「I FEEL LIKE THIS」 (今俺の気持ちはこんな感じだ)と言って彼は RECORD に針を落とした。
間もなくして数秒の静寂と心地好い NOISE が流れた後に DELTA BLUES が SPEAKER から聞こえて
きた。暫しの間目を閉じて聴いていると彼の言わんとしてる事がすんなりと解った。それは彼の心の代弁をこの RECORD がしてくれているだけでなく、彼自身の癒されたい気持ちがこの古い
BLUES に依存している事だ。そこから静と動からなる彼の気持ちの微妙な変化が理解出来た。この RECORD SHOP が
入り込んでいる煉瓦のビルは、これから訪れる夕の帳にさしかかって一層に赤灼けた色合いと周囲の
気怠さから生まれる廃墟感から来るコントラストが心地好く我々を包み込んで行く。
彼は RECORD SHOW から戻って来て初めてビルの老朽化からの店の立ち退きを知らされた。
それは RECORD DEALER なら充分に解る程の慣れ親しんだ愛情の部屋との決別を迫られる通知で、
一番大きな SHOCK だったのは彼が留守の間にこの地は連日からの豪雨で多くの家屋が浸水して
しまった事だ。勿論この店の一部も水による被害が顕著に表れていた。地下室に保管されていた多くのSTOCK は水によって想像もしたくない程の被害にあっていた事。
あまりに気の毒で私は声もかけられなかった。
我々日本人が想像も出来ない程、ここ米国においては神の仕業である天災の規模は大きい。大洪水、集中豪雨、地震、竜巻等の損害はいつでも何処でも予期せぬ時に突然訪れる。
私は過去米国の天災で崩れた RECORD SHOP の惨状を物語る写真を多くの友人に見せて貰った。
有名なところではあの SAN FRANCISCO や LOS ANGELES 大地震の時の RECORD SHOP 店内の
写真だ。結論から言えば店を続けるのか、これを機会に辞めるのかだ。続ける為には愛情を持続させる事、そして根気強く RECORD
を集めていく事だ。辞めるのなら後悔する事なく、さっさとやくざな生活から足を洗って夢の世界の住人とおさらばする事だ。仲間達は直ぐに集まって店内に流れ込んだ土砂を
かたずけ10日かかって仕分け作業を終えた。
ここで仕分けする場合に「使える、使えない」と口にするのは誰もが避けた。あくまでも OK か NO でRECORD の被害の確認をした。これは
DEALER の MANNER か暗黙の了解か解らない。
勿論 RECORD 棚も同じように判断した。そして幾つかを友人の DEALER に転売して金を作った後に彼はRECORD SHOP
を続ける事を決意した。しかしこの店の様に味わい深い佇まいをした店舗は直ぐには
見つからないだろう。我々は業者である以上、音楽を楽しむ前に苦労を分かち合う。そして最後はみんな笑ってビールが飲めれば良いと思ってる。
そしてそのビールを飲む時にはどんな音楽が必要か心得ている。だから出来るなら BLUES でビールは飲みたくない。私はある秋晴れの日に白樺の立ち並ぶ一本道を車でぶっとばしながら
MODERN BLUES を聴いた。その後 CHICAGO に辿り着き咽ぶ様な BLUES の神髄に触れた時に日本で商品としてBLUES
を扱うのは辞めようと思った。だから当店では滅多に BLUES を扱わない。
ここは CHICAGO の南部だった。
WINDY CITY CHICAGO。五大湖から凍てつく様な強い風が吹いて来る街。風の強い日は、みんな
前のめりになって歩く。決して顔を上げて歩けない程の強い風が体の自由を奪う。春先には雪で覆い尽くされる様に、降り注ぐたんぽぽが車の視界を遮る。STREET
のゴミは飛び回り CHICAGO 衛生局も
お手上げ状態だ。ここは世界一の証券取引所がある為に、各国からその方面の有能な人材も多く
集まっている。 BLUES の本場 CHICAGO は分かりやすい程、北と南によって貧富の差を表してる街だ。それは東西を真一文字に走る290号線を境に北が白人居住区、南が黒人居住区と考えて良い程、街の治安も衛生も光景も違う。厳密に言えば
CHICAGO の街そのものがこの境界線よりもやや北側で栄えていると言った方が良いのか。必然的に北と南では住民の文化も生活環境も違う。勿論そこから生まれる活気も違う。北側で
JOGGING は出来ても、南側でするのは勇気が要る。そこに長く住んで、顔見知りが沢山出来れば考えられるが、先ず日本人には無理だろう。
私はその多くを南側で暮らしたのだが、此処こそ CHICAGO BLUES 発祥の地だった。
黒人教会と SOUL FOOD SHOP が立ち並び一種独特の気怠さが漂い、ちょっと中に入ると退廃的な
空気に飲み込まれる。生活への活力と挫折感が独自の形で同居している。
通常何処の街でも郊外は閑静な住宅街を形成させて、そこから市街地への通勤を可能とさせる理想的な街作りをするものだ。しかし LAKE
MICHIGAN の辺を覆う様に形成された CHICAGO は東西南北で
区分けし難い土地がらの為に沢山の BLOCK をまるで PUZZLE の様に複雑に組み合わせて居住区を
分割させている。その為に便利良く?東西真一文字に走る290号線が白人と黒人の居住区を分けて
いる。個人の DEALER 以外では一般的に黒人の RECORD SHOP OWNER はいない。
ここ CHICAGO の南部でも数える程しかいないのが事実だ。
理由は時として巨額な投資を必要とするからでは無い。JAZZ だ BLUES だ SOUL だと言っても本当に
必要とされる CONDITION の良い物は裕福な白人から供給して貰うしかないから白人の NET WORK が必要とされるのだ。何故なら残念な事に多くの黒人の生活環境は非常に悪くそこから供給される中古RECORD
は最悪の CONDITION が多い。あの ROLLING STONES が憧れの CHESS RECORD に行った時に著名
BLUES SINGER の扱いに驚いたと言うが、CHICAGO では黒人の生活環境は良くは無い。
だからそこから供給される RECORD は一般的に状態が悪い。
何時から CHICAGO が南北によって貧富が分かれたのかは知らないが、私はこの CHICAGO から SOUTHERN SOUL
への旅の START LINE を知る事が出来た。よく言われる SOUTHERN SOUL 特有の情緒を帯びた気怠さは、ここから南下する事でもっと深く理解出来る。ここから南下する事は寒さから
逃れる事とは別に、灼熱の太陽の下で農作業に従事する事を意味する。そんな中でもやはり黒人の
扱いは悪く常に生活苦と戦う事を物語っている。それを選択する為の START LINE が CHICAGO にある
様に思える。以前、彼らが何故移動を繰り返す民族なのかは少し述べたが、何時の時代でも彼らはCHANCE を求めて移動が出来る自由を許されている。移動地の選択基準は各自様々にあるだろう。
黒人が南に回帰するのは自然だと思えるが、要はそこの環境に適合出来るのかどうかになる。
南に流れて行く MISSISSIPPI RIVER は CHICAGO の外れから乗る事が出来る。そして終着点は、遥か向こうの
NEW ORLEANS だ。彼ら CHICAGO に住む黒人の為の選択肢である MISSISSIPPI RIVER は
何時でも彼らの近くに流れている。しかしながら CHICAGO の南に住む黒人の挫折感は何を物語って
いるのだろう。世界最大の証券取引所に集まる有能な人達と多くの観光客をしりめに彼らが向き合っている現実は何なのか。CHUCK
BERRY の代表曲 JOHNNY B.GOODE は SUCCESS を求めて南部から出てきた男の曲だ。南に住む者は北を目指す反面、北に住む者は南を目指す。何故なら現状に我慢
出来ないからだ。北部に住む黒人にとって CHICAGO が START LINE である事に間違いは無いだろう。それは私が南側から見た感想だ。蛇口を開けば錆びた赤い水が出て来る、五大湖から吹き下ろす強風は街のゴミを散らかす。
そんな CHICAGO でも金を持って北に上がると快適な暮らしが出来る。
HAMBURGER SHOP の McDONALD は CHICAGO に第一号店を構えた。そこは今でも OLDIES FAN
の聖地として存在し、店内狭しと BEATLES や BEACH BOYS の LP がきらびやかに飾られている。
その光景からは、全てはここから始まったとの感触を得る事が出来る。一時期米国経済を支える意味で証券取引所が集まるここ CHICAGO
は長く中心的な役割をした。銀行建物の中では世界一高い FIRST NATIONAL BUNK もここに在る。それらは全て290号線より北の話であって南に位置する黒人居住区は何の変化も無かった。CHICAGO
BLUES とは CHICAGO に住む彼ら黒人の悲しみの歴史であり、
遥かなる南部と彼らを結びつける心の連帯感を意味している。
CHICAGO とはそんなところだ。そこから生まれる様々な問題が今でも山積している。
私は CHICAGO で生活する事で多くの現実を知った。その為か一枚の中古 RECORD に含まれる様々な歴史を今迄以上に考える様になった。全国配給権を持った
MAJOR LABEL も地元で人知れず RELEASE された LOCAL LABEL も同様に何らかの需要を考えて RELEASE
された物だ。それがいかなる形で
中古市場に還元されたのか、ここで手にするまでの紆余曲折を CHICAGO で真面目に考えさせられた。社会的な大きな問題を抱えた同地では、黒人公民権以降の
SOUL MUSIC の支持は高かった筈だ。
その為にいわゆる DANCE MUSIC 以降の SOUL MUSIC の発展に対しては独自の STANCE を持って
いた。これらの音楽の趣向性がどういった形で日本に定着したかは興味が無いが少なくとも、
ここ CHICAGO では今だに大きな問題を抱えている事は確かだ。それでありながらも BUSINESS と言う名の巨大な動きが
CHICAGO に覆い被っている。それは搾取と言っても良いだろう。ROCK GROUP のCHICAGO がこの名前に落ち着く迄に、当時の
CHICAGO の市長と一悶着有った事は有名だが、PUBLICITY を気にする割には CHICAGO の政治家は昔から汚職の噂が絶えない。
これも歴史と片付けるのだろうか? 流通面では申し分無い位置だけに情報だけは早い様だ。特に犯罪という事にかけては NEW YORK
と何時も向き合っている。警察組織と SYNDICATE (シンジケート.MAFIA をも後ろで統括する巨大組織)の情報合戦は凄まじく、一般人には解らないが水面下で激しい攻防が
行われている。勿論 RECORD 業界にもそれらは及んでいるが、それをここで紹介すると紙面が幾ら
あっても足りないのでここでは省略する。大都市には良くある傾向で NEW YORK も LOS ANGELES も
同様の問題を何時の時代でも抱えている。
CHICAGO ではちょっと評判の良い飲食店に行けば何処でも MAFIA の集まりを見る事が出来る。それも日常茶飯事の様に。それは我が故郷、広島と良く似ているから驚きはしなかったが、彼らとの接触は
避けた。何故なら彼らと接触しているところを情報屋が警察に通報したら後が面倒になるからだ。
特に我々 RECORD DEALER は一般的な観光客と違ってきな臭い所に出没するから当局から見たら
目立つ存在らしい。TEXAS では国境が近い為に髪の毛の黒い私は密輸入者に間違えられて警察に
尾行されていた。ここ CHICAGO においても同様に徘徊する範囲が一般的では無いところまで及んで
いた為に多くの警察の職務質問を受けた。しかし私は HUMBURGER の美味い CHICAGO が今でも
好きだ。どこか街の雰囲気が広島と似てるからだろう。
そして私は思い出を旅行鞄に詰め込んで CHICAGO から去った。