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Little Bit Of Heaven / Another Story Of California Gold

Gary Williams
Supported by Gary Williams, Anita Williams, Tatsu Yamashita
 Oldies But Goodies という尊い言葉は既にアメリカでは60年代に
 使われていた。60年代から振り返る50年代であり、同様に70年代から
 振り返る60年代に対して使われていた。
 
 1973年に映画「American Graffiti」が公開され、その後日本にも本格的な
 オールディーズリヴァイヴァルブームが訪れた。
 映画の舞台は60年代のカリフォルニア片田舎の夏の一夜で、そこに住む
 ティーンエイジャー達のライフスタイルが見事なまでに描かれていた。
 ストリートにひしめく若者達の愛車、カーラジオからは海賊ラジオ局の
 ウルフマンジャックが発信するロックンロールの名曲群が流れていた。
 日本の若者もこれらムーヴメントを受け、洋楽オールディーズに感化され
 ライフスタイルに大きな影響を受けた。
 ポール・ル・マット扮するジョンミルナーは街一番のホットロッダーで、
 彼の自慢の Deuce Coup は古き良き時代のロックンロールの隆盛と
 共にその後の社会変化を象徴していた。
 劇中にライブバンドとして出演していた Flash Cadillac & The Continental Kids
 は「She's So Fine」「At The Hop」の素晴らしい名演を披露した。
 その後になって入手した彼らのアルバムには Fantastic Baggys の名曲
 「Summer Means Fun」のカヴァーが収録されており、オールディーズファン
 だった私は狂喜乱舞したものだ。その後もオールディーズリヴァイヴァルの
 流れで幾つかの二番煎じ的な映画や、それに応じたオールディーズファンの
 ためのコンピレーションアルバムが次々とリリースされていった。
 当時私が「American Graffiti」でアメリカンオールディーズの洗礼を受けてから
 始めた音楽の探訪は、ヒットこそしなかったものの、そこに隠れ埋もれている
 良質なオールディーズソングへと向っていた。
 当時リアルタイムミュージックとして70年代後半に隆盛を誇った
 ディスコミュージックを支持する人達と、私のようにオールディーズに
 感化されてしまった人達の間には対立意識が芽生えていたのも事実だ。

 そんな矢先に私にとってエポックメイキングな事件が起こった。
 コダックフィルムのCMソングとしてオールディーズの名曲が
 流れてきたのだ。第1弾としてママス&パパスの「夢のカリフォルニア」
 そして第2弾モンキーズ「デイドリームビリーヴァー」、
 そして第3弾としてジャン&ディーンの「サーフシティー」が
 テレビから流れてきた。これは私がテレビ画面でリヴァイヴァルを確認した
 初めてのサーフィンソングだった。既にビーチボーイズや
 ジャン&ディーンのレコードは所有していたが、大好きな曲が
 テレビのCMから流れてきた、この時の衝撃は凄かった。
 その後ブリジストンのCMではビーチボーイズの「I Get Around」が
 使われたりして、1970年代後半から80年代初頭にかけて良質な
 Surfin' & Hot Rod のコンピが一斉にリリースされる。
 それらは西海岸のサマーヴィジョンが凝縮されており、すべて新鮮で、
 活発的で、爽快なヴィジュアル感溢れるものだった。
 そんな中には山下達郎氏とフォーエヴァーレコードの創始者である
 故宮下静雄氏が監修した名作コンピ「サンシャインサーフィンサウンド」
 があり、また当時としてはマニアックな音源を中心に編集された
 コンピアルバムがキングから1982年に2枚リリースされ好評を博した。
 それはCMソングがきっかけとなり Surfin' & Hot Rod ミュージックが
 日本で本格的なリヴァイヴァルブームになった証でもあった。
 そのアルバム「Golden Summer」と続編の「More Golden Summer」には
 当時の日本の平均的ティーンエイジャーが捜して求めていたヴィジョンが
 集約されており、私が抱いていた西海岸の憧憬は一気に膨らんだ。
 この2枚のアルバムは1979年に東芝系列である EMI が
 Liberty Records / Imperial Records を買収し、EMI 音源としてキングが契約
 した事により可能となった編集盤だった。
 そしてそこには Jan & Dean の「The Little Old Lady From Pasadena」
 のカウンターソングとして素晴らしい曲が収録されており
 それこそが Gary Williams 率いる California Suns の
 「Masked Grandma」(Imperial 66179) だった。
 この曲は当時日本ではマニアのみによって語り継がれてきた
 名曲であって、Carol Connors-Roger Christian のクレジットから
 その正体不明のバンド California Suns はスタジオグループだろうと
 言われ続けていた。また続編の「More Golden Summer」にそのシングルの
 B面「Little Bit Of Heaven」が収録され多くのオールディーズファンは
 このバンドに高い評価を与えた。
 しかし我が国のサーフィン&ホットロッドマニアによってその後大きな
 発掘がされる。たった1枚のオリジナルシングルに収録された、その良質な
 サウンドに心を奪われたのは言うまでもなくB面に収録された傑作
 「Little Bit Of Heaven」であり、その作者である Gary Williams の名を
 捜し求めてサーフィン&ホットロッドマニアは長い長い旅へと出かけた。
 どこか Phil Sloan にも共通するカジュアルで親しみやすいメロディーライン、
 イノセントなラブソングに内包された心地よいサマーヴィジョン、
 それは Surfin' & Hot Rod ミュージックだけにノヴェルティーソングと
 揶揄されがちな A-Side の「Masked Grandma」の印象を消してしまう
 ほどの輝きに満ちていた。
 言わば Gary Williams とは日本でいえば田中一郎みたいな、どこにでも
 ありそうな名前。しかしマニアの心に刻み付けられたその名前は
 執念にも似たレコード探索行為へと向けられる。
 そしてその探検の成果としてついに California Suns の前身バンドである
 California Sons へと辿り着いたのだ。
 それが発掘され、また素晴らしい事にそこに収録されていたのは
 我々オールディーズファンを狂喜乱舞させるに相応しい名曲だった。
 Gary Williams 特有のサマーヴィジョンはここでも如何なく発揮されていた。
 それは初期 Curt Boettcher にも通じるイノセントなポップだった。

 その後長い年月が経過していったが、我々オールディーズファンは
 いつも Gary Williams が残してくれた良質なポップソングを口ずさんでいた。
 それこそが西海岸のカジュアリティーを内包した輝きうせる事のない
 名曲だった。それは風化せずに同じ佇まいを見せる何かに賞賛を
 与えようとする我々のようなオールディーズファンの願望なのかも
 知れない。
 そんなある日、一人のアメリカ人女性から私のもとに問い合わせがあった。
 彼女は当店のホームページに掲載されていた Sold Out の California Sons
 を見つけて連絡をくれた。彼女の名は Anita Williams と言う。
 この何気に平凡なファミリーネームを見て私は目頭が熱くなった。
 Williams 姓の人がこの名盤シングルを訊ねてきた事、それだけで
 私にとっては充分な出来事だった。
 「もしかして貴方は Gary Williams さんの身内の人ですか?」と私は尋ねた。
 彼女は「そうよ、Gary Williams は私の叔父なのよ。彼も私も California Sons
 のシングルを持っていないの。」
 その後私は Anita さんに Gary Williams さんを紹介してもらって
 Gary Williams さん本人にインタビューをした。
 彼からはとてもシャイな印象を受けたが、気さくに当時の話を聴かせてくれた。
 
 私はさっそくこの出来事を達郎さんに報告した。報告する義務があったと
 言っても良い。何故なら我々世代のオールディーズファンは山下達郎氏も
 含め、熱心なオールディーズファンである多くの諸先輩の方々から
 これら良質なアメリカンポップスを紹介されて、その恩恵を受けている。
 そして伝えられた者が次世代へと伝えていく。これは無形文化と言ってもよい
 尊い行為だと私は信じている。大河の如きアメリカンポップスの流れの中で
 発生した多くのテーマミュージック。西海岸の若者のカジュアリティーは、
 Surfin' & Hot Rod / Summer Pop という音楽によって特有のサマー
 ヴィジョンを我々に投影した。それは海を超え、時間を超えて、それを
 愛する人達の元へと届けられた。
 達郎さんは以前仰った「良い曲は残るんです」、これは有名無名に
 関わらず、素晴らしい音楽は人々の良心によって増幅され、その波は
 時間や場所を超えて人々に届けらる。そしてそれを愛する人によって永遠に
 語り継がれていく事の証でもあるだろう。
 私はここまでの経緯と Anita Williams さんとの出会いを達郎さんに伝えた。
 達郎さんもこの出来事に驚いていた。そして「もし Anita さんがお持ちで
 ないのでしたら、私が持っている California Sons をプレゼントしましょう」
 と仰ってくれた。これはとても素晴らしい出来事だった。
 達郎さんはアメリカから受けた恩恵を達郎さんならではの方法で恩返し
 されたのだ。やはりこれは文化的な行為だった。何かを伝えようとする事、
 そして伝えてもらった事に対する恩返しには互いの敬意が表れていた。
 そしてそこには調和としてのハーモニーが心地よく奏でられていた。
 私は達郎さんから届けられた California Sons のシングルを
 Gary Williams さんに贈り届けた。
 
 Gary Williams は著名なロックンロールシンガーソングライターで
 ピアノプレイヤーである Merrill Moore を叔父に持つ。
 Gary Williams は San Diego を中心に友人達とバンドを結成した。
 彼らは名うてのプロモーションマンだった Mike Borchetta に
 見出され、彼が節税の為に設立したと思われる
 Coastline Records と契約した。Mike Borchetta は初期の
 Gary Usher のソングライティングパートナーとしても知られる
 辣腕 A&R マンで Gary Usher と袂を分かれた後にこのレーベル
 を設立していた。そのレーベルがスカウトした初のアーティストが
 彼らで、1965年後半に California Sons 名義でデビューした
 - I'm Gonna Get Some Love / (Baby Please) Dance With Me
 (Coastline 1001) これは両面とも Gary Williams が書いた曲で、
 当時の西海岸の若者達のカジュアリティーを描いた
 サマーポップの傑作シングルだ。
 パースペクティヴな都会の透視図を見渡す事よりも、喧騒から離れた部屋で
 この曲を聴く事の方が、素敵な事だと私は気付かされた。
 プロデュースは両面とも Mike Borchetta & Friedman



 
 翌1966年初頭には The Sons と名を改めて Cry Baby / I'm Gone
 (Coastline 1002)をリリース。これはイメージを新たに Garage Punk Tune
 にしたシングルで、このワイルドなガレージチューンはアメリカの
 ガレージファンにも評価が高い。このスタイルの変化は当時の
 アメリカの世相を反映している。
 ここでは A-Side で Gary Williams がリードヴォーカルを担当し
 Flip Side では John Buell がリードヴォーカルを担当している。

 
 
 これらの録音メンバーは
 Gary Williams - Vocals, Guitar
 Don Weck - Vocals, Bass
 Jim Hombs - Vocals, Keyboard
 Steve Binghan - Lead Guitar
 Bob Reiger - (Session のみ Drums)
 John Buell - Drums
 (I'm GoneではLead Vocalも務めた)
 

 Gary Williams,Jim Hombs
  and Don Weck
 
 上記の Bob Reiger はセッションと数回のギグだけでドラムを担当したが
 録音の時には John Buell がドラムを担当している。
 また上記の Jim Hombs、Steve Bingham、John Buell の3人は
 Rocky Lucia を加えた The Sensations (Jamie and The Sensations)
 のメンバーでもありCalifornia Sons と掛け持ちでプレイしていた。

 
 その後 The Sons - Cry Baby / I'm Gone の音源は彼らのマネージャーに
 よってWarner Brothers と取引がされ Magic Mushroom 名義で再リリース
 される。
 Magic Mushroom - I'm Gone / Cry Baby (Warner Brothers 5846)
 1966年。そして改めて編成されたメンバーは San Diego の
 The Lyrics (So What!! や Mr.Man が有名) からメンバーの
 Michael Allen、Chris Gaylord の参加があり下記の5人編成となる
 Gary Williams、John Buell、Sonny Casella、Michael Allen、Chris Gaylord


 しかし Gary Williams はこのセッションバンドである再編成された後の
 Magic Mushroom ではMichael Allen、Chris Gaylord に会った事はない。
 即ち The Lyrics と合体した新生 Magic Mushroom と California Sons を本体と
 する Gary Williams のバンドは同じ名前の下に別行動を始めた。
 新生 Magic Mushroom はその後 A & M と契約し Nuggets にも収録された
 It's A Happening / Never More (A & M 815)を1966年にリリース。
 これは1966年11月12日ピーク:全米93位のスマッシュヒットとなる。
 このリリースの際 Magic Mushroom から Magic Mushrooms にクレジットを
 統一させている。ややこしい事に同時期にフィラデルフィアにも同名の
 Magic Mushrooms が存在したが、彼らは同じグループではない。
 Gary Williams らは Liberty Records と契約し傘下の Imperial Records の
 所属となった際に California Suns と名を改めた。
 
 
 Carol Connors-Roger Christian は元々 Jan & Dean に歌わせるために
 「Masked Grandma」というサーフィンポップを書いた。この曲は Jan & Dean
 の1964年の大ヒット「The Little Old Lady From Pasadena」のカウンター
 ソングで Carol Connors はこの曲のプロトタイプを The Chains 名義で
 リリースさせた
 The Chains - Carroll's Gotta Cobra / I Hate To See You Crying (HBR 460)
 しかしいざ Jan & Dean に歌わせようとしたところ Jan が交通事故で瀕死の
 状況に陥った。プロダクションが慌てていたところに「Masked Grandma を
 歌ってみないか?」と Gary Williams らは打診を受けた。メジャーレーベルの
 プロデューサー達と仕事をするチャンスだと判断した彼らはそれを許諾した。
 
 Flip Side には Gary Williams のオリジナル「Little Bit Of Heaven」が
 収録される事になり、このシングルのレコーディングが始まった。
 この録音は Gary Williams、Steve Bingham、Don Weck の3人に
 セッションミュージシャンの Hal Blaine、Glen Campbell、Leon Russell
 が参加して両面を完成させた。
 彼らはプロのセッションミュージシャン達と初めて作業し、「これでバンドに
 サクセスが訪れる」と期待した。「Little Bit Of Heaven」は Gary Williams の
 自信作で、どこかビーチボーイズの「Help Me, Rhonda」にも似たコード進行
 を持つ。これはコマーシャルな「Masked Grandma」に劣ることもない名曲だ。
 このシングルは Carol Connors の盟友で元 Teddy Bears の Marshall Leib
 が両面プロデュースを担当した。
叔父のガレージで行ったリハーサル
 Click for Masked Grandma
Click for Little Bit Of Heaven
 
 Little Bit Of Heaven (California Suns)
 (Gary L. Williams)

 Pardon me if stars should fill my eyes

 But I've just had a wonderful surprise

 I've just found the girl I love

 Sent to me down from up above


 She's my Little Bit of Heaven

 Yeah my Little Bit of Heaven

 Little Bit of Heaven, yeah

 And she's mine all mine (ooh she's mine all mine)


 Don't know how I lived before tonight

 With her love she's given my world light

 I know she's the one for me

 Look in her eyes, it's so plain to see


 She's my Little Bit of Heaven

 Yeah my Little Bit of Heaven

 Little Bit of Heaven, yeah

 And she's mine all mine (ooh she's mine all mine)


 (instrumental)


 Wish I could explain the way I feel

 She is just too perfect to be real

 When I snuggle up close to her

 My little heart begins to purr


 She's my Little Bit of Heaven

 Yeah my Little Bit of Heaven

 Little Bit of Heaven, yeah

 And she's mine all mine (ooh she's mine all mine)


 She's mine all mine. . .

 She's mine all mine. . .

 She's mine all mine. . .(fade)

 






California Suns - Masked Grandma / Little Bit Of Heaven (Imperial 66179)

 彼らが歌った Masked Grandma は当時 Smuckers Jam のコマーシャルソング
 としても使われて好評を得た。しかしこの録音後に当初から Gary Williams の
 バンドメンバーだった Steve Bingham と John Buell の2人は Vocal を
 Rocky Lucia、Drums を Fred Sanipoli にした第2期であるステージバンドの
 Magic Mushrooms に参加。
 そして San Diego に戻り改めて The Lyrics に参加する。元々 The Lyrics は
 San Diego では古典的なバンドでオリジナルは1959年の結成だ。
 このバンドは時期によってメンバー編成が異なるが Michael Allen、
 Chris Gaylord 在籍時にMagic Mushrooms と接点を持った。
 彼らは後に Love Special Delivery と名を変えている。
 
 Gary Williams が残してくれた音源は少ない。しかし彼ら少年達がその瞬間に
 きらめいていたように、その良質なサマーポップは輝きに満ちていた。
 それはまるで海に弾け飛んだ波のスプラッシュが太陽の光を受けて
 生み出すプリズムの輝きのようだった。
 素晴らしい音楽は人々の良心によって増幅され、その波は時間や場所を
 超えて人々に届けられる。それは愛する人によって永遠に語り継がれていく。
 
 本編作成にあたって Gary Williams さん、 Anita Williams さん、山下達郎氏の
 多大なる協力を得ました。この場にて感謝とお礼の気持ちを表します。
 
 
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