Live ! At The Star-Club In Hamburg, Germany 1962 |
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ROLL OVER BEETHOVEN |
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CHUCK BERRY AND HIS COMBO |
- ROLL OVER BEETHOVEN / DRIFTING HEART (CHESS 1626) |
1956 SAN JOSE, CALIFORNIA.GREW UP IN St.LOUIS.
BEST KNOWN R & R SINGER SONG WRITER.R & R ALLTIME MASTERPIECE.
CHART HIT NO.29.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(WITH THE BEATLES / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
「もしもギターリフに印税が入るのならば Chuck Berry は世界一の金持ちだ」
と言われるほど多くのロックンロールをスタンダード化させた素晴らしいリフを
次々と作り出した天才。その意味においてもベートーヴェンを超えた
存在である。またその個性的なギターパフォーマンスにおいても
正真正銘のエンターテイナーであった。彼から影響を受けていない
ロックンロールは稀有である。
George のヴォーカルはこういったロックンロールでも Shout することなく
淡々としている。しかしそれが George の持ち味なのだ。
間奏のギターもこなれていて、そつなくこなしている。通常は4小節の間奏だが、
ライヴでは8小節のロングヴァージョンもある。 |
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THE HIPPY HIPPY SHAKE |
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CHAN ROMERO |
- IF I HAD A WAY / THE HIPPY HIPPY SHAKE (DEL-FI 4119)
- THE HIPPY HIPPY SHAKE / IF I HAD A WAY (UK COLUMBIA DB-4341) |
1959 MEXICAN INDIAN-AMERICAN.
NICE MELODIC TEEN BALLAD IN R & R ERA.
FLIP LATINO R & R ALLTIME MASTERPIECE.
LATER SWINGING BLUE JEANS COVERED AND
HAD CHART HIT NO.24 IN 1964.
BOTH SIDES WRITTEN BY R.ROMERO.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / LIVE AT THE BBC) |
メキシカンインディアンとアメリカ人との間に生まれたロックンローラー。
実はオリジナルの DEL-FI シングルは「THE HIPPY HIPPY SHAKE」を
A面扱いとするか DEL-FI RECORDS は悩んでいた。結局プロモ盤で
確認出来るように Introducing CHAN ROMERO とクレジットして
ラジオ局に配布してみた。しかし同年にイギリスでは A面としてリリースされ
ヤングにバカ受け(死語)となり、それ以降は彼を代表する名曲となった訳だ。
因みに逸話としては同じ DEL-FI のLatino Rock & Roller であった Ritchie Valens
と Chan Romero は一度も会った事がないらしいから不思議だ。
曲中でも Chan Romero は Eddie Cochran のような惚けた笑い声を入れる等
やはりオリジナルは凄まじい迫力の Rocker だ。 |
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SWEET LITTLE SIXTEEN |
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CHUCK BERRY |
- SWEET LITTLE SIXTEEN / REELIN' AND ROCKIN' (CHESS 1683) |
1958 SAN JOSE, CALIFORNIA.GREW UP IN St.LOUIS.
BEST KNOWN R & R SINGER SONG WRITER.
R & R ALLTIME MASTERPIECE.
ORIGINAL SONG FOR BEACH BOYS "SURFIN' U.S.A".
C.BERRY.CHART HIT NO.2.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / LIVE AT THE BBC) |
Beach Boys のヒット曲「Surfin' U.S.A.」の元ネタとしても有名。 「もしもギターリフに印税が入るのならば Chuck Berry は世界一の金持ちだ」
と言われるほど多くのロックンロールをスタンダード化させた素晴らしいリフを
次々と作り出した天才。またその個性的なギターパフォーマンスにおいても
正真正銘のエンターテイナーであった。彼から影響を受けていない
ロックンロールは稀有である。 |
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LEND ME YOUR COMB |
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CARL PERKINS THE ROCKIN GUITAR MAN |
- GLAD ALL OVER / LEND ME YOUR COMB (SUN 287) |
1958 TENNESSEE.ROCKABILLY SINGER SONG WRITER.
A-SIDE SCHROEDER-TEPPER-BENNETT.
B-SIDE TWOMEY-WISE-WEISMAN.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
間奏のギターブレイクで Rocker らしさを強調しているものの
1957年の大ヒット Everly Brothers "Wake Up Little Susie"に低通する
ギターリフとフレーズを有する、と言うよりかなり意識して作られた作品。 |
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YOUR FEET'S TOO BIG |
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CHUBBY CHECKER |
- LP「For Twister Only」 (LP: PARKWAY P-7002 ALL ORANGE LABEL)
Include a track "YOUR FEET'S TOO BIG" |
1960 PHILADELPHIA.R & B TWIST DANCER.
INCLUDE A TRACK "YOUR FEET'S TOO BIG"
LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
Mr. Twist こと Chubby Checker だが、元々この Twist Movement の
仕掛け人は American Bandstand の司会でも有名な Dick Clark であった。
Chubby Checker は本名を Ernest Evans といいデビューした時は
Fats Domino スタイルのシンガーだった。フロリダ州タンパ辺りの D.J. が
Hank Ballard and The Midnighters の「The Twist」ばかりをオンエアーして
いた事から Dick Clark は他に Twist を歌えるシンガーはいないかと物色
する。当時 Dance Movement を仕掛けていた Cameo Parkway Records
に Dick が電話をして見出されたのが Ernest Evans だった。さっそく Dick Clark
の妻 Bobby Clark に "Chubby Checker"と名付けられた彼はそのパワフルな
ヴォーカルで一気に Twist Movement の頂点まで駆け上がり、その地位を
不動のものとした経緯を持つ。 |
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参考78回転盤 |
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'FATS' WALLER AND HIS RHYTHM |
- YOUR FEET'S TO BIG / SUITCASE SUSIE
(BLUEBIRD B-10500 : 78rpm) |
193? NEW YORK.JAZZ SINGER, PIANIST.
A-SIDE ADA BENSON-FRED FISHER
B-SIDE RUBENS-FRENCH-LaFRENIERE
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
コミカルなジャズソングで一世を風靡した 'Fats' Waller によって
1930年代にレコード化された。Fox Trot で歌われるオリジナルヴァージョン。
Beatles のカヴァーモデルは Chubby Checker である |
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TWIST AND SHOUT |
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TOP NOTES |
- TWIST AND SHOUT / ALWAYS LATE (WHY LEAD ME ON)
(ATLANTIC 45-2115) |
1961 PHILADELPHIA.R & B VOCAL UP BEAT DANCER ORIGINAL VERSION.
LATER ISLEY BROTHERS COVERED AND HAD CHART HIT NO.17 IN 1962.
BERNS-MEDLEY (BERT RUSSELL BERNS-PHIL MEDLEY).
B-SIDE NICE DREAMY DOO-WOP.GUYTON-NAVARRO-MARTIN.
SUPERVISED BY PHIL SPECTOR.ARR & COND BY TEDDY LANDAZZO.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(PLEASE PLEASE ME / LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
Top Notes は元々 Five Pearls のメンバーだった Derek Ray と
Guy Howard が結成した R&B ヴォーカルグループで
Five Pearls には若き David Cortez Clowney (aka Dave "Baby" Cortez)
も在籍していた。しかし Top Notes 結成時期に彼らは袂を分けている。
その後 Atlantic Records と契約した Top Notes は1960年から
1961年にかけて4枚のシングルをリリースするのだが本件シングルは
Atlantic Records でのラストシングルとなった。
本来なら Jerry Leiber & Mike Stoller が手掛ける筈だったのだろう、
当時 Leiber & Stoller の下で見習いをやっていた Phil Spector だが
金銭上の問題により Atlantic Records を去った Leiber & Stoller の
後釜として Phil Spector はプロデュースのチャンスを得る。
若き Phil Spector は Top Notes の他のシングルでもプロデュースを
手掛けたが、このシングルで彼が行ったプロデュースが「派手過ぎる」と
作者の Burt Russell を怒らせた。その結果 Isley Brothers に歌わせて
仕切りなおす事になったのだが、Isley Brothers ヴァージョンでは
Burt Russell 自らがプロデュースを担当し全米17位の大ヒットとなる。
当時 Phil Spector が仕掛けた「音の壁」はリスナーやクリエイター達にも
理解されるべくもなく、Burt Russell のとった行動は正しかったと言える。
ここでは Up Beat のダンサーにサックスブレイクが導入され、Isley Brothers
と聴き比べれば解るようにテンポもかなり速い。当然この段階では
Phil Spector の Wall Of Sound も発展段階にあり、バランスを試行錯誤
しながら音を詰め込んでいた。アレンジを担当した Teddy Randazzo も
Phil Spector の意図を模索しながらの作業だったであろう。
見え隠れする Phil Spector の狂気、作品をポピュラーヒットさせようとする
作者の Burt Russell と Atlantic Records の葛藤。それは親しみやすい
フックの導入であり、リスナーの意識に歩調を合わせる事。
ポピュラーミュージックが誰かの手によって進化しようとする瞬間がここにある。
因みにB面の Dreamy Doo-Wop は語られる事も少ないが名作である。
しかしその後のPhil Spector と Beatles の因縁を考えると、この1枚は
とても罪深い存在となる。もちろん当時 Beatles がカヴァーしたモデルは
下記の Isley Brothers である。 |
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ISLEY BROTHERS |
- TWIST AND SHOUT / SPANISH TWIST (I.B. SPECIAL INSTURUMENTAL)
(WAND WND-124) |
1962 CINCINNATI.R & B VOCAL DANCER ALLTIME MASTERPIECE.
TOP NOTES COVER.PHIL MEDLEY-BERT RUSSELL.
PROD BY BERT RUSSELL.CHART HIT NO.17.
B-SIDE R & B STOMPER INST.BERT RUSSELL.
BOTH SIDES ARR BY TEACHO WILTSHIRE.A LUDIX PRODUCTION.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(PLEASE PLEASE ME / LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
この写真を見て解るように、元々はお笑いトリオだった通称アイズレー兄弟。
「ワテら浪速の3兄弟でっせ」的なポーズは微笑ましい。
こちらは改めて聴くとホノボノとした演奏で、いかに TOP NOTES ヴァージョンで
Phil Spector が狂気をみせたのかが解る。しかしエンディング近くで
Monkey Dance を促すかのようにエキサイティングな猿声を入れてる
あたりは、こちらのヴァージョンも狂気が伺える。
興奮、それは人間が猿に戻る瞬間。素晴らしい!
流行とは言え、いつの時代のダンススタイルですら人間の猿化(原始化)
である事は間違いないと気づかせてくれる名曲である。
初期のライヴで冒頭を飾っていたこの曲は、日本盤タイトルが
「ビートルズのテーマ」で無いのが不思議なくらいに初期 Beatles の
イメージを決定付けている。こういう単調な曲はそのバンドの力量が
顕著に現れると思うのだがイントロからエンディングまでの完成度は実に
お見事である。デビュー前からの得意ナンバーであったが、
1発で決める Beatles の力量は当時のビートグループの中でも上位に
位置するのではなかろうか。
因みに演奏の勢いは Live At The Star-Club のヴァージョンが最高かな?!。
じつにガレージパンクしてます。 |
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Mr. MOONLIGHT |
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メンバーの後ろからひょっこり
顔を出す PIANO RED |
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DR. FEELGOOD & THE INTERNS |
- DOCTOR FEEL-GOOD / MISTER MOONLIGHT (OKEH 4-7144) |
1962 R & B VOCAL GROUP WITH WILLIE "PIANO RED" PERRYMAN.
A-SIDE NICE R & B STOMPER.C.SMITH.CHART HIT NO.66.
B-SIDE NICE EMOTIONAL R & B VOCAL.R.L.JOHNSON (ROY LEE JOHNSON).
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
オチャメなおじさんです。Piano Red として有名な R & B ピアニストですが
彼が右上写真のメンバーを率いて名乗ったのがこのバンド。Beatles ファンは
左上写真を見て大きな音をたてて「Mr. MOONLIGHT」幻想が崩れていくだろう。
この「ぬらりひょん」そっくりのオヤジ゙が Piano Red なのです。
この曲もデビュー前からのレパートリーだが正規リリースは Merseybeats, Hollies
より遅く、FOR SALE 発売まで待つことになった。このBeatles 版を聴くと
前述した2グループが British Beat Style でカヴァーしたのに比べて、
ボンゴやドラム等を用いてオリジナルに近づけようしているのが解る。
しかし、未だに Beatles がオリジナルと信じて疑わない人も少なからずいる
というのはなんとも皮肉なことだ。それほどまでに John Lennon の
熱唱カヴァーは素晴らしかったと言えるだろう。
因みにファーストプレスはライタークレジットが Roy Lee Johnson のみ。
セカンドプレスでは共作者もクレジットしている。 |
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A TASTE OF HONEY |
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LENNY WELCH |
- A TASTE OF HONEY / THE OLD CATHEDRAL (CADENCE 1428) |
1962 NEW JERSEY.BLACK MOR SINGER, VOCALIST. A-SIDE ORIGINALLY RECORDED BY BOBBY SCOTT IN 1960.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(PLEASE PLEASE ME / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB) |
オリジナルは映画のタイトルソングであるこの曲、Beatles は1962年の
Lenny Welch のヴァージョンをモデルにしているようだ。
Paul 好みのこの手のスタンダード曲は Beatles ファンには不評だが…。
3拍子って結構演奏が難しいと思うのだが、デビュー前からの得意とあって
そつなく纏められている。 |
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参考シングル |
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MARTIN DENNY AND HIS ORCHESTRA |
- A TASTE OF HONEY / THE BRIGHTER SIDE (LIBERTY 55470) |
1962 INST VERSION.COOL PIANO JAZZ WITH VIBE & PERCUSSION.
A-SIDE ORIGINALLY RECORDED BY BOBBY SCOTT IN 1960.
SCOTT-MARLOW.
B-SIDE DAVID GATES.BOTH SIDE PROD BY SW.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED VOCAL VERSION
(PLEASE PLEASE ME / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB) |
かっこいいピアノジャズをメインに Martin Denny 特有の Vibe と
Percussion が素晴らしい Coolness を生み出す傑作ヴァージョン。 |
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参考アルバム |
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BOBBY SCOTT |
- LP: A TASTE OF HONEY (ATLANTIC 1355) |
1960 JAZZ PIANIST.HE WROTE TITTLE SONG FOR NOVEL, MOVIE.
AND AFTER REMAKED IT BY MARTIN DENNY.
TITLE SONG LATER BEATLES COVERED
(PLEASE PLEASE ME / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB) |
こちらが作者本人のオリジナル。この曲は元々彼がイギリス女優の
Shelagh Delaney のために1958年に書いた曲で小説「A TASTE OF HONEY」
の映画化によりこのタイトルソングは広く知れ渡った。
その後 Martin Denny が逸早くカヴァーしている。
因みに Bobby Scott は1970年に Robert William Scott 名義で Warner Brothers
でもセルフカヴァーしている。 |
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BESAME MUCHO |
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COASTERS |
- BESAME MUCHO (PART 1) / BESAME MUCHO (PART 2)
(ATCO 45-6163) |
1960 LOS ANGELES.R & B VOCAL GROUP.NICE LATIN R & B VOCAL.
CHART HIT NO.70.ORIGINALLY RECORDED AS "BESAME MUCHO"
BY EMILIO TUERO & THE CHELA CAMPOS IN 1941.
BOTH SIDES WRITTEN BY VELAZQUEZ-SKYLAR.
PROD BY LEIBER & STOLLER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1 / DECCA AUDITION) |
オリジナルの EMILIO TUERO & THE CHELA CAMPOS はアンドロメダ級の
レア盤です。当時イギリスや欧州ではこの手のラテンラウンジ曲のカヴァーが
多い。その点はアメリカのクラブミュージックシーンとは一線を画す。
「サンダーバード」なんかを見ていても解るように、豪華客船等の
カクテルラウンジでこの手のカヴァー曲を聴かせるのが当時のイギリスの
クラブマナーだった。 |
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REMINISCING |
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Buddy Holly らが乗っていて墜落したプロペラ機の事故現場 |
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BUDDY HOLLY |
- REMINISCING / WAIT TILL THE SUN SHINES, NELLIE (CORAL 62329) |
1962 TEXAS.BEST KNOWN R & R SINGER.
A-SIDE KING CURTIS.
B-SIDE ANDREW B. STERLING-HARRY VON TILZER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
たった3年の歳月で計り知れない影響をロックンロールシーンに残した
Buddy Holly の悲劇は「ロックンロールの死んだ日」と語られた。
この曲は King Curtis の渋いサックスをフューチャーした曲で
Buddy Holly の死後にリリースされた。
この選曲も含め Beatles がいかに Buddy Holly を敬愛していたのかが伺える。 |
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KANSAS CITY |
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LITTLE RICHARD AND HIS BAND |
- KANSAS CITY / LONESOME AND BLUE (SPECIALTY 664) |
1959 GEORGIA.REAL NAME RICHARD WAYNE PENNIMAN.
R & B / R & R SINGER,PIANIST.CHART HIT NO.95.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
Beatles のカヴァーモデルとなったのは Little Richard のヴァージョンである。
因みに彼らが LP「For Sale」にてメドレー録音した際に作曲クレジットが
MIKE STOLLER & JERRY LEIBER のみだった事から Little Richard の
版元が使用料を請求し大騒ぎになった。結局 Little Richard はこのメドレーの
作曲者印税として3万ドル以上受け取るといったビジネスマンでもある。
さて、Paul 得意の Little Richard 物だが、彼は John のようなドスの
効いた SHOUT と違い、頭のてっぺんから突き抜けるなハイトーンで
SHOUT している。これは日本人には真似しにくいよ。うひいい。。。
まるで我々と Little Richard に挑戦状をたたきつけているようだ。 |
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参考シングル |
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参考78回転盤 |
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LITTLE WILLIE LITTLEFIELD |
- K.C. LOVING / PLEADING AT MIDNIGHT (FEDERAL 12110) |
1953 TEXAS.R & B SINGER, BOOGIE WOOGIE PIANIST.
WRITTEN BY MIKE STOLLER & JERRY LEIBER.
LATER REMAKE IN 1959 AS "KANSAS CITY"
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
元々のタイトルは「KANSAS CITY」だったがプロデューサーのRalph Bass
によって「K.C. LOVING」に改題され、ライターの Mike Stoller & Jerry
Leiber
を憤慨させた経緯を持つ。その後 Wilbert Harrison が1959年に
オリジナルタイトルの「KANSAS CITY」で全米1位になるや自らも「KANSAS CITY」
として再発売し仕切りなおすといったお調子者である。 |
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参考シングル |
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LITTLE WILLIE LITTLEFIELD |
- KANSAS CITY / MIDNIGHT HOUR WAS SHINING (FEDERAL 12351) |
1959 TEXAS.R & B SINGER, BOOGIE WOOGIE PIANIST.
ORIGINALLY WRITTEN BY JERRY LEIBER & MIKE STOLLER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
お調子者である。 |
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参考シングル |
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WILBERT HARRISON |
- KANSAS CITY / LISTEN, MY DARLING (FURY 1023) |
1959 CHARLOTTE, NORTH CAROLINA.R & B SINGER.
ORIGINAL WRITTEN BY JERRY LEIBER & MIKE STOLLER.
BUT RELEASED AS "K.C.LOVIN" BY LITTLE WILLIE LITTLEFIELD IN IN
1953.
WILBERT HARRISON VERSION BECAME CHART HIT NO.1.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
カヴァーモデルではないが、全米1位になったヴァージョンなので
一応掲載しておく。なんせこの大ヒットをうけてオリジナルの
Little Willie Littlefield も「KANSAS CITY」をリメイクし
Little Richard, Hank Ballard and The Midnighters や Rockin' Ronald も
この曲をリリースしたんだからな。Wilbert Harrison のこのレコードは
King Curtis らのセッションをつけて録音されたらしくビルボード誌は
この曲を取り上げて特集まで組んで売り出した。
なお、映画「LET IT BE」の中ではこの Wilbert Harrison ヴァージョンを
Little Richard の「MISS ANN」、Lloyd Price の「LAWDY MISS CLAWDY」
とのメドレーで披露しているのでやはり Beatles Fan にはマストアイテム
と言えるだろう。
因みに Wilbert Harrison の Kansas City は South Carolina 出身の
インディペンデントプロデューサー Bobby Robinson のプロデュースに
よるもの。彼は他にも無数のヒット曲を手掛けているが
中には Arthur Crudup の「That's All Right」も含まれており
Beatles が Bobby Robinson の作品を選んで気に入っていたとは
考え難いが、Bobby Robinson の手掛けた作品群が Beatles を
魅了していたのは間違いない。ここにもロックンロールのマジックが
隠されていた。
写真を見て解るように、この人も吉本のお笑い芸人風の
佇まいで「ど〜も〜チャーリーハリソンでぇ〜す」と言ってきそうだ。
因みにレーベルは3〜4種類確認されており、後半になると西海岸プレスと
東海岸プレスではロゴのレタリングが微妙に異なり統一性がない。
なんせ全米1位の大ヒットだから出荷も多くプレス工場も異なる。
解りやすく言えばファーストプレスは角字体のロゴでソングタイトル下に
ライターのクレジットなし。その次にプレスされたのがロゴのレタリングを
変えたもの、そして最終的にはソングタイトル下にライタークレジットが入る。
角字体のロゴでライタークレジットのあるものはいまだ見つかっていないから
これがファーストプレスだと推測される。 |
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HEY, HEY, HEY, HEY |
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LITTLE RICHARD AND HIS BAND |
- GOOD GOLLY MISS MOLLY / HEY-HEY-HEY-HEY !
(SPECIALTY 624 W/PIC SLEEVE) |
1958 GEORGIA.REAL NAME RICHARD WAYNE PENNIMAN.
R & B / R & R SINGER,PIANIST.A-SIDE CHART HIT NO.10.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1) |
Beatles が LP「For Sale」にてメドレー録音した際に作曲クレジットが
KANSAS CITY の MIKE STOLLER & JERRY LEIBER のみだった事から
Little Richard の版元が HEY-HEY-HEY-HEY ! の使用料を請求し大騒ぎになった。
結局 Little Richard はこのメドレーの作曲者印税として3万ドル以上受け取る
といったビジネスマンでもある。
さて、Paul 得意の Little Richard 物だが、彼は John のようなドスの
効いた SHOUT と違い、頭のてっぺんから突き抜けるなハイトーンで
SHOUT している。これは日本人には真似しにくいよ。うひいい。。。
まるで我々と Little Richard に挑戦状をたたきつけているようだ。 |
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NOTHIN’SHAKIN’ (BUT THE LEAVES ON THE TREES) |
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EDDIE FONTAINE |
- NOTHIN' SHAKIN' (BUT THE LEAVES ON THE TREES) /
OH, WONDERFUL NIGHT (SUNBEAM S-105)
- NOTHIN' SHAKIN' / DON'T YA KNOW (ARGO 5309) |
1958 NEW JERSEY-MASSACHUSETTS.AKA EDDIE BREARDON.
TV ACTOR, ROCKABILLY SINGER WITH ARNIE GOLAND ORCH.
FIRST VERSION.NICE ROCKER WITH SAX.
FONTAINE-CALACRAI-LAMPERT-GLUCK.
B-SIDE REARDON-ERRICO.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / LIVE AT THE BBC)
1958 NEW JERSEY-MASSACHUSETTS.AKA EDDIE BREARDON.
TV ACTOR, ROCKABILLY SINGER.ONE HIT WONDER.
NICE GUITAR ROCKER VERSION.
FONTAINE-CALACRAI-LAMPERT-GLUCK.CHART HIT NO.64.
B-SIDE NO WRITER CREDIT.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / LIVE AT THE BBC) |
テレビ俳優としても人気を博していた Eddie Fontaine
当初は「NOTHIN' SHAKIN' (BUT THE LEAVES ON THE TREES)」として
Sunbeam Records からリリースされたが、こちらは初期ヴァージョンで
Sax を前面に出している。その後 Argo に買い上げられアレンジを
Guitar Rocker ヴァージョンに改めて録音された。その際タイトルを
シンプルに「NOTHIN' SHAKIN'」とクレジットされた。全国配給を持つ
Argo 盤は全米64位のスマッシュヒットとなったが彼のヒット曲は
この一枚のみ。超絶ギターブレイクが入ったロカビリー名曲。
これぞ One Hit Wonder の謎と言えよう。
写真1は Sunbeam Records、写真2はラベルナンバー下にイニシャルナンバー
U-8746 がクレジットされたヴァージョン、写真3はイニシャルナンバー U-8746
がラベル右上にクレジットされたヴァージョン。 |
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TO KNOW HER IS TO LOVE HER |
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TEDDY BEARS |
- TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM / DON'T YOU WORRY MY LITTLE PET
(DORE 503) |
1958 TEEN VOCAL TRIO.
PHIL SPECTOR, ANNETTE KLEINBARD (CAROL CONNORS), MARSHALL LEIB.
MELODIC TEEN BALLAD ALLTIME MASTERPIECE.CHART HIT NO.1.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED AS "TO KNOW HER IS TO LOVE HER"
(LIVE AT THE STAR-CLUB / LIVE AT THE BBC / DECCA AUDITION) |
当初は男3人によるティーンヴォーカルトリオだったが
Phil Spector はハイスクール時代のガールフレンドの友人だった
Annette Kleinbard (Carol Connors) の可憐な声に惹かれ彼女を説得し
メンバーに加入させた。一時期彼らは4人組みという体制でもあったが
オリジナルメンバーの Harvey Goldstein が脱退する。
グループの名付け親は Harvey Goldstein で、彼が当時ヒットしていた
Elvis Presley の「TEDDY BEAR」をヒントに名づけたと言う。
Phil Spector が書いた曲「DON'T YOU WORRY MY LITTLE PET」
のデモテープを聴いた Dore Records のオーナー Lew Bedell は早速
このティーングループと契約する。
Hollywood の Goldstar Studio での録音が決まりこの曲をA面にし、
B面の曲が必要となり「Wonderful Lovable You」を録音する事になった。
その録音のために2時間のセッションが用意されたのだが、あまった時間の
20分で2テイク録音されレコーディングを完成させたのが
「TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM」であったと言う逸話がある。
この曲は Phil Spector が Annette Kleinbard (Carol Connors) に
歌わせようと特別に書いた曲だ。 Phil Spector の父親は彼が9歳の時に
自殺した。そして父の墓石に彫られたのがこの言葉
「TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM」(彼を知ること、それは彼を愛すること)
だった。彼にとって大きなトラウマでもある自殺した父の墓石の言葉、
この思慮深い言葉を効果的に使ったバラードは8月にリリースされた。
このシングルは地元ロスアンジェルスとミネアポリスで爆発的に売れて行き
1958年12月1日には全米1位となる。
当時多くの若者はこのサウンドに影響を受けた。
Annette Kleinbard こと Carol Connors はソロシンガーとしても活動しており
競馬騎手の娘だった関係もあり若い頃は生活拠点をよく転地していた。
ソングライターセンスもある彼女は Surfin' & Hot Rod ソングの多くも
手掛けている他に、後に映画「Rocky」のテーマ曲等も書いている事でも有名。
Marshal Leib は Gary Paxton 率いる Hollywood Argyles の
ツアーメンバーを始めに多くのプロデューサー活動をしながら
映画音楽にも進出した。Phil Spector と Beatles の関係を
書くとすれば本10冊分は要すだろう。 |
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LITTLE QUEENIE |
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CHUCK BERRY |
- ALMOST GROWN / LITTLE QUEENIE (CHESS 1722) |
1959 SAN JOSE, CALIFORNIA.GREW UP IN St.LOUIS.
BEST KNOWN R & R SINGER SONG WRITER.
R & R ALLTIME MASTERPIECE.CHART HIT NO.32.
B-SIDE FROM THE HAL ROACH MOTION PICTURE "GO JOHNNY GO"
CHART HIT NO.80.
B-SIDE SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
「もしもギターリフに印税が入るのならば Chuck Berry は世界一の金持ちだ」
と言われるほど多くのロックンロールをスタンダード化させた素晴らしいリフを
次々と作り出した天才。またその個性的なギターパフォーマンスにおいても
正真正銘のエンターテイナーであった。彼から影響を受けていない
ロックンロールは稀有である。A面は Marvin Gaye 率いる The Marquees と
Etta James がコーラスを担当しているがB面の録音には参加していない。 |
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FALLING IN LOVE AGAIN |
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MARLENE DIETRICH |
- FALLING IN LOVE AGAIN / BLONDE WOMEN
(UK HIS MASTER'S VOICE B-3524: 78rpm) |
193? FROM 1930 FILM "THE BLUE ANGEL"
BOTH SIDES WRITTEN BY HOLLANDER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED (LIVE AT THE STAR CLUB) |
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BE-BOP-A-LULA |
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GENE VINCENT AND HIS BLUE CAPS |
- BE-BOP-A-LULA / WOMAN LOVE (CAPITOL F-3450 WITH PROMO INSERT) |
1956 NORFOLK, VIRGINIA.ROCK & ROLL SINGER, GUITARIST.
NICE MOODY ROCKER MASTERPIECE.
SHERIFF TEX DAVIS-GENE VINCENT.CHART HIT NO.7.
B-SIDE JACK RHODES-DICK REYNOLDS.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
この印象的な歌詞はラジオ DJ の Sheriff Tex Davis によるもの。
当初プロモーション用のインサートが極少数だけ付いていた。
子供の頃 Gene Vincent の足を引きずる姿を観た。それがとても
痛々しかった。だけど彼のロックンロールにはスピリットが宿っている事も
教えられた。特にこのレコードがリリースされた時代はキラ星のごとく
スターダムに駆け上がり、また不運な事故により消えていくシンガーが
多かった。しかしロックンロールの繁栄はモータリゼーションの繁栄と共に
あり、またその冨やワイルドなイメージの象徴が車やバイクであった
事に気づく。若い頃 Gene Vincent のリーゼントに憧れて何度も真似たが
私は一度として彼のようなかっこいいリーゼントになった例がない。
しかし彼の持つスピリットに触れ継承しようとしていたのは若き Beatles であり
我々リスナーでもあったのだ。ロックンローラーとはその生き様を指す。 |
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HALLELUJAH, I LOVE HER SO |
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RAY CHARLES |
- HALLELUJAH, I LOVE HER SO / WHAT WOULD I DO WITHOUT YOU
(ATLANTIC 45-1096) |
1956 ALBANY, GEORGIA.R & B SINGER SONG WRITER,PIANIST.
BLIND SINGER.BOTH SIDES WRITTEN BY RAY CHARLES.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
流麗なピアノで幕を開けビッグバンドのサポートを受けて生き生きと歌う。
Ray Charles には珍しくライトな曲調だ。間奏部分の Sax Break も品の良い
Swing を聴かせる。この辺の作風が白人カヴァー曲を増やした要因か。 |
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参考シングル |
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EDDIE COCHRAN |
- HALLELUJAH, I LOVE HER SO / LITTLE ANGEL (LIBERTY F-55217) |
1959 MINNESOTA.R & R SINGER,GUITARLIST.RAY CHARLES COVER.
R.CHARLES.B-SIDE HALL WINN.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1) |
ファーストプレスはタイトルが改行クレジットだが、セカンドプレスでは
横一列にクレジットされた。写真3は珍しいホワイトラベル Promo
オーケストラをバックに Swing し特有の鼻にかけた Snotty Vocal がたまらん。 |
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RED SAILS IN THE SUNSET |
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JOE TURNER AND HIS BLUES KINGS |
- AFTER A WHILE / RED SAILS IN THE SUNSET (ATLANTIC 45-1131) |
1957 KANSAS CITY, MISSOURI.AKA BIG JOE TURNER.
R & B SINGER, PIANIST.
A-SIDE JOE TURNER.
B-SIDE WILLIAMS-KENNEDY.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED (LIVE AT THE STAR-CLUB) |
Stock Copy と Promo Copy の両方を掲載しておく。
Rock & Roll Era の R&B としても Atlantic Early Years に残る名盤である。
彼はバナナマンの日村勇紀でもなければ曙でもない。Big Joe Turner は
その名の通りデカブツである。怒らせると大暴れする私の友人にそっくりである。
しかしこの人なしではロックンロールは語れません。 |
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参考シングル |
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EMILE FORD AND CHECKMATES |
- EP「EMILE」Include a track "RED SAILS IN THE SUNSET"
(UK PYE NEP-24119 W/PIC SLEEVE) |
1959 BRITISH GROUP.
Members: Ken Street, Emile Ford, George Sweetnam Ford,
David Sweetnam Ford.
INCLUDE A TRACK "RED SAILS IN THE SUNSET"
LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
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EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY |
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CARL PERKINS |
- LP「The Dance Album Of Carl Perkins」
Include a track "EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY"
(LP: SUN SLP-1225) |
1958 TENNESSEE.ROCKABILLY SINGER SONG WRITER.
INCLUDE A TRACK "EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY" THAT ORIGINALLY RECORDED BY REX GRIFFIN IN 1936.
LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 2) |
EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY は1936年にカントリーシンガー
の Rex Griffin がDecca Records で録音したものがオリジナルとなる。
Beatles のカヴァーモデルは Carl Perkins のカヴァーヴァージョンだ。
George がはつらつとした歌とギターを聴かせてくれる。
カヴァーモデルの Carl Perkins を聴くと多少の黒っぽさも感じられるロカビリー
だが Beatles のそれはより白っぽく、HONEY DON'T 同様に
カントリー&ウェスタン色が濃い Hillbilly 然としたもの。 |
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参考78回転盤 |
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REX GRIFFIN |
- EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY / I'M READY FOR REFORM
(DECCA 5294 A/B : 78rpm) |
1936 ALABAMA.COUNTRY SINGER SONG WRITER.
A-SIDE LATER COVERED BY CARL PERKINS |
お爺ちゃんの遺影ではありません。
私はこの顔を見て「広島カープの梵英心に似ているな」と思った。
梵英心は実家がお寺である。Rex Griffin の顔には梵英心同様に供養参列中
のオナラですら許してくれそうな煩悩のない清々とした表情が伺える。
然るに万物の戯言をも超越した心境にあるカープの梵英心選手は野球界の
至宝である事は間違いないであろう。ここにロックンロール大河の緩やかな
流れを見る思いがする。
しかし良く見りゃ後輩の田中君にも似てるなあ。 |
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MATCHBOX |
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CARL PERKINS |
- MATCHBOX / YOUR TRUE LOVE (SUN 261) |
1957 TENNESSEE.ROCKABILLY SINGER SONG WRITER.
A-SIDE ORIGINALLY RECORDED AS "MATCH BOX BLUES" (AKA MATCHBOX)
BY BLIND LEMON JEFFERSON IN 1927.
BOTH SIDES WRITTEN BY PERKINS.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(EP : LONG TALL SALLY / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
PAST MASTERS 1) |
MATCHBOX は元々 R & B シンガーの Blind Lemon Jefferson が
1927年に録音した MATCH BOX BLUES を改作したもの。
この曲は Traditional Blues で Lead Belly も当時歌っていた。
もちろん Beatles のカヴァーモデルは Carl Perkins のヴァージョンである。
当初 Beatles は1961年からこの曲をライヴでカヴァーしており元々 Pete
Best
の持ち歌カヴァー曲として Pete Best がリードヴォーカルを担当していた。
Star-Club 時代では John Lennon がリードヴォーカルを担当し
BBC LIVE では Ringo Starr がリードヴォーカルを務める。 |
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I'M TALKING ABOUT YOU |
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CHUCK BERRY |
- I'M TALKING ABOUT YOU / LITTLE STAR (CHESS 1779) |
1961 SAN JOSE, CALIFORNIA.GREW UP IN St.LOUIS.
BEST KNOWN R & R SINGER SONG WRITER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
「もしもギターリフに印税が入るのならば Chuck Berry は世界一の金持ちだ」
と言われるほど多くのロックンロールをスタンダード化させた素晴らしいリフを
次々と作り出した天才。またその個性的なギターパフォーマンスにおいても
正真正銘のエンターテイナーであった。彼から影響を受けていない
ロックンロールは稀有である。 |
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SHIMMY SHIMMY |
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OLYMPICS |
- SHIMMY LIKE KATE / WORKIN' HARD (ARVEE 5006) |
1960 COMPTON, CALIFORNIA.EX CHALLENGERS.
R & B VOCAL GROUP IN R & R ERA.
PIRON.PROD BY SMITH & GOLDSMITH.CHART HIT NO.42.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
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LONG TALL SALLY |
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LITTLE RICHARD AND HIS BAND |
- LONG TALL SALLY / SLIPPIN' AND SLIDIN' (PEEPIN' AND HIDIN')
(SPECIALTY 572) |
1956 GEORGIA.REAL NAME RICHARD WAYNE PENNIMAN.
R & B / R & R SINGER,PIANIST.
E.JOHNSON-R.PENNIMAN.CHART HIT NO.33.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(EP : LONG TALL SALLY / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1 / PAST MASTERS 1) |
アーティスト表記がLITTLE RICHARD AND HIS BAND なのがオリジナル盤
で LITTLE RICHARD 表記が LATER PRESSING だ。
しかしこのシングルも実はライタークレジットによって3種類存在する。
先ずは E.JOHNSON のみの単独クレジットと
E.JOHNSON-R.PENNIMAN のクレジットと
E.JOHNSON-R.PENNIMAN-R.BLACKWELL のクレジットがある。
恐らく E.JOHNSON の単独クレジットがファーストプレスと
思われる。 E.JOHNSON とは Enotris Johnson の事で
Little Richard の養父。R.PENNIMAN は Richard Wayne Penniman で
Little Richard の本名。R.BLACKWELL とはプロデューサーの
Bumps Blackwell こと Robert Blackwell の事。
何故養父の名をクレジットしたのかというと育ててくれた感謝の表れで
これによってロイヤリティーをプレゼントしたかったらしい。
この養父のクレジットは「JENNY JENNY」でも記載されている。
これぞロックンロールの美談である。
オリジナル曲の Key は F だが、Paul の Key に合わせてGでカヴァー
している。オリジナルの Little Richard 先生はロックンロール大魔人の
異名(本当か?)にたがわず凄まじいヴォーカルを聴かせてくれるが、
Paul も大魔人に挑戦するかの如く、ハイトーンヴォーカルで歌い切っている。
64年頃のライヴでは John のシャウト(TWIST & SHOUT)で始まり、
この Paul のシャウトで締めていましたね。 |
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I REMEMBER YOU |
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FRANK IFIELD |
- I REMEMBER YOU / I LISTEN MY HEART
(UK COLUMBIA 45-DB-4856)
(VEE JAY VJ-457) |
1962 BRITISH VOCALIST.TUNE HIT NO.9 IN 1942 BY JIMMY DORSEY.
MERCER-SCHERTZINGER.CHART HIT NO.5.
B-SIDE F.IFIELD.
DIRECTED BY NORRIE PARAMOR.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
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WHERE HAVE YOU BEEN (ALL MY LIFE) |
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ARTHUR ALEXANDER |
- SOLDIER OF LOVE / WHERE HAVE YOU BEEN (ALL MY LIFE)
(DOT 45-16357) |
1962 ALABAMA.R & B SINGER.A-SIDE BUZZ CASON-TONY MOON.
B-SIDE BARRY MANN-CYNTHIA WEIL.CHART HIT NO.58.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
Barry Mann-Cynthia Weil が書いた名作で全米58位の渋いヒット。
間奏部分のピアノも美しく、感傷的な Arthur Alexander のヴォーカルに
上手くブレンドされている。 |
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TILL THERE WAS YOU |
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ANITA BRYANT |
- TILL THERE WAS YOU / LITTLE GEORGE (GOT THE HICCOUGHS)
(CARLTON 512) |
1959 OKLAHOMA.AS MISS OKLAHOMA.
FEMALE POP SINGER WITH MONTY KELLY AND HIS ORCHESTRA.
ORIGINAL RECORDED AS "THE MUSIC MAN" BY BARBARA COOK
(ORIGINAL BROADWAY CAST) "THE MUSIC MAN"
WRITTEN BY MERIDITH WILSON AND WAS A SMASH HIT IN 1957.
M.WILSON.
B-SIDE J.KELLER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(WITH THE BEATLES / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1 / DECCA AUDITION) |
BARBARA COOK |
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元々はブロードウェイミュージカル「The Music Man」で Barbara Cook と
Robert Preston のデュエットによって歌われていた曲。
Barbara Cook のヴァージョンは気品あるオペラ風に歌われている。
その後1962年に映画化もされそこでは Shirley Jones が歌った。
Barbara Cook ヴァージョンをカヴァーしたのが Miss Oklahoma だった
Anita Bryant で、これは彼女にとって初のヒット曲となった。
因みに映画が公開された1962年には Valjean によって
インストヴァージョンもリリースされ、よりポピュラーとなった曲だ。 |
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PEGGY LEE |
- TILL THERE WAS YOU / BUCKET OF TEARS (UK CAPITOL 15184)
- EP: LATIN ALA LEE ! (UK CAPITOL EAP7 1290 WITH PIC SLEEVE)
Include Tracks: Till There Was You, Dance Only With Me,
I Am In Love, The Party's Over. - LP : LATIN ALA LEE ! (CAPITOL T-1290) |
1961 JAMESTOWN, NORTH DAKOTA.FEMALE JAZZ SINGER.
ORIGINAL RECORDED AS "THE MUSIC MAN" BY BARBARA COOK
(ORIGINAL BROADWAY CAST) "THE MUSIC MAN"
WRITTEN BY MERIDITH WILSON AND WAS A SMASH HIT IN 1957.
M.WILSON.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(WITH THE BEATLES / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1 / DECCA AUDITION) |
Peggy Lee のこのカヴァー曲はイギリスのみシングルカットされており
EP 盤までリリースされている。Paul によると Peggy Lee のヴァージョンを
聴いてこの曲を知ったそうである。Beatles ファンには不評な Paul の
スタンダード趣味だが何故か好きな方も多いようだ。
「アンプラグド」で仕上げられたBeatles 版がこの曲の完成型と
言えるのかも知れない。ライヴではバンド形式で演奏されているが、
その時々で色々な表情を見せる George のギターワークを聞き比べる
のも一興。 |
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SHEILA |
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TOMMY ROE AND THE SATINS
WITH THE FLAMINGOS
TOMMY ROE |
TOMMY ROE AND THE SATINS WITH THE FLAMINGOS
- SHEILA / PRETTY GIRL (JUDD 1022)
TOMMY ROE - SHEILA / SAVE YOUR KISSES (ABC-PARAMOUNT 45-10329) |
1960 ATLANTA.POP SINGER SONG WRITER IN R & R ERA.
NICE BUDDY HOLLY FOLLOWER.
TOMMY ROE.A-SIDE LATER BECAME NO.1 HIT
ON ABC-PARAMOUNT 45-10329.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB)
1962 ATLANTA.POP SINGER SONG WRITER IN R & R ERA.
NICE BUDDY HOLLY FOLLOWER.ALLTIME MASTERPIECE.
TOMMY ROE..CHART HIT NO.1.
B-SIDE E.BRUCE-I.LICHTERMAN.
BOTH SIDES PROD BY FELTON JARVIS.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
当初 TOMMY ROE AND THE SATINS 名義でローカルプレスされたのだが
その後 ABC-PARAMOUNT に買い上げられて全米1位となった名曲。
この曲は彼が14歳の時に書いた作品で、16歳で Judd Records と
契約した際にリリースされたのがこのファーストプレス。
アトランタで生まれた彼は幼馴染に Joe South や Billy Joe Royal,
Mac Davis, Ray Stevens らがいたというから恵まれた友人環境だった。
この友人達こそが彼の Judd 盤でバックを務めた The Satins である。
その後地元の Radio D.J. の Paul Drew から名プロデューサーの
Felton Jarvis を紹介され ABC Paramount Records へと移籍する。
Felton Jarvis は Buddy Holly の影響が伺える「SHEILA」を気に入り
再リリースする事を決定した。そのとき Tommy Roe は高校卒業した
ばかりで General Electric Company で週給70ドルの工員として
働いていた。しかし全米リリースされたこの曲は全米1位どころかイギリスでも
全英3位の大ヒットとなり、急遽 Tommy Roe はイギリスにプロモーション
ツアーに出る。そのイギリス公演で前座を務めたのが Beatles だった
のだから運命の恐ろしさを感じさせる。 |
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I'M GONNA SIT RIGHT DOWN AND CRY (OVER YOU) |
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ROY HAMILTON |
- YOU'LL NEVER WALK ALONE / I'M GONNA SIT RIGHT DOWN
AND CRY (OVER YOU)
(EPIC 5-9015) |
1954 LEESBURG, GEORGIA.R & B GOSPEL SINGER.
A-SIDE FROM "CAROUSEL" NICE DREAMY VOCAL WITH ORCH.
HAMMERSTEIN U-RODGERS.
B-SIDE ORIGINALLY RECORDED BY JOE THOMAS IN 1953.
NICE SMOOTH VOCAL WITH SAX BREAK IN EARLY R & R ERA.
JOE THOMAS-HOWARD BRIGGS.
ELVIS COVERED BOTH SIDES THAT HIS FAVOURITE
ROY HAMILTON'S VERSION.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB) |
元々は1953年に Joe Thomas が録音していたこの曲だが
Elvis は Roy Hamilton のカヴァーが大好きで Roy Hamilton のヴァージョンを
カヴァーしたと言う。Rock & Roll 初期を代表する Swing ナンバーで
Roy Hamilton のクルーナーとしての実力の高さを堪能できる。
Bap 調の Sax Break もこの時期ならではのアクセントだ。 |
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ELVIS PRESLEY |
- I'M GONNA SIT RIGHT DOWN AND CRY (OVER YOU) /
I'LL NEVER LET YOU GO ( LITTLE DARLIN' ) (RCA-VICTOR 47-6638) |
1956 TUPELO, MISSISSIPPI.KING OF ROCK & ROLL.
A-SIDE ORIGINALLY RECORDED BY JOE THOMAS IN 1953.
ELVIS COVERED HIS FAVOURITE ROY HAMILTON'S VERSION.
JOE THOMAS-HOWARD BRIGGS.
B-SIDE JIMMY WAKELY.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB) |
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Additional song |
RED HOT |
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BILLY "THE KID"EMERSON |
- RED HOT / NO GREATER LOVE (SUN 219) |
1955 FLORIDA-MEMPHIS.AKA BILLY "THE KID" EMERSON.
REAL NAME WILLIAM ROBERT EMERSON.
R & B SINGER SONG WRITER, PIANIST.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
今や伝説の R & B シンガーで、このレコードは世界中で人気が高い。
因みに1950年に The Five Scamps によって録音された RED HOT
(Columbia 30158) は同名異曲である。 |
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参考シングル |
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BILLY RILEY THE LITTLE GREEN MEN |
- RED HOT / PEARLY LEE (SUN 277) |
1957 ROCKABILLY GROUP.A-SIDE BILLY "THE KID" EMERSON COVER.
EMERSON.
B-SIDE BILLY RILEY.
Billy Riley Born 1933 in Pocahontas, Arkansas. Later recorded as Billy
Lee Riley.
Members : Billy Lee Riley on vocal, J.M. Van Eaton on drums,
Roland Janes on guitar, and Marvin Pepper on bass. Soon,
Jerry Lee Lewis joined in on piano, along with Ace Cannon,
and later Martin Willis on sax. Pat O'Neil on bass, and Jimmy Wilson on
Piano.
LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
ロカビリーと言えばこの人。その後もロックンロールシーンに多大な影響を
与え続けた Billy Riley の初期シングル。
同じレーベルメイトの Billy "The Kid" Emerson のカヴァー。 |
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参考シングル |
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BOB LUMAN |
- RED HOT / WHENEVER YOU'RE READY (IMPERIAL X8313) |
1957 TEXAS.ROCKABILLY SINGER.
HIS BACK GROUP LATER BECAME RICKY NELSON'S BACK BAND.
BILLY "THE KID" EMERSON COVER.EMERSON.
FLIP D.BURNETTE.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
Imperial Five Stars の美しさは、やはり Stock Copy ならでは。
ちょっと自慢なので Promo Copy も掲載しておく。
ヴァイオリンとギター奏者で超絶的なハーモニカプレイヤーでもある父親
を持つ Bob Luman だが、彼本人は若い頃からプロ野球選手になろうと
努力していた。しかし高校生時代にテレビで観た Elvis Presley の姿の虜に
なった彼はさっそくロックンローラーとなりアマチュアコンテストに優勝し
Imperial Records からデビューする。ロカビリーシンガーとして名声を
あげたものの後年 Warner Brothers に移籍するまでポピュラーチャート
に入る事はなかった。Imperial Records は彼の方向性に迷いを感じ始めた。
それが原因だったのか、演奏能力の高かった Bob Luman のバックバンドは
その後 Ricky Nelson に引き抜かれて Ricky Nelson の専属バンドと
なってしまった。しかし数ある「RED HOT」のカヴァーの中でも
ワイルドロッカーとしては彼のヴァージョンが一番有名である。
生々しいヴォーカル、レスポンスコーラス、エコーの効いた素晴らしいギタープレイ、
間奏部分の超絶ギターブレイク、どれをとっても超一級品だ。 |
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参考アルバム |
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RONNIE HAWKINS |
- LP「Ronnie Hawkins」 (LP: ROULETTE R-25078 (MONO) / SR-25078 (STEREO)
(WHITE LABEL WITH SPOKES)
Include a track "MY GAL IS RED HOT" |
1959 HUNTSVILLE, ARKANSAS.MOVED TO CANADA IN 1958.
R & R SINGER SONG WRITER.
INCLUDE A TRACK BILLY EMERSON COVER AS "MY GAL IS RED HOT"
LATER BEATLES COVERED
(LIVE AT THE STAR-CLUB) |
ちょっと自慢なので Top Condition のアルバム写真を掲載しておく。
このアルバムに収録されたのは "My Gal Is Red Hot"(Hawkins-Magill)
となっているが Billy "The Kid" Emerson の "Red Hot"のカヴァーである。
勝手にオリジナルクレジットを外しているが、当時の版権なんて
そんなもんだったのだろう。 |
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