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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

COOL HAND

Honkawa 2-6-8-405
Nakaku Hiroshima
730-0802 Japan
Phone:082-296-1722
IP PHONE
050-7550-5395

ビートルズ研究のとどめをさす!

Beatles For Sale
  
 
ROCK AND ROLL MUSIC
CHUCK BERRY
- ROCK AND ROLL MUSIC / BLUE FEELING (CHESS 1671)
1957 SAN JOSE, CALIFORNIA.GREW UP IN St.LOUIS.
BEST KNOWN R & R SINGER SONG WRITER.R & R ALLTIME MASTERPIECE.
CHART HIT NO.8.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / ANTHOLOGY 2)
ファーストプレスとセカンドプレスではタイトルのレタリングが微妙に異なる。
「もしもギターリフに印税が入るのならば Chuck Berry は世界一の金持ちだ」
と言われるほど多くのロックンロールをスタンダード化させた素晴らしいリフを
次々と作り出した天才。またその個性的なギターパフォーマンスにおいても
正真正銘のエンターテイナーであった。彼から影響を受けていない
ロックンロールは稀有である。

日本公演のOPENINGはこの曲でした。LIVEではどれもまったりした
演奏だったが、スタジオ版はGeorge Martin のピアノも含めてとても爽快だ。
John は曲の最初から最後まで激しく、そして聴かせるヴォーカルを
披露してくれている。
 
Mr. MOONLIGHT

メンバーの後ろからひょっこり
顔を出す PIANO RED
DR. FEELGOOD AND THE INTERNS
- DOCTOR FEEL-GOOD / MISTER MOONLIGHT (OKEH 4-7144)
1962 R & B VOCAL GROUP WITH WILLIE "PIANO RED" PERRYMAN.
A-SIDE NICE R & B STOMPER.C.SMITH.CHART HIT NO.66.
B-SIDE NICE EMOTIONAL R & B VOCAL.R.L.JOHNSON (ROY LEE JOHNSON).
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE STAR-CLUB / ANTHOLOGY 1)
オチャメなおじさんです。Piano Red として有名な R & B ピアニストですが
彼が右上写真のメンバーを率いて名乗ったのがこのバンド。Beatles ファンは
左上写真を見て大きな音をたてて「Mr. MOONLIGHT」幻想が崩れていくだろう。
この「ぬらりひょん」そっくりのオヤジ゙が Piano Red なのです。
この曲もデビュー前からのレパートリーだが正規リリースは Merseybeats, Hollies
より遅く、FOR SALE 発売まで待つことになった。このBeatles 版を聴くと
前述した2グループが British Beat Style でカヴァーしたのに比べて、
ボンゴやドラム等を用いてオリジナルに近づけようしているのが解る。
しかし、未だに Beatles がオリジナルと信じて疑わない人も少なからずいる
というのはなんとも皮肉なことだ。それほどまでに John Lennon の
熱唱カヴァーは素晴らしかったと言えるだろう。
因みにファーストプレスはライタークレジットが Roy Lee Johnson のみ。
セカンドプレスでは共作者もクレジットしている。
 
KANSAS CITY
LITTLE RICHARD AND HIS BAND
- KANSAS CITY / LONESOME AND BLUE (SPECIALTY 664)
1959 GEORGIA.REAL NAME RICHARD WAYNE PENNIMAN.
R & B / R & R SINGER,PIANIST.CHART HIT NO.95.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1)
Beatles のカヴァーモデルとなったのは Little Richard のヴァージョンである。
因みに彼らが LP「For Sale」にてメドレー録音した際に作曲クレジットが
MIKE STOLLER & JERRY LEIBER のみだった事から Little Richard の
版元が使用料を請求し大騒ぎになった。結局 Little Richard はこのメドレーの
作曲者印税として3万ドル以上受け取るといったビジネスマンでもある。

さて、Paul 得意の Little Richard 物だが、彼は John のようなドスの
効いた SHOUT と違い、頭のてっぺんから突き抜けるなハイトーンで
SHOUT している。これは日本人には真似しにくいよ。うひいい。。。
まるで我々と Little Richard に挑戦状をたたきつけているようだ。
 
参考シングル
参考78回転盤
LITTLE WILLIE LITTLEFIELD
- K.C. LOVING / PLEADING AT MIDNIGHT (FEDERAL 12110)
1953 TEXAS.R & B SINGER, BOOGIE WOOGIE PIANIST.
WRITTEN BY MIKE STOLLER & JERRY LEIBER.
LATER REMAKE IN 1959 AS "KANSAS CITY"
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1)
元々のタイトルは「KANSAS CITY」だったがプロデューサーのRalph Bass
によって「K.C. LOVING」に改題され、ライターの Mike Stoller & Jerry Leiber
を憤慨させた経緯を持つ。その後 Wilbert Harrison が1959年に
オリジナルタイトルの「KANSAS CITY」で全米1位になるや自らも「KANSAS CITY」
として再発売し仕切りなおすといったお調子者である。
 
参考シングル
LITTLE WILLIE LITTLEFIELD
- KANSAS CITY / MIDNIGHT HOUR WAS SHINING (FEDERAL 12351)
1959 TEXAS.R & B SINGER, BOOGIE WOOGIE PIANIST.
ORIGINALLY WRITTEN BY JERRY LEIBER & MIKE STOLLER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1)
お調子者である。
 
参考シングル
WILBERT HARRISON
- KANSAS CITY / LISTEN, MY DARLING (FURY 1023)
1959 CHARLOTTE, NORTH CAROLINA.R & B SINGER.
ORIGINAL WRITTEN BY JERRY LEIBER & MIKE STOLLER.
BUT RELEASED AS "K.C.LOVIN" BY LITTLE WILLIE LITTLEFIELD IN IN 1953.
WILBERT HARRISON VERSION BECAME CHART HIT NO.1.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1)
カヴァーモデルではないが、全米1位になったヴァージョンなので
一応掲載しておく。なんせこの大ヒットをうけてオリジナルの
Little Willie Littlefield も「KANSAS CITY」をリメイクし
Little Richard, Hank Ballard and The Midnighters や Rockin' Ronald も
この曲をリリースしたんだからな。Wilbert Harrison のこのレコードは
King Curtis らのセッションをつけて録音されたらしくビルボード誌は
この曲を取り上げて特集まで組んで売り出した。
なお、映画「LET IT BE」の中ではこの Wilbert Harrison ヴァージョンを
Little Richard の「MISS ANN」、Lloyd Price の「LAWDY MISS CLAWDY」
とのメドレーで披露しているのでやはり Beatles Fan にはマストアイテム
と言えるだろう。
因みに Wilbert Harrison の Kansas City は South Carolina 出身の
インディペンデントプロデューサー Bobby Robinson のプロデュースに
よるもの。彼は他にも無数のヒット曲を手掛けているが
中には Arthur Crudup の「That's All Right」も含まれており
Beatles が Bobby Robinson の作品を選んで気に入っていたとは
考え難いが、Bobby Robinson の手掛けた作品群が Beatles を
魅了していたのは間違いない。ここにもロックンロールのマジックが
隠されていた。

写真を見て解るように、この人も吉本のお笑い芸人風の
佇まいで「ど〜も〜チャーリーハリソンでぇ〜す」と言ってきそうだ。
因みにレーベルは3〜4種類確認されており、後半になると西海岸プレスと
東海岸プレスではロゴのレタリングが微妙に異なり統一性がない。
なんせ全米1位の大ヒットだから出荷も多くプレス工場も異なる。
解りやすく言えばファーストプレスは角字体のロゴでソングタイトル下に
ライターのクレジットなし。その次にプレスされたのがロゴのレタリングを
変えたもの、そして最終的にはソングタイトル下にライタークレジットが入る。
角字体のロゴでライタークレジットのあるものはいまだ見つかっていないから
これがファーストプレスだと推測される。
 
HEY ! HEY ! HEY ! HEY !
LITTLE RICHARD AND HIS BAND
- GOOD GOLLY MISS MOLLY / HEY-HEY-HEY-HEY !
(SPECIALTY 624 W/PIC SLEEVE)
1958 GEORGIA.REAL NAME RICHARD WAYNE PENNIMAN.
R & B / R & R SINGER,PIANIST.A-SIDE CHART HIT NO.10.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 1)
Beatles が LP「For Sale」にてメドレー録音した際に作曲クレジットが
KANSAS CITY の MIKE STOLLER & JERRY LEIBER のみだった事から
Little Richard の版元が HEY-HEY-HEY-HEY ! の使用料を請求し大騒ぎになった。
結局 Little Richard はこのメドレーの作曲者印税として3万ドル以上受け取る
といったビジネスマンでもある。

さて、Paul 得意の Little Richard 物だが、彼は John のようなドスの
効いた SHOUT と違い、頭のてっぺんから突き抜けるなハイトーンで
SHOUT している。これは日本人には真似しにくいよ。うひいい。。。
まるで我々と Little Richard に挑戦状をたたきつけているようだ。
 
WORDS OF LOVE

Buddy Holly らが乗っていて墜落したプロペラ機の事故現場
BUDDY HOLLY
- WORDS OF LOVE / MAILMAN, BRING ME NO MORE BLUES (CORAL 61852)
1957 TEXAS.BEST KNOWN R & R SINGER.
A-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE)
たった3年の歳月で計り知れない影響をロックンロールシーンに残した
Buddy Holly が「THAT'LL BE THE DAY」大ブレイクする4ヶ月前に
リリースしたソロシングル。録音は1957年4月8日、多重録音により自らが
ハーモニーを被せていった。この曲の Beatles 以前のカヴァーとしては
「Little Darlin'」でも有名な The Diamonds が1957年6月24日
ピーク全米13位の大ヒットとなり、オリジナルの Buddy Holly 盤はヒット
しなかったがソングライターとして Buddy Holly の名は少しずつ知れ渡り始めた。

現在 Paul がオリジナルの版権を管理している、悲劇のロックンローラー
Buddy Holly。この Beatles 版はカヴァーというよりもコピーに近い。
しかし、George のリードギターには工夫が見られるし、リードヴォーカルは
John と Paul のハーモニーにして原曲のメロディーが持つ優しさを強調している。
この辺りやはり、ただのコピーではないのだ。
 
HONEY DON'T 
CARL PERKINS
- BLUE SUEDE SHOES / HONEY DON'T (SUN 234)
1956 TENNESSEE.ROCKABILLY SINGER SONG WRITER.
A-SIDE CHART HIT NO.2.BOTH SIDES WRITTEN BY PERKINS.
B-SIDE LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC)
南部から生まれるロックンロールには必ずタフな男達のサイドストーリー
がつきものだ。テネシー州の貧しい農業小作人の息子として生まれた
Carl Perkins は苦労人である。父親は身体障害者で肺を削除しており
苦しい健康状態に悩まされていた。
Carl Perkins は子供の頃から家計を助けるために働きに出て
綿を摘んで収穫の多い年には少しの金銭的余裕でラジオを買い、
音楽によって家族は和んでいた言う。
そんな彼が7歳の頃、同じ農園で働いていた黒人労働者アンクルジョンから
ギターを貰った。見よう見まねで覚えたというBlues のフレーズは彼の基礎と
なった。彼は兄弟で Perkins Brothers というバンドを結成し
暇さえあれば練習に明け暮れていた。その後家族を養うために学校を
やめた彼だが、工場で働きながら自分達でデモテープを作り幾つかの
レコード会社に送った。その中に Sam Philips 率いる Sun Records があった。
Sam Philips は興味を持ち、オーディションで彼らの持ち歌を10分間だけ
聴く事を約束した。そこで直ぐに契約へと合意したというから
Carl Perkins は一発勝負に出て勝ったのだろう。
Elvis Presley, Johnny Cash らと同じ Sun Records 所属となった
Carl Perkins だが、間も無くして Johnny Cash が彼に打診してきた。
「Blue Suede Shoes って曲を書けよ。軍隊じゃあ食事時間の時に
軍靴を履いたまま一列になって順番を待ってるんだぜ。
その時に必ず誰かが誰かの靴を踏んで、てめえ俺の靴を
踏むんじゃねえっ!て大喧嘩になるんだぜ」と聴かされた。
その話を元に Carl Perkins は「俺の Suede Shoes を踏むなよ」
というフレーズを中心に曲を完成させた。
この曲は1956年1月1日にリリースされ徐々に売れ行きを伸ばし
長い月日をかけてミリオンヒットとなった。5月19日にはピークで全米2位
となり、カントリーチャートでは1位に輝いたのだ。Elvis Presley もこの曲を
カヴァーし、ついにはロカビリーシンガーとして初の Ed Sullivan Show の
出演も決まった。しかし Show の撮影でニューヨークに向う途中、
彼は運命の1日を体験する。彼らを乗せた車はマネージャーが運転して
いたのだが居眠り運転をして大きな自動車事故を引き起こした。
マネージャーは死に、事故で首の骨を折った兄弟の Jay Perkins も
その後事故の合併症で亡くなる。Carl Perkins は3日間の意識不明となり
肋骨4本と右肩を骨折し、ベッドの上で生死をさまよった。
この事故が原因で Carl Perkins は Ed Sullivan Show に出演出来なかった。
その後意識を回復した彼はベッドの上から Ed Sullivan Show に出演し
「BLUE SUEDE SHOES」を歌う Elvis Presley を眺めていた。
そんな厳しい現実を体験した Carl Perkins だが、Beatles が彼の3曲
「HONEY DON'T」「MATCH BOX」「EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY」
を録音したセッションにはプレイこそ参加していないが自らも立ち会っている。
これは彼が屈強な男だからこそ出来たのではなかろうか。

「FOR SALE」では Ringo, LIVE AT THE BBCではJohn のヴォーカルで
リリースされた。(BBCにも Ringo のヴォーカル版あり)。
とぼけた感じの Ringo ヴァージョンはロカビリーと言うよりカントリー&ウェスタン、
John ヴァージョンはR&Bのような印象だ。
 
EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY
CARL PERKINS
- LP「The Dance Album Of Carl Perkins」
Include a track "EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY"
(LP: SUN SLP-1225)
1958 TENNESSEE.ROCKABILLY SINGER SONG WRITER.
INCLUDE A TRACK "EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY"
THAT ORIGINALLY RECORDED BY REX GRIFFIN IN 1936.
LATER BEATLES COVERED
(BEATLES FOR SALE / LIVE AT THE BBC / LIVE AT THE STAR-CLUB /
ANTHOLOGY 2)
EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY は1936年にカントリーシンガー
の Rex Griffin がDecca Records で録音したものがオリジナルとなる。
Beatles のカヴァーモデルは Carl Perkins のカヴァーヴァージョンだ。

George がはつらつとした歌とギターを聴かせてくれる。
カヴァーモデルの Carl Perkins を聴くと多少の黒っぽさも感じられるロカビリー
だが Beatles のそれはより白っぽく、HONEY DON'T 同様に
カントリー&ウェスタン色が濃い Hillbilly 然としたもの。
 
参考78回転盤
REX GRIFFIN
- EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY / I'M READY FOR REFORM
(DECCA 5294 A/B : 78rpm)
1936 ALABAMA.COUNTRY SINGER SONG WRITER.
A-SIDE LATER COVERED BY CARL PERKINS
お爺ちゃんの遺影ではありません。
私はこの顔を見て「広島カープの梵英心に似ているな」と思った。
梵英心は実家がお寺である。Rex Griffin の顔には梵英心同様に供養参列中
のオナラですら許してくれそうな煩悩のない清々とした表情が伺える。
然るに万物の戯言をも超越した心境にあるカープの梵英心選手は野球界の
至宝である事は間違いないであろう。ここにロックンロール大河の緩やかな
流れを見る思いがする。
しかし良く見りゃ後輩の田中君にも似てるなあ。
  
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