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Vol. 23 01 Tico And The Triumphs - Motorcycle
02 Miss Frankie Nolan - (I Wish It Were) Summer All Year Round
03 Jan Barry (Jan Berry) - My Midsummer Night's Dream
04 The Wonders - Summer Love
05 The Dee Jayes - Bongo Beach Party
06 Freddie Beach - Little Red Sports Car
07 Michael Dominico - Born To Wander
The Moon Surfers - Surfin' On The Moon
08 Jimmy Griffin - Summer Holiday
09 Kirby St. Romain - Summer's Comin'
10 Gary Usher & The Usherettes - Three Surfer Boys
11 The Tri-Tones - Surf-A-Nova
12 Jeff And The Gino's - One Summer In A Million
13 The Chordials - I Wish It Were Summer
14 The Freewheelers - Beach Boy
15 The Tokens - Dirt Track Twister / My Friend's Car
16 Joey And The Flips - The Beachcomber
17 The Brookfields - Girls Look Better In The Summertime
18 Ron Winters - Red MG / How Can You Kiss In A Sports Car?
19 Jimmie Knight With Buddy Starr & The Starliners -
Crankshaft Sid 20 Andy Rose And The Thorns - Hey Scooter
21 Tony Conigliaro - Little Red Scooter (Putt Putt)
22 The Don Riddell Four - Girl Of My Best Friend
23 Tony Troy - Dancin' On The Sand
24 The Seniors - No Surfin' 'Round Here
25 Scotty McKay - Waikiki Beach
26 The Teachers - Summer's Over
27 The Del Satins - My Candy Apple Vette
28 Steve Wilson - Out L.A. Way
29 The Fraternity Men - Little Star / Lynnie
30 The Fraternity Brothers - Big Town / Sad Little Boy
31 The Toronados - Hey! Baby
32 The Four Preps - The Girl In The Shade Of A Striped Umbrella
33 Milo Liggett - Cindy, Oh Cindy
34 The Blackwell Manner - Watermelon Summer
35 Steve Leeds - Midsummer's Night
36 The Stephen Crane Village - Hey Summer
37 Jack Gold Sound - Summer Symphony
38 Front Porch - Wonderful Summer
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Vol.23
Teen, Teener, Vocal section
Other stuff with beach pop, summer pop etc |
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Tico And The Triumphs |
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23-01
Tico And The Triumphs - Motorcycle / I Don't Believe Them
(7: Madison Records M169) Oct 1961
(7: Amy 835) Nov 1961
Jerry Landis こと後の Paul Simon が Tico こと
Marty Cooper (Shacklefords / The Inconceivables) に変わって
リードを務めた Bike tune の名作。
Tico & the Triumphs members :
Marty Cooper, Howie Beck, Mickey Borack, Gail Lynn,
Jerry Landis (Paul Simon, later of Simon & Garfunkel)
1961年10月に Madison Records からリリースされたマスターを
Amy が買い取って再リリースした。
Amy 835 は Milwauke で最初に火が付いて1962年1月20日に
Chicago WLS 36位、Billboard で99位となった。 Kim Fowley の1969年のサイケアルバム "Good Clean Fun"
に収録された Motorcycle アヴァンギャルドなカヴァーヴァージョンも
興味があれば聴くあるヨロシ。
ほんで、このオリジナル曲の背景やレヴューを書くには本一冊分の
文字が必要となるので短文で書く。
この曲がなければ、名曲 The Crestones - She's a Bad Motorcycle
のウンパパコーラスは生れてこない!!
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The Four Seasons |
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23-02 Miss Frankie Nolan -
(I Wish It Were) Summer All Year Round
(7: ABC-Paramount 10231) 1961
Miss Frankie Nolan と名乗ってるが実は Frankie Valli が
裏声で歌ってる The Four Seasons 作品なのだ。
たちが悪い事に、このシングルの一部にはアンブレラを持った
女性の写真を掲載したプロモーションシートと一緒に配布
されており、ジョークもここまでくればインチキになりかねない。
しかし素晴らしいサマーポップの隠れた逸品である。
もろちん、否もちろん、作曲プロデュース共に Bob Crewe
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Jan Berry |
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23-03
Jan Barry (Jan Berry) - My Midsummer Night's Dream
(7: Ripple 6101) 1961 Jan Barry とクレジットされてるが Jan & Dean の Jan Berry の
ファースト・ソロである。当時20歳で、前年の1960年に Dore
から Jan & Dean の 1st Album "The Jan & Dean Sound" を
リリースしたばかりのティーンポップ時代である。
Jan & Dean が Liberty と契約する前なので当然まだ Surfin' を
題材としたテーマミュージックには着手していない。
ムーヴメント前夜のピュアーな作品だが、やはり西海岸の
若者、本件B面で "Summer" を題材にロマンティックな
ティーンポップを歌っており1961年2月にリリースされた。
Jan Berry-Don Altfeld の書いた作品だが、この曲はアレンジを
変えて Lou Adler がプロデュースをし1961年6月に Jan & Dean
名義でもリリースしている。その際 "Heart And Soul" のB面として
Challenge 9111 でシングルリリースしたのだが、このナンバーで
当初は "Those Words" をB面にしてリリースしていた。
そちらは White Label Promo も存在するのだが、
"My Midsummer Night's Dream" をB面にしてリリースした
シングルには Promo copy がない。恐らく Lou Adler が両A面
扱いで Jan Berry のリード色を強くした "Those Words" を
リリースしたが、市場の反応が弱かったのだろうか、急遽
Jan & Dean で録音させたデュエット色の強いアレンジの
"My Midsummer Night's Dream" をプレスしてリリースしたのだろう。
のどかな時代のたかがサマーポップであるのだが、1960年代初頭
Lou Adler のプロデューサーとしての感性は鋭かった事が伺える。
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The Wonders |
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23-04 The Wonders - I Wonder / Summer Love
(7: Chesapeake 604) 1961
(7: Chesapeake 616) 1966
名曲の裏面にサマーポップあり。Philadelphia 出身のヴォーカルグループ
で彼らは名曲 "I Wonder" を The Fantasys として
The American Bandstand studio で録音していた。
彼らは一緒に育ち近所に住んでいた幼馴染で、結局 The Fantasys に
よるオリジナルのレコーディングはリリースされなかったが、
1961年に The Fantasys の3人のメンバーが新録音した曲を
別のレコードレーベルである Chesapeake からリリースした。
その際彼らは自らを The Wonders と呼んだ。
元々オリジナルヴァージョンは楽器演奏のないアカペラだったが
この新録音は、彼らがフィラデルフィアのカーティス音楽学校に
通っている間、グループの親戚の1人と一緒に滞在していた
2人のレバノン移民をストリングスの演奏に採用することにより、
美しいバラードに仕上げた。これらのバイオリン奏者は両方とも
後に米国の全国的に有名なオーケストラで卓越したキャリアを積んた。
The Wonders members are
Richard Schmidt (Lead)
Arum (Aran) Boornazian (Tenor)
Charles Berberian (Bass)
Ben Asero (Tenor)
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The Marketts (AKA The Routers = The Dee Jayes) |
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23-05
The Dee Jayes -
Bongo Beach Party / Mr. Bongo Man
(7: Highland Records 1031) 1962 Round Robin や Sloan-Barri の The Wildcats でもお馴染みの
Dance tune を全米に売り込むべく設立された
Sepe/Brooks Productions の初期シングル。
Michael Z. Gordon (Michael Zane Gordon = Mike Gordon) 本人曰く
「これは The Marketts である。1958年に Sound City Recording Studio
で録音され、上手に歌えなかった人もいるけど、それはすべて楽しかった。
1962年にリリースされて西海岸でかなりの量のレコードが売れて
北カリフォルニアのラジオチャートで Top 20 に入った。
これは The Beach Boys より前にラジオで聴くことができた
真の意味で最初の Surf Record だった。
The Dee Jayes は Michael Z. Gordon と The Routers に加えて
Ron Goldstein が歌うベースヴォーカルだった。
このグループは The Du-Kanes や Mike Gordon and the Agates
としても演奏した。実際にレコーディングで歌ったのはこれが初めてで、
お察しのとおり、我々はヴォーカルグループとして勝つつもりはなかった」
との事だ。
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The Routers (AKA The Marketts = The Dee Jayes)
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Michael Z. Gordon |
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23-06 Freddie Beach - Little Red Sports Car
(7: Summit Records 222) 1962
(7: Summit Records 229) 1964
1960s label from Alabama.
Nice teen pop in sports car theme who aged 19.
Written by Freddie Beach.
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Howell Recording Studio Acetate |
23-07
Michael Dominico - Born To Wander
The Moon Surfers - Surfin' On The Moon
(7: Genius Records 45-2101) 1963
1961年に Per-Sona PSR-11-61 でデビューし、1962年に優れた
teen pop single (Gone 5123) をリリースした Michael Dominico の
残したレア盤。Michael Dominico という名前からしてイタリアン
なのだが、彼は元々 Dizzy Gillespie らのトランペッターとしても
知られるイタリア系ミュージシャン&プロデューサーの Joe Cain の
プロデュースでデビューをしてた。セカンドシングルの Gone 5123 も
Joe Cain のプロデュースだったので、そこから Bob Crewe に
橋渡しされたのだろう。本件では1964年に The Four Seasons も
カヴァーした The Rhode Islanders の名曲 "Born To Wander"
(Warner Bros.5280 in 1962) を歌っている。"Born To Wander"
の作者 Allan Al Peterson だが、この人は当時 Rhode Island School
でデザインを学んでいた学生で、このグループ名The Rhode Islanders
はそこから来た。現在はフロリダとオレゴンに住んでいる
ビジュアルアーティスト兼詩人である。
で本件リリースに関して、時系列に並べると解りやすい。
The Rhode Islanders 唯一のリリースシングル
Born To Wander / Searching Wind が1962年6月16日にリリースされ
Bob Crewe がプロデュースをし、Charlie Calello がアレンジを担当した。
Bob Crewe はこれを気に入り、Joe Cain から紹介された
Michael Dominico で本件を1963年にリリースしたのだろう。
それは1964年に The Four Seasons でリリースしたかったからだ。
結局これら3者の "Born To Wander" は全てが Bob Crewe が
プロデュースをし、Charlie Calello がアレンジを担当している。
本件B面も Bob Crewe-Charlie Calello が書いたダンスチューンで
この Genius Records は Larry Lee - Stood Up / Little Lana
(Genius Records 45-2100) Produced by Bob Crewe で始まり
本件 Genius Records 45-2101 の2枚を1963年にリリースし
閉鎖してるので、Bob Crewe の節税レーベルだった事が解る。
ラベルのカタログナンバー 45-2101 と 45-2101-V の2種類あり。
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Charlie Calello |
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Jimmy Griffin |
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23-08
Jimmy Griffin - Summer Holiday
(7: Reprise Records R-20,178) 1963
後に Bread のメンバーになる Jimmy Griffin の初期シングルで
Cliff Richard And The Shadows の名曲のカバーだ。
プロデュースは自身もロカビリーシンガーだった Jimmy Bowen で
アレンジ&コンダクトは Jack Nitzsche が担当した。この時期の
二人のコラボといえば Jack Nitzsche - The Lonely Surfer
が有名だが、歌モノではやはり1963年に Reprise で
Johnny Burnette の弟で Johnny Burnette Trio の一員である
Dorsey Burnette の"Where's The Girl" がマニア人気が高い。
この二人のコラボは1967年の Gail Martin - (How Could I Love
Anyone) After Loving You でピリオドを打つのだが、その間
Jack Nitzsche は Phil Spector によって束縛されていたので、
Jack Nitzsche の純粋な作業を楽しむならローカルレーベル
以外では Reprise での1963年ワークスに限られてくる。
Jimmy Griffin は1966年に The Marketts の Michael Z. Gordon
とソングライターコンビを結成するが、デビュー時はアイドル系
ティーンポップシンガー扱いだった。デビューシングルは1962年9月に
リリースした Reprise R,20-114 だがプロデュースは Nick Venet
の兄弟の Steve Venet が担当した。実は先に記述した
Dorsey Burnette が Jimmy Griffin のデビューに関わっている。
オハイオ州シンシナティ出身の Jimmy Griffin はその後南部に
引越し、彼はメンフィスのキングスベリー高校に通った。
Dorsey & Johnny Burnette は彼の隣人であり憧れの存在だった。
Burnette 兄弟が音楽キャリアを進めるためにカリフォルニア州
ロサンゼルスに引っ越した後、Jimmy Griffin は彼らを訪ねるために
そこに行き、Reprise Records とのレコーディング契約に至った。
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Jack Nitzsche |
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Kirby St. Romain |
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23-09
Kirby St. Romain - Summer's Comin'
(7: Inette 103) 1963
ラベル画像1番上のプロモ盤が1963年5月に配布され
その他は1963年6月にリリースされている。
Kirby St. Romain は Louisiana 州出身で本件当時は
The Shut Downs (Dimension / Karsong) のギタリストだった。
The Shut Downs と言えばアップテンポのホットロッドインストを
聴かせるグループで、彼は Buddy & The Hearts (Landa Records 701)
名義でもアップテンポのロッカーチューンをリリースしてるので
本件彼のソロシングルでもと思われがちだが、意外や
ほのぼのサマーポップである。
The Shut Downs は元 Gene Vincent & His Blue Caps のメンバー
だった Texas 出身のロカビリーミュージシャン Max K. Lipscomb
(芸名 Scotty McKay) と組んでいたグループで、本件シングルも
Scotty McKay-Kirby St. Romain で書いているので、演奏も
The Shut Downs と考えるべきだろう。
Kirby St. Romain は変った経歴を持っており、その後
Stand-up comedian クラブで観衆の目前で演じるコメディ
(即興話芸)をする芸人となって成功した。
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Gary Usher
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The Honeys |
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23-10
Gary Usher & The Usherettes - Three Surfer Boys
(7: Dot Records 45-16518) 1963
1963年7月に Gary Usher and The Usherettes 名義で
Three Surfer Boys / Milky Way (Dot 16518) がリリースされた。
本件シングルはセールス面では全くの失敗に終わったレコード
だが、The Usherettes と記載されたバックの女声コーラス
グループは The Honeys の事でレアなうえに人気も高い。
A面は G.Usher-R.Christian-T.Cost の共作で
(Gary Usher-Roger Christian-Tony Cost)
Tony Cost とは Nick Venet の変名である。
当初は Annette らの Beach Movie の為に書かれていたようだ。
A面のAメロを The Honeys が歌いBメロからリードが
Gary Usher に変わるアップテンポの曲。
プロデュースも Gary Usher が担当した。
1962年後半、Nick Venet は Gary Usher に「映画音楽の製作に
興味ないかい?」と打診してきた。Gary Usher は「もちろん
興味あるよ!」と喜んで答えている。その後 Nick Venet は
Gary Usherに American International Pictures の
Al Simms を紹介している。因みに Nick Venetと Al Simms は
1959年公開の映画 "Ghost Of Dragstrip Hollow" にインスト曲を
挿入した時からの付き合いでNick Venet はプロデュースを担当した。
この映画はモンスターコメディーのカルトムーヴィーで、映画でも
使用されたインスト曲は The Renegades 名義でシングルカット
されている。このグループは俳優志望だった若き Kim Fowley,
Bruce Johnston, Sandy Nelson の3人を母体とし Nick Venet と
Richard Podolor が参加している。
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23-11
The Tri-Tones - Surf-A-Nova
(7: Twilight Records 406) 1963
California 州ベイエリアにある主要都市 San Jose
出身のグループ。昨今ではハイテク産業の集積地、
シリコンバレーが有名だが、街自体は新興の地ではなく
古いダウンタウンで、60s ファンなら The Chocolate Watchband,
The Count Five, The Syndicate of Sound が同地の出身なので、
当時どれだけ活気があったのか容易に察しができるだろう。
そんなベイエリアで Garage band scene が熱くなる前夜の
1963年にヴォーカルグループによってリリースされたのが本件だ。
全米に幾つかの同名グループ The Tri-Tones が存在するが
彼らは3人兄弟で結成されたグループで、リードシンガーの
Betty Jo Fryer は当時18か19歳のガールシンガー。
3人のトーンで The Tri-Tones という意味である。
AKA Betty & The Boys.
Betty Jo Fryer - Lead vocal
Tony Fryer - Bass
Eric Fryer - Drums
A面は同じレーベルメイトの Jimmy Rivers Band のメンバー
Billy Lane が書いた当時人気の Bossa Nova ソングで、
当時西海岸の若者の間で流行していた Surfin' をテーマに歌っている。
Calypso 系ヴォーカルグループやハワイアンサーフィンバンド等の
エキゾチック&トロピカルサウンドはリゾートソングとして
分類出来るが、このシングルはワイルドスポーツを歌ってるのだが
観光地のホノボノ遊興としてのビーチソングと化してるのがが面白い。
リードシンガーの Betty Jo Fryer の息子さんが母から聞いた話として
教えてくれたが彼女は50年代のリメイクをやりたかったのが、
当時サーフミュージックが流行っていたのでレコード会社が
彼らにこのスタイルをやらせたらしい。
因みにB面作者として Clara Thompson 女史がクレジットされてるが、
この人は Syndicate Of Sound のプロデューサーとなる Garrie Thompson
と Hush Records を設立し R&B singer の Joe Simon を見出した。
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Jeff And The Gino's |
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23-12
Jeff And The Gino's - One Summer In A Million
(7: Mercury 72138) 1963
Double Shot Records, Sure Shot, Whiz Records のオーナーで
プロデューサー、パブリッシャーでもある Joseph Hooven の
息子の Jeffrey Hooven をフロントに立てたシングルオンリーの
ユニットだがサウンド的には美しいガールポップスタイルだ。
それは3人姉妹の Girl Pop Group The "G" Notes こと The Ginos
から幼い末娘 Coleen Gino を除いた Linda Gino (17歳),
Nancy Gino (15歳)の二人が参加してるからだ。
以前 Linda Gino 本人からメッセージを頂いた
I can’t tell you how strange and delightful it feels to listen
to myself singing with my sister Nancy and our partner Jeff,
over sixty years ago! 「60年以上も前に、姉のナンシーとパートナーのジェフと一緒に
歌っていた自分の声を聞くと、言葉では言い表せないほど
奇妙で楽しい気持ちになります!」
因みに The Ginos (The Gino Sisters) は後の The Walker Brothers
の Scott Walker = Scott Engel と結成していたユニットだった。
彼女達姉妹の父親である Sam Gino (Hart Records, Pongo-Britt
といったマイナーレーベルのオーナー) がスタジオ運営をしていて
若き日の Scott Engel (Scott Walker) がそこに出入りしてた。
The "G" Notes はスーパーセッションシンガーで多くの
Girl Pop Group を変名リリースしていた Rickie Page に見出されて、
Rickie Page が書いた "Johnny, Johnny, Johnny" (Guyden Records 2012)
を1959年にリリースした事があり、その際 Rickie Page は友人の
Eddie Cochran に声をかけて彼がギター演奏をした。
(曲を気に入った Eddie Cochran は "Jeanie, Jeanie, Jeanie" と
タイトルを替えて自らもリリースした)
話を本件に戻して、曲を書いた息子の Jeff をサポートしようと
父の Joseph Hooven と父のパートナーの Hal Winn が製作した
このシングル、悪い訳がなく素晴らしい Summer ballad に仕上げてる。
因みに Joseph Hooven と Linda Gino and Nancy Gino はその後
7人の大所帯バンド The Youngfolk (United Artists / Double Shot)
に参加した。
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23-13
The Chordials - I Wish It Were Summer
(7: Bigtop 45-513) 1964
このシングル1枚しかリリースしていないグループだが
この歌いっぷりを聴くと変名もしくはグループメンバーの
キャリアーの遍歴まで想像できる。
この曲は翌年 The Tempos がカヴァーしてリリースしてるが
(Ascot Records AS 2173) そちらはアレンジが Charlie Calello で
プロデュースが Jack Gold だった。Jack Gold は
“See You In September”のオリジナルヒットを持ってるので
The Tempos のヴァージョンもそんなロマンティックスタイルだった。
The Chordials は Twang guitar を配してミッドテンポで
歌っており、それが爽快なヴォーカルスタイルとして耳に届く。
作者のソングライター Bill Giant, Bernie Baum, Florence Kaye
は Elvis Presley の一連のヒット曲を書いた Songwriting team である。
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Bill Giant
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Bernie Baum
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Florence Kaye |
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The Freewheelers |
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23-14
The Freewheelers - Beach Boy
(7: Epic 5-9725) 1964.
Massachusetts 州は Boston 出身の Folk vocal group が残した
美しいサマーバラードの名曲。
Folk vocal group 特有の Summer's over 終わった夏を
振り返る、懐古的なサマーソングでエコーを効かせた
素晴らしいヴォーカルとコーラスワークが心地よい。
エンディングで聴かせる口笛も素晴らしい。
プロデュースを担当した Bob Morgan は50年代後半から
1966年末まで Epic と Okeh のA&Rディレクターを務めた。
彼は多くのアーティストを発掘および録音した事でも有名で
The Dave Clark Five, The Yardbirds, The Brothers Four,
The Clancy Brothers & Tommy Makem, Damita Jo, Enzo Stuarti
も含まれる。
Bob Morgan は Bobby Vinton の Epic での全てのヒット曲を
プロデュースし、George Maharis, Jerry Vale, Bobby Hackett,
Jimmy Dean, Cliff Richard, Godfrey Cambridge, Buddy Greco らの
シングルやアルバム制作を行った。Bob Morgan は1966年末に
A&R オペレーションのディレクターとして MGM Records に入社、
1969年には Command/Probe Records の A&R プロデューサーに
任命された。1970年には Sound Exchange Studio の副社長兼
ゼネラルマネージャーを務め、エンジニアとしても働いた。
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Bob Morgan |
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The Tokens |
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23-15
The Tokens - Dirt Track Twister
The Tokens - My Friend's Car
Tracks grom their album The Tokens - Wheels
(LP: RCA Victor LPM-2886 mono / LSP-2886 stereo) 1964
言うまでも無く名グループによる名アルバムからの
名曲を追加したまで。
Written by Margo, Margo, Medress & Siegel.
Produced by Hugo & Luigi.
Arranged and Conducted by Artie Butler.
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Joey And The Flips |
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23-16
Joey And The Flips - The Beachcomber / Fool, Fool, Fool
(7: Cameo 327) 1964
Philadelphia 出身のヴォーカルグループ。
彼らは Little Joey And The Flips としても知られる
Vocal quintet で、1960 年代初頭に結成された。
Joseph Hall (Joey Hall = Little Joey), James Meagher,
John Smith, Jeff Leonard, and Fred Gerace.
Bongo による Beach Dance ブーム真っ只中の1962年に
Little Joey And The Flips 名義でリリースした "Bongo Stomp" (Joy 262)
が1962年6月16日をピークに全米33位のスマッシュヒットとなった。
彼らは所謂ワンヒットワンダーだが、その流れでリリースした
本件A面は Philadelphia sound の草分け
Jerry Ross, Kenny Gamble, Dave Appell の3人で書かれた
ビーチポップダンサーだ。
1959年に Twist が流行すると世界中でダンスブームは加熱した。
the Swim, the Jerk, the Pony, the Watusi, the Mashed Potato,
the Bird, the Dog, the Shake, the Hitch hike, the Monkey,
the Chicken 等、次々と新しいダンススタイルが確立されていく。
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されるまで
アメリカ市場はダンスブームは続くのだが、そのダンスブーム
で隆盛を誇ったのが Cameo と Parkway (後に統合されて
Cameo Parkway となる) であり、ダンスブームの牽引車として
Beach Dance にも介入したが、ケネディ大統領の暗殺によって
1964年は市場の自粛に伴い、ダンスチューンは黙殺された。
で、B面に素晴らしいヴォーカルチューンを収録してるが
この "Fool, Fool, Fool" というタイトルに反応した人は
ソウルマニアだ。The Main Ingredient の1972年名作
"Everybody Plays The Fool" (Aaron Neville も1991年に
リヴァイヴァルさせた) で "Fool" という言葉を使って
自虐ソングを名曲路線へと仕掛けた Rudy Clark が
作者クレジットされている。この手の自虐ソングコレクター
の話をすると脱線してしまうのでこの "Fool, Fool, Fool" と
Rudy Clark の偉業を簡単に記す。
この歌は最初のリリースがアメリカンフットボールの黒人スターの
Rosey Grier こと Roosevelt Grier が1964年4月にシングル
RIC S102-64 でリリースした。それは Bobby Darin がプロデュースで
Jack Nitzsche がアレンジャーだったのだが、本件 Joey And The Flips
のヴァージョンが1964年6月にリリースされたので、ほぼ競作と
言っていいだろう。
この佳曲は翌年1965年にオーストラリアのビートバンド
Ray Brown And The Whispers がカヴァーして同地でヒットした。
Rudy Clark はそもそも Bobby Darin の仲間であり、Bobby Darin は
Trio Music という出版会社を所有して "Fool, Fool, Fool" を管理した。
勘違いされやすいが同じ Rudy Clark が書いて1966年に
Peggy March がリリースし、Barbara Lewis がカヴァーした
"Fool, Fool, Fool (Look In The Mirror)" と本件 "Fool, Fool, Fool"
は同名違曲である。
その Rudy Clark の書いた曲で代表的な名曲は
Betty Everett - The Shoop Shoop Song (It's In His Kiss)
The Olympics, The Young Rascals - Good Lovin'
James Ray - I've Got My Mind Set On You
(George Harrison の "Got My Mind Set On You" の原曲)
と挙げれば切がない。
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Jerry Ross
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Rudy Clark |
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Cirino And The Bowties |
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23-17
The Brookfields - Girls Look Better In The Summertime
(7: Ember E-1098) 1964
イタロ系ホワイトヴォーカルグループが残したサマーポップの名曲。
Brill Building のソングライター Eddie Deane が
"Ever Since I Can Remember" でも知られる Cirino And The Bowties
のリーダー Cirino Colacrai 事 Del Serino と一緒に書いた曲。
恐らく The Brookfields は Cirino And The Bowties の変名だと
思われるのだが、プロデューサーで作者の Eddie Deane は、
やはり Tin Pan Alley 系ソングライターで Elvis Presley に多くの曲を
提供した Ben Weisman とも幾つか共作してた。
そういった背景を読み解くと本件、内容が悪い訳もなく、
隠れた名曲という表現が相応しいだろう。
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Ron Winters |
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23-18
Ron Winters - Red MG / How Can You Kiss In A Sports Car?
(7: Dimension D-1033 Promo) 1964
3-10 Ron Winters - Big Black Bike を参照されたし。
これを歌った時 Ron Winters は 19-20歳だが
業界ではベテランとしての大きな立ち居地を持っていた。
Bob Feldman, Jerry Goldstein and Richard Gottehrer の
F.G.G. Productions の正統的なプロダクトである。
Ron Winters は 1945年4月1日に New Jersey 州
Paterson で生まれ、本名を Ronald C Striano と
いうイタリア系シンガー兼ミュージシャン、実業家だ。
イタリア人の移民の両親を持ち、彼の大家族には多くの
ミュージカルアーティストやメディアアーティストがいた。
パフォーマー、ライター、レコードプロデューサー、
業界のエグゼクティブで Dicky Doo & The Don'ts の
メンバー Gerry Granahan によって1957年、12歳の
ときに Ron Striano はスカウトされた。
当時 Gerry Granahan は新しい音楽業界のベンチャー
である Caprice Records を運営していた。
Gerry Granahan の伝記によると「3回のリリースの
過程で、Gerry Granahan はチームの残りのメンバー
を集め、Caprice Records に運営人のトップを迎え入れ
ました。配給を担当する Canadian-American Records
の Neil Gallagen もそこに含まれていました。
アレンジャーには、長年の協力者である Arnie Goland
とA&R部門を率いる Hutch Davie がいました。
社内バンドを率いてスタジオ・ミュージシャンの請負業者
を務める Ron Striano という若いギタリストを連れて
きたとき、すぐにレーベルスタッフ達に Ron Striano が
かけがえのない存在であることが証明されました。
Ron Striano の同級生の歌手兼ソングライターの
Rose Marie Cassili という若い女性。彼女に芸名
Janie Grant を与え、Gerry Granahan は彼女の
オリジナル曲の1つ "Triangle" で1961年3月27位
をピークに全米29位に到達したレーベルの最初の
ヒットを生み出しました。レーベルのために物事はすぐに
雪だるま式になり始めました。Ron Striano は次に
New Jersey の女性ヴォーカルトリオ The Starlets を
発掘しました。彼女らが The Angels と変名して
リリースした "'Til" (1961年10月16日ピーク14位)
と "Cry Baby Cry" (1962年2月17日ピーク38位)
のレコーディングはレーベルの最大のヒット曲の2つ
であり、これまでに録音されたガールグループサウンド
の最高の例の2つと見なされています。」
スタジオ・ミュージシャンを続けていた1961年、
Ron Striano は15歳の時に Cameo-Parkway Records
のオーナー Bernie Lowe とミュージシャン、ソングライター、
パフォーマーとして契約を結んだ。
その際に有名プロデューサーである Dave Appel から
Ronnie Lavelle と名づけられ Bobby Rydell,
Chubby Checker, The Dovells, The Orlons
らのレコーディングに参加した。しかしこのレーベルの
政治的な政策が彼のキャリアを進めることを妨いでいると
感じて、Ron Striano は別のクリエイティブチームに
加わるために Cameo-Parkway Records を去った。
Ron Striano は1963年に18歳で F.G.G. Productions および
Grand Canyon Music Publishing と契約した。彼は制作会社
を通じて Don Kirshner に出会い Dimension Records と
契約を結んだ。Bo Diddley に大きく影響を受けた曲である
Ron Striano の書いたデビュー曲 "Snow Girl" で
Don Kirshner は彼の名前を Ron Winters に変更した。
Ron Winters となった彼は次のシングルで Chuck Berry の
"Back In The U.S.A." をカヴァーし、これはヨーロッパで
トップ10ヒットのレコードになったが、アメリカではそれほど
成功しなかった。しかし1964年の次のリリースである本件
"Red MG" は、すぐにチャートを上回り始めた。
イギリスの象徴的なスポーツカー MG のメーカーである
ブリティッシュモーターコーポレーション (BMC) はこの
レコードに気づき、Ron Winters のプロデューサーは
BMC アカウントを扱った広報会社 Roland Company から
連絡を受けた。Ron Winters は、BMC が提供する1964年
の赤い MG で国をツアーし、自動車業界のショーに出演し、
レコードを演奏し、レコードと自動車の両方を宣伝した。
その後レコードプロモーションのディレクターである Danny Davis
は Ron Winters と他のレーベルで彼が扱うアーティストである
Lou Christy を彼のオフィスに呼んだ。Danny Davis はこの二人
のアーティストに「俺は Phil Spector と一緒にロサンゼルスで
仕事をするポジションをオファーされたのでレーベルを去る」と
伝えた。Danny Davis は「君のプロモーションを実施する人間
は誰もいないし、君のレコードは死んでしまうだろう」と
Ron Winters に語った。Ron Winters と彼のプロデューサーは
彼のために次の方向性を再編成し、開発するために集まった。
そこで慌てて製作されたのが1965年の次のシングル
Big Black Bike (Smash S-1987 Promo) であったのだが。。。
Ron Winters のデビュー曲 "Snow Girl" は Bo Diddley に
大きく影響を受けた曲であった。その独特な通称 Jungle Beat
を用いて The Strangeloves 名義で "I Want Candy"を
1965年6月26日ピークに全米11位の大ヒットにした
Bob Feldman, Jerry Goldstein and Richard Gottehrer は
F.G.G. Productions のオーナーでもある。この3人による
ソングライター&プロデューサートリオは Ron Winters の
プロデュースを担当した。オーストラリアの羊番の家族から
来たと彼ら3人が主張するこの架空のユニットグループ
The Strangeloves では Feldman、Goldstein、Gottehrer
は兄弟 Niles、Giles、Jiles として紹介され、Ron Winters は
彼らの従兄弟の "Reggie Strange" という役割を演じた。
そう、Ron Winters は The Strangeloves の裏メンバー
だったのだ。Ron Winters が F.G.G. Productions に在籍
していた間、彼が発掘した The Angels はプロダクション
ユニットとして契約しレコーディングした "My Boyfriend's Back"
で1963年8月3日ピークで全米1位の大成功を収めていた。
F.G.G. Productions での Ron Winters と The Angels の
劇的な再会により、Ron Winters は彼女達の新しいヒット
シングルでツアーを行ったときに The Angels の指揮者
および音楽コーディネーターの役割を引き受けた。
また彼は Ronnie Striano 名義でも後に Atco でアルバム
リリースする The Last Words の1966年のデビューシングル
(Boom Records BM-60,014) でアレンジャー、コンダクター
を務めている。その後も彼は多くの曲を書き、音楽ビジネスで
様々な役割をこなし続けた。
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The Angels
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The Strangeloves |
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23-19
Jimmie Knight With Buddy Starr & The Starliners -
Crankshaft Sid / Teenage Retirement
(7: Kangaroo Records 45-K-27-A/B) 1964
California 州 Los Angeles の近郊 San Gabriel に
所在する弱小レーベル。Les Kangas は本件B面の作者だが、
Les Kangas は同レーベルで虫声のノベルティーソング
"Koo-Koo The Kangaroo" を1959年にリリースしてるので
このレーベル名と関係があるのだと推測される。
Hot Rod movement が表面化してきた1964年にリリースされた
このシングルだが、資料によると “The Ballad Of Crankshaft Sid”
として1961年に Copyright を取得しているので、チャンスだと
ばかりに流行に応じてリリースしたようだ。
これが Car effects をふんだんに使用したロッカーチューンで
サンディエゴからメキシコ国境をまたいで逃走する
アメリカ人の好きなロードムービー仕立てのストーリーになっている。
B面は "Road Runner"風のギターイントロで幕を開け
female backup group を従えて歌われる Teen rocker で、
こちらも内容が良いので人気が高いシングルだ。
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Andy Rose |
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23-20
Andy Rose And The Thorns - Hey Scooter
(7: Golden Crest CR-590) 1964
Nice teener pop rocker in scooter theme.
Written by Mack Wolfson.
Produced by Wolfson, Graham.
North American teen pop-rock/rockabilly singer
who released several 45s between 1958-1964
including his only Billboard Top Pop Single "Just Young" from 1958.
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Tony Conigliaro |
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23-21
Tony Conigliaro - Little Red Scooter (Putt Putt)
(7: RCA Victor 47-8577) 1965
Anthony Richard Conigliaro.
Massachusetts. American Major League Baseball outfielder
and right-handed batter who played for the Boston Red Sox.
Excellent teener pop in scooter theme with guitar break.
Written by Ernest Camp.
Produced by Al Kasha.
Arranged by Charles Calello.
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Al Kasha
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Charles Calello |
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23-22 The Don Riddell Four - Girl Of My Best Friend
(7: General American 723) 1965
Teen pop ファンと Surf 系ファンの双方から人気ある
シングルだが、両面とも Elvis Presley のカバー曲なのに
時流を意識してかわざわざイギリス録音とクレジットされてる(笑)
Don Riddell は元々2つのイギリスの教会でオルガン奏者兼
合唱指揮者だった。彼はその後若くして Royal Academy 楽団の
ピアニストなった。彼は Quartet を結成すべくメンバーを集めた。
マンチェスター出身のサックス奏者 Johnny Evans、
グループで最も若くて Jazz Drummer だった Len Starkey が
Lead vocal を担当、そして The Frazer-Hayes Four のメンバーとして
テレビやラジオ番組で演奏していた Bass の Tony Heyes で
The Don Riddell Four は結成された。
彼らは1962年の春の Frank Sinatra のワールドツアーに
演奏参加したのが公式なデビューだった。
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23-23
Tony Troy - Dancin' On The Sand
(7: Coral 62458 Promo only) 1965
1965年にビーチポップってのは流行後れになりがちだが
作者の Hank Hunter-Stan Vincent と言えば
Connie Francis の一連のヒット曲が有名。
Cleveland Ohio group の The Initials もこの曲をリリース
The Initials With The Hutch Davie Orch - Dancing On The Sand
(Congress CG-219) 1964 がこの曲のファーストリリース
になるので、Tony Troy を一応カヴァー曲扱いとする。
この Tony Troy というティーンポップシンガーは
他にリリースもなくこのシングルが1965年8月7日付け
で当時の Billboard で告知されたにも関わらず
プロモ盤しか確認されていない。プロデューサーの
Henry Jerome は1940年代から自身の楽団で活躍しており
1959年から 1968年までは Coral Records, Decca Records,
そして MCA Records とプロデューサーとして渡り歩いた。
アレンジャーの Dick Jacobs は Jackie Wilson, Buddy Holly,
Bobby Darin のバックで有名になったが、彼も60年代には
Coral Records で楽団モノをリリースしており、この二人の共通点は
所謂 Space Age Pop (Bachelor Pad Music) の代表的な
存在だった。Space Age Pop とはイージーリスニングのサブジャンルで
大まかには戦後の強力な経済とテクノロジーブームに基づく楽観主義、
人類の宇宙への初期の進出に対する興奮に触発された
モダーンなラウンジ/イージーリスニングやビッグバンド、カリプソ、
ラテン、エキゾチック作品を指すもので形式的なサウンドスタイル
はない。敢えて言えば効果音やステレオを屈指して音響効果を自宅で
楽しませようとした音楽設計になっている。プロデューサーの
Irwin Chusid は、その全盛期を「high-fidelity (ハイファイ) の
黎明期から The Beatles がアメリカに到来するまでのおよそ
1954 年から 1963 年」と特定してる。と言うことは本件シングルは
The Beatles 以降のサウンドとして古いにも関わらず
「楽観主義バンザイ!」とばかりに録音してプロモ盤を配布、
そして市場のリアクションを確認したが話題にもならず黙殺された
多くのダンスミュージックの一つという事になる。
以前アメリカ人の研究家の友人が教えてくれたのだが
1963年11月22日にケネディー大統領が暗殺されて
当時リリース予定だった陽気な曲やダンスミュージックの
リリースが軒並みキャンセルになったらしい。そんな事もあって
1965年になってキャンセルされてた歌がリリースされて
時代遅れになった。それはその後の急速な社会変化によるものだが
レコード会社、特にメジャーレーベル達は「このままお蔵入り
にしたくない」との思惑が働いていたのだと私は本件について
推測している。そんな背景を考慮してひとつのオールディーズ作品
として聴いてみると、斬新なブレイクを配したロックンロールに
波の効果音、悪くはない出来である。
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Hank Hunter & Stan Vincent |
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23-24
The Seniors - No Surfin' 'Round Here
(7: ABC-Paramount 45-10736 Promo only) 1865
(7: ABC 10736 Promo only) 1865
おそらく Philadelphia 出身のヴォーカル・グループ。
The Four Seasons style で歌われるサーフノヴェルティーソングで
作者の Joe Terry と Aran Boornazian による
Grand Record Production Terry & Boornazian がプロデュース
を担当している。
おそらく Joe Terry とは Danny & The Juniors (Philadelphia) の
Joe Terranova のことだろう。
この二人は Anthony & The Sophomores の
“It Depends On You” (ABC-Paramount 45-10737) 作者としても
クレジットされてるが、Aran Boornazian は前出の Philadelphia
のヴォーカル・グループ The Fantasys (AKA The Wonders) の
メンバーである。本件 The Seniors だが、多分他にも変名リリースが
あるような歌の上手さである。
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Scotty McKay (AKA Max K. Lipscomb) |
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23-25
Scotty McKay - Waikiki Beach
(7: Jarrett 102) 1965
(7: Savannah Sound SS-502 Promo Red Vinyl) 1966
(7: HBR 495 Promo only) 1966
22-08 Kirby St. Romain - Summer's Comin' も参照されたし。
こちらは Scotty McKay こと Max K. Lipscomb のソロ。
彼も Kirby St. Romain 同様に Scotty McKay として
The Shut Downs (Dimension / Karsong) のメンバーだったが、
以前は本名 Max Lipscomb で Gene Vincent & His Blue Caps
の後期メンバーだった Texas 出身のロカビリーミュージシャンである。
で、波の効果音を配したこの軽快なビーチポップロッカーだが
オリジナルはやはり Gene Vincent & His Blue Caps だった
Paul Peek の曲で、そのヴァージョン (NRC 033) は1959年7月
にリリースされた。
本件 Scotty McKay のカヴァーヴァージョンは1965年に
Jarrett 102 としてリリースされ、その際はライタークレジット
が S. McKay-K. St. Romain (Scotty McKay-Kirby St. Romain) と
プリントされ、1966年に赤盤のプロモオンリーで配布された
Savannah Sound SS-502 ではライタークレジットがプリント
されていない。同年 Hanna-Barbera Records に買い上げられ
HBR 495 としてプロモ盤のみが配布されたが、そこでは
ライタークレジットが誤植され Paul Peak (正しくは Paul Peek)
とプリントされている。
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23-26
The Teachers - Summer's Over
(7: ABC-Paramount 10727 Promo only) 1965
このシングルはプロモ盤しか確認されておらず
リリースには至っていない。ベトナム戦争を題材にしたA面
“We Ain't At War” が国威に関わると判断されたのだろうか。
当時、発禁にされてもおかしくない戦場での兵士目線の歌詞、
そしてメロディアスな曲調。しかも進軍マーチを想起させる
ドラムパターン。戦場の真実を教えてやるとばかりに
The Teachers と名乗るきつい皮肉のようなネーミング。
当時のアメリカの戦局を考慮すると、まずいっちゃあ
まずいよな的な内容の反戦歌である。
それ故にベトナム戦争時の War song コレクター達からは
大きな支持を受けている裏名曲である。
B面は過ぎ去った夏を惜しむ定番テーマだがA面の
流れを踏襲したフォークロックスタイルとなっており
なかなかの出来である。アレンジを担当したのが
Cameo and Parkway のセッションキーボード奏者の
Roy Straigis である。両面プロデュースを担当したのが後に
Flying Dutchman を設立する Impulse! の有名
Jazz producer の Bob Thiele で、彼は Teresa Brewer
と結婚した事でも知られる。A面の War song の作者で
アレンジャーの Peter DeAngelis は Chancellor Records
の創設者で Philadelphia 出身のソングライターなので
本件グループが Philadelphia のプロダクションであったと
推察される。なにかプロダクション側の反戦スピリットが
ひしひしと感じられるシングルだ。
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Bob Thiele |
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The Del Satins |
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23-27
The Del Satins - My Candy Apple Vette
(7: B.T. Puppy Records 45-506) 1965
New York 州 Manhattan 出身のヴォーカルグループ。
Dion の "Runaround Sue" でバックコーラスを担当した
ことでも有名な White doo-wop の名グループだ。
1966年からは Johnny Maestro が参加するが本件はその前年
リリースのシングルで、"My Candy Apple Vette" は
御存知 The Tokens が1964年のアルバム "Wheels" に収録した
ボサノヴァスタイルで歌う Hot Rod vocal tune の名作。
The Del Satins のカヴァーヴァージョンだが、シングルB面に
収録してリリースされた。
23-10 の The Tri-Tones - Surf-A-Nova 同様に Surfin' & Hot Rod
を Bossa Nova で歌うのは稀有だが、ヴォーカルグループなら
ラウンジのステージで需要の高かった Bossa Nova はレパートリー
に入れて当然だったろう。
Original members:
Stan Ziska (Lead)
Les Cauchi (1st Tenor)
Keith Koestner (2nd Tenor)
Freddie Ferrara (Baritone)
Tommy Ferrara (Bass)
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Steve Wilson |
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23-28
Steve Wilson - Out L.A. Way
(7: Corby Records CR-202) 1965
本件シングルは癖の無い Teener vocal で歌われており、
A面では派手なドラムロールで幕を開け、Hyde Sisters のヴォーカル
バックアップを受けたビートチューンに仕上げている。
B面のバラードは Pacific Northwest (太平洋岸北西部) の
ソングライター特有の悲哀感溢れるギターが心地よい。
両面出来が良いので人気が高い2サイダーシングルだ。
Steve Wilson と言えばシンガーソングライターからレーベル
オーナーへと成長していったキャリアの中でも初期の
本件シングルの評価が高い。彼は Kansas 州出身で、本名を
Steven Dale Waltner と言い、60年代初期は本名で曲を書いていた。
その後成功を求めて Los Angeles に来たが、3年間ほど徴兵で
Oregon 州の空軍で兵役を務めた。その後復帰して1965年から
Los Angeles のプロデューサー Doug Cox、エンジニアーの
Dennis Hardesty と Corby Records の設立に参加した。
このレーベルはマニアには Kim Fowley - The Trip (Corby Records CR-206)
が有名だが、Steve Wilson は Doug Cox と The Love's Me Petal 名義で
1967年に Summer's End / Soft Summer Breezes (Roulette R-4769) を
リリースしている。The A side 'Summers End' は Ralph Geddes -
Give Me Peace (Corby Records CR-209) のバッキングトラックと
メロディーを新しい歌詞で使用し、'Soft Summer Breezes' は
Giant Crab - Listen Girl / Soft Summer Breeze (Corby Records CR 216)
同じ1967年にリリースされたトラックと全く同じだった。
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23-29
The Fraternity Men - Little Star / Lynnie
(7: Courier CR-114) 1965
Ohio 州の Toledo と Cleveland の間に位置する田舎町の
Sandusky 出身のグループ Bill Moulas & The Martians の変名が
The Fraternity Men で、彼らは Four Seasons / Beach Boys style
のハーモニーを得意としていた。
彼らがこの名義で残したのは本件シングルのみだが、地元では1963年から
1965年までクラブシーンで Gig 活動をしていた。
The Elegants の名曲 "Little Star" を Beach Boys の "Hushabye" の
カヴァースタイルでプレイするといった素晴らしいアイディアが
Teen Pop / Beach Boys / Surfin' & Hot Rod マニアを狂喜させた。
彼らは1966年に The Fraternity Brothers と名を変えて
Big Town / Sad Little Boy (Date 2-1528) Four Seasons style の
シングルをリリースした。
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23-30
The Fraternity Brothers - Big Town / Sad Little Boy
(7: Date 2-1528) 1966
で、上記 The Fraternity Men の後の名義がこれ。
The Fraternity Brothers と名を変えて Four Seasons style の
1枚をリリースしたのが本件2サイダーシングルだ。
Flip side の Vocal group surf ballad の出来も素晴らしい。
クレジットされた D. Atwell, P. Fleri (Phil Fleri), P. Gray の3人がこの
グループの中核であるが、Ohio 州のグループが1966年に Surf style で
やってるのが地域的なギャップなのだろう。
プロデュースを担当した Clay Pitts はオーケストラリーダーで
New York のマイナーレーベル Counterpoint のオーナーだった。
恐らく彼らは Four Seasons / Beach Boys サウンドの復興を
試みたのだろうが1966年 The Beach Boys "Pet Sounds" が
そうであったように、当時の世はまさにコンセプトアルバム
全盛期に入ろうとしていた。それを考えれば本件シングル、
時代の波に飲み込まれたと言ったとこだろう。
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Frank Cariola |
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23-31
The Toronados - Hey! Baby
(7: Date 2-1519) 1966
以前私は彼らのデビューシングル (New World N/W 100)
を販売した事があるので、Frank Cariola のクレジットを
確認して本件シングルが同一グループだと解って納得した。
Frank Cariola を有名にしたのは Frank Cari 名義で書いて
プロデュース&アレンジを担当した1964年の Scott English
のデビュー曲で当時全米77位のスマッシュヒットとなった
"High On A Hill" (Spokane Records 45-4003) だろう。
そういったヴォーカルチューンのヒット曲を持った
ソングライターがイタリア系だった場合、概ねやりたがるのが
1963年までなら Dion & The Belmonts のスタイルで
それ以降なら The Four Seasons のスタイルである。
しかし当時の流行の変化は早い、1966年になればベトナム戦争
の影響下でサイケデリックムーヴメントが活発になる。
しかし驚くべき事に Frank Cariola は1962年の Bruce Channel の
ヒット曲 "Hey! Baby" を The Four Seasons のスタイルで
カヴァーし、サーフ系のハーモニーを導入してる。
しかも良く聴くとドラムのビートが Dave Clark Five のそれを
強調してる。面白いことにB面では自作の Surfin' Inst 系の
ダンスチューンを聴かせており、トレイン・ダンスに仕上げてる。
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The Four Preps |
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23-32
The Four Preps - The Girl In The Shade Of A Striped Umbrella
(7: Capitol Records 5687) 1966 The Piltdown Men でも秀逸なサマーソングを録音してきた
Ed Cobb はソングライター、プロデューサー、アレンジャー、エンジニアー
として八面六臂の活躍をしてきた人である。Gloria Jones, The Lettermen,
Pink Floyd, The Chocolate Watchband と様々な音楽スタイルで
クオリティーの高い作業が出来るのだから凄い感覚の持ち主である。
その Ed Cobb がミュージシャンとして1956年にデビューしたのが
The Four Preps で、本件シングルは彼らが解散した
1966年の作品だ。特筆すべきは、もはや Folk group としての
範疇ではなく、彼らが優れた Vocal group だった事を認識させる
楽曲が当時の流行作家達によるものだということだ。
1966年ともなればサイケデリックなアレンジでヒップな
サウンドを狙いがちだが、ここでは Northern soul style の
アレンジで、Four Seasons をも思わせるダンスチューンに
仕上げている。またB面では T.M. Music の
Artie Resnick-Kenny Young 作品を録音している。
T.M. Music は Bobby Darin と Terry Melcher が設立した
音楽出版社でプロダクションだ。その T.M. Music の
ユニットがあの City Surfers だった。Bobby Darin (drums),
Roger McGuinn (songwriter, guitar, vocals),
Terry Melcher (vocals, piano), Frank Gari (vocals).
そして、1963年に T.M. Music に入社したばかり当時22歳の
Kenny Young の初の単独作が City Surfers “50 Miles To Go”
だった。同じ T.M. Music に所属していた Artie Resnick
(後の The Third Rail) と1964年に共作した “Under the Boardwalk”
は The Drifters が歌って全米4位の大ヒットとなった。
Bobby Darin は New York City の Brill Building 内に
T.M. Music のオフィスを開いてスタッフライター達に素晴らしい曲を
書かせ続けていた。自身もパフォーマーとして活動を
模索し始めた Kenny Young は動物の名前を使った架空の
グループ名義で幾つかのシングルをリリースしていた。
当時アルペジオギターを挿入して良質な Summer sound を
作り続けていた Kenny Young だが恐らく本件シングルで聴かせる
ギターは Kenny Young の数ある架空のグループで
美しいギターを聴かせていた Vinnie Rogers だろう。
Surf harmony を配して The Four Preps がヴォーカルグループ
としての実力を発揮した極上の Vocal tune である。
Members original lineup
Bruce Belland (lead vocals)
Ed Cobb (bass)
Marv Ingram (high tenor)
Glen Larson (baritone)
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Milo Liggett |
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23-33
Milo Liggett - Cindy, Oh Cindy
(7: Monument 45-960) 1966
(7: Monument MN-45-960DJ Promo only) 1966
Solo of Sonny James And The Southern Gentlemen.
Originally recorded in 1956 by Vince Martin and the Tarriers.
The Beach Boys covered in 1962,
although the song remained unreleased for many years.
The song was eventually released on the re-release of
the Surfin' Safari/Surfin' U.S.A. albums in 1990.
Nice teener pop cover version.
Written by Long, Barron (Bert Long-Bob Barron)
Written by Long, Barron
Produced by Fred Foste.
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The Blackwells
(LR : Ronald, Glenda, Dewayne Blackwell) |
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23-34
The Blackwell Manner - Watermelon Summer
(7: Warner Bros. Records 7066) 1967
Nashville のソングライター Dewayne Blackwell と
妻の Rani Blackwell によるユニット。
Dewayne Lorne Blackwell (1936年9月17日 - 2021年5月23 日) は、
1950年代から活躍したアメリカのソングライターで
Nashville Songwriters Hall of Fame の殿堂メンバーでもある。
彼の曲には The Fleetwoods の1959年のヒット曲 "Mr. Blue" や
David Frizzell の1982年のヒット曲 "I'm Gonna Hire a Wino
to Decorate Our Home", Garth Brooks 1990年のヒット曲
"Friends in Low Places" 等がある。
彼が書いた歌は The Everly Brothers, Roy Orbison, Bobby Vinton
らも録音しており、彼は映画のサウンドトラックの曲も書いた。
Dewayne Blackwell は Texas 州 Corpus Christi で生まれ
1950年代半ばに両親と共に California に移り住み
彼が The Fleetwoods のために "Mr. Blue" を書いた後、
兄弟トリオ (2人の兄弟と1人の姉妹) によるヴォーカルグループ
The Blackwells を結成し彼らは San Francisco の G&G Records
とのレコーディング契約を獲得して1959年にデビュー。
その後、ディストリビューターの Jamie と契約をし
1964年に Hickory に移籍し、1959年から1964年までに
13枚のシングルをリリースした。The Blackwells は Phil Spector
の初期のキャリアに関与した。Phil Spector は Lee Hazlewood and
Lester Sill の Gregmark Musicで働いていた。Lee Hazlewood and
Lester Sill は Duane Eddy をプロデュースし、Phil Spector は
Phoenix に行って Duane Eddy のセッションを観察し、
Duane Eddy のレコーディングで使用されたエコー技術の
多くを Lee Hazlewood から学んだ。Phil Spector は1961年8月
にリリースされた The Blackwells - You Take Advantage Of Me / I
(Jamie 1199) をプロデュースし、それは The Blackwells にとって
Jamie 最後のレコーディングとなった。そのような経緯を得て
名セッショングループ The Nashville A-Team らと後に有名になる
Nashville Sound が確立された。
本件シングルA面曲は "You Made It That Way (Watermelon Summer)"
としても知られ、Perry Como も1967年にシングルリリースしている
(RCA Victor 47-9356) プロデュースが Chet Atkins and Andy Wiswell
なので Elvis Presley の録音スタッフとしても有名な
The Nashville A-Team が録音を担当しているのが解る。
回顧的で美しいサマーポップの隠れた名曲である。
プロデュースを担当した Dick Glasser とアレンジを担当した
Al Capps の二人は1967年は Warner Bros. Records 在籍時で、
当時は自らのグループ Dick Glasser & Co. でサンシャインポップ
をやってた事も追記しておこう。
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Steve Leeds |
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23-35
Steve Leeds - Midsummer's Night
(7: American Music Makers AMM-S-0018 Promo only) 1968
New York のソングライターで Jazz ピアニストの Cy Coleman
が面倒を見ていたシンガー Steve Leeds のデビュー盤にて
プロモオンリーのシングル。レーベルの American Music Makers は
The Skyliners "Since I Don't Have You" で有名な Calico Records, Inc.
を所有していた Lou Guarino が1965年に設立したレーベルで、
彼は盟友 Lennie Martin と地元 Pennsylvania 州 Pittsburgh で
Robbee や World Artists Records を運営してた。
本件レーベルオーナーの Lou Guarino が自らプロデュースを
担当してるが、Brill Building 系ソングライターの George Fischoff,
Tony Powers の共作で Herb Bernstein がアレンジを担当してるので、
恐らくテレビ番組か何かのために書かれた曲を New York の
プロダクションで製作して売り込みたかったのだろう。
そこでプロダクション側が歌唱力の高い若手シンガーを物色してたところ、
Steve Leeds に白羽の矢がたったのだろう。
Lou Guarino は彼所有の World Artists Records から
Chad Stuart And Jeremy Clyde - A Summer Song (World Artists 1027)
をリリースして1964年8月15日をピークに全米7位の大ヒットを
経験したので、Summer pop song でもう一度と思ってたのが伺える。
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The Stephen Crane Village |
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23-36
The Stephen Crane Village - Hey Summer
(7: Metromedia Records MM-132) 1969
Four Seasons の Frankie Valli の弟 Bobby Valli が
リードを担当してる事でもマニアには有名なシングル。
恐らくだが作者の Denny Randell が Four Seasons のために
書いてたお蔵入り曲を引っ張り出したのだろう。
1963年から1964年に Four Seasons が歌うべきサウンドだ。
当然アレンジは Charles Calello である、Four Seasons が歌う
サマーポップ風に仕上げられる。もひとつ着目すべきはB面、
Neil Sedaka や Jack Keller のパートナーでもある
Howard Greenfield の単独作品で極上のトロピカル曲である。
Chris Montez を意識したような歌声で心地よい。
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Denny Randell |
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Jack Gold / Jack Gold Orchestra & Chorus |
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23-37
Jack Gold Sound - Summer Symphony
(7: Columbia 4-45202) 1970
ラベル数種あり。まず Columbia 4-45202 の Mono/Stereo プロモ盤で
左横にグループ名が一列表記が1970年7月に配布、そして
Columbia 4-45202 の赤ラベルで “The” を入れた The Jack Gold Sound
とラベル上部にクレジットされた Stereo 盤の
Summer Symphony / Lilacs 2種類が1970年7月6日に配布、
Columbia 4-45397 の Mono/Stereo プロモ盤で
左横にグループ名で “The” を無くした Jack Gold Sound が
二列表記が1971年5月27日に配布、同様にラベル上部に
Jack Gold Sound を二列表記にクレジットした Stereo 盤の
Summer Symphony / Lilacs を同じ日に配布している。
Jack Gold はアメリカのプロデューサー兼ソングライターで
1921年2月13日、Massachusetts 州 Chelsea 生まれ
(1992 年2月26日死去) で Massachusetts の Doowoop vocal group
である The G-Clefs のインディペンデントプロデューサーとして
Pilgrim Records で活躍した。彼は1957年に自らの新しいレーベル
Paris Records に The G-Clefs を移籍させ、その後継レーベルである
Terrace Records Co.としても The G-Clefs と契約を結んだ。
本件は Neil Sedaka の自作で Lesley Gore にも歌わせた美しい
サマーポップのカヴァーで、細波の効果音を配したバラードに仕上げている。
アレンジは Dinah Washington や B. Bumble and the Stingers を
一躍有名にさせたピアニストでもある Ernie Freeman が担当しており
本件でも流麗なピアノを聴かせる。
また彼は The Routers / The Marketts のキーボード奏者、アレンジャー
としても活躍したのでテーマミュージックの何たるかを心得ている。
プロデュースは Jack Gold 自ら行っているが、この美しい
ヴォーカルを聴かせるシンガーズは Jack Gold Orchestra & Chorus
としても知られ 1969年に Ernie Freeman のアレンジによるアルバム
It Hurts To Say Goodbye (Columbia CS 9851) をリリースしているので
ソフトロック、コーラス系の Club DJ はチェケラーッ! (死語)
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Front Porch |
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23-38
Front Porch - Wonderful Summer
(7: Jubilee 45-5720) 1971
御存知 Robin Ward の名作の美しいカヴァーだが
本件シングルは両A面扱いのカップリングで
両面 Under The Boardwalk のプロモ盤と
両面 Wonderful Summer のプロモ盤も配布されている。
彼らはニューヨークのブルックリン出身のバンドだ。
メンバーの Chris Spierer は美術大学に通っていたが在学中に
The Firestrings というダンスバンドの Marc Scott,
Charles Purpura, Butch Horowitz と出会って新しいグループが
結成された。その際 The Firestrings のオリジナルメンバーだった
Jr. Guarna がひどい舞台恐怖症だったので解雇されている。
Marc Scott は中学生時代に Evie Sands の友人であり
Bobby Pedrick Jr. (Robert John) は幼稚園からの友人だった。
彼らは1966年と1967年に The Living End 名義で Mira Records,
DiVenus Records からビートガレージ系シングルをリリースした。
彼らのマネージャーは Joe Scandore and Mel Shayne で
この二人は The Crystals, The Kingsmen, Darlene Love,
Paul Evans, Don Rickles, Totie Fields や Woody Herman の
マネージャーでもあった。The Living End は The Kingsmen
が "Louie, Louie" でゴールド レコードを獲得したとき、
パーティーで The Sandpipers と名乗らされて演奏した。
その後もマネージャーの Joe Scandore が所有するブルックリン
のナイトクラブ The Elegante で The Crystals のバックアップ
をしていた。夏には The Grooves と名乗り Bobby Goldsboro や
The Reflections ("Just Like Romeo And Juliet") とツアーした。
The Living End としてツアーに出た際には Neil Diamond,
The Tymes, Jay and The Americans, Peaches and Herb や
Frankie Lymon のサポートをした。The Living End は活動を
始めてから、1968年に解散するまでずっとライヴ活動を続けてた。
Frank Sinatra がパトロンだった Billy Reed 所有の
Coney Island Pub や The Young Rascals が成功するまで
ハウスバンドを務めていた Harlows でも The Living End は
常連バンドだった。The Living End 解散の後、Marc Scott は
ヨーロッパに行き、Charles Purpura はブロードウェイの "off-off"
に行き、そこでイーストヴィレッジとウェストヴィレッジのいたるところ
で繰り広げられた多くの演劇のために音楽を書いていた。
Marc Scott と Charles Purpura は演劇音楽作家として活動を
続けていたが1969 年末から Front Porch のセッションが始まった。
1970年6月にリリースされた Front Porch のファーストシングル
Shake, Rattle & Roll / Song To St. Agnes (Jubilee 45-5700) は
Bob Dylan の影響が伺われ、A面 Elvis Presley カヴァー、
B面 Charles Purpura の自作。両面とも素晴らしくメロディアス
な Folk Rock に仕上げている。バックグラウンドで歌っている
女性達は当時学生だった Jennie and Judy Simeone で
彼女達は一卵性双生児だった。Jennie は リードシンガーの
Charles Purpura と結婚する。セカンドシングルの
"Wonderful Summer" and "Under The Boardwalk" では
Brooks Arthur がプロデュース、Jimmy "The Wiz" Wisner が
アレンジを担当、グループは演奏に参加せずにセッション
ミュージシャン達で演奏を録音している。
"Under The Boardwalk" のアレンジを担当した Albert Gorgoni
(Al Gorgoni) はこの録音を覚えておらず、このリリースに
至った "Under The Boardwalk" がカヴァー曲だったので
Al Gorgoni はヴォーカルセッションだと思ってた事が指摘
されている。もしこのセカンドシングルがグループ主体で製作
されていたら、その後のグループの活動もあったのかもしれない
と期待されるほど出来のよいカヴァーソングのダブルサイダーだ。
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【戻る】【続く】 |