした際に Nashville の Chart Records と契約した。
それは彼女の故郷カナダよりアメリカのほうがカントリーミュージックが
ポピュラーだったからだった。しかし本国カナダでも彼女の
美しい声はラジオを通じて広く愛されるようになり、1965年にカナダの
"Top Country Singer Female" award を受賞した。
そんな彼女の初期ソロキャリアーだが、カナダの Capitol リリースで
直ぐにアメリカ Capitol 傘下の新興レーベル Tower Records が
ピックアップし、本件シングルはアメリカでもリリースされた。
Gene Vincent や Helen Shapiro の作家としても知られる
Bob Barratt がカナダのシンガーソングライターの Jerry Martin と
書いたこの素晴らしいサマーソングだが本国カナダでは Jerry Martin
本人が同年にシングルリリースしており (Canada Barry B-3352X)
そちらはイギリスでも Columbia からリリースされてる。
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Phil Spector and Darlene Love |
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12-05 The Moments - Surfin Train
(7: ERA Records 3114 Promo only) 1963
1950年代のロックンロールムーヴメントは世界を席巻し
1959年に Twist が流行すると世界中でダンスブームは加熱した。
the Swim, the Jerk, the Pony, the Watusi, the Mashed Potato,
the Bird, the Dog, the Shake, the Hitch hike, the Monkey,
the Chicken 等、次々と新しいダンススタイルが確立されていく。
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されるまで
アメリカ市場はダンスブームは続くのだが、1962年に
Little Eva が歌った”The Loco-Motion” (作 Gerry Goffin and Carole King)
が1962年6月30日をピークに全米1位の大ヒットを記録した。
“The Loco-Motion” は新たなラインダンススタイルを予想させる
ソングタイトルだった。Locomotion (ワンワード) とは運動、移動、
交通手段という意味の単語で、Locomotive は機関車を意味する。
60年代前半は新たなダンスチューンを模索し続けて市場の活性を
各社が持続させようと考えていた。“The Loco-Motion”が全米1位
ともなれば、機関車ダンスに便乗すべきである。
そこで Era Records のオーナー Herb Newman は
彼のペンネーム Steven Howard を使って Train dance song を書いた。
1963年の西海岸ではテーマソングとして Surfin' が流行していた。
Herb Newman は Train dance を Beach party scene に導入
させようと企てた。女性のコーラスは Darlene Love のようだ。
Train effectsを上手に挿入しているが彼らの前作
The Moments - The Big Round Wheel (ERA Records 3104) に
引き続きアレンジャーはJack Nitzscheだろう。
この新しいダンスシングルは Promo copy だけが
配布されたが販売には至っていない。
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Herb Newman |
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Diana Trask |
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12-06
Diana Trask - Long Ago Last Summer
(7: Columbia 4-41711) 20 Jun 1960
(7: Australia CBS Coronet KS-400) Jul 1960
オーストラリアのメルボルン生まれの女性カントリーシンガー
ソングライターの彼女は1959年に18歳でアメリカに進出した。
本件シングルはそんな彼女が19歳で録音し20歳になった頃に
リリースされたサマーバラードで Hal David-Burt Bacharach 作品である。
19歳でこの艶声とは恐れ入るが興味ぶかい事にアメリカリリースが先で、
本国オーストラリアでは若干遅れてリリースされた。
しかし流石本国では1960年8月13日にピークで 26位という
スマッシュヒットとなっている。
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Burt Bacharach and Hal David |
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Dee Dee Sharp |
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12-07 Dee Dee Sharp - Riding The Waves
(LP: Parkway P-7035 Mono) 1963
A track from V.A. - Everybody's Goin' Surfin'
この歌は1964年に The Dovells が The Woofers と
The Scramblers という二つの変名で企画盤アルバムに
歌詞を変えて "Ridin' The Rails" として収録している。
Dee Dee Sharp (本名 Dione LaRue :1945年9月9日、
フィラデルフィア生まれ) は、アメリカのR&B歌手で、
1961年にバックヴォーカリストとしてレコーディングキャリア
をスタートした。彼女の最初の仕事は Clara Ward And The Ward Sisters
のメンバーとしても有名な Willa Ward Moultrie との仕事で、
すぐに Lloyd Price, Chubby Checker, Bobby Rydell, Frankie Avalon,
Jackie Wilson などのバックヴォーカルを歌うようになった。
1962年に彼女は Cameo Parkway Records と契約し、
レーベルオーナー兼プロデューサーの Kal Mann と Bernie Lowe
によって Dee Dee Sharp と改名された。
当時、彼女の兄は彼女を "Dee" と呼んでいたが、彼女が "D sharp"
で歌っていたため、この新しい名前が与えられた。
彼女は、ビルボード ホット100 のトップ 10 ヒット曲を次々に
生み出し "Slow Twistin'" (彼女の名はクレジットされてないが
実は Chubby Checker と彼女の共演で全米3位),
"Mashed Potato Time" (全米2位),
"Gravy (For My Mashed Potatoes)" (全9位),
"Ride!" (全米5位), "Do the Bird" (全米10位)。
"Mashed Potato Time" と "Ride!" はどちらも100万枚以上を
売り上げ、ゴールド ディスクを獲得した。"Do the Bird" は、
彼女の唯一の UK シングルチャート入りを果たし、
1963年4月に最高46位を記録した。
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The Orlons |
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12-08 The Orlons - Mister Surfer
(LP: Parkway P-7035 Mono) 1963
A track from V.A. - Everybody's Goin' Surfin'
フィラデルフィア産 R&B カルテットによる
男性バスヴォーカルをフューチャーしたユニークなサーフチューン。
Cameo Parkway Records の創設者の一人で、また Dave Appell との
ソングライターコンビを組んでいた Kal Mann の単独作品。
The Orlons はペンシルバニア州フィラデルフィア出身の
学校の友人や近所の人たちの集まりで
女性3人と男性1人からなる R&B カルテットである。
Shirley Brickley, Rosetta Hightower, Marlena Davis
そして男性シンガー Steve Caldwell.
高校時代の友人で The Dovells のリードシンガーである Len Barry は
Cameo Parkway Records のオーディションを受けるよう彼らに勧めた。
グループは1961年秋に彼のアドバイスに従ったが、最初は拒否された。
しかし、さらに2回のオーディションの後、レコード会社はグループと
契約した。Cameo Parkway の幹部 Dave Appell は Rosetta Hightower を
リードシンガーに任命し、彼らのために曲を書き始めた。
1962年、グループは Dee Dee Sharp のヒット曲 "Mashed Potato Time"
と "Gravy (For My Mashed Potatoes)" のバックコーラスを担当。
後に彼らは初の全米ヒット曲 "The Wah-Watusi" で有名になり、
この曲は米国のポップチャートで第2位となり、Watusi ダンスブームの
きっかけとなった。彼らはデビューアルバム「The Wah-Watusi」のために
Dee Dee Sharp の曲のオリジナルヴァージョンを録音し、
同年ポップチャートで第4位となった "Don't Hang Up" で2度目の
ヒットを記録。1963年にはグループ最後のトップ10ヒットとなった
"South Street" でビルボードチャートで第3位、"Not Me" で第12位
そして、グループ最後のヒットとなった "Crossfire" は19位に
ランクインした。
メンバーの Marlena Davis は1963年8月にグループを脱退し、
Marlena Davisの代わりに Sandy Person が加入した。
1964年には Steve Caldwell がグループを脱退、
Yvonne Young が短期間在籍した後、Shirley Brickleyの妹である
Audrey Brickleyが加入した。その頃には、グループの人気は
米国では衰えていた。彼らは1960年代後半までイギリスで演奏を続け、
成功を収めた。Rosetta Hightower がツアー後にイギリスに残ることを
決めたため、1968年に The Orlons は解散した。
Rosetta Hightower はソリストとして、また Joe Cocker, John Holt
などのアーティストのバックを務める人気セッションシンガーとして
成功し、彼女はレコードプロデューサーの Ian Green と結婚した。
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Paper Dolls |
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12-09
Paper Dolls - Darlin'
(LP: UK Pye Records NSPL 18226) 1968
A track from their album "Paper Dolls House" ノーサンプトン出身のイギリス人女性ボーカルトリオ。
Susie 'Tiger' Mathis - Lead vocal
Pauline 'Spyder' Bennett
Sue 'Copper' Marshall
60年代後半の数少ないイギリスのガールズグループの1つだ。
Pye Records と契約した Paper Dolls は、1曲だけ成功を収めた
イギリスのワンヒットワンダーだった。Tony Macaulay and John Macleod
の名コンビが書いた彼女達のデビューシングル
"Something Here in My Heart (Keeps A Tellin' Me No)" は、1968年に
イギリスのシングルチャートで11位に達した。
本件は彼女達が残した唯一のアルバムに収録された1曲だが
シングルカットしてもそこそこの結果は残せたと思われる
出来の良さだ。Tony Macaulay がプロデュースを担当している。
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Tony Macaulay
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Peanut (AKA Leanora Kissoon, Katie Kissoon) |
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12-10
Peanut - I’m Waiting For The Day
(7: UK Columbia DB8032) 1966 トリニダード出身で、イギリスを拠点とする女性ポップ・ソウル歌手。
本名は Katherine (Katie) Farthing で Mac Kissoon と
Mac And Katie Kissoon というポップ・ソウル・デュオを結成した。
この二人は1962年に家族とともにイギリスに移住してきた。
Katie Kissoon は1965年にレコーディングを開始し、Peanut という
名前で合計4枚のシングルをリリース。
本件はその中の1枚で、鬼才 Mark Wirtz がプロデュースと
アレンジを担当したブライトチューン。
彼女はその後 The Rag Dolls (UK Columbia) のメンバーとなり、
1967年と1968年にシングルをリリース。
Mac Kissoon は1966年と1967年に The Marionettes
(UK Decca, UK Parlophone) のメンバーとなり、その後ヨーロッパの
米軍基地で演奏する自身のバンドを率いた。1969年に英国に戻り、
ソロレコード Get Down With It / Satisfaction をリリース。
オランダではトップ30ヒットとなり、1970年2月には29位に達した。
Peanut こと Katie Kissoon は後に New London Chorale
のメンバーとなった。
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Mark Wirtz |
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Annette |
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12-11 Annette - Surfin' - Surfin' U.S.A.
(LP: Buena Vista Records BV-3327 mono / STER-3327 stereo) 1965 Tracks from her album "Sings Golden Surfin' Hits"
人気女優が歌ったビーチボーイズのカヴァー曲。
Annette Joanne Funicello(1942年10月22日生まれ - 2013年4月8日没)
はアメリカの女優兼歌手。彼女は12歳でプロとしてのキャリアを
スタートし、オリジナルのミッキーマウスクラブで最も人気のある
マウスケティアーズの1人になった。1963年8月7日に公開された
映画 "Beach Party" は、American International Pictures(AIP)が
10代の視聴者を対象に制作した7本のビーチ・パーティ映画の
最初の作品だった。映画はビーチ・パーティ映画のジャンルを生み出したと
評価されており、アネットは映画女優としての地位を確立し、
共演者のフランキー・アヴァロンとともに「ビーチ・パーティー」
というヒット映画のジャンルを広めた。
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12-12
Humpty And The Ivanhoes - In The Evenin'
(7: Gramophone Label 2-165) 1965
全く持って正体不明のグループが超マイナーレーベルから
リリースした1枚。
Surfer を題材にしたストンパーチューンで、ギターブレイクを
入れているが黒人男性っぽい声が収録されているので
The Angelos - Bad Motorcycle (Wooden Wooden) (8-18 を参照されたし)
のような女性黒人ヴォーカルグループのような気がする。
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Jan Bradley |
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12-13
Jan Bradley - Just A Summer Memory
(7: Chess 1975) 1966 Mississippi 州生まれで Illinois 州育ちの Jan Bradley は
才能のある少女だった。彼女は高校時代にタレントショーに
出場した際に Phil Upchurch のマネージャーだった Don Talty
に注目された。卒業後、彼女は Curtis Mayfield のオーディション
を受け、すぐに Curtis Mayfield が書いた "We Girls" を録音し、
Don Talty が所有する Formal Records からリリースし、
中西部でローカルヒットになった。その後も Curtis Mayfield が
書いた "Mama Didn't Lie" をリリースしたが、それは Chess Records
によって買い取られ Chess から全国配給されると 1963年1月5日
をピークに全米14位 (R&B chart 8位) の大ヒットとなった。
その勢いを示すように当時日本盤もリリースされている。
当時19歳だった彼女の Candy vocal は注目に値するものだった。
そのシングルの成功に続いて Curtis Mayfield と Chess Records が
曲の出版権をめぐって法廷闘争を起こした。それに巻き込まれた結果、
彼女は Curtis Mayfield と一緒に仕事をすることができなくなった。
それによって彼女は自らが曲を書き始めた。本件シングルは
そんな彼女の自作による素晴らしい Summer song である。
昨今では Northern Soul の歌姫として認知されてるが、彼女は
Chess Records との契約終了後も Don Talty との仕事を続け、
Adanti, Hootenanny, Doylen, Spectra Sound, Night Owl と
マイナーレーベルからシングルをリリースし続けたのだから
義理堅い女性だったのだろう。
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12-14 Him And Her - Summer Days Are All Gone
(7: Ara 221) 1966 いまだ世界中に熱心な Summer Folky のファンがいるので
そっち系を三連発で紹介する。 Summer Folky の魅力は
Breezy (爽快感) や Floater (浮遊感) である。
彼らは1960年代半ばに活動した Nashville, Tennessee /
Tulsa, Oklahoma 出身の男女デュエットである。
素晴らしい female lead による美しい Summer ballad だ。
Memphis の Sonic Studio で録音されており、南部特有の
Twang guitar も控えめに処理されており、コーラスも
軽く被せた程度で、female lead の美しさを引き出している。
作者の Travis Wammack は Memphis 出身 (生れは Walnut,
Mississippi) の guitarist, singer/songwriterで、当時12歳の
若き天才と言われた南部のレジェンドだ。
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12-15 Judy Eggers - Summer Boys
(7: Metromaster M-166) 1967 こちらは Knoxville, Tennessee のローカルレーベルからのレア盤。
カナダから伸びてニューヨーク州からミシシッピ州まで伸びる
Appalachian Mountains「アパラチア山脈」は田舎と都会
(産業化された地域) を分けるスラングとしても使われるが
Knoxville, Tennessee はそれによって工業都市に分類されるが
田舎である。よく言って人口20万人程度の地方都市だ。
そんな適度に住み易いローカルからこんな素晴らしい
Silky soul duet style の逸品が生れたのには理由がある。
作者の Steve Hostak (Stephan James Hostak) は songwriter
and guitarist で、Arthur Alexander "You Got Me Knockin'"
の作者としてマニアには知られる。
Guitarist としては Tracy Nelson のアルバム "Homemade Songs"
で演奏してるが、南部では人気のあるミュージシャンなので
このレアシングルもマニアックなファンや Club DJ が探してるが
ローカルプレス故に良いコンディションが見つからない。
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The Kittens |
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12-16
The Kittens - Lonely Summer
(7: Murbo Records M-1015) 1967 Cliffside Park, New Jersey 出身の可憐な姉妹
Carolyn (15歳) and Joann Dellarobba (17歳)
による人気のレア盤。
作者の Robert Jones はソウル系の songwriter/producer で
Percy Sledge "Thief In The Night" が彼の作品で最も有名だ。
The Mello Kings "Valerie", Frankie Lymon "The Only Way To Love"
等の作者の Jimmy Krondes が所有する Murbo Records だが
出版社も彼が所有する Bourne Music なので、この少女姉妹は
結構期待されてデビューしたのではないか。
当時 Billboard では急いでプロモーションキャンペーンを
された記述と、Record World (Billboard と Cashbox とともに、
米国の 3 つの主要な音楽業界の業界誌の1つ) ではこの姉妹の
写真が掲載されてる。しかああああし、彼女達はこの1枚のみで
キャリアーを終えてる。素晴らしい歌声と美貌を持った姉妹だが
シングルリリース後に他の道を選んだようだ。
因みに Carolyn と Joann の姉妹双方から連絡をもらったのだが
二人ともシャイで、何度も私はインタビューをオファーしたが
照れて応じてくれなかった。いまだに可愛らしい姉妹である。
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12-17
The Honeys - Shoot The Curl
(7: Capitol Records 4952) 1963
リリースデータでは The Honeys 1963年4月8日
Gary Usher And The Usherettes 1963年7月
なので、これが彼女達のデビューシングルとなる。
しかも自作、やはり只者ではない娘達だったのが解る。
美品を入手したので、ついでにジンジャーとスナップスも掲載しとく。
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Annette |
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12-18 Annette - Surfer Boy - Surfin' Safari
(LP: Buena Vista Records BV-3327 mono / STER-3327 stereo) 1965 Tracks from her album "Sings Golden Surfin' Hits"
人気女優が歌ったビーチボーイズのカヴァー曲。
Annette Joanne Funicello(1942年10月22日生まれ - 2013年4月8日没)
はアメリカの女優兼歌手。彼女は12歳でプロとしてのキャリアを
スタートし、オリジナルのミッキーマウスクラブで最も人気のある
マウスケティアーズの1人になった。1963年8月7日に公開された
映画 "Beach Party" は、American International Pictures(AIP)が
10代の視聴者を対象に制作した7本のビーチ・パーティ映画の
最初の作品だった。映画はビーチ・パーティ映画のジャンルを生み出したと
評価されており、アネットは映画女優としての地位を確立し、
共演者のフランキー・アヴァロンとともに「ビーチ・パーティー」
というヒット映画のジャンルを広めた。
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Ellie Greenwich and Jeff Barry |
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12-19
Ellie Gee & The Jets - Red Corvette
(7: Madison Records M160) 1961 Ellie Greenwich and Jeff Barry ソングライター夫婦による
架空のグループ名義によるシングル。
Jeff Barry - Ben Raleigh が書いた “Red Corvette” を
Ellie Gee & The Jets 名義でリリースし、これが彼らの
プロジェクトの骨格となり、Beverly Warren を雇って結成
したのが後の The Raindrops (Jubilee) である。
ナンセンス・シラブル (Doo-wop で使う "ドゥーワッ"
"シュビドゥビ" "ドゥビドゥワ"といった意味を持たない言葉)
はヴォーカルグループの基本であるが
当時の Madison Records の Tico And The Triumphs - Motorcycle
のように New York や Brill Building 系作家達は
ヴィブラートでバイクや車の排気音を真似てリズムを取る
手法で流行のスタイルを作っていた。
本件シングルもその流れをくむヴォーカルロックオンロールである。
個人的に昔っから思っているのは ハ行の濁音ヴィブラートは
ヴォーカルロックオンロールでよく使われる、
例えば「バーバババーバ」とか「ビープ、ビープ」、「ブンブン」
「ボンボンボン」しかし「べ」だけは聴いたことがない。
「ベーベーベー」とか「ベンベンベン」といったヴォーカル
グループのコーラスを聴いた事がないのだ。
「まあ “ベンベン” は間抜けだからな」と作詞をした
Ben Raleigh が言ったとか。。。。うふふふ
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Kay Bell & The Tuffs |
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12-20
Kay Bell & The Tuffs - Surfers' Stomp
The Tuffs And Kay Bell - (The Original) Surfers' Stomp Pt. I
Kay Bell And The Tuffs - (The Original) Surfers' Stomp Pt. II
(7: Dot Records 45-16304) 1961 Kay Bell とは The Bell Sisters (Cynthia Strother, Kay Bell) の
姉妹の片割れで本名は Cynthia Sue Strother, Edith Kay Strother なのだが
妹の Kay Strother が母親の旧姓 Bell を採用したので
The Bell Sisters として活動してた。
彼女達が1951年にスカウトされたときは姉の Cynthia が16歳で
妹の Kay が11歳だった。
彼女達が Los Angeles のテレビ番組 "Peter Potter’s Search for a Song”
のために歌った "Bermuda" は1952年にビルボードチャートで
7位に達し、数百万枚売れた。
1950年代後半に Kay Bell はソロプロジェクトに挑戦し始め
1959年頃、ボールルームで歌ったり、ラジオで演奏したりした。
60年代前半 The Disneyland Space Bar (現在は Tomorrowland Terrace
として知られる) と契約し、Johnny Schmidt and Sonny Anderson を
核としたバックバンド The Space Men と Kay Bell は歌い始めた。
Kay Bell は文学士号を取得するためにロングビーチ州立大学に
通いながらも彼らと週に6夜も演奏した。
そして Kay Bell & The Tuffs 名義でシングル
(The Original) Surfers' Stomp Pt. I/II (Dot 45-16304) を1961年に
リリースした。1962年からは Disneyland の契約バンドとして
Disneyland 内で毎週土曜日の夜の定期ライヴを行っていた。
本件シングル Kay Bell は21歳だ、11歳でデビューしただけあって
歌声に堂々とした張りと迫力がある。
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The Bell Sisters (Kay Bell - Cynthia Strother)
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Kay Bell And The Spacemen
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The Quinto Sisters |
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12-21
The Quinto Sisters -
Summer Nights / Pineapple Princess
(7: Columbia 4-43071) 1964
Lee, Bonnie, Chris, Elaine, Renee and Cindy Quinto の
可愛い6姉妹によるキッズ・グループ。
彼女達は需要の高いキッズタレントして1960年代前半から
テレビ番組で活躍していて、1964年にクリスマスアルバム
Holly Jolly Christmas (Columbia CL 2254 mono / CS 9054 stereo)
をリリースしたが、本件は彼女達のデビューシングルで
両面アルバム未収のサマーソング。
クリスマスアルバムに無縁なサマーソングだから当たり前か。
で、とても出来のよいサマーポップなのだがライターの
クレジットは Doc Pomus-Mort Shuman となってる。
どこかで聴いた曲だと思ったら Bobby Pedrick
(Bobby Pedrick Jr. = Robert John) が1959年にリリースした
Bigtop 45-3024 のカヴァーだった。
ほんでもってB面は Annette の “Pineapple Princess”
(邦題 : パイナップル・プリンセス まんまやないかいっ 笑)
のキッズ・ポップカヴァーだから一粒で二度美味しい (死語)
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Mitch Miller and The Quinto Sisters |
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Jo Ann Campbell |
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12-22
Jo Ann Campbell - Motorcycle Michael
(7: ABC-Paramount 10200) 1961
(7: ABC-Paramount 45-10200 Promo copy) 1961
(LP: ABC-Paramount ABC-393 mono / ABCS-393 stereo) 1962
Jacksonville, Florida. Female Pop and Rock and Roll singer.
Excellent female rocker in Motorcycle theme.
Written by Written by Peter Udell-Gary Geld.
Arranged & Orchestra Conducted by Sid Feller.
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The Petites
Janice Dillingham and Suzanne Dillingham |
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12-23
The Petites - Baby Blue Mustang
(7: Troy 1001) 1965
Suzanne Dillingham and Janice Dillingham.
Teen girl duet from Texas.
Students at Brookesmith High School.
Named "The Petites" by Ray Hildbrand.
Daughters of Mr. and Mrs. W. C. (Dub) Dillingham of Brookesmith.
Excellent girl pop ballad with hot rod car theme.
Written by S. Dillingham, J. Dillingham
(Suzanne Dillingham-Janice Dillingham)
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12-24
Lynn Gibson -
The Chrome Plated Hog / In The Back Seat Of My "57 Chevy"
(7: Vetco 518?/?91111) 1969
Female Hillbilly singer from Nashville, Tennessee..
Both sides Written by Lynn Gibson.
Produced by Lou Ukelson.
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12-25 Shirley Paige - I Met The Nicest Man On A Honda
(7: Philwood P-230) 1972
Memphis 州のマイナーレーベルからリリースされたシングルで
Mike Curb の出世作でアメリカで Honda のCMソングにもなった
The Hondells "You Meet The Nicest People On A Honda"
のカウンターソングである。しかも自作!
Written by John C. Phillips-Shirley W. Paige.
Produced by Skip & Johnny Phillips.
南部の田舎女性が Mike Curb にカウンターパンチを
放った笑撃の問題作、これだからレコード収集はやめられん (笑)
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Marianne Faithfull |
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12-26
Marianne Faithfull - Summer Nights
(7: UK Decca F.12193) 1965
(LP: US London Records LL 3452 Mono / PS 452 Stereo) 1965
興味ぶかい事にこの歌は当時の UK チャート10位に入ったが
本国イギリスの彼女のオリジナルアルバムには収録されなかった。
アメリカではアメリカ盤シングル London 9780 が Billboard で
全米24位のビッグヒットとなり、当時のアメリカのアルバム
"Go Away from My World" には収録された。
Andrew Loog Oldham のイメージ戦略があったのだろう、サウンドは
純然たるイギリス特有のストリングアレンジに、暗い沈んだような
雰囲気をわずかに含む憂いのある彼女の歌声が見事にマッチしている。
個人的にはもう少しピッチを落としたほうが、より感傷的になったと
思うのだが、1965年と言えば British Invasion (1960年代半ばに
イギリスのロックやポップミュージックをはじめとする英国文化が
アメリカ合衆国を席巻し、大西洋の両岸でカウンターカルチャーが
勃興した現象) によってイギリスからビートサウンドが一気に
アメリカに襲い掛かった時期なので、これはこれで良かったのだろう、
それがこのヒットチャートの順位に表われている。
本名を Marianne Evelyn Gabriel Faithfull と言い、彼女は
1946年12月29日に London 北部の高級住宅街 Hampstead で生れた。
彼女は 1960 年代にヒットシングル "As Tears Go By" のリリースで
人気を博し、米国における British Invasion 時代の主要な
女性アーティストの1人と認識されている。
彼女は1964年に歌手としてのキャリアをスタートし、コーヒーハウス
でフォークミュージックの演奏者として最初のギグを行った。
彼女はすぐに Swinging London の爆発的な社交シーンに参加し始めた。
(Swinging Sixties または Swinging London とは1960年代半ばから
後半にかけてイギリスで起こった若者主導の文化革命であり、現代性と
楽しい快楽主義を強調し、Swinging London がその中心とされている。
アート、音楽、ファッションが栄え、音楽活動の British Invasion の
マルチメディアリーダーとしての The Beatles などのポップと
ファッションの輸出に象徴される。モッズとサイケデリックの
サブカルチャー、女流デザイナー Mary Quant のミニスカート、
Twiggy や Jean Shrimptonなどの人気ファッションモデル、
London の King's Road, Kensington, Carnaby Street などの
人気ショッピングエリアの象徴的な地位、反原発運動の政治活動、
そして性解放運動等のムーヴメント全体を指す)
1964年初頭、彼女はアーティストの John Dunbar とともに
Rolling Stones の立ち上げパーティーに出席し、 彼らのマネージャー
Andrew Loog Oldham に出会い、Andrew が彼女を発掘した。
ここから彼女の波乱万丈の人生が始まる。彼女の最初のシングル
"As Tears Go By" はMick Jagger, Keith Richards, Andrew Loog Oldham
が作詞・作曲しチャートで成功を収めた。Rolling Stones は1年後に
彼らのヴァージョンを録音し、これも成功した。その後、彼女は
"This Little Bird", 本件 "Summer Nights", "Come and Stay with Me"
などの一連の成功したシングルをリリースした。
彼女は1965年5月6日に Peter & Gordon の Peter Asher を
付添人として John Dunbar と結婚し、1965年11月10日に
彼女は息子 Nicholas を出産した。
1966年、彼女は Nicholas を Rolling Stones の Brian Jones と
彼のガールフレンドでモデルの Anita Pallenberg と一緒に London
に滞在させた。この時期に Marianne Faithfull はマリファナを吸い始め
Anita Pallenberg と親友になった。同年、彼女は Mick Jagger と大々的に
報じられた交際を開始し、夫と別れて彼と暮らすようになった。
このカップルはヒップな Swinging London シーンの悪名高き一員となった。
Sussex 州 West Wittering の Keith Richards 宅で麻薬捜査を行っていた
警察によって、毛皮の敷物だけを着ている彼女が発見された。
1968年、彼女はすでにコカイン中毒になっており、Ireland にある
Mick Jagger の別荘に隠遁している間に Corrina と名付けた娘を流産した。
彼女は拒食症、ホームレス、ヘロイン中毒になっていた。
独特の声で知られる Marianne Faithfull の、以前はメロディックで
高音域のヴォーカル(1960年代の彼女のキャリアを通じて
流行していた)は、1970年代の持続的な薬物乱用と重度の喉頭炎の
影響を受けていた。これにより彼女の声は永久に変化し、ガラガラと
ひび割れ、ピッチが低くなった。
しかしこの新しいサウンドは一部の批評家から「ウイスキー漬け」と
称賛され、彼女の波乱万丈の人生の感情を生々しく表現するのに
役立ったとみなされた。
そしてボロボロになった女の復活がここから始まった。
長い商業活動からの空白を経て彼女は1979年に絶賛されたアルバム
Broken English をリリースしてカムバックを果たした。
このアルバムは商業的に成功を収め、彼女の音楽キャリアの復活を示した。
Broken English は彼女にグラミー賞最優秀女性ロックヴォーカル
パフォーマンス賞にノミネートさせ、彼女の「決定版録音」と
みなされることが多い。
彼女はこれに続いて、Dangerous Acquaintances (1981),
A Child's Adventure (1983), Strange Weather (1987) を含む
一連のアルバムを発表した。
彼女は、2009年のWomen's World Awards (世界女性賞) で
World Lifetime Achievement Award (特別功労賞生涯業績賞) を受賞し、
フランス政府から芸術文化勲章のコマンドール (文化勲章受章者の特別階級)
に任命された。
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Susan Wayne |
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12-27
Susan Wayne - Think Summer
(7: Columbia 4-43237) 1965
Susan Wayne と言えばマニアックだが Columbia records
で2枚のシングルをリリースしただけのレアなガールポップ
シンガーだが当時アメリカのテレビ番組 "The Outer Limits" に出演
していた若手女優が同名であり、恐らく本件はその女優 Susan Wayne
と推測できる。何故なら興味深い事に Columbia records の
プレスではなく Detroit WKNR - Keener13 と
St Louis Missouri Top Jocks of KXOK が独自にプロモーション用の
スリーヴを付けてデトロイトとミズーリで配布しており
所謂 Rush release (日本で言う強力プッシュ盤) として
扱われたのが解る。恐怖系のテレビ番組で恐ろしさを上手に表現し、
そこそこ話題になった女優なのか「この曲を今年の夏の
推し曲で行きましょう」と配布されたのだろう。
曲を書いてプロデュースを担当した Clyde Otis は
Elvis Presley, Nat King Cole, Johnny Mathis 他に曲を提供した
名ソングライター&プロデューサーだ。
アレンジを担当したのは自らの楽団を持つピアニストの
Wendell Tracy で、このシングル Susan Wayne が弾けた
ガールグループスタイルで歌った好盤に仕上がってる。
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The Supremes |
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12-28
Supremes - Surfer Boy
(Acetate Hitsville Sound Studios) 1964
当時お蔵入りになった The Supremes の歌うサーフソング。
4th Master 2:26
One sided metal acetate.
PAMN 4140-NH1
Maybe recoded in December 1964.
Written by Holland-Dozier-Holland.
(Brian Holland-Lamont Dozier-Edward Holland, Jr.)
Produced by Brian Holland & Lamont Dozier.
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L-R Lamont Dozier, Eddie Holland, Brian Holland |
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The Supremes |
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12-29 The Supremes - Dr. Goldfoot And The Bikini Machine
(7: American International 65-3335 Promo only) 1965
ほんでもってこちらは American International の
コメディースパイ映画 “Dr. Goldfoot And The Bikini Machine”
のために録音された片面のみのプロモ盤。
作者は Guy Hemric-Jerry Styner のコンビで、彼らは当時
Annette や Donna Loren の同映画会社の一連のビーチムーヴィーの
関連曲から Dick Dale And His Del-Tones "Hot Rod Alley"
Stevie Wonder "Happy Street”
The Westwoods "I Miss My Surfer Boy Too" 等を書いており
まさに売れっ子ソングライターコンビとして需要が高かった時期の
作品だ。ビキニ物なのでここで掲載したが、この悪ふざけ映画は
007 James Bond シリーズ1962年の Dr. No と
1964 年の Goldfinger のパロディー映画であり、若い女性を
洗脳し世界をビキニで征服しようと企む Dr. Goldfoot を描いた
チープなB級コメディー作品だ。Norman Taurog 監督、
American International Pictures (通称 AIP) 配給。
出演は Vincent Price, Frankie Avalon, Dwayne Hickman,
Susan Hart, Jack Mullaney, Fred Clark ら。当時流行していた
スパイ映画のトレンドで名づけられた映画タイトルだが
James Bond シリーズの権利保持者からの訴訟の脅迫のために
この映画はイギリスでは Dr. G. and the Bikini Machine と
改題されたという American International の馬鹿げた本気度
すら伺えるマニアック映画である。
制作予算が低いにもかかわらず、この映画は一定のカルト的地位を
獲得しホラー映画レジェンドの Vincent Price とAIPの
ビーチパーティー映画卒業生の出演のためにも機能した。
その冗談と性的欲望を刺激する過剰な Claymation (粘土を使った
コミカルなストップモーションアニメ) をその第一人者の
Art Clokey が手掛けており、本件 The Supremes が歌った
タイトル曲が挿入された。
そしてその成功により、1966年に続編が制作され
題名は Dr. Goldfoot and the Girl Bombs
邦題付けるとしたら「ドクター・ゴールドフットと少女爆弾」(爆)
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The Beas |
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12-30
The Beas - Doctor Goldfoot And The Bikini Machine
(7: American International 65-3273 Promo only) 1965
Different recording than Dee Gee 3010,
much more like The Supremes version.
One sided promo only.
Written by Hemric-Styner (Guy Hemric-Jerry Styner)
(7: Dee Gee 3010) 1965
ほんでもってこれは女性トリオ The Beas に歌わせたシングル。
American International 65-3273 で配布された片面のみの
プロモ盤は The Supremes のヴァージョンとよく似てるが
Dee Gee 3010 でリリースされたヴァージョンはビートを強く
強調したアレンジが施されている。
The Bea's - Nothing Can Go Wrong / International Girl
(Chattahoochee Records CH-692) 1966年も同じグループで
綴りを The Bea's に変えてるが、それも Guy Hemric-Jerry Styner
が書いて Jerry Styner がアレンジを担当した。
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Annette |
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12-31
Annette - Ride The Wild Surf - Sidewalk Surfin'
(LP: Buena Vista Records BV-3327 mono / STER-3327 stereo) 1965 Tracks from her album "Sings Golden Surfin' Hits"
人気女優が歌ったジャン&ディーンのカヴァー曲。
Annette Joanne Funicello(1942年10月22日生まれ - 2013年4月8日没)
はアメリカの女優兼歌手。彼女は12歳でプロとしてのキャリアを
スタートし、オリジナルのミッキーマウスクラブで最も人気のある
マウスケティアーズの1人になった。1963年8月7日に公開された
映画 "Beach Party" は、American International Pictures(AIP)が
10代の視聴者を対象に制作した7本のビーチ・パーティ映画の
最初の作品だった。映画はビーチ・パーティ映画のジャンルを生み出したと
評価されており、アネットは映画女優としての地位を確立し、
共演者のフランキー・アヴァロンとともに「ビーチ・パーティー」
というヒット映画のジャンルを広めた。
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【戻る】【続く】 |