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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
Club60's
E-mail
 
Vol. 25
01 Colin Cook With The Strangers - Surfing Holiday
02 Jimmy Hannan - Beach Ball
03 The Delltones - Surfin' Australia
04 The Delltones - Hangin' Five
05 The Delltones - Surfin' Hootenanny
06 The Delltones - Surf Party
07 The Delltones - Out The Back
08 The Delltones - Surfer Joe
09 Dallas Four - Don't Worry Baby
10 The Silhouettes - Surfin' Craze
11 The Silhouettes - Alone On The Beach
12 The Overlanders - Summer Skies And Golden Sands
13 The Raving Savages - Surf 'N' Stomp
14 Wayne Gibson & The Dynamic Sound - Beachcomber
15 The LeRoys - California GL 903
16 The Fabulous Quite Five - Red Hot Scramblers-Go
17 The Royal Showband - Fun, Fun, Fun
18 The Force Five - Gee Too Tiger
19 Kenny And Deny - Little Surfer Girl
20 Tony Knight's Chessmen - Surfer Street
21 The Boomerangs - Fun, Fun, Fun
22 The In-Sect - Help Me Rhonda
23 The Ivy League - Don't Worry Baby
24 The Variations - The Man With All The Toys
25 The Cherokees - Girl Don't Tell Me
26 The Ways And Means - Little Deuce Coupe
27 The Factotums - You're So Good To Me
28 The Factotums - Here Today
29 Tony Rivers & The Castaways - Girl From New York City
30 Tony Rivers And The Castaways - Girl Don't Tell Me
31 The Robb Storme Group - Here Today
32 The Sugarbeats - The Ballad Of Ole Betsy
33 The Top Ten Allstars - Surfin' U.S.A.
34 The Summer Set - Farmer's Daughter
35 The Gamblers - Dr Goldfoot
36 The Mosaics - Let's Go Drag Racing
37 Red Squares - I Get Around
38 Red Squares - When I Grow Up
39 The Extreem - On The Beach
40 Finders Keepers - On The Beach
41 The Sands Showband - Help Me Rhonda
42 The Treetops - Don't Worry Baby
43 The Bystanders - Royal Blue Summer Sunshine Day
44 The Flower Pot Men - Let's Go To San Francisco
45 The Whales - Beachcomber
46 Turnstyle - Riding A Wave
47 The Surf Symphony - That Bluebird Of Summer

Vol.25
Surfin' and Hot Rod from Down under and UK
Other stuff with beach pop, summer pop etc
 

Colin Cook


Colin Cook And The Strangers
25-01
Colin Cook With The Strangers - Surfing Holiday
(7: Australia W&G WG-S-1809) 1963
Colin Cook はインドのダッカ生まれで1952年頃にオーストラリアの
メルボルンに移住した。彼は60 年代に人気のあったオーストラリアの
歌手で伝説のオーストラリアのバンド The Thunderbirds のオリジナル
メンバーで、サックスを演奏していた。またソロとして成功する前に
彼はバックアップセッションボーカリストとして活動していた。
ジャングルビート (Bo Diddley beat) のサーフィン・ビーチポップ
でホットなギターブレイク、女性グループコーラスを入れてる。

The Strangers は1961年に結成され、1975年まで活動していた
オーストラリアのロックバンドだ。
バンドは The Shadows の影響を受けたスタイルのインストソングを
演奏することから始まった。結成当初のメンバーだった
Peter Robinson (bass) は以前地元のバンド The Thunderbirds で
演奏しており、1970年代後半に Athol Guy に代わって The Seekers
に加入した。

The Strangers members are
Laurie Arthur - Lead Guitar.
John Farrar - Guitar.
Fred Weiland - Bass.
Graeme "Garth" Thompson - Drums.

 

Jimmy Hannan
25-02
Jimmy Hannan - Beach Ball
(7: Australia RG Records RG-496) 2 Dec 1963
(7 EP: Australia RG Records RGX-10,829) 1964
(7: Atlantic 45-2247) Aug 8, 1964
オーストラリアのバラエティ番組司会者、歌手、エンターテイナー。
Jimmy Hannan はビッグバンドで音楽活動を始めた。
ティーンアイドルとして Johnny Devlin や Little Pattie などと
共演することが多かった。彼は 1963 年に Frank Gari-Jim McGuinn
(後の The Byrds の Roger McGuinn) が書いて City Surfers (Capitol)
名義で歌ったこの名曲をカヴァーしてリリースした。バックヴォーカルに
初期 The Bee Gees を従えているのがミソ (ほぼ死語)
このシングルは地元のチャートで 2 位に達している。
彼はメルボルンの 3UZ と 2GB シドニーのラジオ局で働き、
Name That Tune や Celebrity Squares などのゲーム ショーの
司会を務めた。


Bee Gees
 

The Delltones
25-03
The Delltones - Surfin' Australia
(7 EP: Australia Festival MP-001) 1963
A track from Special Edition 7inch EP "4 From Bandstand"
A Sampler record for Brian Henderson's Mail Pack.
(LP: Australia Leedon LL-31188 mono) 1964
1958年に結成されたオーストラリアのバンドで当初はヴォーカル
ハーモニーグループとしてスタートした。
The Beach Boys "Surfin' U.S.A." のおもろいパロディソング。
Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

1958年 The Bronte Surf Club のライフセーバーだった Noel Widerberg
(lead vocals) と Ian "Peewee" Wilson (bass vocals) は The Diamonds
や Elvis Presley のバックグループ The Jordanaires のような
ドゥーワップの4部ハーモニーに興味を持ち、クラブの社交イベント
で一緒に歌い始めた。その年の後半にはヴォーカルグループ
The Sapphires のメンバーである Warren Lucas (tenor vocals) が
加わり、その後 Brian Perkins (baritone vocals) が加わり4人組
となった。彼らは Bronte Club の社交イベントで出会い、
The Delltones を結成した。音楽ジャーナリストの Ed Nimmervoll
によると、このグループ名は「tones / 音の」という意味で
(dell はスペイン語で「の」の意味) 彼らはタレント発掘イベントや
街角でハーモニーを奏で始めた。4 人組の最初の「プロの仕事」は、
Kings Cross のナイトクラブで、彼らが通りでそのオーナーを
呼び止めて歌ったことだった。オーナーは彼らに、彼らの
全レパートリーである 4 曲から成る即興セッションを演奏するよう
誘った。報酬はスパゲッティ ボロネーゼとビールだった。
その後彼らはオーストラリア歌手のバックコーラスグループへと
成長していった。

オーストラリア歌手 Johnny O'Keefe は The Delltones を、自身の
ABC テレビ音楽番組「Six O'Clock Rock」とラジオ番組
「Rockville Junction」のレギュラーとして出演するよう招待した。
彼らは Brian Henderson が司会を務めるライバル番組
「Bandstand」にも出演した。テレビ番組出演は彼らの活動の
宣伝に役立ち、レコーディングキャリアを成功させるには
最適なプラットフォームだった。

Lee Gordon は The Delltones を自身のレコードレーベル
Leedon Records と契約させて1 週間以内にグループは最初の
シングルをリリースした。The Crows "Gee" のリメイクとメンバー
Noel Widerberg 作曲の "Why" である。 "Gee" は成功を収め、
最終的にはシドニーのチャートで 8 週間にわたり 15 位まで
上り詰めたが、オーストラリアの全国チャートでは上位に
入らなかった。

1960年半ばの The Tommy Sands Show でのパフォーマンスの後、
グループは Tommy Sands のギタリスト Scotty Turnbull と親しく
なり、彼は The Delltones のために"Little Miss Heartbreak" と
"Take This Heart" の 2 曲を書くことを申し出た。
Scotty Turnbull は両方のシングルでプロデュースし、Hal Blaine と
ドラムで共演したが残念ながら、商業的には成功しなかった。

1962年7月初旬彼らが歌った "Get a Little Dirt on Your Hands"
がチャート入りしてから 2 週間後、メンバー Noel Widerberg は
シドニーのビーチサイド郊外 Brighton-Le-Sands で自動車事故に
遭い亡くなった。彼は運転していた車のコントロールを失い、
車は 4、5 回転して乗員を車外に投げ出し、Noel Widerberg は
頭から溝に落ちた。当然ながら、残りのメンバーはショックを受け、
すべての契約がキャンセルされた。しばらく活動がなかった後、
友人や仕事仲間がバンドに代わりのメンバーを探してキャリアを
続けるよう説得した。その時のシングル "Get a Little Dirt on Your
Hands" はこれまでで最も成功した曲となり、国内チャートで 3 位に
達した。この曲は、数々の賞を受賞した映画「The Year My Voice
Broke」のサウンドトラックにも使用された。

Graham Jackson の著書「Pioneers of Australian rock 'n' roll」に
よると「Warren Lucas は Colin Loughnan の良き友人だったので、
Warren は Colin が事故死した Noel Widerberg の自然な後任で
あると他のメンバーを説得した」とのこと。The Delltones は
他の歌手のオーディションは行わず、実際オーディションは一度も
行われなかった。Graham Jackson は Colin Loughnan の言葉を
引用している。「短くて簡単だった。ただ『興味ある?』
『はい』『オーケー、君が入れ』というだけだった」。
Colin Loughnan のスタイルは Noel Widerberg のスタイルとは
明らかに異なっていた。

数週間のリハーサルの後、The Delltones は1962年11月に
レコーディングスタジオに入り、Jerry Leiber and Mike Stoller
が書いた "Come A Little Bit Closer" をレコーディングした。
この頃、Leedon はバンド初のセルフタイトルアルバムを
リリースした。これには Noel Widerberg とのこれまでの
すべてのリリース曲が収録されていた。Noel はグループの音楽的
指導者でリーダーだった。彼の死後、Ian (Peewee) Wilson (bass)
がグループのスポークスマンとなった。
1963年に "Come A Little Bit Closer" がリリースされると、
すぐにヒットし、最終的に彼らの史上最高の売り上げとなった。
このシングルは、シドニーの 2UE トップ 40 で 3 位、
2GB トップ 30 で 1 位、3UZ トップ 40 で 2 位に達した。
ヒット シングルを活かすため "Come A Little Bit Closer" という
タイトルのアルバムもリリースされ1 曲目は "Cotton Fields" だった。

1963年後半には、サーフ ミュージックがオーストラリアの
チャートを席巻し、特にシドニーとブリスベンで人気を博した。
The Delltones は警察官でもあり、Manly Surf Club のライフセーバー
でもあり、警察バンドのメンバーでもあった Ben Acton が書いた
冗談めいたサーフィンソング "Hangin' Five" を急いでリリースした。
このリリースは "Come A Little Bit Closer" とほぼ同等の成功を収め、
3 位に達した。"Hangin' Five" は The Atlantics のサーフインスト
"Bombora" とともにカリフォルニアでカルト クラシックとなった。
"Hangin' Five" は 後の1979年に公開されたアクション映画
「Mad Max」でブレイクする Mel Gibson の最初の映画で
1977年に公開された 「Summer City」にも登場した。

またもや彼らのアルバムがすぐにリリースされ、主に最新の
サーフィンヒット曲のカヴァーで構成された。
サーフィン熱が衰える気配がほとんどなかったため、次のシングル
"Out the Back" も Ben Acton が作曲したが "Hangin' Five" の明るい
雰囲気を再現することはできなかった。

1964年、彼らは The Tams の "Hey Girl Don't Bother Me" の
リメイクと、オーストラリアのほとんどの州でトップ30ヒット
となった The Beach Boys のカヴァー "Surfer Girl" をリリースした。

Leedon での最後のシングル2枚のうち最初の1枚は Paul Anka の
"Lonely Boy" のヴァーだった。Leedon の最後のリリースとなった
"Tonight We Love" は、Phil Spector のスタイルで徹底的に
プロデュースされ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲変ロ短調を
アレンジしたものだった。その後彼らはレコーディング活動を
休止、グループはベトナムの軍隊向けのショーを含むライヴ
パフォーマンスに集中した。彼らは後に「ベトナム兵站支援勲章」
を受賞した。

 

The Delltones
25-04
The Delltones - Hangin' Five / Surf City
(Australia Leedon LK-461) 1963
(LP: Australia Leedon LL-31188) 1964
A track from their album "Surf 'n Stomp"
Writtern by Ben Acton.
Flip Jan & Dean cover.
Written by Jan Berry-Brian Wilson.

Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

グループの詳細は上記 25-03 The Delltones - Surfin' Australia
を確認してね。

 

The Delltones
25-05
The Delltones - Surfin' Hootenanny
(7 EP: Australia Leedon LX-10,764) 12 Oct 1963
(LP: Australia Leedon LL-31188 mono) 1964
Al Casey with The K-C-Ettes のカヴァー.
この曲は、Six O'Clock Rock テレビ番組風のナレーションで
The Delltones を紹介している。

Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

グループの詳細は上記 25-03 The Delltones - Surfin' Australia
を確認してね。

 

The Delltones
25-06
The Delltones - Surf Party
(EP: Australia Leedon LX-10782) 1963
A track from their EP "Shut Down Stomp"
(LP: Australia Leedon LL-31188) 1964
A track from their album "Surf 'n Stomp"
Chubby Checker cover.
Written by Dave Appell-Kal Mann.

The Delltones - Shut Down
(EP: Australia Leedon LX-10782) 1963
A track from their EP "Shut Down Stomp"
(LP: Australia Leedon LL-31188) 1964
A track from their album "Surf 'n Stomp"
The Beach Boys cover.
Written by Brian Wilson (Correct is Brian Wilson-Roger Christian)

The Delltones - Beach Party
(LP: Australia Leedon LL-31188) 1964
A track from their album "Surf 'n Stomp"
Tex And The Chex cover.
Written by Kenny Dino.

Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

グループの詳細は上記 25-03 The Delltones - Surfin' Australia
を確認してね。

 

The Delltones
25-07
The Delltones - Out The Back
(Australia Leedon LK-552) 1964
(EP: Australia Leedon LX-10831) 1964
Writtern by Ben Acton.

Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

グループの詳細は上記 25-03 The Delltones - Surfin' Australia
を確認してね。

 

The Delltones
25-08
The Delltones - Surfer Joe
(7 EP: Australia Leedon LX-10,831) 1964
(LP: Australia Leedon LL-31188 mono) 1964
The Surfaris のカヴァーだがユニークなエコーをかけ
バスヴォーカルで歌われる。

Members are
Warren Lucas (tenor), Ian (Peewee) Wilson (bass),
Brian Perkins (baritone) and Col Loughnan (lead).

グループの詳細は上記 25-03 The Delltones - Surfin' Australia
を確認してね。

 

Dallas Four
25-09
Dallas Four - Don't Worry Baby
(7: New Zealand Philips 338074 unreleased) 1966
60年代のニュージーランドのポップヴォーカルグループが
アセテート盤に残していた Beach Boys カヴァー曲。
グループラインアップを頻繁に変えていたグループなので
全てを記しておく。推測だがこのグループは実力があっても
売れないポジションだとメンバー達が判断して出入りが
頻繁になったのだろう。

Members are
Basil Peterkin, Bob Smith, Dody Potter, Jim Ford,
John Kristian, Leo De Castro, Peter Timperley, Sonny Day.

Rodney Potter は Dody Potte としてよく知られていた。
彼は Wellington 出身で Malcolm Hayman の Trademarks で
演奏していた。Malcolm Hayman は後に Quincy Conserve を
結成した。その後 Dody Potte は Auckland に移り The Keil Isles に
参加した。1963年に彼は The Spartans で演奏していた Basil Peterkin
と Brian McLaren と出会い、その出会いから1964年4月に
The Dallas Four が結成された。

The Dallas Four のオリジナル メンバーが一緒にいたのはごく短期間
だった。Brian McLaren が脱退すると代わりに Darryl and the Demons
の Jim Ford が加入した。このグループは Al Dunster が在籍していた
グループと同じだ。

The Dallas Four はその歌唱力と洗練されたハーモニーですぐに
知られるようになり、テレビのポップ ショー「Happen Inn」で
アーティストのバックヴォーカルを担当した。
またニュージーランドの60s グループ The Challenge の
レコーディングでもバックヴォーカルを務めた。

このメンバーで Auckland のナイトクラブ The Platterack に
2年間在籍しが、1965年後半に Al Dunster がニュージーランドの
60s ビートバンド Dave Miller & The Byrds のギタリストとして
加わったため中断された。

Al Dunster に代わってキーボード奏者の Chris Young が加入したが
彼は1965年の終わりまでしか在籍しなかった。
Chris Young の代わりとして解散した The Premiers のリードギタリスト
兼キーボード奏者だった Jimmy Elliot が採用された。
しかし Jimmy Elliot は1967年にオーストラリアに渡り Johnny O'Keefe
と仕事をした。彼の代わりに今度は The Rogues の Graham Gill が
加入した。なお彼らの1967年のシングルは Jim Ford and the Dallas
として宣伝された。

 

The Silhouettes
25-10
The Silhouettes - Surfin' Craze
(7: New Zealand Allied International JAR-543) Jan 1967
(7 EP: New Zealand Allied International AX-7010) 1967
ニュージーランドのティーンバンドだったシルエッツによる
貴重な The Fantastic Baggys カヴァー。

Members are
Rex Bowmast (Lead Guitar)
Warren McInman (Rhythm Guitar)
Bruce Jarvis (Bass Guitar)
Rhys Clark (Drums)

Auckland North Shore 出身の The Silhouettes は1960年に様々な
高校のバンドのメンバーによって結成され、様々な学校の
社交イベントで演奏するほか、金曜の夜には Takapuna RSA Hall
で常駐し、ティーンダンスで演奏した。
1961年に彼らは Have A Shot ラジオタレントショーに出場し、
オークランドタウンホールで開催された決勝で1位を獲得した。
優勝賞品は Viscount レーベルとのレコーディング契約だったが、
興味深いことに Viscount レーベルはメンバーでドラムを担当してた
Wayne Daverne の兄である Gary Daverne が所有していた。
彼らは初期にはシングルを1枚しかリリースしておらず、それは
1961年の My Tani / Alley Oop だった。彼らは多くのセッション
ワークを行い、やはりオークランド出身の女性シンガー Cathy Howe
のシングルのいくつかでバックを務めた。彼らはまた The Glendelles
とのシングル Please Mr Postman / Popsicles and Icicles をリリースした。
Ritchie Sims (Bass Guitar) は1962年にバンドを脱退し、
Les Cunningham が代わりに参加したが彼は1963年に脱退するまで
しか留まらず、同時に Wayne Daverne (Drums) も脱退して
彼は The Sierras に加入した。結局 The Silhouettes に加わったのは
ノースショアの別のバンド The Chequers の二人 Bruce Jarvis (bass) と
Rhys Clark (drums) だった。

この新しい組み合わせにより、The Silhouettes は The Beatles の
影響を強く受け、すぐにオークランドのトップビートルズ・バンド
として知られるようになった。
彼らは、ノースショアの人気会場である Delmonico Coffee Lounge
で常駐し、その後 The Shiralee, The Monaco and The Beatle Inn
などの他の主要なライヴに出演した。

クリスマスシーズンにトップ20で常駐したことは、当時の
大物アーティストである Tommy Adderley や Peter Posa の
サポート役を務めたため、彼らにとって大きな励みとなった。
1964年までに彼らは Allied International とレコーディング契約を
結び、シングル Theme From The Endless Summer / PS I Love You
をリリースした。
サーフィンブームが始まったばかりで "Endless Summer" の曲は
ニュージーランドでもサーフィン映画のタイトルトラックになった。
この曲は地元でヒットし、1965年には Loxene Golden Disc Awards
にノミネートされた。

1965年の別のシングルは Yes It's Time / Milkman で
サーフィンミュージックへのスタイルの変化に伴い、彼らは
The Surfside Ballroom に拠点を移し、1966年中にさらに3つの
シングル There She Is / Where Have You Been All My Life、
Surfin' Craze / Donna そして Alone On The Beach / I Ran All
The Way Home をリリースした。
1966年に Rhys Clark が脱退してオーストラリアに行き、そこで
The Executives に加わり、Bruce Jarvis も脱退して Gray Bartlett's
Combo に加わった。同じ頃 Wayne Daverne (Drums) が脱退して
加入していた The Sierras が解散に近づき、Wayne Daverne が
Kerry Hawkesworth を連れて The Silhouettes に再加入した。
彼らは1967年にパブやクラブで演奏を始め、1967年に最後の
シングル Makin' My Mind Up / I'll Never Dance Again をリリースした。
Wayne Daverne は再び脱退し、Malcolm Finlayson が代わりに
加入し、結成当時からのオリジナルメンバーだった
Rex Bowmast (Lead Guitar) が脱退し、Peter Traille が代わりに
加入した。彼らは解散するまで約2年間グループとして活動を続けていた。
解散後、グループで演奏していた他のメンバーには、
元 Hi-Revving Tongues の Richard Sinclair と John Walmsley、
そして The Legends の Denis Murphy がおり
彼らは短期間活動していた。

 

The Silhouettes
25-11
The Silhouettes - Alone On The Beach
(7: New Zealand Allied International JAR-549) Jun 1967
(7 EP: New Zealand Allied International AX-7010) 1967
ニュージーランドのティーンバンドだったシルエッツによる
貴重な The Fantastic Baggys カヴァー。波の効果音が素晴しい。
Engineered by Wahanui Wynyard.

詳細は上記を見てね。

 

The Overlanders
25-12
The Overlanders - Summer Skies And Golden Sands
(7: UK Pye 7N 15544) 1963
(7: Mercury 72165) 1963
(EP: UK Pye NEP 24245) 1966
A track from their album The Overlanders - Michelle
(LP: UK Pye Records PL 2067) 1966
Tony Hatch が演奏をプロデュースした英国産サマーポップの
名曲で、Jimmy "C" Newman, Mike St. Shaw も翌年カヴァーした。
The Overlanders はイギリスの Beat Music era に活躍した
Folk / Pop vocal group で、ビート色は強くないものの
時代を反映した佳曲を多く歌ってる。
本件もその一つで、間奏部の激しいギターブレイクを聴くと
1963年という早い段階でも使われる Freakbeat の範疇に入る傑作だ。


Tony Hatch
 

The Raving Savages
25-13
The Raving Savages - Surf 'N' Stomp
(7 EP: UK Decca DFE 8546) 1963
A track from EP "Everybody Surf! With The Surfin' Savages"

The Beatles を Decca audition で落とした事で有名な
Mike Smith がプロデュースを担当してる貴重な音源。

Members are
Frederick Cheeseman (AKA Freddie " Fingers" Lee.
Lead Vocal, Rhythm Guitar)
Geoffrey "Pussy" Mew (Lead Guitar)
Danny McCulloch (Bass)
Ashton "Toots" Tootle (Tenor Sax)
Derek Sirmon (Drums)

Screaming Lord Sutch はライヴで好評だった "Jack the Ripper" の
ときに売春婦に扮したピアニストなど、一部のミュージシャンを
大きなナイフで追い回していた。こうして Andy Wren は負傷し、
イギリスの Jerry Lee Lewis に匹敵する人物 Fred Cheeseman
(別名 Freddie Fingers Lee) がバンドに加わった。
Fred Cheeseman はソロ活動として、1961年半ばから何度か
Screaming Lord Sutch とその仲間たちを支えた。
Screaming Lord Sutch のマネージャー Tom Littlewood は
Savages のピアニスト全員を "Freddie Fingers Lee The Flea"
と呼んでいたが、Tom Littlewood はずっとその名前を使い続けた。
この芸名で、彼は Johnny Kidd のように眼帯を着けた有名な
イギリスのロカビリー・ピアニストになった。
ギタリスト Ritchie Blackmore の後任はニューカッスル出身の
Godfrey "Geoff" Mew だった。彼は50年代後半 Freddie Fingers Lee
がリードシンガーを務めた The Saints というスキッフルグループで
バンジョーから始めた。

当時彼は Brian Rankin (別名 Hank Marvin)の良き友人で、彼の叔父は
Hawthorn Leslie Marine Engineers で彼と一緒に働いていた。
Godfrey "Geoff" Mew は、Hank Marvin と彼の友人 Bruce Cripps
(別名 Bruce Welch) がスキッフル・グループ The Railroaders で
演奏していたことを覚えてた。
物事が発展し、ロックンロールが主流になると Godfrey "Geoff" Mew
は最初 Jennings supersound echo box を持っていたが、
生のギブソン335のストレートなサウンドのためにそれを手放した。
その後彼は The Jetstreams に参加し The Old Downbeat Jazz Club で
The Animals の Eric Burdon がステージに上がってゲストとして
数曲演奏した際に、彼らをバックで務めることになった。
そこで Freddie Fingers Lee は Dave Sutch を説得して、
元 Saint Mew の仲間を The Savages に迎え入れた。

Ritchie Blackmore の知り合いで当時16歳だった Derek "Degsy" Sirmon
が Carlo Little に代わって The Savages のドラマーになった。
後に Mungo Jerry Ray Dorset のヴォーカリストとなった
Derek "Degsy" Sirmon は以前 The Conchords,
Frankie Reid & The Casuals や Mike Dee & The Jaywalkers
でドラムを演奏していたが、いずれも DJ Phil Jay がマネージメントしていた。
彼は Frankie Reid & The Casuals から The Savages にベース奏者
Danny McCulloch を招き入れた。

この新しい The Savages のセットは1962年後半にステインズ市庁舎
で一緒に演奏し始めたが、ハンブルクのスタークラブで2週間
(5月1日から5月14日まで)の公演を行った後 Screaming Lord Sutch
を離れ、その後1963年の夏から冬にかけて、ハンブルク、ハノーバー、
ブラウンシュヴァイク、リューベック、リューネブルク、
デュッセルドルフなど、北ドイツ各地でヘッドライナーを務め
The Raving Savages として単独でツアーを行った。
彼らはもともと、1963年8月に Johnny Kidd & The Pirates と
チャートのトップに躍り出た The Searchers の前座として
ハンブルク・スタークラブに出演することになっていたが、
スタークラブのマネージャー Mannfred Woitalla と契約を交わし、
そこでの公演後1年間はハンブルクの他の場所では演奏しないと
約束していたため The Raving Savages はハンブルクで
働いていた人々によって組織化され Mannfred Woitalla が経営する
リューネブルクのスター・パラストに移籍した。

彼らは本件 “Everybody Surf with The Surfing Savages” という
タイトルのEPを録音。これは Decca の Mike Smith(The Beatles を
逃した男としても有名)がプロデュースをした。
The Beach Boys ”Surfin' USA” や Jan& Dean “Surf City” など
当時のカリフォルニアのヒット曲のカヴァーヴァージョンが
収録されており、リードヴォーカルは Freddie Fingers Lee と
ギタリストの Godfrey "Geoff" Mew(噂ではこのツインリード
ヴォーカルは Jimmy Page でも Brian Jonesでもない)
バックヴォーカルはベーシストの Danny McCulloch と言われてる。
サックスソロは Paul Dean & The Dreamers から新たに採用された
Ashton "Toots" Tootell が演奏。

この頃ドラムの Carlo Little とピアノの Nicky Hopkins
(2人とも当時 Cyril Davis & His R&B All Stars のメンバーだった)
からなる The Savages の別働隊が、リバプールの歌手 Casey Jones
とサックス奏者の Chris Hughes のデモシングルを録音した。
Freddie Fingers Lee は最終的にハンブルクに移り、トップ・テンや
スター・クラブのハウスバンドで演奏し、その後 Mott The Hoople
の Ian Hunter と組んで The Shriekers のフロントマンを務めた。
彼に代わって Ron Harwood が加入し、彼は自身のバンド
The Premiers のフロントマンを務めた。
そのリードギタリストは、後に The Savages のメンバー
となる John Gilbey だった。


Mike Smith
 

Wayne Gibson & The Dynamic Sound
25-14
Wayne Gibson & The Dynamic Sound - Beachcomber
(7: UK Decca F 11713) 1963
もともと The Tornadoes として知られていたこの短命の
イギリスのグループはベーシストの Ray Rogers によって結成された。
Wayne Gibson & The Dynamic Sounds はプロデューサー Shel Talmy
の発案によるもので Wayne Gibson (vocals), Mike Todd (lead guitar),
Peter Cook (organ), Larry Cole (drums) によって完成した。
クールなギターブレイクが特徴の素晴らしいビーチポップで
Shel Talmy & Mike Stone がプロデュースした。

このバンドはも少なくとも6枚のシングルをリリースした。
そのうち4枚は Shel Talmy のプロデュースだと噂されており
これらのうちチャートに登場したのは Del Shannon と共作、
若き Jimmy Page のギターの才能をフィーチャーした
"Kelly" のみで、1964年に48位に辛うじて入った。
彼らはBBCテレビ番組 "Beat Room" の常連バックバンドだった
にもかかわらず1965年に解散したが、その前に The Wizard Of Oz
の “Ding Dong The Witch Is Dead” をシングルリリースした。

Shel Talmy (Real mame Sheldon Talmy) は1937年8月11日
米国イリノイ州シカゴ生まれ。2024年11月13日ロサンゼルス
の自宅で脳卒中の合併症により死去。
ロサンゼルスの Conway Studios でレコーディングエンジニア
としてキャリアをスタートし、エンジニアの Phil Yeend と緊密に
連携。Phil Yeend は1961年3月にリリースした Gary Usher の
デビューシングル Driven Insane / You're The Girl (Titan 1716)
のエンジニアーである。
Shel Talmy は1962年に英国に移住し Decca Records の
独立プロデューサーとなる。Pye での彼のプロデュース技術は
The Kinks のヒットチャート入りに貢献。
また、米国で The Who の Decca との契約を支援し、
英国で Brunswick の楽曲をプロデュース。
1966年には Planet Records を創設した。


Shel Talmy
 

The LeRoys
25-15
The LeRoys - California GL 903
(7: UK His Master's Voice POP 1368) 1964
The LeRoys はイギリスのプロデューサーの Robert Stigwood
に雇われ、60年代初期から中期のポップシンガーのバックバンド
を務めてきた、John Leyton, The Innocents, Don Spence, Billy Boyle,
Mike Sarne, Billie Davis, Simon Scott らイギリスの中堅シンガーの
バックを担当していたグループだった。” California GL 903” は
Surfin’ Hot Rod ファンの間では人気の高い曲で、Curtis Lee の
オリジナルが1964年9月12日にリリースさた。
本件 The LeRoys のカヴァーヴァージョンが1964年11月27日
ぼリリースなので米英で競作と言ってもよい。興味深いことに
Curtis Lee の Dunes 45-801 のラベルには T. Boyce (Tommy Boyce)
のみをソングライターのクレジットとして表示してるが、
本件シングルのラベルには Boyce-Hart (Tommy Boyce-Bobby Hart)
が連名でプリントされてる。
本件はプロデュースが The LeRoys のボス Robert Stigwood、
そしてアレンジが Led Zeppelin 以前の John Paul Jones で
なかなか出来の良い Hot Rod tune に仕上げている。
これは不明瞭な彼の初期の足跡を調べる意味でも価値はある。

Robert Stigwood は、オーストラリア生まれのエージェント、
プロデューサー、アレンジャー、出版者、マネージャー、
コンサートスポンサー、エンターテイメント起業家として
音楽業界では有名なビジネスマンだ。
当初、演劇エージェントとしてスタートした Robert Stigwood は、
俳優から歌手になった John Leyton と契約した。
彼の仲間である Joe Meek が音楽をプロデュースした
John Leyton "Johnny Remember Me" の予想外の成功によって
Billy Boyle 他のために1960年代初頭にプロダクションを設立、
マネージャー業も行い、最終的には Mike Berry, Cream, The Bee Gees
らとも契約した。
Robert Stigwood は1966年にレコード レーベル Reaction を設立し、
The Who と Cream のトラックがリリースされたが、短命で閉鎖した。
1967年1月 Robert Stigwood は自分の事業を友人 Brian Epstein
の事業と合併し、Robert Stigwood は NEMS Enterprises の
マネージャーになった。
しかし、同年8月の Brian Epstein の早すぎる死の後、会社の
所有権は Brian Epstein の弟 Clive Epstein に渡された。


Robert Stigwood
 

The Fabulous Quite Five (AKA Quite Five)
25-16
The Fabulous Quite Five - Red Hot Scramblers-Go
(7: Casa Grande CG-8462-45) 1965
イギリスの The Quiet Five が The Fabulous Quite Five 名義で
The Captivations のカヴァーシングルをアメリカのみで
リリースしてる。このシングルはイニシャル番号が (CG-1965/1964)
となっており恐らく A面は1965年に録音(B面は1964年か?)
されたものと推測される。A面は The Captivations のカヴァーだが、
これには Gary Usher は参加していない。

このシングルには Recorded In London, England と
クレジットされており、彼らはイギリスでは The Quiet Five と
名乗っていたバンドで、後に Mark Wirtz のセッションシンガー
やコラボレイターとしても名を馳せるオランダ出身のシンガー
Kris Ife のデビューバンドでもある。
彼らは本国イギリスでは The Beatles, Rolling Stones, Donovan,
The Byrds, The Ronettes, P.J. Proby らのライブツアーのオープニング
アクトとしても活動していた。

またこの The Fabulous Quite Five 名義のシングルは The Quiet Five
のメンバーを中心に新たなフォーメイションに変えた最初で最後の
録音がされている。
Kris Ife (Rhythm Guitar, Harmony Lead Vocals),
John "Satch" Goswell (Saxophone),
Tex Marsh (Drums),
John Howell (Piano, Backing Vocals),
Roger McKew (Lead Guitar),
Richard Barnes (Bass, Lead Vocals)
A-side Lead Vocals Richard Barnes, Kris Ife, John Howell.
何故 The Quiet Five が The Captivations の
"Red Hot Scramblers-Go"を録音したのか定かではないが
恐らく London Records との契約を期に楽曲管理に関して
Gary Paxton がイギリスのバンドにもアプローチをかけていた
のではないかと推測される。

 

Brendon Bowyer


The Royal Showband
25-17
The Royal Showband, Waterford Featuring Brendon Bowyer -
Fun, Fun, Fun
(7: Ireland His Master's Voice POP (I) 1481) 1965
(7: UK His Master's Voice POP1481) 1965
カヴァー曲でショーを盛り上げるショーパブ市場が
発達しているアイルランドならではのバンドで
Brendon Bowyer は The Royal Showband と The Big Eight の
フロントマンとして最もよく知られ、アイルランドで5曲の
ナンバーワンヒットを出した歌手だ。
アイルランドとイギリス盤のプロモーションコピーのラベルは、
Wilson-Glove と誤って表記されていて、イギリスの通常コピーの
ラベルには、Wilson-Love と正しく印刷されている。

The Beatles の最初のシングル "Love Me Do" がリリースされる
1962年10月の約6ヶ月前の1962年4月2日にイギリスの
リバプールにある The Pavilion Theatre で行われた
The Royal Showband のコンサートで、The Beatles が
彼らのオープニングアクトを務めたことでも有名だ。
Brendon Bowyer は、Elvis Presley の物まね芸人として初めて
ヘッドライナーを務めた人物の1人と見なされている。
Elvis Presley 自身も Brendon Bowyer のパフォーマンスの大ファンで
1970年代にはラスベガスの The Stardust Resort & Casinoで
行われた Brendon Bowyer のコンサートに Elvis Presley は
よく足を運んでいた。

 

The Force Five
25-18
The Force Five - Gee Too Tiger
(7: UK United Artists UP 1118) 1965
(7: Ascot Records ASCOT 2206) 1966
イギリスのビートバンドでメンバーの Dave Skates と
Bert Pulham はその後 Crocheted Doughnut Ring に参加する。
本件 Freakbeat サウンドのため Surfin' & Hot Rod 市場より
Beat Psych 市場での評価が高い。
The Tigers - GeeTo Tiger とタイトル表記が似ているが
The Force Five - Gee Too Tiger で、「o」が1つ多い (笑)

作者の Jim Economides, Jr. は Capitol records の大物
プロデューサー&ソングライターで The Knights - Hot Rod High
のシングルB面の "Theme From Teen Love" は彼が書いた曲だ。
彼は Dick Dale And His Del-Tones の1963年アルバム
Checkered Flag を、The Super Stocks の1964年アルバム
Thunder Road をプロデュースしたが1965年辺りから
イギリスのビートバンドを手掛ける事になり1965年10月に
The Majority - Shut 'Em Down In London Town,
本件イギリス盤が1965年12月にリリース(アメリカ盤が1966年)
そして1966年には Marc Bolan (Pre T-Rex), The Clockwork Oranges
や The Fadin' Colours なんかもプロデュースをしていた。
言わばイギリス初期 Freakbeat のパイオニアーだった。
作詞を担当した P. Ford だが、The Ivy League の Perry Ford
という説が有力だ。

Crocheted Doughnut Ring の日本盤シングル
ドーナッツ・リング名義 Deram D-1030
ジャケはモデルの杉本エマ、ダンスの振付は「おヒョイ」こと藤村俊二

 

Kenny Rowe
25-19
Kenny And Deny - Little Surfer Girl
(7: UK Decca F 12138) 1965
Kenny Rowe (Tony Rivers And The Castaways) と Jimmy Page
によるユニットで、The Beach Boys "Farmer's Daughter" スタイル
のコーラスが入った UK サーフソング。
Kenny Rowe は Tony Rivers And The Castaways にすぐに加わり、
Harmony Grass に変わった後も彼らと一緒にいて、最終的には
70 年代初頭にプログレバンド Capability Brown に加わった。
Written, Directed by Jimmy Page.
Produced by Tony Calder.

プロデュースはイギリスのレコードマネージャー、興行主、
タレント発掘者、プロモーター、広報担当者の Tony Calder で
彼は1963年から1969年12 月まで Andrew Loog Oldham の
ビジネスパートナーだった。50年以上にわたるキャリアの中で、
彼は The Rolling Stones "Little Red Rooster" and "Paint It, Black"
The Small Faces "Itchycoo Park", Amen Corner "(If Paradise Is)
Half as Nice", Eddy Grant "I Don't Wanna Dance"
Jive Bunny and the Mastermixers "Swing the Mood" など、
イギリスのシングルチャートでヒットした数々の曲の
プロモーションに尽力した。


Jimmy Page


Tony Calder
 

Tony Knight's Chessmen


Lol Coxhill
25-20
Tony Knight's Chessmen - Surfer Street
(7: UK Decca F 12109) 1965
UK R&B グループによる The Allisons のカヴァー。
8-23 The Allisons - Surfer Street も参照。
The Allisons は Darlene Love and The Blossoms の
一連の変名リリースの一つではないかというのも
いまだ完全否定はされていない。
この曲の作者が Terry, Bowman, Harris とクレジットされてるが
Dewey Terry Jr. and Don Bowman = Don Harris の事で
Don & Dewey が作者である。The Olympics がヒットさせた
"Big Boy Pete" にそっくりなサーフィンテーマの R&B ダンサー。

このグループは1964 年に Wolverhampton ウォルバーハンプトン出身の
Tony Knight と Terry Martin が結成。
メンバーの入れ替わりも多い大所帯バンドだったので人脈交差点
のような立ち居地でもあった。メンバーから直接教えてもらったので
簡単に記述しておく。

Members
Tony Knight (Tony Brown: vocals, drums),
Lol Coxhill (tenor saxophone, 1964-66),
John Gummer (baritone saxophone, trumpet, 1964-66),
Jeff Reed (organ, 1964-65),
Terry Martin (bass, 1964-65),
Johnny Almond (saxophone, 1965),
John Carroll (Hammond organ, 1965-67),
Pete Carney (bass, 1965-66),
Terry Edmunds (guitar, 1965-67),
Rick Eagles (bass, 1966-67),
David Coxhill (saxophone, 1966-67),
Stan Sulzmann (saxophone, 1966-67),
Fred d’Albert (guitar, 1967),
Terry Ede (saxophone, 1967),
Keith Tillman (bass, 1967),
Alan Rowell (bass, 1967)

Lol Coxhill は熟練のジャズサックス奏者だった。
1967年6月中旬、Terry Edmunds は John Mayall’s Bluesbreakers
で短期間活動するために脱退したが、それは数週間しか続かなかった。
Fred d’Albert がリードギターで参加し、同じ頃 Stan Sulzmann が
脱退した。

1967年 Eric Clapton の脱退後、John Mayall’s Bluesbreakers に
加入したTerry Edmunds は素晴らしいギタリストだった、
彼は Harry Belafonte のようなハンサムな黒人の若者で、
John Mayall と演奏していた短い間、ステージの右側に
20 代から 30 代の若者が大勢集まっているのが目立った。
彼はそこで黒いギブソン レスポールのスレッド ボードを指で
操作していた。舌やその他のものを出して集まったグルーピーたち
を口説いていた。彼のクールなルックス、スリムな体格、
ステージでの存在感、そして彼のユニークな演奏スタイルに
すっかり魅了された。この完全に白人のブルース グループの
中では言うまでもなく、シーンで数少ない黒人ギタリストの
1 人だった。彼は当時の音楽シーンで話題になっており、
フランス、ドイツ、ローマ、ベルギーなどヨーロッパを
何度もツアーした。スペインなど、数え上げればきりがない。
彼が人気のブルース グループを脱退したのは残念だが
Eric Clapton と同じように、彼も他の夢を追いかけて脱退した。
彼は人気のR&B グループに参加し、Doris Troy, George Harrison,
Madeline Bell らと一緒に John Lennon の "Power to the people"
の録音にも参加した。

 

The Boomerangs
25-21
The Boomerangs - Fun, Fun, Fun
(7: UK Fontana TF 555 Mono) 1965
AKA Ian Crawford and The Boomerangs.
Ian Crawford はイギリス生まれのオーストラリア人歌手。
The Boomerangs はマンチェスター出身のグループで、
メンバーは当時19歳から22歳だった。
彼らのラストシングルのB面に収録された
イギリスのビートバンドによる The Beach Boys のカヴァー。

The Boomerangs members are
Dave Blakeley - Lead Vocals.
Cec Moseley - Lead guitar, Vocals.
Ray Arnfield (AKA Ray Masters) - Rhythm guitar, Vocals.
Albie Sayers - Bass guitar, Vocals.
Bernie Byrnes - Drums, Vocals.

1940年にロンドンで生まれた Ian Crawford は1950年代後半に
15歳でオーストラリアに移住し、芸能界入りする前にはシドニーの
ダウンタウンにある Royal Exchange 保険会社に勤務していた。
彼はポップ業界でしばらく過ごし、レコードを数枚リリースしてた。
彼は1960年にHMVレーベルから Uptown / DJ Blues という
オーストラリア初の45回転レコードをリリースした。
次に彼は Lee Gordon と契約し Leedon レーベルでレコーディング
を行い、1960年に "The Golden Rocket"、1961年に "Little Lover"
という2つのマイナーヒットを出して The Johnny O'Keefe Show
にも出演した。

1963年に彼はオーストラリア人女性歌手 Laurel Lea と出会い、
婚約した。この関係は長続きせず、Laurel Lea は同じ年に別の歌手、
Kevin Todd と結婚した。Ian Crawford はオーストラリアの
テレビに出演した後、イギリスに戻ることを決意した。
1963年にイギリスに戻り、バックバンドの The Boomerangs を
結成し、ヨーロッパをツアーした。
西ドイツにいる間、Ian Crawford はロンドンに飛び、Decca レーベル
のシングル Everlovin' Me / Love Is Getting Started を録音した。
彼と彼のグループ The Boomerangs は60年代にイギリス中で活動し、
The Beatles をサポートするいくつかのパッケージショーも行った。
これは当時のシーンの特徴で、約5シリング (25ペンス) で、
チャート上位のアーティストが数組出演するショーを見る事ができた。
60年代初頭古いABCシネマでこのようなショーが何回か開催された。
The Boomerangs は1964年に Fontana レコードから
"Don’t Let her be your baby"(UK Fontana TF 507)を初めて
リリースした。これはアメリカの The Contours のR&Bナンバーの
カヴァーだったがチャートではほとんどヒットしなかった。
本件1965年4月23日に UK Fontana からリリースされた
Another Tear Falls / Fun, Fun, Fun」(UK Fontana TF 555) は
彼らの最後のシングルとなった。

オーストラリアに戻った Ian Crawford は、シングルのリリースを
続けた。彼はまたアメリカでも1枚か2枚のレコードをリリースした。
Ian Crawford が関わった最後の重要な出来事として言及に値するのは
60年代半ばに Johnny Rebb の Ramrod Records 事業を立ち上げる
仕事に貢献したことだ。
Ian Crawford は2003年に亡くなった。


Ian Crawford


The Boomerangs
 

The In-Sect
25-22
The In-Sect - Help Me Rhonda
(LP: RCA Camden CAL-909 mono / CAS-909 stereo) 1965
A track from their US album
"Introducing The In-Sect Direct From England"
イギリス East London の Wanstead 出身のビートバンドで
彼らは The Flies の前身バンドだ。
彼らは当初 The Rebs として結成され、1965 年の最初のデモ録音
の時点で The In-Sect に名前を変更した。
このアルバムはブリティッシュ ビートブーム、所謂ブリティッシュ
インヴェイジョン(British Invasion、イギリスの侵略)の便乗商品
としてアメリカだけでリリースされた。その際収録された
The Beach Boys のカヴァー曲だが、存在自体珍しいというか
まさか The Flies の前身バンドがこのようなアルバムをリリース
してたのが興味ぶかく、私は The Beach Boys のカヴァー曲研究の
一環で随分昔に入手した時に、そのアレンジに驚いた。
RCA Camden は RCA Victor の格安レコード レーベルで、
1953年に設立された 78rpm の以前のリリースの録音を再発行
するためのレーベルだった。このレーベルは、RCA Victor と
その前身である Victor Talking Machine Company のオフィス、
工場、スタジオが1901年以来置かれていたニュージャージー州
カムデンにちなんで RCA Camden と名付けられた。
本件アルバム録音では、入院した Robin Hunt の代わりに
Phil Chesterton と John Hollis が非公式に加入。
Robin Hunt が回復すると、バンドは The Decadent Streak、
No Flies On Us But、そして最終的には The Flies として
活動を継続した。

 

The Ivy League
25-23
The Ivy League - Don't Worry Baby
(LP: UK Piccadilly NPL 38015 mono) 1965
(7 EP : UK Piccadilly NEP 34048) 1966
A track from their album “This Is The Ivy League”
A track also included their EP "Our Love Is Slipping Away"
released on Friday, 1 April 1966.
ご存知イギリスのヴォーカルトリオの Beach Boys カヴァーだが
1965年リリースのアルバムでは Written by Goffin (Gerry Goffin)
1966年リリースの EP では Written by Goffin, Wine
(Gerry Goffin-Toni Wine) と作者がクレジットされてるが
正しくは Brian Wilson-Roger Christian である。
何故このような間違ったクレジットがされたのかというと
ガールグループ The Cookies の 結成当初のメンバーだった
Darlene McCrea が1964年にセカンドソロシングルをリリースしたが
B-side の同名異曲 "Don't Worry Baby" が Gerry Goffin-Toni Wine によって
書かれた。この歌はクレジットはされていないが Carole King が
アレンジをした。もちろん The Ivy League は The Beach Boys のカヴァー
として本件を録音したのだが UK Piccadilly は Gerry Goffin が書いた歌と
勘違いしたまま印刷し続けていた。
The Ivy League は1964年8月に、幅広い音域を持つ3人の
セッションシンガー John Carter, Ken Lewis (どちらも
Carter-Lewis and the Southerners の元メンバー)と
Perry Ford によって結成された。

Produced by Terry Kennedy.
Arranged by Ken Lewis.
John Carter - guitar.
Micky Keene - guitar.
Dave Winters - bass.
Clem Cattini - drums.

 

Paul Raven (AKA Gary Glitter)
25-24
The Variations - The Man With All The Toys
(7: UK Immediate IM-019) 1965
イギリスのスタジオ ユニットによる 1 回限りのレコーディング。
The Beach Boys のカヴァーだがギターが若き Jimmy Page で、
プロデュースが Paul Raven (後の Gary Glitter)、そしてアレンジが
Denny Gerrard (Warm Sounds on Immediate, Deram)
なので人気が高い。ヴォーカルも担当している Gary Glitter は
本名を Paul Francis Gadd と言い、彼は Paul Raven 名義で1960 年に
歌手としてレコーディングキャリアを開始たが、この名前および
後の Paul Monday 名義での一連のシングルはあまりインパクトがなかった。

1971年 Mike Leander のマネージメントのもと、彼はグラムロック
の流行に乗り Gary Glitter の名でシングル "Rock N Roll" をリリース。
この曲はイギリスとアメリカの両方でトップ10入りした。
アメリカ国内では唯一の大ヒットだったが Rock Artistes Music Ltd
の指導の下、イギリスでは彼の多くのヒット曲の最初のものとなった。
彼は派手なグラムロックシンガーとなり、その過激なパフォーマンス
により1970 年代のイギリスで最も成功したアーティストの 1 人となった。

彼は1990年代に半引退状態になり、音楽活動の大半を毎年恒例の
クリスマスコンサートに注いだ。しかし、1999年に児童ポルノで
有罪判決を受けた後、2000年に音楽活動は停止した。
しかし、ミュージシャンとして復帰する計画を表明しており、
2015年2月5日、Paul Francis Gadd (Gary Glitter) は、1975年から
1980年の間に強姦未遂、わいせつ行為4件、13歳未満の少女との
性交1件で有罪判決を受けた。2月27日、彼は懲役16年の判決を受けた。


Jimmy Page


Denny Gerrard
 

The Cherokees
25-25
The Cherokees - Girl Don't Tell Me
(7: UK Emidisc acetate) 1966
(7 EP: UK 69 EP 001) 1966 (As I.O.W. Cherokees)
イギリスの The Isle of Wight ワイト島出身のモッズグループによる
The Beach Boys カヴァー。別名 Wilfred (UK Parlophone R 5836)
彼らは1966年4月17日に Olympic Sound Studios で録音した
音源を The Cherokees 名義でアセテート盤に残して
I.O.W. Cherokees (The Isle Of Wight Cherokees) 名義で EP に
収録してリリースしている。

Members are
Brian Sharpe, Graham Betchley, Ken Young, Rod Taylor.

The Who のコンサート "Live at the Isle of Wight Festival 1970"
でも有名なワイト島はハンプシャーの3キロメートルないし
8キロメートル沖合のイギリス海峡に位置し、そのあいだの海域は
ソレント海峡と呼ばれる。イングランドで最大の面積、および
2番目の人口を有するイギリスの島だ。
このバンドは1950年代後半から1970年代にかけて活動していた
ワイト島のバンドで、非常にプロフェッショナルで、非常に人気が
あったが、メンバー達各自はすでに良い仕事に就いており、
完全にプロになることは望んでなかった。
リードシンガーの Graham Betchley は多くのトップアーティスト達から
この業界で最高の歌手の1人になれるほどの素晴らしい
シンガーとして知られていたが、残念ながら50代前半に咽頭がん
のため亡くなった。その後バンドの他の2人のメンバー
Ken Young と Rod Taylor も亡くなった。
Brian Sharpe は今でも唯一存命で、今も演奏を続けている。
彼は長年にわたり、ワイト島の多くのバンドの指導者やメンター
を務めており、また Graham Betchley を偲んでがん慈善団体に
数千ポンドを寄付している。

 

The Ways And Means
25-26
The Ways And Means -
Little Deuce Coupe / The Little Old Lady From Pasadena
(7: UK Columbia DB 7907) 1966
イギリスのサウス・イースト・イングランドにあるカウンティの
ケント出身のバンド。The Beach Boys と Jan & Dean のカヴァー曲の
ホットロッドチューンのカップリングではあるが、1966年という
ビートポップからサイケデリックへと移行する時期のリリースである。
The Ways And Means は1960年代の活気あるケントの音楽シーン
から生まれた無数のバンドの1つだ。

彼らは1963年に The Others としてスタートした。
当時このグループは地元のバンド The Swinging Secrets の元メンバー
だったリズムギタリストの Roy Delo とドラマーの Dave Legge で
構成されていた。他のメンバーはリードギタリストの Terry Silk と
ベース奏者の Tony Allison だった。The Others は最初から群を抜いて
目立っており、サーフサウンドを持つ数少ないバンドの1つで、
カリフォルニア出身の The Beach Boys から多大な影響を受け、
南海岸のクラブやダンスホールで演奏する際には、レパートリーの
一部として The Beach Boys の曲を頻繁にカヴァーし、イギリス南部の
サーフミュージックファンの大きな支持を集めていた。
Terry Silk が Bruce Finns に交代した後に、1965年に
The Margate Carnival beat group contest というバンドバトルで
他の7つのグループを破り、EMIとのレコーディング契約という
1等賞を獲得したことで彼らの大躍進が訪れた。

彼らはバンド名を The Ways And Means に変更し、本件シングルで
サーフミュージックのカヴァー2曲を録音しEMIの子会社である
Columbia から1966年5月に発売された。
ベース奏者の Tony Allison がリードヴォーカルを務めたこのシングル
はヒットせず Bruce Finns がグループを脱退。代わりにバンドが声を
かけていた The Countdowns という地元のグループに所属していた
ギタリスト Les Stankovich (Leslie Stankovich) が加入した。
その後、彼らはドイツで演奏し、その後 Ron Fairway を紹介された。
彼はもともと The Foundations を発見した人物だが、権力闘争で
追い出され、彼のパートナーだった Barry Class が The Foundations
のマネージャーになるという不運に見舞われていた。

Ron Fairway は The Ways And Means のマネージャーとなり
彼らは Pye Records と契約を結んだ。
そして Sea Of Faces / Make the Radio a Little Louder を録音し、
1966年にリリースした。これは Ron Fairway がプロデューサー
だったと言われている。レコードはチャート入りしなかったが、
1967年1月21日からの週の The Radio Caroline で41位になったうえに
他の局でもチャート入りした。メンバーでリズムギターの Roy Delo
によると、彼らは "Baby, Now That I've Found You" の録音を断った。
自分たちには合わないと感じたからだ。
そのため Clem Curtis がリードヴォーカルを務める The Foundations
が録音してリリースして1位になった。Roy Delo はオファーを
受け入れなかったことを悔いていると語った。

彼らが最後にリリースしたシングルは、1968年に Barry Class が
プロデュースした Breaking Up a Dream / She だった。
振り返ってみると、メンバーの中には Ron Fairway の努力は実を
結ばなかったがが Barry Class よりも多くのことをしてくれたと
認める者もいる。実際 Ron Fairway は Barry Class よりも音楽ビジネス
に詳しく、人脈もあった。どちらかというと Barry Class はお金の
あるビジネスマンだった。その後ドラマーの Dave Legge は
コメディアンの Dave Lee になり、南東部で慈善募金活動で
大いに愛され、カンタベリーのマーロウ劇場で毎年大人気の
Pantomime Dame パントマイム・デイムでもあった。
これはイギリスのパントマイムの伝統的な役柄で、女装した男性俳優
が女性キャラクターを演じるという演劇の伝統の一部である。
Dave Legge の死後、友人や家族が資金を集めて彼を偲んで像を建て
劇場の外、ストゥール川のそばに置いた。

Members are
Tony Allison - lead vocal, bass
Leslie Stankovich - lead guitar
Roy Delo - rhythm guitar
Dave Legge - drums
Terry Silk - lead guitar (1965年頃に Bruce Finns に交代)
Bruce Finns - lead guitar (1966年頃に Les Stankovich に交代)

 

The Factotums
25-27
The Factotums - You're So Good To Me
(7: UK Immediate IM 022) 1966
イギリスのマンチェスターの東にある Audenshaw (オーデンショウ)
で結成されたビートバンドの Beach Boys カヴァー。
プロデュース、アレンジは Warm Sounds (Immediate, Deram) の
Denny Gerrard が担当した。Superviser 監修 としてAndrew Loog Oldham
がクレジットされている。
The Factotums はイギリスの Greater Manchester (マンチェスター)
の自治区である Tameside (テイムサイド) の Audenshaw Grammar School
という中高一貫校の高校生だった2つのグループから結成された。
Members are
Jeff Lees (guitar, vocals)
Nidge Thomas (guitar, vocals)
Steve Knowles (bass, vocals)
Ian Thornton (drums)

彼らは The Rolling Stones のマネージャー Andrew Loog Oldham と
1965年に契約した。Andrew Loog Oldham のレーベル Immediate と契約した
最初のグループの 1つだが、後に Piccadilly でもレコーディングを
行った。レコーディングには Nicky Hopkins がキーボードで参加し
The Ivy League や The Beach Boys などのハーモニーポップ
グループに影響を受けたこのバンドはBBCで放送されていた生放送
音楽番組 Top Of The Pops のウォームアップ グループとしてよく
使われていた。彼らは合計6枚のシングルをリリースし、アルバムは
出せなかったが、かなり成功した。
例えば The Kinks のサポートを務め、Jerry Lee Lewis, Tom Jones,
Pink Floyd, Creamと共演し、Manfred Mann とスウェーデンをツアー
するまで成長したがバンドは1969年に解散した。
因みに彼らはドラムを Andy Lynch に変えて Barley Bree 名義で
1967年にシングル1枚 Sometime In The Morning / Save Your Love
(UK Piccadilly 7N.35393) をリリースしている。


The Factotums


Andrew Loog Oldham
 

The Factotums
25-28
The Factotums - Here Today / In My Room
(7: UK Piccadilly 7N 35333) 1966
B-side "In My Room" の作者クレジットが Brian Wilson
となってるが、正しくは Brian Wilson-Gary Usher である。

バンドの詳細は上記を見てね。


The Factotums
 

Tony Rivers & The Castaways
25-29
Tony Rivers & The Castaways - Girl From New York City
(7: UK Parlophone R-5400) 1966
14 Jan 1966 Unreleased.
1998年に江村くんの em レコード (EM7001EP) で初のアナログ再発
されたので広く知れた彼らの Beach Boys カヴァーだが当時見発表だった。

1966年のラインナップ。
Tony Rivers - lead vocals
Kenny Rowe - lead vocals
Tony Harding - lead guitar
John Lyons - rhythm guitar
Ray Brown - bass
Brian Hudson - drums/vocals

1960年にロンドン東部のエセックス州ダゲナム (Dagenham, Essex)
で Tony Rivers (本名 Tony Thompson) 抜きで The Cutaways として結成。
The Chasers, Bobby Rio And The Revelles の Bobby Rio だが、
彼は後に Pye, Piccadillyでソロになるが、レコードデビューする前に
The Cutaways をバックに従えて歌っていた。
そして1961年後半に Tony Rivers が新リードシンガーとして加入し
その後バンド名を Tony Rivers & The Castaways に変更した。
1963年彼らがEMIとのレコード契約に署名する少し前に、
John Lyons (rhythm guitar) と Ricky West (lead guitar) がそれぞれ
Micky Johnson と Vic Larkins と代わって加入した。
しかし Ricky West は長くは留まらず The Tremeloes に加入し
Steve Scott がリードギターを引き継いだ。
新しい編成は一連のシングルを録音し、Columbia からリリースした。
1964年スコットランドツアー中に、ドラマーの Brian Talbot が
12月6日に交通事故で亡くなるという悲劇にバンドは見舞われる。
ドラマー兼歌手の Brian Hudson が1965年初頭にドラムスツールを
引き継ぐことになった。この辺りからメンバーが頻繁に入れ替わる。
1966年4月、この頃、以前 The Fifth Avenue のフロントマンを務めて
いた歌手の Kenny Rowe がセカンドリードヴォーカルとして参加した。
Tony Harding も Steve Scott からリードギターを引き継いだ。
1966年8月、この頃 Brian Hudson が脱退してThe Parking Lot を
結成し、元 The Sugarbeats のドラマー Geoff Swettenham が
代わりに加入。
1966年10月 Tony Harding と Kenny Rowe が脱退し、
元 The Sugarbeats のリードギタリスト John Perry が加入。
Kenny Rowe の代わりに元 The Sugarbeats の別のシンガー
Martin Shaer も加入。
Geoff Swettenham はリズムギター/ヴォーカルとして
The Sugarbeatsから弟の Pete Swettenham を加入させた。

1967年11月 Swettenham 兄弟と John Perry が脱退して
Grapefruit を結成、Martin Shaer も脱退。
Tony Rivers がグループを再建し Ray Brown を残留させ、
Tony Harding と Kenny Rowe (当時 Les Fleur De Lys の
Chris Andrews が在籍してた The Playground をプロデュース)
を復帰させる。

1967年11月の新しいラインナップ
Tony Rivers - lead vocals
Kenny Rowe - lead vocals
Tony Harding - lead guitar
Ray Brown - bass
Bill Castle - drums/vocals

 

Tony Rivers And The Castaways
25-30
Tony Rivers And The Castaways -
Girl Don't Tell Me / The Girl From Salt Lake City
(7: UK Immediate IM 027) 1966
彼らは Beach Boys 大好きな Andrew Loog Oldham の Immediate に
移籍して本件両面 Beach Boys カヴァーのシングルをリリース。

Tony Rivers - lead vocals
Kenny Rowe - lead vocals
Tony Harding - lead guitar
John Lyons - rhythm guitar
Ray Brown - bass
Brian Hudson - drums/vocals

当時 The Beach Boys メンバーとして活動してた Bruce Johnston
は "Pet Sounds" のアセテート盤をイギリスに持ち込み、The Who の
Keith Moon に聴かせたが Keith Moon は「これはサーフミュージック
ではない」という理由で嫌っていた。
Keith Moon は Bruce Johnston をイギリスの人気テレビ番組
"Ready Steady Go!" の撮影に連れて行ったほか、
Tony Rivers and The Castaways のギグにも連れて行き、
2人はステージ上でバンドに加わった。
Keith Moon はその夜 The Who と演奏する予定だったが、演奏に
遅れたためステージ上で喧嘩になり一時的にバンドを離れる事となった。
Bruce Johnston が1966年5月下旬にイギリスを訪れた際、彼は
アメリカで発売されたばかりのLP "Pet Sounds" を数枚持参した。
イギリスのEMIは10月まで発売を予定していなかったが、この訪問
とそれに関する話題が盛り上がったため、発売は7月に前倒しされた。
ロンドン滞在中、Bruce Johnston は The Beach Boys の大ファンの
Keith Moon, Tony Rivers, Andrew Loog Oldham と知り合い、
おそらく彼はLP "Pet Sounds" を彼らに渡している。
これが Tony Rivers and The Castaways の次のシングル
"God Only Knows" がオリジナルの The Beach Boys のシングルと
同時に発売された理由である。

イギリスで "Pet Sounds" が10月に発売予定だった
もう1つの理由は "The Beach Boys Today" アルバムがアメリカでは
1965年3月にリリースされたのに、イギリスでは1966年4月に
発売されたからかもしれない。
そしてイギリスの人々は1966年6月にイギリスで "Pet Sounds" と
ほぼ同時期にリリースされた "Summer Days (And Summer Nights)”
アルバムのリリースをまだ待っていた。イギリスの Capitol は
イギリスでの The Beach Boys のアルバムリリーススケジュールの
立て方について、多くの責任を負わなければならなかった。


Andrew Loog Oldham
 

The Robb Storme Group
Left to right: Lewis Collins, Pete Wilson (aka Wil Malone),
Robb Storme, Jim St Pier, Tony Ollard
25-31
The Robb Storme Group - Here Today
(7: UK Columbia DB-7993) 1966
(7: Aurora 162) 1966
以前は Robb Storme & The Whispers として知られていた
この北ロンドンのバンドは1966年6月頃名前を変えたが、
時々以前の名前で宣伝される事もあった。
後に Orange Bicycle を結成する Robb Storme と Wil Malone が
在籍してたので British Rock ファンにも有名なバンドだ。
当時イギリスのミュージシャン達をも狂喜させた名曲 "Here Today"
だが、あの有名な間奏部の Carol Kaye の超絶プレイを模倣しようと
しても、どうしても Carol Kaye と比較してしまい「な〜んじゃそりゃ」
と揶揄されがちなパート。それを考慮すると元 The Mojo の
Lewis Collins の演奏はいけてる。彼は Gary Hooper の後任として
ベースを担当した。Wil Malone がアレンジを担当してるのも納得
できる。あのドラマティックなパートからスタートするというアイディア
に現れているように、全てはあのベースラインで決まる。
プロデュースはイギリスを拠点とする音楽/レコードプロデューサーで
Morgan 及び Morgan Studios の共同設立者の Monty Babson が行った。

Members are
Robb Storme - lead vocals
Pete Wilson (aka Wil Malone) - drums
Lewis Collins - bass
Jim St Pier - keyboards
Tony Ollard - lead guitar


The Robb Storme Group


Robb Storme


Wil Malone

 

John Perry
25-32
The Sugarbeats - The Ballad Of Ole Betsy
(7: UK Polydor BM 56069) 1966
The Beach Boys 初期名作バラードの珍しいカヴァー。
アレンジは Jack Dorsey で彼はビッグバンドオーケストラの
名手である。プロデュースの Richard Hill は The London
Gabrieli Brass Ensemble の創設メンバーで、その後 UK Polydor に
入社し、ポップミュージックのプロデューサー兼スタジオ
アレンジャーとして活躍した人物。
The Sugarbeats と Tony Rivers & The Castaways の関係は
25-29 Tony Rivers & The Castaways - Girl From New York City を参照。

John Perry はその後 Tony Rivers and The Castaways, Grapefruit,
Summer Wine の歌手として活動するが、1976年から1986年まで
Cliff Richard のサポート・シンガーとして、そして Kiki Dee,
Elton John, Roger Daltrey (The Who), Leo Sayer, Alan Parsons Project,
Elkie Brooks, Shakin' Stevens, Roger Whittaker, Al Stewart,
Soft Machine, そして Phil Everly や Beatles とも共演したイギリスの
名セッションシンガーとなる。

Geoff Swettenham はドラマーとして後に Tony Rivers and The Castaways,
Grapefruit, Fynn McCool のメンバーとなる。

Martin Shaer はイギリス系カナダ人の歌手、ソングライター、
プロデューサー、A&Rマネージャー、レコード会社のオーナー。
レコードレーベル Top Hat International Music Inc. のオーナー。
1977年にアメリカのグラミー賞に相当するカナダのジュノー賞の
年間最優秀プロデューサーにノミネートされ、その後すぐに
カナダのバンド Sweeney Todd との関係を断ち切り、
Little Mountain Sound Studios が新たに立ち上げた A&R 部門
Panda Record Co. Ltd. と出版社 Rare Bear Music の
マネージャーに就任した。


Geoff Swettenham


Martin Shaer
 

The Top Ten Allstars (AKA The Summer Set)
25-33
The Top Ten Allstars -
Surfin' U.S.A. - Little Honda - Papa-Oom-Mow-Mow
(LP: Germany Decca SLK 16 410-P) 1966
Tracks from album "Surfin' 66 - Live Recording From
The Top Ten Beat Club 4"
Live Recording From The Top Ten Beat Club,
Hamburg, Reeperbahn in 1966.

The Summer Set がドイツのハンブルクで活動してた時の変名が
The Top Ten Allstars だ。
ドイツ・ハンブルクのザンクトパウリ地区にある歓楽街 Reeperbahn
レーパーバーンは船員たちを相手にした性風俗産業が古くから
盛んであり、「世界で最も罪深い1マイル」などとも称される。
The Beatles が世界的に有名になる前、このレーパーバーンが
活動の中心地であり、巡礼の一環として訪れるファンもいるほどの
歓楽街の The Top Ten Club で行われた彼らのライヴの音源。
この音楽クラブは1960年10月31日にオープンし、1994 年までその名
を保っていた。1961年 The Beatles はこのクラブで連続92日演奏した。

The Summer Set は、サウスコーストのビートグループ The Javelins,
Count Downe & The Zeros, Peter & The Headlines をルーツを持っている。
Lineup members are
Dave Green (Bass and Vocals)
Martin Jenner (Guitar and Vocals)
Vic Gillam (Sax)

この3人は結成当初から在籍しており、Peter & The Headlines には
元英国海兵隊のミュージシャン Les Humphries が加わった。
The Summer Set に改名された彼らは Marquee Club のボスの
Harold Pendleton が行ったオーディションを受け Marquee Artists Agency
と契約し Marquee Club に12回出演した。

メンバー Dave Green (Bass and Vocals) の著書である
The Wonder Years: a rock ‘n’ rollercoaster によると
Marquee Club は1965年10月下旬から11月上旬にかけて、
パリのクラブ The Golf Drout での週末公演を彼らに予約したが、
その直後に元のドラマーが脱退した。
11月中旬頃、ノーフォークのバンド Boz & The Boz People から
ドラマー Brian ‘Rocky’ Browne が加入した。彼も Marquee Club の
常連だった。このバンドに在籍中、彼は間もなく Small Faces の
キーボード奏者となる Ian McLagan と共演した。
Marquee Artists Agency は、サウス・ケンジントンの The Cromwellian
のような人気クラブにも The Summer Set を予約し、1965年後半から
1966年半ばまで定期的に彼らは演奏し、また大学サーキットでも
演奏し始めた。1965年12月、The Summer Set は初めて西ドイツを
訪れ、ハンブルクの The Top Ten Club で演奏した。このクラブで
彼らは非常に人気があがったので、彼らはその後何度も戻ってきた。
そこで彼らは The Top Ten Allstars として LP 2 枚分の曲を録音し、
女性バックシンガーの Isabella Bond を迎えた。
また Les Humphries と Vic Gillam の "Hey Daddy" を裏面にした
シングルで "Pim Pim Pim" を録音した (Germany Decca D 19770)
これは1966年1月にリリースされ、その時点で彼らはハンブルクに
戻り、The Top Ten Club に2度目の訪問をした。

1966年7月、The Summer Set は The Beach Boys のカヴァー曲
"Farmer’s Daughter" を録音した下記のシングルを制作した。
これは UK Columbia DB 8004 として1966年10月28日に
リリースされた。


The Summer Set
 

The Summer Set
25-34
The Summer Set - Farmer's Daughter
(7: UK Columbia DB 8004) 1966
The Beach Boys の初期名曲を彼らがカヴァーしたものだが
この曲のクリーンで鮮明なステレオヴァージョンはない。
このシングルのオリジナルのミントコピーを何度も手に入れたが、
非常に不明瞭なサウンドで。これはプロデューサーの
Spencer Lloyd Mason が意図的に実現したものだ。
バンドの詳細は上記を見てね。

 

The Gamblers
25-35
The Gamblers - Dr Goldfoot (And His Bikini Machine)
(7: UK Decca F 12399) 1966
The Gamblers は後に Yes のドラマーとして活躍する Alan White と
Procol Harum のキーボード奏者になる Matthew Fisher がi一時的に
在籍したイギリスのビートグループである。
彼らは Billy Fury のバックバンドとしても知られる。

この歌は American International のコメディースパイ映画
“Dr. Goldfoot And The Bikini Machine” のテーマソングで
映画では The Supremes のヴァージョンを使ってる。
12-29 The Supremes - Dr. Goldfoot And The Bikini Machine も参照。
音源は片面のみ収録したプロモシングルで1965年に配布してる。
作者は Guy Hemric-Jerry Styner のコンビで、彼らは当時
Annette や Donna Loren の同映画会社の一連のビーチムーヴィーの
関連曲から Dick Dale And His Del-Tones "Hot Rod Alley"
Stevie Wonder "Happy Street”
The Westwoods "I Miss My Surfer Boy Too" 等を書いており
まさに売れっ子ソングライターコンビとして需要が高かった時期の
作品だ。ビキニ物なのでここで掲載したが、この悪ふざけ映画は
007 James Bond シリーズ1962年の Dr. No と
1964 年の Goldfinger のパロディー映画であり、若い女性を
洗脳し世界をビキニで征服しようと企む Dr. Goldfoot を描いた
チープなB級コメディー作品だ。Norman Taurog 監督、
American International Pictures (通称 AIP) 配給。
出演は Vincent Price, Frankie Avalon, Dwayne Hickman,
Susan Hart, Jack Mullaney, Fred Clark ら。当時流行していた
スパイ映画のトレンドで名づけられた映画タイトルだが
James Bond シリーズの権利保持者からの訴訟の脅迫のために
この映画はイギリスでは Dr. G. and the Bikini Machine と
改題されたという American International の馬鹿げた本気度
すら伺えるマニアック映画である。

制作予算が低いにもかかわらず、この映画は一定のカルト的地位を
獲得しホラー映画レジェンドの Vincent Price とAIPの
ビーチパーティー映画卒業生の出演のためにも機能した。
その冗談と性的欲望を刺激する過剰な Claymation (粘土を使った
コミカルなストップモーションアニメ) をその第一人者の
Art Clokey が手掛けており、本件 The Supremes が歌った
タイトル曲が挿入された。
そしてその成功により、1966年に続編が制作され
題名は Dr. Goldfoot and the Girl Bombs
邦題付けるとしたら「ドクター・ゴールドフットと少女爆弾」(爆)

で同じ1965年に女性トリオ The Beas に歌わせたヴァージョンが
American International 65-3273 片面のみのプロモ盤はで配布され
The Supremes のヴァージョンとよく似てるが、すぐに Dee Gee 3010
でリリースされたヴァージョンはビートを強く強調したアレンジが
施されている。

このおバカ映画の歌がイギリスに飛び火して、Billy Fury のバックバンド
でも知られる The Gamblers が1966年にリリースしたのが本件だ。
The Gamblers は1961 年に Newcastle-upon-Tyne (ニューカッスル・
アポン・タイン)で結成された。ニューカッスルと略されるが
これが正式名称で、またニューキャッスルと表記されることもある。
彼らは Decca と契約し1963年11月15 日にデビューシングル
You've Really Got A Hold On Me / Can I See You Tonight
(Decca F 11780) をリリースしたが、あまりインパクトはなかった。
1964年1月、イギリスの人気ミュージシャン Billy Fury は新しい
バックバンドとして The Gamblers を紹介した。

Members are
Jim Crawford (lead guitar and vocals) born 24 April 1942,
Alan George (piano and organ) born 20 July 1941,
Andy McMullen (drums) born12 December 1941,
Ken Brady (tenor sax and vocals) born 5 July 1941,
Tony Tait (stage name Tony Damond) (guitar, trumpet
and vocals) born 4 April 1945,
Alan Sanderson (bass guitar and vocals) born 4 February 1941.

全員がニューカッスル生まれで Andy McMullen (Andy Mac - drums)
がすぐに車で大事故に遭い Ces Baron に交代した。

The Gamblers は Billy Fury と1964年3月にBBCラジオの人気番組
サタデークラブでデビューしたが、Billy Fury と1964年1月にいくつか
の曲を既に録音していた。The Gamblers の次のシングルは
1964年3月の It's So Nice / Nobody But Me (Decca F 11872) で、
1964年にトップ30に1週間だけ入った。

Alan White は学校の試験に合格するために音楽活動を減らし、
その後、建築家になる計画で大学で製図を学ぶことに興味を
持つようになった。17歳のとき、彼は音楽の道に進み、Billy Fury の
バンド The Gamblers の一員としてキャバレー巡業をし、ドイツでも
数回公演を行った。その後 Alan White は Happy Magazine
(後に Griffin として知られる) で Alan Marshall や Kenny Craddock
とともに演奏し Alan Price をプロデューサーに迎えて数枚のレコード
をリリースした。Alan White は Alan Price とともに自身のグループ、
Alan Price Set でツアーや演奏を続け、セッション・ミュージシャン
としていくつかの仕事に就いた。

Matthew Fisher はロンドン特別区内にある、ロンドン南部の地域
Addiscombe, Croydon (クロイドンのアディスコム) で生まれ育った。
彼は中高一貫の Selhurst Grammar School に通っていた10 代のころ
からバンドで演奏を始め、最初はベースギターを弾いていたが、
1964 年ごろ The Animals や Georgie Fame を聴いてオルガン奏者に
なりたいと決心した。音楽教師になることも一時検討したが
彼はギルドホール音楽学校でクラシック音楽の訓練を受けた1年後に
中退し、2台の Vox Continental オルガンを購入し、Billy Fury のバック
バンドである The Gamblers のツアーでそれらを使用した。

ドイツでの公演後、The Gamblers は Billy Fury と1964年に
ノーフォークの海岸沿いの町 Great Yarmouth (グレートヤーマス)
のサマーショーと映画「I've Gotta Horse」に出演した。
当時彼らがリリースした Billy Fury And The Gamblers (Decca DFE8641)
の EP は高く評価された。

その後、グループはオックスフォードのニューシアターでパントマイム
Aladdin に Billy Fury と出演した。
The Gamblers は独自のマネージメントを維持し、各出演やツアーは
Billy Fury とは別に交渉された。
ある時点で Ces Baron と Alan George が脱退し、ドラマーの
Dennis Crawford とオルガン奏者の Bob Elliott が代わりに加入した。

Members are
Jim Crawford (lead guitar, vocals)
Ken Brady (tenor sax, vocals)
Tony Diamond (guitar, trumpet, vocals)
Alan George (piano, organ)
Cec Baron (drums)
Bob Elliott (piano, organ)
Dennis Crawford (drums)
Alan Sanderson (bass, vocals)

彼らの3枚目のシングルが1966年5月にリリースされた本件
Dr Goldfoot (And His Bikini Machine) / It Seems So Long
(Decca F 12399) で、これは Deccaでの最後のシングルとなった。
彼らの4枚目で最後のシングルは1967年1月20日リリースの
Cry Me A River / Who Will Buy (Parlophone R5557) となった。

彼らの関係は60年代半ばに衰退しグループは1967年7月1日
に解散した。Jim Crawford が同じニューカッスル出身の
Alan Price Set に加わり、Decca と契約し、Alan Price は
ニューカッスル出身の The Animalsのオリジナルオルガン奏者だった。
Ken Brady はナイトクラブのマネージャーになり、
Tony Tait (Tony Diamond) はThe Ram Holder Brothers
(Parlophone R5471) の2人のうちの1人になった。
Ces Baron と Alan George はしばらく前に脱退していた。
彼らの代わりの Bob Elliott は The Dakotas で Billy Fury の
バックを務め、Dennis Crawford はイタリアのミラノに引っ越した

 

Ken Burgess
25-36
The Mosaics - Let's Go Drag Racing
(7: UK Columbia DB 7990) 1966
イギリスのサイケデリックムーヴメントのミュージックシーンで
活躍したソングライターの Ken Burgess が制作したユニット。
時代を反映した Freakbeat スタイルの UK Hot Rod tune の隠れた傑作。
Ken Burgess はイギリス系イスラエル人のプロデューサー、
ソングライター、歌手、画家で、ロンドンのダゲナムで生まれ育った。
Ken Burgess は 9 歳でギターを独学し、14 歳のときに最初の
ロックグループ The Teenbeats に参加し、そのバンドには
リードシンガーの Tony Colton (後に Ray Charles, the Allman Brothers,
Celine Dion, Willie Nelson, Rod Stewart, Johnny Cash ,Tom Waits らの
共作者として成功する) とベーシストの Keith West が含まれていた。

Ken Burgess は Keith West と一緒に曲を書き続け
彼らは Keith West のグループ Tomorrow のためにヒット曲
"My White Bicycle" を書いた。この曲はアビーロード スタジオ1
でレコーディングされたが、その時 The Beatles はスタジオ2
でレコーディングを行っており、"My White Bicycle" の録音の際
John Lennon がスタジオに入ってきて録音を観察してた。
その後、John Lennon はイギリスの音楽雑誌 Melody Maker に、
"My White Bicycle"を「サイケデリックな国歌」と見なし曲を賞賛した。
そして曲はアンダーグラウンドシーンのヒット曲になった。

 

Red Squares
25-37
Red Squares - I Get Around
(LP: Denmark Columbia KSX 5) 1966
A track from their Danish album "Red Squares"
1964年にイギリス東岸、リンカンシャー (Lincolnshire) にある港町
であるボストン (Boston) で結成されたポップグループ。
母国イギリスでは成功せず、1965年か66年の正月頃にデンマークに
移住し、1960年代後半にデンマークとスウェーデンで彼らは
ティーンアイドルグループになった。
この Beach Boys カヴァーは彼らのデンマークアルバムに収録された。

Members are
David Geordie Garriock - Lead Vocals
Ronnie Martin - Lead Vocals
Mick Rothwell - Lead Guitar
James Mason - Bass
Michael Moloney - Drums

The Four Seasons/The Beach Boys に強く影響を受けた David Garriock
と Ronnie Martin のツインリードヴォーカルによって知られるようになった。
1968年後半、Ronnie Martin がバンドを脱退。
これがメンバーの長い変更の最初のもので、David Garriock が唯一の
オリジナルメンバーとなった。
1969年ノルウェーの歌手 Jahn Teigen がイスラエルツアー中に
バンドに加わったが1969年のクリスマス直前にバンドは解散した。
1975年から78年にかけて David Garriock は Red Squares を
率いてバンドの復活を試みた。1989年 David Garriock は自身を唯一の
オリジナルメンバーとして、Red Squares の新たな形態を再結成した。

 

Red Squares
25-38
Red Squares - When I Grow Up - Warmth Of The Sun
(LP: Denmark Columbia KSX 6) 1967
Both tracks from their Danish album "It's Happening"
バンドの詳細は上記を見てね。

 

The Extreem
25-39
The Extreem - On The Beach
(7: UK Strike JH 326) 1967
The Extreem はイングランド中部、ウェスト・ミッドランズ
にあるウェスト・ブロムウィッチ (West Bromwich) 出身の
メンバー達で構成されており、同地は Led Zeppelin の
ヴォーカリスト Robert Plant の出身地としても知られる。
バンドは1966年頃にバーミンガムで結成された。
最初のオーディションの後、バンドは独立系レーベルの
Strike records からシングルをリリースする栄誉に浴した。
このバンドは後にブリティッシュハードロックの Budgie に参加した
ドラマーの Pete Boot が在籍したバンドとしても知られる。
本件は彼らの残した Beach pop だがレーベルオーナーの
Miki Dallon が書いたオリジナルで彼自身のプロデュースである。
本件シングルは1967年にリリースされたが残念ながら、
これが彼らの唯一のリリースとなった。
その後1970年にロンドンの Decca の West hampstead studios
とバーミンガムの Zella studios で数曲をレコーディングしたが
レコーディングに会社が興味を示さなかったため、
バンドはすぐに解散した。

ドラマーの Pete Boot は60年代後半に The Bitta Sweet の
ベースギタリスト Bruno Stapenhill と Blue Condition に参加した。
The Bitta Sweet は後に Judas Priest を結成する Allan "Al" Atkins
がリードヴォーカルをしていた。Pete Boot と Bruno Stapenhill は
Judas Priest のギタリスト Ernie Chattaway、そしてリードヴォーカルで
元 Bobcats のフロントマン Dave Cowling とともにロックバンド
Bullion を結成した。そのため Judas Priest 人脈を捜し求める
コレクター達にも The Extreem は知られる存在となっている。

Members are
Deryk Poynton - vocals.
Barry Civil - lead guitar, vocals.
Jeff Furnival - lead guitar.
John "Wompy" Evans - bass guitar.
Kelvin Payne - organ.
Pete Boot - drums, percussions.

Miki Dallon はイギリスの60年代と70年代の有名な
ソングライター兼レコードプロデューサーで、50年代後半から
60年代半ばまで自身の演奏活動も行っていた。
彼はは1958年に Vince Taylor や Marty Wilde とともにイギリスの
ロックンロールピアニストとして音楽キャリアをスタートした。
彼はその後、自身のグループ The Medallions を結成し、6.5 Special などの
テレビ番組に出演した後、1964年に Mickie Most と組んで The Minute Men
を結成した。Mickie Most は後に The Animals, Herman's Hermits,
The Nashville Teens, Donovan らのプロデューサーとして成功した。

この時点で作曲が始まり、Miki Dallon の最初の作品は、
ピアノも演奏した1965年の Mickie Most のソロシングル
B面曲 "That’s Alright" だった。
その後数年間 Miki Dallon は音楽出版社 Millwick Musicで
作曲、演奏、制作のすべてをこなした。
その際 The Boys Blue に歌わせた "Take A Heart"
(UK His Master's Voice POP 1427) が The Sorrows によって
知られるヴァージョンのオリジナルとなった。

Miki Dallon は作曲家兼プロデューサーとして
The Sorrows "Take a Heart" や Neil Christian "That’s Nice" の
楽曲を手掛け、これらの曲はヨーロッパのほとんどの地域で
様々なアーティストによってカヴァーされ大ヒットした。
Miki Dallon は60年代から70年代にかけて Strike や Young Blood
といったレーベルを運営し、70年代から80年代にかけて
多くの大手レーベルで独立したプロデュース活動を行った。

彼のトレードマークは、威勢のいい Beat pop と R&B、
耳障りなピアノ、そして重く途切れ途切れのギターで、
これは彼自身の曲 "I'll Give You Love" のプロデュースに
象徴されている。その結果、Miki Dallon 自身のシングルは
海賊ラジオ局やクラブシーンで非常に好評を博した。



Miki Dallon
 

Finders Keepers
25-40
Finders Keepers - On The Beach
(7: UK Fontana TF 892) Dec 1967
(7: Fontana F-1609) Mar 1968
イギリスのイングランド中部ウェスト・ミッドランズ州の都市
ウォルヴァーハンプトン (Wolverhampton) 出身のグループ。
Finders Keepers は後に UK ロックバンド Trapeze のメンバーとなる
Glenn Hughes, Mel Galley, and Dave Holland をフィーチャーした
イギリスのバンドだ。
Glenn Hughes は後に Deep Purple(ベースも担当)や Black Sabbath
(アルバム Seventh Star とそのサポートツアーの一部)で歌った。
Mel Galley は後に Whitesnake でギターを弾いた。
Dave Holland は後に Judas Priest でドラムを叩いた。
彼らは The Strangers (Spain Decca SDGE 80887)
The Martells (US Atco Records 45-6336) の変名リリースもある。
本件はサイケデリック時代のメロディックなビーチポップで
メンバー達のオリジナルソングだ。
The Californians, Tony Jackson Group, The Lemon Line などを
手掛けていた Irving Martin がプロデュースを担当している。

結成当時のメンバーは
Roy "Dripper" Kent - vocals,
Alan Clee - lead guitar,
Ralph Oakley - rhythm guitar,
Jake Elcock - bass,
David Williams - drums.

1966年 Ralph Oakley がバンドを脱退し Finders Keepers は4人組で
活動を続け1967年メンバーが何度か変更され、
Ian "Sludge" Lees - vocal,
Mel Galley - lead guitar,
Alan Clee - lead guitar,
Phil Overfield - bass,
David Williams - drums.
というバンド構成になった。Ian "Sludge" Lees は1960年代に
ウェスト・ミッドランズの数々の有名バンドのフロントマンを
務めるポップシンガーだった。

1968年 Phil Overfield に代わって Glenn Hughes がバンドに加入。
その年の後半 David Williams に代わってDave Holland がバンドに加入。
その結果
Ian "Sludge" Lees - vocal,
Mel Galley - lead guitar,
Alan Clee - lead guitar,
Glenn Hughes - bass,
Dave Holland - drums.
が1969年まで一緒に活動したが、バンドは解散し、
Glenn Hughes, Mel Galley, Dave Holland は Trapeze を結成した。
Ian "Sludge" Lees はその後はコメディアン兼エンターテイナーとして
人気の子供向けテレビ番組 "Tiswas" に定期的に出演し有名になった。


Glenn Hughes
 

Tony Kenny & The Sands Showband
25-41
The Sands Showband - Help Me Rhonda
(7: Ireland Tribune TRS.114) 1968
Tony Kenny & The Sands Showband - Help Me Rhonda
(7: UK Major Minor MM 555) 1968
アイルランドのエンターテイナーグループによる Beach Boys カヴァー。
25-17 The Royal Showband, Waterford Featuring Brendon Bowyer
でも記述したが The Sands Showband もカヴァー曲でショーを
盛り上げるショーパブ市場が発達しているアイルランドならではのバンド
である。間奏部とファエイドアウトに独自のアレンジが施されていて楽しい。
なおオリジナルのアイルランド盤が The Sands Showband 名義で
UK 盤は Tony Kenny & The Sands Showband名義となってる。

Members are
Tony Kenny - lead vocals
Bobby Kelly - lead guitar
Denis Murray - bass
Murty Quinn - trombone, vocals
Martin Phelan - sax
Tommy O’rourke - trumpet
Fran Byrne - drums

 

The Treetops
25-42
The Treetops - Don't Worry Baby
(7: UK Parlophone R 5628) 1967
(7: Tower 388 Promo only) 1968
Beach Boys マニアには素っ頓狂なファルセットコーラスで有名な
イギリスバンドのカヴァー。
1967年にイギリスの Parlophone でリリースされたが、翌年に
アメリカの Tower でプロモ盤のみが配布された。
その際アメリカ盤のラベルのみ Produced by Jack Dorsey
とクレジットされてる。

高級住宅地でテニスの選手権トーナメントの開催地として知られる
イギリスのウィンブルドン (Wimbledon) 出身のグループ。
元々彼らは The Monotones として1964年に下記5人で結成された。
Brian Alexander, Gary Nichols, Jim Eaton, Pete Stanley,
Mark Loyd (AKA Nigel Basham)
初期の頃、グループのラインナップは何度も変更されたが、
1964 年までに下記4人のメンバー構成になった。
Brian Alexander (lead),
Jim Eaton (vocals and rhythm),
Pete Stanley (bass),
Gary Nichols (drums).

彼らのオリジナルヴォーカリストだった Nigel Basham は
Mark Loydという名前で別々に演奏し、ウェストクリフ高校出身
のサウスエンドの別のバンド The Mustangs が地元のギグで
時々バックを務めた。

The Monotones はアメリカの Hickory レーベルから2枚の
シングルをリリースしたがそのうちの1枚でアメリカでの
セカンドシングル When Will I Be Loved / If You Can’t Give Me All
はイギリスではリリースされなかった。
これは彼らがイギリスデビューした最初の Pye シングルの
前に録音されたデモ音源であることが判明した。

The Monotones シングルリリース
US Hickory 1250 - What Would I Do / Is It Right (1964年3月)
US Hickory 1306 - When Will I Be Loved / If You Can’t Give Me All
(1965年3月)

UK Pye 7N 15608 - What Would I Do / Is It Right (1964年2月14日)
UK Pye 7N 15640 - It’s Great / Anymore (1964年)
UK Pye 7N 15761 - No Waiting / Like A Lover Should (1965年)
UK Pye 7N 15814 - Something’s Hurting Me / A Girl Like That (1965年)

そして彼らは女性ヴォーカリスト Martha Smith をバンドに加えて
The Treetops と改名した。

The Treetops members are
Jim Eaton (rhythm guitar and lead vocals),
Mark Lloyd (lead vocals, vibes and harmonica),
Martha Smith (lead vocals and piano)
Brian Alexander (lead guitar and backing vocals),
Pete Stanley (bass guitar and backing vocals),
Pete Trout (drums)


The Treetops
 

The Bystanders
25-43
The Bystanders - Royal Blue Summer Sunshine Day
(7: UK Piccadilly 7N.35382) 1967
(7: Chess 2007) 1967
(7: Checker 2007) 1967 Unreleased
イギリスのウェールズの町マーサー・ティドビル (Merthyr Tydfil, Wales)
で1962年に結成された The Bystanders には当時 Gerry Braden と
呼ばれていた Owen Money が参加していたが、Vic Oakley に交代し、
Vic Oakley (vocals)
Micky Jones (guitar)
Clive John a.k.a. Clint Space (keyboards)
Ray Williams (bass guitar)
Jeff Jones (drums)
という基本的なラインナップとなった。

The Bystanders は、ウェールズの数多くのクラブで常駐し、
一晩に複数のクラブで演奏することが多かった、
マーサー・ティドビル出身の成功したクローズドハーモニーポップ
グループである。
1960年代には放送上でレコード演奏時間を制限する規則により、
レコード演奏の合間にライヴパフォーマンスを行う必要があったため、
彼らはBBCのためにカヴァー曲のセッションも録音した。
彼らは他にも The Jimmy Young Show, The David Symonds Show
などのレギュラーになった。

本件は行進曲マーチが好きなイギリスならではの作風が素晴しい
サマーポップの傑作である。
オリジナルは UK Piccadilly 7N.35382 で、アメリカでは Chess 2007
でリリースされた。Chess の子会社 Checker でも同じカタログ番号
Checker 2007 でプレスはしたがそちらはリリースはされていない。

1968年までに、The Bystanders のメンバーは音楽の方向性を
よりサイケデリックでアメリカ西海岸のギターサウンドに変えたいと考え、
Vic Oakley は脱退し、代わりに Deke Leonard が加入する頃に
本件シングルはリリースされた。これだけ出来も良くアメリカでも
リリースされたのにヒットしなかったのは、このリリース期に
グループの方向性が変わっていく段階だったためだろう。

Members are
Deke Leonard, Jeff Jones, Micky Jones, Ray Williams, Vic Oakley.

作者は Ronnie Scott で、1966年に彼は The George Cooper Agency
で働いていた。そのアーティストリストには彼がマネージメントも
行っていた The Bystanders や Marty Wilde が含まれていた。
彼は多数の曲を書き、ほとんどは Marty Wilde との共作で、
デモは The Bystanders によって録音された。Ronnie Scott の単独作品
である本件 "Royal Blue Summer Sunshine Day" (1967年)
と Marty Wilde との共同作品 "Have I Offended The Girl" (1966年)
および "When Jesamine Goes" (Frere Manston and Jack Gellar の
ペンネームで発表) (1968年) の2曲がシングルとして発売されてすべて
失敗に終わったが The Casuals が最後の曲 "When Jesamine Goes"
をカヴァーし、単に "Jesamine" としてリリースし、1968年後半に
イギリスのシングルチャートで2位に達した。

プロデュースを担当した John Schroeder は元々は作詞家として
Columbia Records で Helen Shapiro のヒット曲
"Walkin' Back to Happiness", "Don't Treat Me Like a Child",
"You Don't Know" を書いた。後に彼はイギリスの独立系レーベル
Oriole にA&Rチーフとして移籍し、在籍中に Motown との
初期のイギリスライセンス契約を仲介し、同レーベルで
イギリス国内の配給を行った。1960年代半ば彼は Pye に移り
Johnny Pearson とイージーリスニング/インストゥルメンタル
ポップバンド Sounds Orchestral を結成した。
彼らは "Cast Your Fate to the Wind" のカヴァーで世界的ヒット
を記録し、イギリスのチャートで5位に達した。
John Schroeder は Pye 在籍中、子会社レーベル Piccadilly を監督し
最終的には1968年に最初のヒット曲 "Pictures of Matchstick Men"
で Status Quo のキャリアをスタートさせた。

本格的にサイケデリックサウンドに変えたいと考えた The Bystanders は
バンド名を Man に名前を変えた。
The Bystanders が Man に進化した後も、Ronnie Scott は
マネージャーとして残り、彼らは彼のために週に3回デモセッション
を録音した。その中には、Status Quo が Ronnie Scott に助けを
求めたときに Ronnie Scott が提案した "Down the Dustpipe" も
含まれていた。Man は1969年に Ronnie Scott のマネージメントを離れた。


The Bystanders

 

The Flower Pot Men
25-44
The Flower Pot Men - Let's Go To San Francisco (Parts 1 & 2)
(7: UK Deram DM 142) 1967
(7: Deram 45-7513) 1967 as The Flower Pots.
その昔、私がアメリカで生活していた時に西海岸で
教えてもらった事がある、「日本からドリンクが入って
来たんだが名前がやばくて売れなかった、カルピスって言うんだが、
こっちじゃあカウピス Cow Piss(訳すと「牛のションベン」)に
聞こえるんだよ。だから今じゃあ Calpico(カルピコ)という名前に
なってるんだ」私はそれを聴いて大笑いした。酸っぱい味の
白い液体が「牛のションベン」じゃあ誰も買えんじゃろ!

で、本件シングル世界的なヒットになった名曲だが、アメリカ市場では
まったく相手にされなかった。The Flower Pot Men という名前は、
イギリスのBBC の子供向け番組「Flower Pot Men」に由来していたが
The Flower Pot Men はアメリカでは The Flower Pots として宣伝された。
何故なら The Flower Pot Men はフラワーパワーと「Pot ポット」(大麻)
を掛け合わせたサイケデリック時代の明らかな駄洒落のためだった。
因みに初めて私が「フラワー・ポット・メン」という名前を聴いた時に
花柄の容器に入ったインスタントラーメンと思った (爆)
米国ではドラッグの言及を避けるためにラジオ放送では The Flower Men
とみなされることが多かった。早い話がこのグループ名は
アメリカでは放送禁止と扱われたのだ。
しかも一部のレーベルは、(文法的に間違った) タイトルを
Lets Go To San Francisco” としている。(正しくは "Let's Go To"
にしなくてはいけない)

当時 Phil Spector と Brian Wilson が実現したカリフォルニア産の
シンフォニック・ポップ。多くのイギリス人ミュージシャンがそれに
挑戦したが、誰も自信を持ってその領域に到達できなかった。
しかし、John Carter and Ken Lewis はついにその領域に到達した。
これは Beach Boys style の見事なフラワーポップサイケである。
シングル "Let’s Go To San Francisco" の録音で歌ったのは作者の
John Carter and Ken Lewis だが、メディア出演では
Neil Landon と Pete Nelson に代わった。
Written, Produced, Arranged by John Carter, Ken Lewis.
Engineered by John Mackswith.
Neil Landon - lead vocals
Pete Nelson - lead vocals
Tony Burrows - lead vocals
Robin Shaw - lead vocals

Ged Peck - lead guitar (ex-Billie Davis & Quality)
Nick Simper - bass (ex-Billie Davis & Quality)
Billy Davidson - keyboards (ex-Freddie Mack & The Mack Sound)
Carlo Little - drums (ex-Billie Davis & Quality)

The Flower Pot Men はイギリスのセッションミュージシャン達
によって録音されたシングル "Let’s Go To San Francisco" に
合せて1967年に結成されたイギリスのポップグループで、
豊かな3部ヴォーカルハーモニーが特徴なこの歌は1967年秋に
イギリスのトップ20とヨーロッパ大陸で大ヒットした。
サイケデリックな性質を持つこの曲は、ヴォーカルと楽器で
The Beach Boys からインスピレーションを得ている。
Carter & Lewis として知られる John Carter and Ken Lewis による
イギリスのソングライターコンビはヒット曲はあったものの
プロモーションを行うグループがなかった Deram Records に
レコーディングのライセンスを供与した。
彼らはレコードのプロモーションのためにツアーに出るつもりは
なかったので、レコーディングスタジオのセッションミュージシャン
とヴォーカリストを厳選して集め、このグループを結成した。
ヴォーカリストの Tony Burrows, Neil Landon, Pete Nelson,
Robin Shaw が率いるこのバンドには、Billie Davis のバック
バンドメンバーも参加してた。またレコーディングではないものの
暫くは後の Deep Purple のメンバー Jon Lord (1968年1月に
Billy Davidson に代わってキーボードを担当) と
Nick Simper (ベースを担当) も参加していた。


The Flower Pot Men



 
25-45
The Whales - Beachcomber
(7: UK CBS 3766) 1968
イングランド中部サウス・ヨークシャー州のバーンズリー (Barnsley)
出身の彼らのデビューシングルのB面曲で素晴しいビーチポップを聴かせる。
彼らはイギリスのテレビ・ラジオタレントショーの 「Opportunity Knocks」で
受賞し、その後ブレイクする素晴らしいチャンスを与えられた。
CBSとの契約が正式に締結され、グループはデビューシングルの
プロデュースを才能あるプロデューサー Mark Wirtz と組んだ。
その結果生まれたのが本件シングルでA面 "Come Down Little Bird"
はその後コンピ「Piccadilly Sunshine」に収録され、ポップス通の間では
よく知られるようになったが、大衆向けには少々派手さに欠けていた
かもしれない。彼らは "Come Down Little Bird" をデビュー シングル
として歌いたくなかったが、CBS の方針でやむを得ずそうせざるを得なかった。
B面の "Beachcomber" はコンピにも未収録のままだが、夏の好天月に
リリースされていればもう少しヒットの期待が持てたかもしれないような
隠れた逸品だ。急降下する Paul McCartney 風のベースラインが、
完璧にブレンドされたヴォーカルハーモニー、穏やかなバックビート、
そして愛を失ったイギリスのビーチでの休暇の寂しいサウンドと出会う。
このグループが「Opportunity Knocks」で優勝したのには理由がある。
複雑で非常に力強いポップメロディーを彼らは説得力のある歌声で
届けることができたからだ。彼らは子供相手に "Teenage Opera" を
歌うようなグループになりたかった訳ではない。

Mark Wirtz は彼らに十分な曲を提供したが、ヒットしなかった。
このデビューシングル失敗の後、彼らは1969年に Four Seasons の
1966年のヒット曲 "Tell It To The Rain" のカヴァーを Mark Wirtz の
プロデュースで再挑戦し、1970年にはついに CBS から Pye に移り、
彼ららしくないレゲエ調の "Papa's Gonna Kiss It Better" をリリースした。
どちらのレコードも売れず、その後グループはレコーディングスタジオ
から姿を消し、その後16年間クラブでライヴ活動を行った後、
ついに機材を永久に片付けた。

Mark Wirtz はドイツ系フランス人のポップミュージックレコード
プロデューサー、作曲家、歌手、ミュージシャン、作家、
コメディアン。彼はドイツのストラスブール (Strasbourg) で生まれ、
ケルンで育った。1962年にイギリスに移住した Mark Wirtz は
1960年代の最も才能あるプロデューサーの1人で、彼自身も有名な
アーティストだ。60年代半ばから後半にかけて The Beatles の
エンジニアである Geoff Emerick と共にアビーロードで働き、
彼自身の "A Touch of Velvet, A Sting of Brass",
Tomorrow の "My White Bicycle", そして Keith West との非常に
影響力のある "Teenage Opera" シングルなど、その時代で最も
有名なレコードのいくつかをプロデュースした。

Mark Wirtz は1970年代にロサンゼルスに移住し、プロデュースの
仕事を続けながらソロキャリアが開花した。
彼は "Teenage Opera" と一連の好評を博したソロレコードを
完成させ、音楽キャリアを再燃させた。


Mark Wirtz
 

Turnstyle
25-46
Turnstyle - Riding A Wave
(7: UK Pye 7N 17653) 1968
ロンドン出身のバンドで彼らの唯一のリリース。
Mark Ashton (別名 Mark McVey) の 1st レコードであり
1968年11月にリリースされたUK フリークビートスタイルの
素晴しいサマーポップサイケ。後にプログレバンド Rare Bird の
創設メンバーとなる Marc Ashton によって書かれたが、
彼は当時17才の若きドラマーだった。

Mark Ashton - Vocals & drums (Pre Headstone, Rare Bird)
Mac Ashton - Guitar
Steve Bradley - Bass & lead Vocal

ラーガ調のフレーズが印象的で、かつ鋭いギター ワークを備えた
きらめくサイケデリックポップで、ヒットしなかったのが
不思議なほどキャッチーなサウンドである。
Turnstyle は彼の兄弟もラインナップに含めており、このバンドは
ハンブルクの Star Club で短期間 The Nice のサポートバンドを務めた。

このシングルのプロデュースとアレンジは、海賊 DJ の John Edward
によって行われた。John Edward は後に David Bowie として
知られるようになる David Jones とともに The Mannish Boys
のメンバーだった Johnny Flux の事である。
彼の芸能事務所は Magic Mixture, Pandemonium, Geranium Pond など、
現在 UK サイケデリックファンから高く評価されている
他のアーティストとともに、このバンドの代理も務めた。


Mark Ashton (AKA Mark McVey)
 

Vic Briggs


Mike Rubini
25-47
The Surf Symphony -
Night Of The Lions / That Bluebird Of Summer
(7: Capitol P-2623 Promo only) 1969
(LP: Capitol ST-329) 1969
Tracks from their album "Song Of Summer"
本件は Summer Of Love に感化されたイギリス人ギタリスト
Vic Briggs が Capitol と契約し The Wrecking Crew の
一流セッションミュージシャンを使って制作した
稀有なプロジェクト作品である。A面は Mark Eric のカヴァーで
B面は M. Marquette (Mike Rubini の変名) によるオリジナル曲
なのだが、The Beach Boys の Pet Sounds の影響下で
制作された素晴しいシンフォニックポップ。
それはまるで Pet Sounds のアルバムに収録予定だった
曲のセッションを聴いているような出来の良さだ。

Summer Of Love とは1967年夏にアメリカ合衆国を中心に
巻き起こったヒッピーが主導したカウンターカルチャーで
文化的、政治的な主張を伴う社会現象。
音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治的
意思表示に大きな影響を与えた。

Vic Briggs は若い頃はイギリスの Hampton Grammar School
に通っており、同級生には後に The Yardbirds のメンバー
となる Paul Samwell-Smith と Jim McCarty、後に Queen
のメンバーとなる Brian May などがいた。
1961年、16歳のとき Vic Briggs は有名なイギリスのセッション
ギタリスト Big Jim Sullivan と出会い、彼がギターの指導者
となった。Big Jim Sullivan を通じて Vic Briggs は The Echoes
のメンバーを紹介された。彼は最終的に1961年に3週間この
バンドに参加し、プロのミュージシャンとして最初の仕事を
行った後、学校に戻った。1962年の夏に彼は Peter Nelson and
The Travelers というバンドで演奏していた。このバンドの
メンバーは後に The Flower Pot Men や White Plains を結成
するドラマーの Mitch Mitchell が参加していた。
Vic Briggs はその後 The Echoes に戻り、このバンドは最終的に
Dusty Springfield のバックバンドになりツアーを行った。

この時期に Vic Briggs はキーボード奏者の Brian Auger と
親しくなった。1965年後半、プロデューサー兼マネージャーの
Giorgio Gomelsky の勧めで Brian Auger が Long John Baldry
とともに Steampacket を共同設立したとき、Brian Auger は
Vic Briggs に加入を依頼した。このバンドは正式にスタジオ
アルバムやライブアルバムを録音することはなかった。
デモ録音はヴォーカルの Rod Stewart の後の成功を受けて、
1972年から複数のバージョンでリリースされた。
その後バンドは Brian Auger's Trinity として継続し、当初は
フランスを拠点とし Johnny Hallyday の作品をサポートした。

1966年9月 Vic Briggs は Jimi Hendrix と出会った。
Jimi Hendrix がイギリスに到着して間もない頃だった。
The Animals のベース奏者、音楽プロデューサー、そして
後に Jimi Hendrix のマネージャーとなる Chas Chandler が
Brian Auger への提案と要請により、Jimi Hendrix はロンドン
の The Scotch of St. James club で、Vic Briggs を含む
Brian Auger's Trinity の同席者として出演した。
これは Jimi Hendrix のイギリスでの初の公の公演の一つで
あった。Eric Burdon のマネージャーで、Chas Chandler と
共に Jimi Hendrix の共同マネージャーを務めていた
Mike Jeffery はその公演で Vic Briggs に近づき Eric Burdon
の新しいバンドへの参加を申し出た。Vic Briggs はそれを
承諾し Eric Burdon & The Animals のギタリストになり
1967年の彼らのヒット曲 "San Franciscan Nights" を書き
Monterey Pop Festival にも参加した。

Mark Eric はそんなイギリスのトップミュージシャンの
Vic Briggs に出会う。イギリスで The Animals,
Brian Auger や Zoot Money のアルバムにも参加していた
腕利きのギタリストの Vic Briggs は Summer Of Love
の影響を受けて California に移住していた。
Mark Eric の持っていた曲に興味を持った Vic Briggs は
コンセプトを話し合い Mark Eric のアルバムではギターと
アレンジャーで参加した。この二人はアルバム製作時期には
既にサーフ系のヒッピーコミューンに出入りしていたようで
例えばハワイに移住するマウイなんかのヒッピーコミューン
とも接触があった。Merrell Fankhauser (MU) なんかが
やってた After The Surf Era のヒッピーコミューンと考えれば
解り易いだろう。Surfin' イコール Hippie はあの時代の若者の
メンタリティーを共有してる。Vic Briggs と Mark Eric は
この時期 Summer Of Love のヒッピーカルチャーに
どっぷりと浸かっていた。The Bonniwell Music Machine の
アルバムで1曲リードヴォーカルをとった事もある
Vic Briggs は California で Summer Of Love を満喫していた
イギリス人ミュージシャンの一人だった。彼は当時ヒッピー系
ミュージシャン達が集まっていた Topanga Canyon に家を購入
して1969年5月に Capitol Records のスタッフプロデューサー
兼アレンジャーになり、カルトなステイタスを得た。

その間 Mark Eric のアルバムは完成させられたのだが、
"Night Of The Lions" の作者の Mark Malmborg とは
Mark Eric の本名の Mark Eric Malmborg の事だ。
Mark Eric のアルバムの同年に Vic Briggs と Mike Rubini
(Zoot Money のセッションで Vic Briggs と意気投合した
Liberty / Capitol 系の名キーボード奏者) が発案した
コンセプトアルバムに Mark Eric が書いた数曲を持ち込んで
傑作アルバム The Surf Symphony - Song Of Summer
(Capitol ST-329) を完成させたのだ。しかしそこでは Mark Eric
の書いた "Where Do The Girls Of The Summer Go" を
"Sandcastles At Sunset" とタイトルを変えて、しかもライター
クレジットをイギリスの BBC Symphony Orchestra の
Paul Harvey に変えて発表した。
これが Mark Eric を憤慨させた理由なのだが、アルバムの
作りはとてもクリエイティブで、所謂 Pet Sounds の影響下で
モロ制作されたサーフシンフォニーアルバムなのだ。
Mike Rubini (Michel Rubini 1942年12月3日生まれ)は、
アメリカのミュージシャン、指揮者、編曲家、プロデューサー、
作詞家、作曲家で幼少期からプロのクラシックピアニスト
として活動し、1960年代から70年代にかけては
The Wrecking Crew の一員でセッションミュージシャン
として活躍し Ray Charles, Frank Zappa, Sonny and Cher,
Barbra Streisand.などのアーティストと共演した。
また彼は Motown Records のプロデューサー、指揮者、編曲家
で1960年代から70年代にかけては、ロサンゼルスで最も
人気のセッションプレイヤーの1人だった。
Curt Boettcher のプロジェクト Your Gang, The Ballroom,
The Millennium の演奏パートを請け負ったギタリストの
Mike Deasy, Ben Benay らも参加。
Phil Spector や The Beach Boys, The Hondells 他の
レコーディングでベースを担当した Ray Pohlman と Lyle Ritz
("Good Vibrations" のベースも彼ら) といった Wrecking Crew
のメンバーが参加してるのだから当然ながら意図的に Pet Sounds
を狙ったサウンドになってる。
Arranged & Produced by Mike Rubini & Vic Briggs.
Conducted by Jan Rubini.
Engineered by Jack E. Hunt.
Concertmaster ? James Getzoff.
Mike Deasy, Ben Benay, Vic Briggs (Guitars)
Ray Pohlman, Lyle Ritz (Bass)
Mike Rubini, John Myles (Keyboards)
Jim Horn, Jules Jacob (Woodwinds)
Gary Coleman (Percussion)
Jim Gordon (Drums)
Lou McCreary, Lou Hyde (Trombones)
Virgil Evans, Oliver Mitchell (Trumpets)
Anne Goodman, Frederick Seykora, Jesse Ehrlich,
Raymond Kelley (Cello)
Arthur Maebe, George Price, Henry Sigismonti, Richard Perissi,
Vincent Da Rosa, William Hinshaw (French Horn)
Gail Laughton (Harp)
Gareth Nuttycombe, Joseph Di Fiore, Louis Kievman,
Samuel Boghossian (Viola)
Arnold Belnick, Assa Drori, Darrel Terwilliger, Herman Clebanoff,
John De Voogdt, Leonard Malarsky, Lou Klass, Lou Raderman,
Marshall Sosson, Michael Nutt, Nathan Ross (Violin)

しかし Capitol もやる事が汚い、本家 The Beach Boys の
アルバム Pet Sounds を評価出来なかったのにも関わらず、
裏ではサーフシンフォニーのコンセプトアルバムを製作して
いるのだ。早い話が Capitol は Pet Sounds で Brian Wilson
が手掛けたサウンドが当時最もヒップで最先端であった事を
認めざるを得なかったという事だ。しかもこのアルバムでは
Beach Boys の "Warmth Of The Sun" のカヴァーを収録した。
(って言うか The Beach Boys のカヴァー曲集めを若い頃から
してた私は研究そのものが超マニアックと言えよう 笑)
Mark Eric の曲と The Beach Boys の曲が同居したアルバム
が Capitol からリリースされている事に呆れてしまうよね。
こりゃあ Surfin' & Hot Rod 研究家もチェケラーッ (死語)
話を元に戻して Mark Eric (Mark Malmborg) はその後
モデルやテレビ俳優としての仕事が多くなり Hawaii Five-O
(ハワイが好きね〜), Partridge Family なんかに出演したりと
モテモテ (死語?) になる。Vic Briggs はというと、その後
ハワイに移住して Antion Meredith と改名し平和なヒッピー
生活を送っていた。

ラスト・スリル / 夏の日の恋
The Last Thrill / Theme From 'A Summer Place'
(Capitol CR-2743 Promo only) で日本盤シングルも
プレスされてるので一応掲載しとく。




Mark Eric
 
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